第10話 内部捜査官と潔白証明人

 ザハラは蒸し暑い季節の中、自分が待機室で待たされていることに苛立ちを覚えていた。

 シトラリアは夏である。その湿気は意外にも多く体感温度はかなり高い。

 空調などあるはずのない兵舎の一室で、理由も聞かされずに待たされ続けてすでに二時間が経とうとしていた。


「なんだって、こんな」


 もともとザハラはシトラリア勤務ではない。それどころか、本来であれば一兵卒と同じに扱ってもらうと困るくらいの立場である。しかし、ここではそんな特別扱いはされていなかった。それはザハラの職務に関係する。

 王国内部極秘捜査官。公式には存在しない、いわゆる公安組織である。


「蒸し焼きになるぅ……」


 見た目は一般の兵士とは変わらない。その能力はおそらくはこのシトラリア駐留軍の誰よりも高いと評価されているはずである。


 ザハラの正体を知るのはシトラリア駐留軍を束ねている将軍と、他にも潜伏している捜査官の仲間のみであり、ここに通されたという時点で周囲の認識は一兵卒だった。


「待たせたな」


 そこにようやく将軍が入室してきた。もう一人を連れてきているが、ザハラにはそれが誰か分からない。この暑さなのに汗ひとつかいていない人物に対して、ザハラは興味を持った。


「ザハラ、参上いたしました」

「楽にしろ」

「はっ」


 先ほどまで蒸し焼きになるのではと思われた男とはちがい、ザハラは完璧な一兵卒を演じている。将軍が待機室のドアを開ける前から足音を聞き取り、急に姿勢を正していた。


「これがザハラだ。好きに使えばよい」

「監視役というわけですね」

「そうだな」

「わがままを聞いていただき、有難うございます」


 ザハラは耳を疑った。そこには一人の男性がいるのである。将軍は、ザハラにこの男性の警護および監視をし、不審なところがあれば拘束しろと伝えた。

 だが、ザハラは内部捜査官である。一般人の監視は仕事内容には入っていない。そして将軍はそのことを承知しているはずだった。


「お言葉ですが将軍……」


 一兵卒が将軍の命令に異を唱えるというのは異常である。ザハラが演じる兵士もそのような事は絶対にしない。つまりはこの場でのみ、ザハラは捜査官として将軍の行動に理由を求めた。


「レギオスとその妻を捕えたというのは知っているな?」

「ええ、ですが彼はたまたま巻き込まれたのではないかと私は思っております」


 レギオスという名の男はシトラリア駐留軍が注意を払っている組織に関わったとされ逮捕拘束されている。ザハラは独自の調査でレギオスは積極的にその組織に関わっていないのではないかと思っていた。だが、他に尻尾を掴ませない組織への大切な関係者ではある。害を加えないようにであるが、ある程度の拘束はしていた。

 ザハラの主な仕事はその組織とのつながりがある者が軍に紛れ込んでいないかを調査するものである。


「彼はレギオスの息子だ」

「僕はずっと王都にいたものでね。父さんの無実を晴らすためにも将軍に言って監視をつけて動いても良いことにしてもらったんだ」


 その男の目には執念のようなものが写っているように見えた。ザハラは直感であるが、この男性が嘘を言っていないと思う。ザハラの直感は外れたことがない。


「なるほど」

「もともと、彼は信頼に足る人物だ。それは私が保証しよう」


 これ以上、ザハラが一兵卒ではないという情報を垂れ流すわけにはいかない。ザハラはすぐさまただの一兵卒を演じることにした。その態度を読み取り、将軍はザハラが承諾したものとみなした。


「君がシトラリアにいる間はこのザハラとともに行動してくれ。人質というわけではないが、レギオスは拘束されているのだ。ザハラから離れることのないように」

「分かりました。お力添えに感謝いたします」

「なに、私もレギオスがあの組織に関わっているなどとは思っておらん。それどころか、あの組織が不穏なことを企てているなどとはどうしても思えんのだ」


 男性はそれに対して答えなかった。



「さて、では行こうか」

「ちょっとお待ちください」


 ザハラは男性を呼び止めた。


「自分はザハラ二等兵であります。貴方をどうお呼びすればよろしいでしょうか」


 びしっと姿勢を正しての軍隊方式の質問に、男性はきょとんとしてから答えた。


「ああ自己紹介がまだだったね」


 そして右手を差し出し、握手を求める。



「僕はアークだ。よろしく、ザハラ。それと敬語はいらないよ」

「よろしくお願いしま……よろしく」


 アークの手をとったザハラはアークに何かを感じた。それはザハラの直感であったが、もし彼が兵士としての訓練を受けたならば自分よりも優秀になるだろうという畏怖である。その華奢な体から出てくるものを何と表現すればよいか迷った挙句、にじみ出る敬意とでも呼ぶかとザハラは思った。


 もちろん、今までに彼がそんな事を感じた人物などいるはずがない。




 ***




 ただ単に王都で過ごすことなど、アリアには不可能だった。自然と王都の様々な場所に足を運ぶようになるが、その中でもアリアがよく行った場所が書籍店と図書館である。

 シトラリアに帰ることになるために書籍の多くを持って帰るわけにはいかないので購入はできるだけ控えた。その代わり、図書館ではよく本を読んだ。


 そして今日も図書館の帰りである。自炊するのが面倒な日は、帰りの通りで食事をとることが多い。この数日は同じ店で食事をする習慣がついていた。王都の図書館には、アリアが数年通っても読み切れないほどの本が納められているのである。


「隣、いいですか?」


 店でサンドイッチをほおばっていると、アリアは声をかけられた。店内はそこまで混み合っているわけではない。周囲のテーブルにいくつも空きがあるのを確認して、アリアは言った。


「あの、他にも空いてますけど」

「アリアさんですよね」


 細身の女性だった。一見すると男装ともとれるようなシャツにズボン、それにつばの小さな帽子をかぶっていた。彼女は鞄の中からメモのようなものを取り出して、アリアの了承も取らずにテーブルの向かいに座った。


 久々に誰かと会話をするのでなければ、アリアは断ったかもしれない。だが、この時のアリアはこの女性の話を聞いてもいいかも、と思っていた。


「私はエミリーといいます。日刊アラバニアンの記者でして、お聞きしたいことがあるんですよ」

「はあ……」


 いままで新聞記者との関わりなんかほとんどなかったというのも興味が湧いた理由の一つだった。



「働く女性の特集を組んでましてね、そこで今話題の竜虫の専門家であるリナ=タバレロさんの事をお聞きしたいのです。あ、もちろん研究の内容が発表できないというのは重々承知しています。私が知りたいのはリナさんの働き方の方で、あれだけの功績を挙げられる方の姿というのを読者に伝えたいんです。……それに、貴方にも少し興味がありまして。取材……させてもらってもよいですか?」

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