第8話 後ろめたさと決意と行動
「アークが帰る時に、アリアちゃんも一緒に帰ってよ」
道中の宿に二人で泊まった時に、何気なく言われた言葉をアリアは理解できなかった。急に、何を言うのだろうかと思ったが、すぐにそれが急にではなく前々から言おうとしていた事だったと気づく。普段から笑顔を絶やさないはずのリナの目は真面目だった。
「でも」
「シトラリアにはアリアちゃんを待ってる人がいるんでしょ?」
それを言われるとアリアには帰す言葉がない。研究にばかり没頭していて、アークとの関係性を進めてこなかったという後悔でもあるのだろうかとも思う。レッグの話を持ち出すのは卑怯だとアリアは思う。だが、言い返せなかった。
「まだ竜虫の研究は続きますよね」
「それは、私の研究よ。貴方の人生はまた別のものなはず」
「でも、今は竜虫の研究者リナさんの助手です」
この段階で研究から手を引くというのはアリアの中にはなかった。まだまだ解明したり証明したりしなければならないことは多いのである。アリアには自分が必要とされているはずだという自負もあった。
「アークも言ってたけど、シトラリア方面はきな臭いらしいのよ。早く、帰ってあげるべきだわ。状況によっては家族を連れて王都に戻るべきだけど。アークにもそう言ったから」
「リナさんはそれでいいんですか?」
「望んでいるわけはないでしょう。でも、仕方ないのよ」
子供に言い聞かせるかのようにリナが言う。
しかしアリアには言い返すだけの強い言葉が見つからない。子供の我がままだと言われたらそれまでである。リナにとってもアリアと共にいることはアークを思い出してしまうかもしれない。アリアはそれが考え過ぎだとはどうしても思えなかった。
話はそれきりになり、その日はお互いに一言も喋らないままに就寝となった。
翌日、早めに起きたアリアは準備を念入りに行った。
リナとの旅はこれが最後になるかもしれないと思ったからである。後悔はしたくなかった。この一年で沢山のものをおしえてもらったリナには少しでも恩返しがしたかったのである。
「レッグ、もうちょっと待っててね」
お守り替わりに常に鞄の中に入れているのはレッグからの手紙だった。一年分の手紙となると、かなり嵩張ってきており、鞄の容量のいくらかを占めてしまっている。それでもアリアは頑なにレッグからの手紙を持ち歩き続けている。
幼馴染に合うのはもう少しだけ先になるだろう。帰ったらレッグと結婚することになるかもしれない。先月送られてきた手紙にはそれを意識した言葉が書かれていた。今月は手紙が来ていないが、この旅から帰ったら届いているかもしれない。
返事を考えなきゃならない。竜虫の事をびっちりと書いたことがあって、研究内容を手紙で寄越すとは何事だと怒られたこともあった。だから、研究以外のことを書くようにしている。何の内容を書けばいいのか迷うわけではなく、書きたいことばかりで厳選するのが難しいのだ。
悪くない未来が来ようとしている自分は、アークとリナの事を考えると後ろめたい気分である。どうにかして二人が共にいられるようにできないだろうか。しかし、それは二人の問題であって、アリアにはどうすることもできなかった。
「おはよう、早いね」
リナが起きてきて顔を洗い始めた。
「おはようございます、リナさん」
「今日は目的地に着くだろうからね」
「はい、着いてすぐにでも行動できるように準備しておきました」
「おっ、さすがだね」
お互いに昨日の話の続きはしたくない。確認なんかしなくても分かってしまった。
早めの朝食を取ったのちに、二人を乗せた馬車は進んだ。こうした旅ももう慣れたものである。王都周辺であれば野宿の必要性もなく、さらには周辺の村々の地図も準備しているだけあってリナとアリアが共に旅をする時に外で寝るはめになる事はほぼない。豊富な資金がそれを支えているということにアリアは気づいている。
「そういえば、どのくらいの大きさの竜虫なんだろうね」
「乗れるくらい大きいといいですね」
「ははっ、そろそろ竜虫を飼ってみたいよ」
目撃情報というのは基本的に信頼できない事も多い。ほとんどの人は竜虫を見かけると逃げ出してしまうからである。町を襲うように発狂した竜虫というのは人間であろうがなんだろうが食い殺すと言われているからだった。
たしかに歴史的に竜虫に壊滅させられた町というのは少なくない。大きな都市ですら、かなりの被害を被ることもある。
その原因というのは二つ。一つは竜虫が空を飛んでいるということだった。飛んでいる巨大な虫に対しての有効的な攻撃手段というのは開発されていない。
二つ目はその硬い外皮である。飛んでいる物体に対しての唯一の攻撃手段である弓矢は、その外皮に阻まれて無意味であることが多い。運よく節の間に刺さったとしても竜虫の構造上、動きが鈍ることはほとんどなかった。
超巨大な竜虫の討伐の際には、大型のバリスタを取り出して戦うというのも思案されたようだったが、その設置の時間を竜虫はくれないばかりか、飛行の速度からして矢が当たらないことも多かったという。
数にものを言わせた大量の矢が、なんとか羽を傷つけることができ、それでもまだ飛ぶことをやめない竜虫を網などを駆使してなんとか地上に引きずり落として、ようやく討伐の準備が整うのである。それまで上空から獲物を狙っては急襲することを繰り返す竜虫による被害というのは甚大なものとなっていることだろう。そして地上に落された竜虫は無力というわけではなく、どの獣よりも強靭な顎と長い胴体で、大きさによっては人間などあっと言う間に食い殺してしまう。
だが、リナもアリアも知っているとおり、刺激をしなければ竜虫は基本的には大人しい虫なのである。普段は大型の獣を襲ったりなんかしない。餌となっているものはむしろ小型の動物が主体だった。あまり大食漢でもなく一度食事をすれば数日間は飲まず食わずで活動する事が可能である。
目撃情報のあった村が見えてきた。昼過ぎに着いたために今日は軽く竜虫を探しに行くことになるだろうか、それとも明日を待つかもしれない。
村について荷下ろしをしている時にアリアは一つの瓶を持ち出した。これで終わりになるかもしれないと思うと、後悔はしたくない。
「アリアちゃん、竜虫が見つかった場所は意外と近いみたいね。これから軽く見に行きましょう」
本格的な観察は明日以降にして、本当に竜虫がいるかどうかを確認しにいこうとリナはいった。巣穴などがあるかもしれないという期待も大きい。
「はい、すぐ行きます」
荷物をまとめるとアリアは瓶を鞄に詰め込んだ。
瓶の中には竜虫の体液が入っていた。リナには内緒で持ち込んだものである。今日は、これを腕に塗っていこうと思う。もしかしたら、最初の時のように竜虫がなついてくれるかもしれない。
『子供みたいかもしれないんだけど、私は空を飛んでみたいんだ』
リナに出会ったころにアリアが聞いたリナの研究動機。あれを語ったリナは本当に子どものように笑ったものだった。アリアは今回の旅でそれを叶えてあげられるならば叶えたいと思う。
今までは研究の大筋からは離れているから黙っていたのであるが、これで終わりとなるならば試しておきたい。
何故か自信があった。研究の助手として、根拠のない自信というのはよくないのであるが、失敗する気がしない。
リナの笑う顔を見たい。想いを叶えてあげたい。アリアは鞄の中の瓶をぎゅっと握ると、割れないように布に包んで鞄の蓋を閉めた。それを肩から下げるとリナの後を追う。
アリアは気づいていない。
この半年、リナが空を飛びたいと言わなくなったこと。
今は、空は飛べないほうがいいと思っていること。
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