第7話 すれ違いと密室の話し合い
「アリアちゃん、大型の竜虫の目撃情報が入ったわよ」
数日後にリナがそう言った。アークがシトラリアに帰ると言ってからというもの、リナはどことなく元気がなかったのであるが、この大型の竜虫の目撃情報というのにはさすがに反応した。
しかしアリアにはそれが焦っているようにも見えた。
「本当ですか!? 場所は!?」
「ここから西に馬車で二日ってところね」
「さっそく行きましょう!」
道中、リナは持ち前の明るさで話続けた。だが、アークの話題はほとんどなかった。アリアはどう振る舞えば良いか分からないことも多かったが、それでも一年以上ともに研究をした仲間であり、竜虫の話題をしながらの旅となった。
「そういえば、アリアちゃんは最初に会ったときに、小型の竜虫になつかれていたわよね」
「あのあとも竜虫を見ることはあったけど、あんなに近くまで来たことはなかったですね」
不思議な話である。小型といえども成人の二倍はある大きさだった竜虫が、甘えるようにしてアリアにすりよっていた光景は、専門家のリナにも見たことのないものだった。
だが、アリアはリナに黙っていたことがある。竜虫の体液だ。
あのとき、竜虫の体液が両腕に付着していたということを、この一年の間にリナへ伝えたことはない。
蛹の運搬に興奮していたリナがそのことに気づくことはなかった。研究員として常識的に未知の物質には素手では触らないという基礎的な動作ができていなかったアリアならではの失敗である。
仮説を証明するというのは基本的に難しいことが多い。理論の抜けをなくすという事に費やす時間というのが思ったよりも多いためだった。だとしたら、竜虫のあの行動がもしかしたら体液のためではないかという仮説を証明するというのに費やされる時間はどのくらいだろうか。
個体ごとにも反応が変わってくる可能性まで含めると、リナの研究の邪魔にしかならないのでないかと、アリアは考えていた。リナはあくまで竜虫の生態を解明したいのである、とアリアは思っている。
アリアは研究員として頭角を現すまでにあまり時間がかからなかった。それはアークとリナと共にいたという事も大きく、考え方の成長が早すぎたのかもしれない。
しかし、そういった理由がなくてもアリアは体液の事をリナに伝える事はなかったかもしれないと思う。何となくではあるが、そういう気がした。それは虫の知らせとでも言うべきか、宿命だったとでもいうべきか。
リナが何を欲していたのか、それを聞くこともなく、なんとなく理解したつもりになっていた。だが、現実的にはリナもまた現実主義者の一人であり、世俗と完全に切り離されたところにいる人間ではなかった。
***
数日前、リナはある人物と面会をしていた。
他の誰も入ってこない部屋で二人きりである。いつもこの人物と話をするときはここだった。ここ以外では危なくて話などできない。
「リナ、研究の進み具合はどうだ?」
「ネミング卿、順調と言ってもいいと思っておりますが?」
「君の順調と、私の考える順調には違いがあるようだね」
ネミング=タバレロはリナの研究の第一の出資者であり、血縁的には伯父にあたる人物だった。リナが提出した研究成果を読み、ネミングは一呼吸あけてからじろりとリナを睨んだ。
「君を生かしておく理由というのは竜虫の第一人者だからだ」
ネミングの手には古ぼけた本があった。焼け焦げて破損が著しく、ほとんどの頁が読めないのではないかと思われる。
「これを読んで、まだそんな悠長な事を言っているようなら、見込み違いも甚だしかったと言わざるを得ないか」
「努力はしております。実際に発見の数々は卿もご覧になったとおり……」
バン! っと、ネミングは机を叩いた。
「結果の話をしている。実用化にこじつけるのが君の仕事だ。でなければ他の人物に任せる」
他の人物に任されたあとにリナがどうなるか、という話はなかった。二人の中ではその話はしなくても伝わる。口封じとして殺されるだけだろう。
「しかし私も姪に対してそのような事をしたいとは思っていない。君の母親は私にとっては異母兄弟とはいえ大切な姉だったのだからな」
他界した母がネミングとそんなに良好な関係だったとは聞いていない。全てはリナの能力のみを所望しているネミングの上辺だけの言葉だろうとリナは思った。だが、逆らうほどに馬鹿ではない。
「これは二人だけの秘密だ、つまりこれが成功したら私と君で……」
この国を牛耳ることができる。ネミング卿はそう言いたいのだろうと思う。しかし、現実的に研究が成功したらリナは殺される可能性がある。自分がいなければ運用もできない、そういう方向にもっていくしか生き残る術はないとリナは思っている。
「ありがとうございます」
これっぽっちも思っていない言葉を連ねる。だが、必要な事だった。ネミングがそれを信じているわけもないが、形式というのも大事であるとリナは思う。
「そういえば……」
話があらかた終わったかに思えた時にネミングは思い出したかのように言った。
「浮島研究のアークが辞めるそうじゃないか」
「……ええ、決意は固いようです」
自分はどんな表情をしているのだろうか、とリナは思った。この話にアークを巻き込んではいけない。本心はそれだけであった。そのためにネミングに対してアークの評価を低く伝えたことも一度や二度ではない。
しかし、現実的にアークと離れるのは心が拒否していた。結果、このままずるずるとアークとともに研究を続けてしまっている。だが、アークはシトラリアへ帰るという。
もちろん誘われた。共にシトラリアへ帰るというのにどれだけ心が高鳴ったことか。だが、リナはネミングから離れることはできない。
早く帰ってくれ、そして理由は聞くな。そういう意味の事を伝えるだけで精一杯だった。伝え終えると、リナは泣き崩れていた。
ネミングはリナとアークの関係をどこまで把握しているのだろうか。対外的には恋人と思われても仕方がない。しかし、肝心の研究内容に関しては二人の間で共有していないものも多いのである。特にネミングが絡んでくるあの事に関しては、アークには一言も漏らしてなかった。
ネミングとリナの関係も単純な親族であり、そのために研究に出資してもらっているという認識が一般的である。
悟られてはならない。リナがまだアークの事を想い続けているというのをネミングに悟られてはならなかった。
「アークが帰ると言ったので、私の助手のアリアもそのうちシトラリアへ帰ることになりそうです。新たに助手が必要になりますね」
「…………期日が決まるまでに募集をかければよい」
「ありがとうございます」
アリアも、できれば遠ざけよう。そして全く関係のない人物を助手として雇い入れるのだ。それがリナにできる精一杯の抵抗である。
研究内容をできるだけ記録しないのはネミングに悟られないためでもあり、アークにばれないようにするためでもあった。
リナは気づいている。
竜虫の幼虫が成長するのに共食いをする必要はなく、他の生物を餌をすることができるということ。設備と卵さえ手に入れば養殖は可能だと思われること。つまり蟲毒さえしなければ、大量の野生よりは劣化した、しかし大型の竜虫を人工的に生み出すことが可能であるということ。
そして、竜虫を手懐づけること自体は可能であるとのこと。実際にアリアがそれを果たしている。ただし、その条件がまだ分からないし、もちろんネミングには報告していない。
ネミングが持っている、焼け焦げて中身が全て読めるわけではない本。あれがなければリナは竜虫に興味を持つことはなかっただろう。そして、ここまで苦しむこともなかったに違いない。
かつて悪魔の本と呼ばれ、当時のアラバニア王国が総力を挙げて焼き払った書物が存在した。
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