第6話 心の中の折れない芯と大人な関係

 竜虫の蛹と、それに付着した体液というのはリナにとってもアークにとっても非常に貴重なものであった。さらに、その体液が付着した部分の土は重量が軽くなっていたというアークとリナの仮説が証明されることになったのである。


「見てなよ」


 天秤に設置された同じ量で同じ重さの土。本来であれば片方に何かを加えると均衡がくずれ、何かを加えた方に傾いてしまう。

 しかし、竜虫の体液を加えたほうが土はむしろ上に上がった。


「これが重量を軽くしていた原因だ。浮島の土は全体的にこの竜虫の体液がしみ出した土だったんだよ」


 浮島になるためにはどのくらいの量と期間が必要なのかはまだ分からないけどね、とアークはいつになく興奮して言った。


「アリアちゃんはすごいわ。竜虫の巣穴を発見しただけでなく、竜虫になつかれるなんて」


 リナの方でも今回のことで分かったことがかなり多いという。それは竜虫の蛹というものが体液がついた状態で手に入ったという幸運もさることながら、竜虫の行動の中でも人になつくという珍しいものを見ることができたからである。


「ねえ、本格的に私の助手にならない? アリアちゃんがいれば研究はもっともっと進むと思うわ」




「それで迷ってるのかよ」


 レッグの食堂が終わるのを待って、アリアはそこに駆け込んだ。他に悩みを聞いてくれる人はいくらでもいたが、聞いてもらいたい人はレッグ以外にはいなかった。

 レッグの両親が先に帰った静かな店内で、アリアは店の片づけを手伝いながら今回の事件のことを話した。


「リナさんは一時的にシトラリアに来ているだけで、王都の研究所に戻ってしまうんだよ。もし、私が助手になったらそれはシトラリアを離れるということで……」


「行って来いよ」

「えっ?」


 レッグは引き留めてくれるのではないかという思いから、アリアはここに来た。だが、レッグがそう言ったことで、逆にアリアは背中を後押しして欲しかったのではないかとも思う。どちらがアリアの本心なのだろうか。


「俺はここでお前を待ってるよ。思う存分にやってきたらいい」

「でもレッグにも、家族にも会えなくなっちゃうんだよ」

「後悔するよりはいいさ。また会いにくればいいだろう? アーク兄みたいにさ」


 いつのまにか、レッグはアリアの後ろに周りこみ、ぎゅっとアリアを抱きしめた。今まで、そんな事をされたことがなかったアリアの顔が紅潮する。心臓がバクバクと音をたてるのが分かった。


「えあっ」


 変な声が漏れてしまったことで、アリアの心臓の鼓動はさらに加速する。


「ずっと、王都ってわけじゃないんだろ? だったら今しかチャンスはないじゃないか。行ってこい。待ってる」


 レッグはどんな顔をしているのだろうか。その好奇心以上にアリアは自分の顔をレッグに見られないようにと、まっすぐ前だけを見続けることしかなかった。


「自分の心の中にな、折れない芯があれば大丈夫。アリアにはそれがあるよ」

「レッグ……」


 堰を切ったようにアリアの目から涙がこぼれだすのを、レッグは何も言わずに抱擁で返した。




 ***




 アリアが王都の研究所に入ってから、一年が過ぎた。


「リナさん、結果が出ましたよ」


 アリアが持っていたのは竜虫の蛹から採取した体液だった。これを土に混ぜ込むことで土が浮力を持つというのがアークの説だった。その証明が意外にも難しかったのだが、アリアはやってのけた。


「アリアちゃんがいてくれて助かったわ。私だけだったら、こんな面倒な事できないもの」


 単純作業が長く続く中、アリアは根気強く粘った。逆にリナはあっと間に根を上げてしまったのである。


「アリア、次はこっちも頼む」

「お兄ちゃん、ここ間違ってない?」

「あ、本当だ」


 アークもリナも研究所内では優秀と言われている人物だった。そのためにかなりの予算が国から支給されているだけではなく貴族からの出資までがある。だが、アリアは仕事を始めると彼らを越えるほどの才覚を発揮し出した。


 浮島の発生に竜虫が関わっているという事はほぼ確定となった。それの功績も認められている。


「でも、そろそろ浮島の謎は解き明かされようとしているよね」

「竜虫はまだまだ謎が多いのよ」


 浮島もまだ謎はあるだろうが、誰も分からなかった発生の原因とその後に関して突き止めてしまえば、今後は竜虫の巣がありそうな場所で観測し、具体的なデータをとっていくだけの仕事となる。アークはそれはやりたくないと言った。


「たしかに、アークでなければならないってことはない仕事になっちゃうもんね」

「それに、僕はそろそろシトラリアに帰ろうかと思ってるんだ」


 リナとアリアはその言葉で固まった。


「お兄ちゃん、帰っちゃうの!?」

「ああ、父さんもそろそろ引退したそうな年だしね」


 初耳である。アークがいなくなるということは、アリアはどうなるのだろうか。リナの助手になったというのはアークが王都の研究所にいたからでもある。

 めまぐるしく変わる自分の考えについて行けずにいると、リナがぽつりと言った。


「そっか、もともとシトラリアに帰るって言ってたもんね」

「ああ、ごめんよ」

「いつになるの?」

「まだ決めてないよ。でも浮島の研究もほとんど終わってしまったし、年内には帰るかな」


 年内というと、もう半年もなかった。

 アリアはアークと離れて寂しいという気持ちよりも、シトラリアに対する寂寥が強いというのを自覚していた。しかし、自分はリナの助手で、竜虫の研究はおそらくはまだまだ続く。


「…………私も負けてられないわね」


 リナが何かを我慢しながら言ったのをアリアは聞いていた。

 自分がレッグにこんな形で別れを告げられたらどう思うのだろうか。だが、それよりもすぐにアリアはレッグに会いたくてたまらなくなり、何も考えることができなくなってしまった。


「お兄ちゃんがシトラリアに帰るときには私も里帰りしてこよっと」

「うん、そうだな…………でも」




 リナとアリアはほぼ一日中研究所にこもっているか、竜虫を求めて地方に出かけるかしていた。この一年、世俗と関わることはほとんどない。だが、アークにはその余裕が少しだけあった。


「最近、シトラリアの方が物騒らしい。もしかしたら王都に残っていたほうがいいのかも」


 アークが帰ろうと思ったきっかけもそれである。王都研究所は、王国の中枢と近い。政治的な影響はほぼないが、研究費をふんだくってくるためには所長はその方面にも食い込む必要があるのである。

 貴族の閣僚たちとしても、自分たちが出資した研究が国の益になるとなればその力が増す。研究所にはそういった者に関連した人物たちも出入りすることがあった。


「ネミング卿が最近になってやたらと研究所に来るのはそのため?」


 リナの研究費の多くを出費してくれているのはネミング=タバレロという名の貴族だった。軍事にも精通しており、国の中枢にいるといってもいい人物である。竜虫の研究の他にもさまざまな分野に出費しているこの研究所の中でも有数のスポンサーだった。


「分からないけども、僕もネミング卿直々に話を聞かれることがあったよ。この前ね。シトラリアに不穏な動きがあると言ってくれたのはネミング卿なんだ」


 向こうが落ち着いているかどうかを確かめてから、アリアは里帰りしたほうがいいんじゃないか、とアークは言うがアリアとしてはなおさら早く帰ったほうがいいのではないかと思ってしまう。




 ほとんど研究所で寝泊まりしていたアリアとアークは、一応の下宿として使っていた家が研究所の近くにあった。もともとはアークだけが使っていたものである。ほとんど物置のような部屋になってしまっているが、二人きりで話をしたいときなどはここに集まることになっていた。


「リナには悪いとは思っているんだけど、仕方ないんだよ」


 リナと、あのような形で別れを切り出したことと、そこに自分を巻き込んだことにアリアは少し腹をたてていた。アリアがいる前でリナは本音を言うことができなかったのではないだろうか。


「お兄ちゃん、ずるいよ」

「もともと決まってたことだしね」


 リナにはアークについてシトラリアで書店経営を手伝うという選択肢はなかったようである。そこに妥協はなかったのだろうか、と考えてから、アリアはレッグの事を思い出していた。


「それにね、リナはネミング卿の親族になるから王都を離れて嫁ぐというのは無理なんだ」


 貴族ではないが、ネミング卿の父親の私生児というのがリナの母親だった。ネミング卿は伯父にあたる。


「仕方ないよ」



 アークは寂しく笑った。

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