第5話 兄のパートナーと虫の体液
アリアは翌日にはアークの研究へとついて行った。
「本来は部外者は立ち入り禁止なんだからな」
「そこはお兄ちゃんの権限でよろしく」
「いつの間にそんな行動力のある妹になったんだ」
もしレッグがいたら「昔から」と答えていただろう。ストッパーとして機能していた幼馴染がいなければ突き進むだけである。
研究所の中にアークよりも権限を持っている人物は所長だけだった。その所長も中央から来ているシトラリア出身のアークに対して強く何かを言うことなどない。アリアは堂々と研究所の中に入ることができた。
「今日は、リナが来る予定なんだ」
「リナって誰?」
「前に言ってた竜虫の専門家」
浮島の研究と竜虫の研究が被るのではという事で数か月前から一緒に仕事をしているのだという。恋人関係なのかと思っていると、微妙なようだ。
「僕の夢は父さんの店を継ぐことだからね」
だから刺激的なものを求めているリナとは最終的には一緒にはならないんだと思う。アークはそう言った。最終的にはってことは、今現在は恋人なのかとアリアは解釈した。
アークに割り当てられた研究室の扉が勢いよく開けられて女性が入ってきたのはそれから数時間後の事だった。
「リナ、よく来たね」
「挨拶はいいわ、それよりも何か分かった?」
「うん、もしかしたらシトラリア復興の時の竜虫よりももっと古い時代の物が浮かび上がっていたようだ」
アリアの存在に気づいてか気づかずか、リナはアークに研究の成果を聞き続けた。その勢いにアリアは気圧されてしまっている。アークは慣れたものなのか、嫌な顔一つせずに大筋を話し終えるまで付き合っていた。
「ところで、こっちが僕の妹のアリアだ」
話が一旦打ち止めになったタイミングでアークがアリアを紹介する。あ、と意表をつかれた顔をしたリナはバツが悪そうに自己紹介をした。アリアの存在に気づいていなかったらしい。
「リ、リナです。ごめんなさいね、失礼なことをしちゃって」
「いえいえ、でもすごく面白いお話ですね」
竜虫の蛹から出る物質が土地に浸透するという仮説をリナは唱えていた。その物質が何なのかというのを研究するためにも、浮島から落ちてきたものというのは重要な資料となるのである。丘に落ちてきたものは土も含めて全てこの研究所に運び込まれていた。
「でしょう!?」
自分の研究内容に賛同を得られたということがよっぽど嬉しかったのか、リナは一気に機嫌を元通りに戻し、アリアにも熱く語りだした。その勢いに押されながらも、アリアは竜虫という研究内容に強く惹きつけられた。リナの説明が分かりやすく、面白かったというのも理由の一つである。
「浮島の土が、地上のものとは違ったとしてもあれだけの重量があるものが風の影響を受けて空に漂うという事は異常すぎるんだよね。だから、土に何かがあるという仮説は正しいと思う。いや、それ以外は考えづらい」
アークはアークで乾燥した土の塊を握りしめながら自説を語る。
「竜虫の蛹がどうしても欲しいね」
「蟲毒真っ最中の巣穴を空けたら大変な事になるわよ」
過去に、まだ蛹になる前の幼虫の竜虫が大量に出てきたという話は聞いたことがあった。幼虫といえども、かなりの数が巣穴から出てきたらしく近隣の町が一つ被害にあうほどのものだったという。
「竜虫の蛹に、空に浮かぶことのできる成分が含まれているとしたら、そのうち私たち人間が空を飛ぶことも夢じゃなくなるわね」
「高い所から落ちてしまったら助からないよ。開発には事故が連続するだろう」
「夢とか希望とか、ロマンという奴は止められないものよ」
リナは力強くそう言った。
「僕は純粋に、なんで浮島が浮いているのかという事を知りたいだけなんだけどな」
「あなたのそういう所は非常に好ましいわ」
だけど、とリナは付け加える。
「もっと大きなことをしたいと考えてもいいんじゃないかしら」
「知りたいという欲求と発見したという功績は小さな事じゃないよ」
多分、この話はもう何度も繰り広げられているんだろうな、とアリアは思う。すでに相手が言うことが分かっているような流れだった。これがアークが最終的には一緒にはならないと思うという理由かもしれない。
「まあ、この話はまた今度。ところで、小さな個体だけれども竜虫の目撃証言が北の方であるらしいのよ」
「すぐに行くのかい? せっかくシトラリアに来たのに」
「ええ、明日にでも。シトラリアを拠点にはさせてもらうわ。この部屋使ってもいいんでしょ?」
放り投げられた荷物は少ないものだった。とても研究の資料が入っているとは思えない。背に背負うことができる程度のものだけを持って、身軽なリナはここまで来たのだろう。
「だれか助手を雇わないとね。一人で行くっていうのも大変だし」
「僕はここを離れられないよ。研究所の人に言えば、誰か融通してくれるさ」
「本当に誰でもいいのよ。それと馬車が必要ね」
研究費はたんまりもらってきている。そういうような事をリナは言った。
アリアはここだと思った。
「あの、その助手…………」
「ん?」
二人の会話に入り込む余地がほとんどなかったが、わずかな隙。そこにアリアは強引にもぐりこんだ。
「私じゃダメですか? 竜虫、見てみたいんです」
***
「まさかアリアちゃんが付いて来てくれるなんて、ついてるわぁ」
翌日、馬車を御者と一緒に雇うと、リナはアリアを連れて北へと向かった。
「上手くいけば日帰りできると思うのよ。アークがどうしても心配だって言ってね、できるだけ日帰りしろと」
嫁入り前の娘二人だけでの遠出にしぶったのはアークである。リナはここまで一人で来たのであるが、アリアもいるというのがアークの兄としての何かに触れたようだった。
一応はリナにも自衛の手段くらいはある。御者はすでに現役を引退した老人を雇っていたが、護衛が必要なほどにこの辺りは治安が悪いわけではない。
「アークもお兄ちゃんだったんだね」
「リナさんはどこでお兄ちゃんと知り合ったんですか?」
「ん? それは王都の研究所だよ……まあ、正確に言うと山の中だったけど」
浮島の研究においてアークは次々と仮説を証明し続けていたという。その功績の一つが浮島の進路の予想だった。アークの仮説は、浮島は重量を失っていないというもので、それ以上の浮力がどこかに働いている。高度が変わらないのは高度と浮力に何らかの関連性があり、それによって浮島ごとに空に浮かぶ高度が決まっているのではないかというものだった。
最終的にアークが出した計算で、浮島の一つがぶつかるであろう山の中腹に、竜虫の発生現場があったというのがリナとの出会いの始まりである。王都研究所からやってきた二人はそれまでお互いに関連がなかったにも関わらず、そんな辺境の山の中腹で出くわしたというわけだった。まさか、帰るまで研究室が隣だったことにお互い気づかなかったなんて思わなかった。
「竜虫にはね、ロマンが詰まっているのよ」
リナは馬車の中で夢を語った。それは竜虫を従わせ、竜虫に乗って空を飛ぶという事である。大型の鳥ですら、人を乗せることは不可能であるが、大きな竜虫であれば人を乗せることができる。
「子供みたいかもしれないんだけど、私は空を飛んでみたいんだ」
そう言ったリナの顔は輝いてみえた。こういった純粋な夢というのは人を動かす原動力になる。
「素敵な夢ですね」
「へへっ、まだまだ先は長いけどね」
目的の村には数時間でついた。
「ここの村民が北の森の付近で竜虫を見たって言っているらしいのよ」
御者を村の中で待機させ、二人はその目撃者を探す。
小一時間もしないうちに、その人を見つけることができ、当時の詳しい様子を聞くことができた。
「さあ、さっそく行きましょう」
昼食もそこそこにリナはアリアをつれて森へと向かった。数日前に見たという竜虫がまだいるだろうか、とアリアは思わないでもなかったがリナは不安なく期待しているようである。
「竜虫はよっぽどのことがないと住む場所を変えないのよ」
リナは自信満々に言う。
竜虫は、その巨体からして生態系の頂点であることが多い。自然環境や餌のことがなければ襲われることはほとんどないのである。
目撃場所は森の中でもかなり開けた場所だった。泉が近くにある。ここで休憩をしていた猟師が竜虫を見かけたということだった。
「アリアちゃん、あれ……」
リナが指を差す。それはかなり上の方であった。樹々の上空を飛ぶ竜虫だ。
「あまり大きくない個体ね」
形状は竜と言っても、いわゆるドラゴンではなく龍といった方が近いだろう。蛇のような、細長い形状であるが、ところどころに節ができておりムカデのようでもあるが足はそこまで多くない。中央よりも頭に近い部分に不釣り合いに小さな羽根が生えている。頭には角が生えており、確かに眼などは昆虫に近いものがあったが、龍と言われれば龍だった。
「あれが、竜虫……」
博物館などで標本を見たことはあったが、アリアが竜虫の実物を見るのは初めてである。ほんのりと青く光っているように見える。
「やはり、いつみても違和感があるわね。あの形態で空を飛ぶなんて」
小さな羽の事を言っているのだろうか。それとも蛇のような体を言っているのだろうか。アリアには掴みかねたが、そのどちらでも言っていることは正しいと思う。
「アークの言う通り、あの体には空に浮くなにかがあるのだろうね。貴方のお兄ちゃんは凄い学者なのよ、誰もが思いつかなかったことをあっと言う間に証明してみせたんだから」
浮島のことだろうか、竜虫のことなのだろうか。リナの話はいつ聞いても惹かれるものがあったが、学者らしくもなく曖昧な表現が多い。
「あの大きさならば町を襲ったりすることもないわね。私たちはこれからこの付近を調べるわよ」
竜虫の生活の痕跡や、体の一部などが手に入らないかを見に来たのである。竜虫を討伐することもできないわけじゃないとリナは言ったが、今は武器も大したものは持って来ていないし、下手に刺激して襲われるのは御免だとも言った。
上空に漂うようにしてゆっくりと旋回している竜虫の下には森が広がっている。泉から湧き出た水が合わさって小川になっている場所も見受けられた。
「あ、あれは何でしょうか」
捜索を始めてすぐにアリアが見つけたものがある。それは、竜虫と同じく若干の青みがかった光を発する何かがついた穴だった。
「アリアちゃん、もしかしてすごい発見かも……」
「もしかして出てきたばかりの巣?」
予想は完全に当たっていた。穴の周囲には竜虫の体液が付着していた。それは巣の奥に存在した蛹まで続いている。
「本当に! すごいよ!」
アリアは上空の竜虫の存在すらも忘れたかのように叫んだ。まだ、乾燥もしていないような蛹である。穴を少し広げて、中の蛹を引っ張り出すのに時間はかかったが、それでも蛹は地表へと出てきた。思った以上どころか、いやに軽い。
「これだけ軽いと馬車まで持っていけそうね」
付着した体液を瓶にしまいながらリナはこれからの研究のことで頭が一杯だったのだろう。せわしなく動き回っている。蛹についた体液がアリアの腕にびっちゃりとくっついていた。
(これが毒だったら終わりだな)
リナは体液が体に付着しないように振る舞っていた。さすがにその辺りは研究員だと思う。
アリアは少し後悔したが、毒である気配はなさそうである。若干の悪臭を我慢しながら、布で体液を拭い取った。村に着いたら水浴びがしたい。むしろここの泉で手だけでも洗って行こうと決める。
しかし、その時に二人は気づいていなかった。
竜虫の羽音は極端に静かである。それは羽自体が飛ぶことを全て担っている器官ではないことの証明のようでもあった。
何の前触れもなくアリアの頭上に影が差した。それが竜虫の体だと、アリアはすぐに気づくことができなかった。
「あ……」
眼前に、急に現れた竜虫にアリアは息を飲む。
リナは、竜虫の危険も知っている。だからこそ、竜虫の行動範囲には不用意に足を踏み入れないつもりだった。だが、蛹の発見でその警戒心が薄れた。
「アリアちゃんっ!」
後悔がリナを襲った。自分がいたはずなのになんて失態だ。リナは自尊心の崩壊とともにその先を予想しながらも、神に祈る気持ちで手を差し伸べた。だが、アリアまで手が届くはずもなく、竜虫が動きを止めることはなかった。
「えっ?」
アリアは視界一杯に広がる竜虫の頭部を眺めながら、驚きはしたものの、不思議と恐怖がなかった。まるで、強面の父親を慕う娘のように。まるで、大型犬を飼う飼い主のように。
リナが予想した光景は訪れることはなかった。
「何? どうしたの? この子」
竜虫は、アリアの体に頭部をこすりつけると、まるで甘えるかのようにアリアの周りで浮き続けていた。それに対して自然と竜虫の体を触るアリア。その両手には蛹から出てきていた体液が、まだ若干ではあるが付着していた。
竜虫は一通りアリアの体をこすると、そのまま飛んでいった。
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