第3話 浮島と竜虫と違和感
それからもレッグは小遣いを貯めては写本用の紙を買った。アリアの両親はそんなレッグを見て仕入れ値で紙を譲り続けた。時にはアリアの父親が製本を手伝った。
レッグの本が十冊を超え、アリアが店の事をほとんど覚えると同じくらいに、アリアとレッグは学校を卒業することになった。
「もう店には来ないの?」
「さすがにこれから食堂の仕事が始まるからな」
「じゃあ、私がお昼を食べに行くよ」
「忙しい時間帯は避けてくれよ」
そうじゃないと、アリアと喋ってる暇がない。レッグはそこまで言わなかったが、アリアには分かっていた。両親が昼食を取っている間の昼休憩の間にアリアは店番をする習慣がついた。
そして両親が帰ってきてからレッグの食堂へ昼食を食べに行くのだ。ちょうど、その時間帯くらいになると食堂も余裕が生まれてくる。
普段、雑用ばかりで料理をさせてもらえないレッグだったが、アリアと自分の食事を作るのだけは任された。
少しずつであるがレッグが作る事のできる料理が増えていった。アリアは、レッグが作った料理をレッグの父親が味見しているのを知っている。
昔のレッグはここまでちゃんとした人間ではなかったが、仕事というのは男を変えるものだろうかと思ってみたりした。
そういえば、お兄ちゃんも急に働きだすと別人みたいになったな。と、アリアは思う。
アリアの兄は現在は父の跡を継ぐために王都で勉強中である。それなりの評価をもらっているアリアの父親はシトラリアでは有数の学者だった。書籍の事に関してはアリアの父の右に出る者はいない。
そんな父親を持つと大変なのが子供であるのだが、アリアの兄は嬉々として王都への留学を受け入れた。
それまでは学校の成績も優秀とは言えない程度だったのである。あれだけサボっていて落ちこぼれないというのはある意味すごいとアリアは思っていたのであるが、周囲の評価は全く違っていた。しかし、アリアの父はそんな兄に対して厳しくはなかった。それどころか、好きなことをすればいいと言った。
「浮島の研究員になる」
事もあろうか、王国の中でも随一と言われるほど優秀な者たちが選抜される研修者の仲間入りを宣言した時にはさすがにアリアの両親もびっくりするしかなかった。
しかし、それを成し遂げてしまうところが遺伝なのだと、最終的に回りの人々が言ったから面白い。
この前まではあの父親の息子とは思えないと言っていた同じ口からそんな言葉がでてきたのがアリアは不満だった。
以前アリアたちが持ち帰った物が、アリアの兄の所に渡されている可能性も高いのである。それだけ浮島の研究というのに王国は力を注いでいたし、王都の研究員は地方に比べてかなり優遇されるはずだった。
「お兄ちゃんどうしてるかなあ」
店に帰るとあまり客はいなかった。店番にもどりながらつぶやくと、それに父親が反応する。
「今度、帰ってくるってさ。なんでもこの前の浮島の事で調べたいことがあるんだとか」
「ほんと?」
兄には二年ほど会っていなかった。将来的に落ち着くようなことがあれば父の店を継ぐのだろうなという漠然としたものはあっても、もしかしたら王都に骨を埋めるような人生を歩むかもしれないとも思っている。
これから先、兄に会う機会が貴重なものになるというのは寂しいものだった。帰ってくるというのならば思いっきり甘えるというのも悪くないし、アリアとしてはレッグの作った御飯を食べてみてもらいたかった。
「あなたアリアに教えてあげてなかったの?」
「ごめんごめん、郵便が来るのっていつも昼過ぎだから」
レッグの店に行ってる時間だろ? と、少し拗ねたように父親は言った。そんな拗ねられても困るんだけどな、とアリアは思う。
それから二週間ほどして、アリアの兄であるアークは帰ってきた。
「浮島発生の原因が分かったかもしれないんだよ」
「それをここで言ってもいいのか?」
久々に父親と楽しそうに食事をしながら話をする兄は、アリアにとっては何も変わっていなかった。
「
「ふむ、今度連れてきなさい」
「はは、向こうがいいって言ってくれたらね。だけど、今はもう浮島の事でいっぱいいっぱいだよ、二人とも」
浮いた話までしている。
そんな兄の浮いた話なんかよりもアリアにとっては浮島の原因の方が気になった。
「竜虫って、あの大きな虫のことでしょ? なんで浮島と関係あるの?」
「それはだね、もしかしたら竜虫の蛹の抜け殻が、土と岩を押し上げてるんじゃないかという話なんだ。あっ、これは僕たち二人以外にはまだ説明したことないから他人には黙っててね」
アークの話は面白かった。竜虫の専門家である女性とともに色々な事を調べ上げているらしい。
竜虫の蛹のぬけがらは土中において朽ちていくのが一般的である。平均的に一メートルは超える虫であるが、大きな羽と尻尾を持ち、形状が伝説の竜に似ていることから竜虫という名がつけられていた。
竜虫の中にはそれは大きなものになる個体が稀にだが産まれてくる。記録によると二十メートルを超えることもあり、成虫した竜虫は約一年ほどで死に至る。その間につがいを見つけて交尾し、子孫を残すということだった。
雄の竜虫は交尾の後に不眠不休で穴を掘るという。力尽きるまで掘った穴に雌が巣をつくり、外から穴を埋めると雄の竜虫は野垂れ死ぬ。
土中の様子を観察したわけではないが、たまたま掘り当てられた竜虫の巣からは幼虫がその母親の身体を餌に大きくなり、さらには同時に生まれた兄弟までもを食べて大きくなるという証拠が出てきている。
最終的に残った一匹が、蛹を形成し地上へ出ていくのだという。
「ねえ、それじゃあ竜虫はどんどん数を減らしているってこと?」
「そうでもないんだよ。それで産まれるのは全部雌なんだって。雄がどこからくるのかは謎なんだ」
単純計算であれば父親と母親の犠牲の上に一匹の幼虫しか生き残らないのである。
古来に滅んだ文明の中に、蟲毒と呼ばれる文化があった。壺のなかに多数の虫を入れ、互いに喰らい合った後に残った一匹はどの虫よりも強い毒を持っていたという。
竜虫は自然と自分たちの子孫にそれを強いていた。そのために成虫の竜虫が暴れた時には都市に壊滅的な被害が出ることもある。
アークはシトラリアに来た浮島にも竜虫の抜け殻があったに違いないと言っている。その大きさから想定すると二十メートル級はあっただろうと。そんな大きさの竜虫は記録に残っているものでも少ししかない。
「数百年前だろうな」
シトラリアの研究員の言葉が思い出された。浮島から落ちてきた木箱に入っていたのも同じくらい昔のものである。
悪魔の本の乱で壊滅したシトラリアが復興するのには数十年という年月が必要であった。その際に一度、巨大な竜虫の被害を受けている。
***
「へぇ、そしたらその時に民家の下に竜虫の巣があって、孵化と同時に地面が浮かび上がったっていうのか」
レッグの食堂でその話をしたのは次の日だった。アークはすぐにでもシトラリアの研究所へ行くといって朝から出かけている。
「面白いよね」
「難しい話で良く分かんねえけど、あの小屋が落ちる前からボロボロだったのは竜虫が出てきたからなんだな」
あ、とアリアは思った。そこまで考えが及んでいなかったのである。たしかに腰を抜かしていたアリアと違ってレッグは落ちてきた小屋を探索したわけであるが、竜虫の孵化の際に壊れたとまでは推測できていなかった。
「お前の兄ちゃんはすげえよ、王都からここまで研究に帰ってこれるだけでも随分と信頼されて任されてる感じだな」
「ふふん、すごいのよ」
胸を張るアリアであるが、なんとなくレッグに負けた気分だった。凄いのはアークであってアリアではないと自分で認識してしまったのである。
これは気を引き締めねば、と思う。レッグを馬鹿にしてるわけではないけど、考察において読書量の少ないレッグに負けたままでいるわけにはいかなかった。
本をもっとたくさん読もうかな。そのためには仕事をもっと早く終わらせないといけない。店番をしている途中の空いた時間で何かできたら、店が終了した後の片づけなどの時間を本を読む時間に回せるだろうと思う。それで夜はレッグとか父さんとお話をするんだ。
なんとなくだが、自分のするべき事を思いついたアリアは自信を取り戻した。こつこつとやっていけば自分の望む場所に行ける気がする。昔からアリアはそういう前向きな性格だった。
「アリア、今夜は仲間たちとここで飲むことになってるけど、お前も来るか?」
拳を握りしめて色々と考えていたアリアであったが、レッグに急に話しかけられて焦る。変な顔してなかっただろうかと思いつつも、今更だという感情もあった。
「あ、うん。今日は何も用事がないから私も行くよ」
本当は読みたい本もあればアークと話したいとも思っていたが、それよりも最近レッグが仲良くしている人たちというのにも興味がある。ほとんどは学校の友達からの繋がりで、店に食べにくる人々なのだというが、いつの間にそんな交友関係を広げていたのだろうか。
「店が終る頃に来てくれよ。今日の料理は俺が作るんだ」
だから休憩時間なのに仕込みをしながら自分の相手をしていたのかとアリアは思った。
「そんなわけでちょっと遅くなりそう」
「なんだよ、せっかく兄が戻ってきたというのにだな」
店にはアークがやってきていた。浮島の資料はある程度目を通したらしい。明日から本格的な調査が始まるが、自分たちの仮説を否定するようなものは出ていなかったという事でご機嫌だった。
「すぐに帰っちゃうわけじゃないんでしょ?」
「そういう問題ではない」
仲の良い兄弟ではあったが、アリアはいつもレッグと一緒にいたしアークはフラフラとどこかに行ってしまうことも多かった。今更になって妹がなついてくれないことを嘆くのを苦笑いして見ている父親と母親がおり、漫才のようなやり取りが繰り広げられる店の中の雰囲気は明るかった。
「お兄ちゃんも来る?」
「いや、遠慮しておくよ。それに明日は一日中ここにいるからさ」
「え? なんで?」
「写本をもらったんだよ。お前たちが持ち帰った本の」
浮島から落ちてきた木箱に入っていた本のことだった。自分たちの発見が兄の研究の役に立ったということで素直に嬉しいとアリアは思う。
「こっちの研究員が、僕の妹だと知っていたならもっと安く譲ってもらったのにって言ってたよ」
そのお金はかなりの額で、いまだに両親が管理している。
「あれはアリアがレッグに嫁ぐ時に必要なのよ」
と母親が言った瞬間に父親がお茶をこぼしたりなど、店はいつも以上に賑やかであった。
「じゃあ、行ってくるね」
「あまり遅くならないようにね」
店の前で母親と別れるとアリアはレッグの食堂へと向かった。
すでに何人かが集まっている中で、アリアは知っている人たちに挨拶すると厨房のレッグの所へ行く。
「手伝ってくれよ」
「はいはい」
ちょっとした事ならばアリアでも手伝うことができた。料理を作るのはレッグの役割であるが、皿を並べたり飲み物を注いだりするのは簡単である。
もともと両親が帰ってくるまでに料理をして待っていたこともあるアリアにとっては苦にならなかった。
「アリアさん、すでに奥さんですね」
そう言ったのはレッグの同級生だったハリーである。学校にいる時はあまり仲良く絡んだことはなかったはずであるが、卒業してからレッグの食堂で昼食をとるようになったらしい。今は建築業の見習いをしているのだとか。
「ねえ、なんで私に敬語使ってるの?」
手伝ってくれるハリーに対して単純な疑問がわいた。アリアにとっても同い年なはずである。
「そりゃ、レッグさんの将来の奥さんに敬語使うのは当たり前でしょ」
「なんで?」
アリアには意味が分からない。それにこの集会のような飲み会にはかなりの人数がいるようであった。全てレッグの奢りなはずはないが、予算とかはどうしてるんだろうか。
「それは皆で出し合ってますよ。もちろんレッグさんがお父さんに交渉して仕入れのついでに安く買って無料で料理するから、他の店で飲み食いするより半分くらいの金額でめちゃ美味いものが出てきますからね」
実際にレッグは料理の腕を上げていて、もともと評判のよいレッグの両親の食堂の味が再現できていた。
さらにはこの飲み会には新作だとか、レッグの考案した料理なんかも出るらしい。
「私、初めてだよ。この会に参加するの」
「そういや、そうですね。アリアさんの事知ってても話したことのない奴ら多いんで、皆楽しみにしてますよ」
参加人数が十人を超えるころに、レッグがあらかた料理を作り終えた。
「まだの奴らもいるけど、先に飲み始めちまおう」
「乾杯!」
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