第2話 写本とレシピと将来

 浮島から建物が落ちてきた。これは歴史的な大発見と言っても過言ではなかった。大昔から浮島という存在は確認されていたが、浮島の上に建物があるということは誰一人発見していなかったのである。



 建物の残骸から考察するに、これは小屋のようであった。

 特に山の中で猟師たちが使うようなものである。生活用品などはほとんどなかったが、ベッドと思われる木の残骸が発見された。そして、その近くにあるものがあった。


 アリアとレッグが国の研究者たちに売ったのは木箱である。その中には少ないながらも生活雑貨が入っていた。マグカップのような器に年季の入ったナイフなど、そして数冊の本である。

 アリアとレッグはこの木箱だけを持ち帰り、それ以外は置いてきたと衛兵に報告した。


「これは浮島から落ちてきた物じゃなかったとしても歴史的にはかなり古くて貴重なものだよ」


 本をめくりながら研究者はそう言った。だいぶ時間が経っているが、保存状態は良く読むことは可能である。言い回しなどは古文調でありなかなか読みづらくはあるが文字が変わっているわけではない。専門職でなくても意味合いは分かるものだった。


「年代的には数百年前の物だね。丁度「悪魔の本の乱」があった頃じゃないかな」


 そしてアリアとレッグには見たこともないような金額でその木箱を中身ごと買い取ると言ったのである。

 すぐにアリアは了承した。レッグも納得したようであるが、歯切れが悪かった。


「どうしたの? レッグ?」

「いや、なんでもねえ」


 木箱を発見したのはレッグである。というよりもアリアは腰が抜けてしばらく立てなかったのだ。ようやく元に戻った頃には帰らなければならなかった。木箱はレッグが持って来ていた紐でくくって担いだ。


 大金だからと、国の研究者はアリアとレッグの自宅まで馬車で送ってくれた。そして未成年である彼らの両親へ、事の経緯の説明と研究材料の代金の受け渡しを行ったのである。親切な研究者であった。


「また明日ね!」

「ああ、また明日な」


 両方の家での説明が終ると、研究者の馬車を見送った。家の前でアリアとレッグは別れた。



 翌日、めずらしくレッグがアリアの家に来なかった。


「おばさん、レッグは?」

「アリアちゃんごめんね、あの子ったら何してるんだか」

「悪い、アリア! すぐ行く!」


 目の下にクマを作ったレッグはすぐに出てきた。あまりそんなレッグを見た事のないアリアは疑問に思う。


「え? どうしたの?」

「いやちょっと眠れなくてさ」

「沢山お金もらっちゃったから?」

「まあ、それもあるんだけど」


 学校には遅刻することなく登校できた。すでに卒業後に両親の稼業を手伝う事が視野にはいっているアリアとレッグにとって授業は余裕のあるものしか選択していない。


 本日は午前中だけで授業は終了である。


「店行くだろ」

「え? いいの?」


 店とはレッグの両親の経営している食堂である。まかないを無料で食べさせてくれるためにレッグは頻繁にアリアを連れて行っていたが、アリアは少し遠慮している。


「今更気を遣わんでもいいよ」


 とレッグの父親は言うのであるが、気を遣うなと言われても困るとアリアはいつも思っていた。


 そのためレッグは多少強引にアリアを連れて行くのである。自分の小遣いから昼飯代を出すのが嫌であるというのがレッグがこの行動をとる理由だった。


「ところでよ、写本の道具ってアリアの家の店で売ってんのか?」

「どうしたの急に? あるけど」


 レッグの両親の店の裏で炒めた米とスープを食べていた時にレッグが言った。いままで写本どころか読書すらほとんどしたことのないレッグがである。


 印刷技術のないシトラリアでは本を借りて写本するというのが一般的であった。写本を代行する業者すらいる。本は大変貴重なものだった。だからアリアのように家業で本に携わることがなければ読書など趣味で行えるものではない。


「そうか、ちょっと帰りに寄らせてくれよ」

「え、ホントにどうしたの?」

「ちょっと、やりたい事を見直そうと思ってな」

「熱でもあるの?」

「なんだよ、それ」


 まかないを掻き込むとレッグは一息ついた。相変わらず目の下にはクマがあったが、その視線は全く弱っていなかった。


「きちんと考えなけりゃならないんだ」


 ボソッとつぶやいたのはレッグがまだ自信を持てなかったからであり、それでは駄目だとまた呟く。

 今までになかった男の目をレッグに見た。アリアは軽く驚いたが、これは良い変化だと思う。


「行こっか」

「ゆっくり食っていいよ」


 レッグに付き合おうと思ってアリアもまかないを掻き込むように食べた。お気に入りの写本用の紙があるのだ。あれならばレッグの小遣いでも買うことができるし、絶対に気に入る。売り切れてしまわないうちに店に行こうとアリアは思う。先週はまだあったのだから。


 アリアの両親の店は自宅ではなく商店街の中にあった。母親は店番であり、父親が書籍の管理と雑貨の買い付けを行っている。たまたまこの日は書籍の管理のために店の中にいた。


「いらっしゃ……おや、めずらしい」

「こんにちわ」


 レッグが店に顔を出すなんてことはほとんどない。本を読まない人間にとって、アリアの両親の店は生活に関係のない店といっても過言ではなかった。そのために娘がいつも世話になっている幼馴染が店にきた事でアリアの母親の顔がほころんだ。


「今日はどうしたの? デート?」

「ちっ、ちがいま……その……」

「写本の道具を買いに来たんだよ」


 デートという言葉に複雑に反応する父親が、レッグが写本の道具を買いに来たということで半分嬉しさを隠せずに椅子から立ち上がった。


「そうか、ついにレッグはうちに婿入りすることを決めたのか。ならば仕方ない」

「ふえっ!? いえ、違いま……」

「あなた、いじめちゃだめですよ」


 大人二人にからかわれるレッグ。だからここには来たくなかったんだと呟くが誰も聞いていない。


「レッグ! あったよ、これこれ」


 アリアはすでにお気に入りの写本用の紙をもってきた。うすい水色の縁取りがされた紙で手触りが非常に滑らかである。よく見ると横に細く灰色の薄い線が何本も入っており、写本専用の台がなくても平行に文字を書いていくことのできるものである。


「ちょっとだけお高いけど、レッグのところのご両親にはアリアをいつもご馳走してもらってるし半額でいいわ」

「え、いいんですか?」


 レッグはその紙を受け取ると、素人ながらにも良い物だと分かった。かなりの値段かと思ったが、半額にしてもらわなくても小遣いで購入することはできそうである。

 アリアが自信を持って勧めてくれた品だ。一目見て気に入った。


「もう一つ、練習用のももらっていいですか」

「一番安いのはこれよ」


 アリアの母親は全くなにの装飾もされていない紙を取り出した。だが、紙の質が粗悪というわけではなさそうだ。


「道具はあるか、ないなら貸してやるぞ」


 写本の代行も行うアリアの父が古くなった筆や紙を固定する文鎮などを取り出した。


「それとも、ここでやっていくか? 教えてやるぞ」

「いいんですか?……あっ、でも……いや、お願いします」



 それからレッグは学校が終わるとアリアの両親の店へと通うようになった。


「何の本?」

「レシピだよ、親父が持ってた本全部書き写すんだ」


 食堂を経営しているレッグの父親は忙しい。必然的にレッグに手取り足取り料理の事を教えている時間などなかった。そもそも余裕はあまりないのだから余分な食材も少ないのである。


「もう一年もないからな」

「ちゃんと将来の事、考えてるんだね……」

「なんで意外そうな顔してるんだよ」


 もちろん、アリアもそれについてきている。レッグが写本をしている時に店の手伝いをしたり、本を読んだりして過ごしていた。実はこれも卒業後にアリアがこの店の手伝いをするならば店の事を知るいい機会なのである。


「将来か……」


 レッグは水色の縁取りの紙束を集めると、製本作業へと入った。これで父親の食堂のメニューは全て網羅したことになる。それをひとまとめにしておきたかった。おそらくは自分の原点になるかもしれない本の完成である。


「終わったの?」

「いや、まだだ。親父が持ってた本はこれだけじゃなかった。というか、もっともっと多い」


 普段の生活を思い出してもレッグは自分の父親がこれほどの料理の本を読破しているなんて思わなかった。

 たしかに料理はやってみて初めて分かる部分が多いと思う。だが、それでも基礎となる知識というのはおろそかにしてはいけない。そう、父親から教わったような気がした。



「自分に恥じない生き方をするには折れない志が必要なんだ。できることはやっておく、そうじゃないと後悔するしかない」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る