空に浮く島と、心の中の折れない芯
本田紬
第1話 空に浮く島
老人が手渡したのは一冊の本だった。
それを受け取ったのは一人の少年である。
レクタ=スクラブという、まだ無名であった少年がこの数年後に国を覆すとは誰も思っていなかった。
クーデターを起こした後に自ら命を絶ったレクタ=スクラブが何を考え、何を欲したかを詳しく知る事はできない。
折れぬ志を芯に剣をとれ。
当時、レクタに付き従った反乱軍はそれを合言葉に戦ったという。彼らは一冊の本を写本し続け、それを聖本と呼んだ。
国が二分され、多くの命が散った後で、勝ったはずのレクタ率いる反乱軍の多くがレクタに殉死するという奇行を行ったために、その国は大幅な人口減少の隙を他国に突かれて王国軍も反乱軍もまとめて滅んだ。
謎多き人物であるレクタ=スクラブと彼の持っていた悪魔の本。聖本であるか悪魔の本であるかは今になっては分からない。
だが、それが写本される都度、レクタの反乱軍はその数を増やしていったと言われている。
***
「もう数百年も前の話なんだよ。そんな本があるならちょっと読んでみたいかも」
「読んだら頭がおかしくなって反乱を起こして死んじゃうんだぞ。絶対に読んじゃダメに決まってるじゃないか」
アラバニア王国の東方、シトラリアと呼ばれる都市の一画に中規模程度の学校があった。本日習った歴史の内容に関して二人の少年少女が話をしながら帰路についているところだった。
昼過ぎに学校の門を潜り抜けて家まで歩く間に、二人は沢山の事を話し合うのが日課となっている。
「アリアは本当に本が好きなんだな」
「レッグは少しくらい本を読みなさいよ」
「すぐ眠くなるんだよ」
アリアとレッグの家は隣同士である。
アリアは読書が趣味であり、レッグはどちらかというと体を動かす方が好きだった。
二人ともに学校も最終学年である。来年には成人の儀があり、それぞれ仕事に就くつもりでいた。学生でいられるのももう少しだけの間である。
「数百年前はシトラリアも王都だったってことでしょ?」
「今の王国じゃないけどね」
当時のシトラリアで起こった「悪魔の本の乱」はこの辺りに栄えていた国を壊滅的な状態へと追いやった。
それに乗じて今の王国が攻め込んだということになっているが、実際は「悪魔の本」があまりに危険であると判断して軍を使って回収廃棄させたというのが公式の記録である。
すでにほとんど人がいなくなってしまっていたシトラリアはそのまま軍が駐留し、王国の一部に組み込まれたという事だった。
統治下において悪魔の本はことごとく焼却されたらしい。
現存するものはないと言われている。当時の研究者が盗み見て処刑されたという記録まで残っていた。
一度でもその本を読んでしまうと悪魔に憑りつかれて、反乱を起こすほどの思い込みをする可能性があるためである。
「もはや、神話よねぇ」
「どこまで本当の事を言ってるか分かんないよ」
アリアもレッグもそのような本があるなんて思っていない。単純にレクタ=スクラブに扇動された民衆に向けて作られた経典のようなものだと思っているし、周囲の大人の反応も似たようなものだった。
学校で習う歴史はその程度で、詳しくは教わらない。
調べるには図書館などに行く必要があったが、アリアもレッグもそこまで興味が持てたわけではなかった。
家が見えてきたために話題を打ち切る。
「いい? 着替えたら玄関のところに集合よ」
「分かったよ、できるだけ早く、だろ?」
二人は家へと帰ると着替えを素早くすました。家族は仕事に出かけているために、お互いに誰もいない。
シトラリア上空に浮島が来るという。浮島というのは空に浮かんだ島だった。何故浮かんでいるのかは分からない。そしてそれがどこから来てどこへ行くのかも誰も把握できていなかった。
「前回来た浮島は小さかったけど、今回のは大きいらしいよ」
「本当かよ、でもどうせ単なる岩と土の塊なんだろうな」
たしかに浮島のほとんどはただの岩と土の塊である。その上部の地面と思われる部分には見た事もない樹々が生えており、たまに風に流される際に落ちる葉などは希少なものとして研究対象に王国が買い取ることもあるのだとか。
そのために浮島が流れてくるとそれを見物しに多くの住民が出てくる。しかしそんな幸運にあやかれる者などはほんの少数だ。
「お父さんの地図をもってきたんだ」
アリアの手には父親の持っていたシトラリアの地図があった。
本日は東から西に向けての微風である。浮島の移動速度は非常に遅い。だからこそ午前中の学校で浮島の情報を聞く事ができたのである。まだ、シトラリアの北部を西進中の浮島を見ることはできるとアリアは思っていた。レッグはそれにつき合わされているだけである。
「行くよ」
「はいはい、分かったよ」
馬を使うことができればすぐにでも追いつけたはずだった。しかし二人とも馬は飼っていない。
幼少期から遊びで鍛えた足があるだけである。アリアが急がせたためにレッグも早く支度をして家を出ることができた。
商店街を進んで行く。その先の橋を越えると一気に建物がなくなる地区へと出るのだ。シトラリアの城壁まではもう少しかかる。
「城壁の外に出なくちゃならないかもね」
「夕方までには帰るからな」
通行証も用意してある。北の城壁を通るとたまに危険な生物だとか盗賊がいる地域もあるがシトラリア周辺は比較的治安が良い。
一時間もしないうちに北門を通過することができた。
「衛兵さん、浮島は来てないですか?」
「あぁ、まだこっちの方には来てないな。もしかしたらもっと北を流されていったのかもしれん」
「そうですか、ありがとうございました」
「レッグ、急いだほうがいいかもしれない」
「あんまり北に流れてるようだったら諦めて帰るからな」
「分かってるよ」
アリアはのめり込むと周りが見えなくなるとレッグは思っている。実際にその通りであり、度々レッグはアリアの暴走を止める係となっていた。そんな二人は周囲からお似合いだと思われている。
あまりにも過ごした時間が長い二人は、おそらくは将来結ばれるのだろうと、漠然と思っていた。誰もそれを否定できないほどに一緒に成長した。
まだ成人に達していない二人の徒歩の速度というのは限界がある。後から浮島を見に行くであろう人々が馬や馬車で追い越していった。そのほとんどが大人である。
「うー、私の家にも馬車があれば良かったのにぃ」
「しょうがねえだろ、仕事で使うわけでもなかったら平民があんなもの持てるかよ」
アリアの両親は書籍と雑貨を扱う店を営み、レッグの両親は大衆食堂を経営している。仕入れに使うのは荷車だったために馬車などはどちらの家も所有していない。あったところで平日の昼間に浮島を見に行くというだけの理由で使わせてもらえるものでもなかった。
「将来、馬車を使うような仕事に就こうかな」
「やめとけよ、シトラリアの外は危ないっていうだろ」
レッグの心にはアリアに両親が経営する食堂を継いだ時に手伝ってほしいという思いもある。アリアには王都に出ている兄がいたために雑貨屋の跡取りは心配ない。
「なによ、私に危ない事はして欲しくないのかな?」
「そ、そりゃあ当たり前だろうが」
「ふむ、それもそうか」
「なんだよ」
ニヤニヤしながら歩くアリアに多少の呆れ顔を返しつつもレッグは空を見上げた。もうそろそろ浮島が見えてきてもよいのである。
「アリア、もしかしたらあれか?」
「あっ、ホントだ! レッグすごい!」
前方の空にかなり小さくではあるが黒い点が見えた。
「まだかなり先だよぅ、追いつけるかな?」
「あの距離は夕方までに戻れないんじゃないか」
日が落ちるとシトラリアの北門は閉ざされてしまい、よほどの火急の知らせを携えた兵士か、よほどの偉い貴族かでなければ町に入ることができなくなってしまう。
「下まで行くのは諦めよう」
「でも、せっかくここまで来たんだし……」
どうしてもと諦めきれないアリアはレッグを連れて左側にある丘に登ることを提案した。そこから浮島を見たいのである。
「まあ、あそこなら時間内に帰ってこられるしな」
レッグはできれば閉門の時間までに余裕をもって帰りたかった。家に帰らなければ二人の両親が心配するだろうし、浮島を見に行くことは誰にも伝えてないのである。
「レッグ、速く速く」
丘を上がる道は途中から浮島が見えないようになっていた。早く頂上までついて浮島を見たいアリアはレッグをせかす。
「あれ? 風の向きが変わったかな?」
急に強くなった風を感じながら二人は丘を登り切った。
「あ……」
ようやく浮島が見える所まで来た。しかし、二人はそこで予想外のものを見る。
「こっちに流されてきてる」
浮島はかなり大きく見えていた。丘を上がっていた時に風が変わったのだろう。そしてその風は思ったよりも強かったようである。ちょうど、この丘の上空を通り過ぎるかもしれない。
「やったよ! レッグ! こんな近くで見れるなんて! すごいよ!」
「ああ、良かったな」
レッグは浮島を近くで見ることができた喜びよりもアリアが喜んでいるようが嬉しかった。
「わ! わわ! 見てレッグ! こっちに来るよ!」
アリアが指差す方向にある浮島は本当に丘を目指していた。それもかなりの速度である。
このままだとすぐに上空を通過するだろう。
「すごい、浮島の上に植物が育ってるよ」
アリアの指摘のとおりに樹々が生えているのが見えた。どんな木なのかまでは分からない。だが、シトラリア周辺ではみない木であれば夢は広がる。
浮島が丘の上空を通り過ぎようとしていた。この丘には二人の他には人はいない。浮島を見に行った人間は北に置き去りにされたのだろう。
「すごい……」
「さっきからすごいしか言ってないよな」
「仕方ないじゃん! すごいんだから!」
こんなに近くで浮島をみたのは二人ともに初めてである。
その時、突風が吹いた。
アリアもレッグもその風でまき散らされた土が目に入らないように目を閉じてやり過ごす。その内、何か大きなものが飛ばされてきたような大きな音がした。さらに土埃が濃くなる。
「なんだ!?」
少しだけ、レッグは目を開けた。危険なものが飛んできているならばアリアを身を呈してでも守るつもりだったが、幸いにもそんな気配はなかった。
突風はすぐに止んだ。浮島はその突風にあおられて進路を変更したようだった。かなりの速度で西の方角へと流されていく。
だが、アリアもレッグもすでに浮島を見ていなかった。
彼らの目の前には大量の土砂と樹、そして建物の一部の残骸があったのである。
まるで、浮島から落ちてきたかのように。
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