第1章「悪魔の呼び声」Part.5

合衆国首都・ワシントン。

超大国の政府所在地として国際的に強大な政治的影響力を持つ世界都市であり、かつ金融センターとしても中心となっている都市である。

そして、世界の中心国の首都として相応の機能を果たすべく設計された計画都市には、外部には極秘裏とされた特務政府機関の設備・建築が幾つも存在する。


その一つが、合衆国連邦議会の地下にあった。


能力管理局・特殊部隊『ナイン・ヘッズ』作戦管制室。

地下に広がる膨大なスペースを利用して設けられた室内には、今も作戦に関与する多くの人員が詰めている。

それにも関わらず、管制室の中は水を打ったように静まり返っていた。

彼ら一同の目は、中央に設置された巨大モニターへと釘付けにされている。


『馬鹿...な...』


モニターに映し出される光景に、今作戦の指揮官であるフレッド・アルバース司令官は絶句していた。


画面全てを覆い尽くすのは、煌々と燃え盛る紅蓮の炎。

通信機越しに聞こえてくる、何人もの絶叫とブスブスと肉が焦げる音。

目も耳も覆いたくなるような凄惨な状況の中、しかし一段と大きく響いていたのは、最早人かどうかもわからない何者かの嗤い声だった。


『有り得ない...こんな、ことが...』


認識が甘かった。


アルバースは虚ろな目でモニターの向こう側を睨みつけながら、この作戦を軽々に引き受けたことを後悔し、己の愚かさを痛感していた。


今回の作戦は、組織上層部からの直接の依頼だった。

作戦コードは、『魔人奪還』

最重要目標は、過去に組織が行ったある研究に関わる被験体の回収。

しかも肝心の研究内容は、作戦実施に際して必要とされる部分しか明かされないという厳重さである。

成功報酬とは別の前払いの額だけで見ても、これが上層部にとって如何ほど重要な案件であるかは直ぐに把握することができた。

だからこそ、アルバースは一も二もなく依頼を引き受けたのだ。

今にして考えてみれば、この時の自身の判断は早計過ぎたと言わざるを得ないだろうが。


『ナイン・ヘッズ』は、総司令官をトップとして、その下にアルバースを含む三人の司令官が置かれている。各司令官はそれぞれ三つの部隊の指揮権を保有し、部隊名の通り全て合わせると九つの部隊が存在することになる。

現在は、翌年に迫った現総司令官の任期満了に伴い、次期総司令官の席を巡る水面下での抗争が続いていた。


そんな状況下で舞い込んできた、組織上層部からの依頼。

この任務を成功させれば、自分にとって大きなアドバンテージとなるのは間違いない。


それがわかっていたからこそ、長期間をかけて慎重に事を進めてきたのだ。

さらに、依頼してきた上層部からは、『魔人化』した際には重度の酩酊状態とパニック症状が起こることから、捕獲対象はほとんど抵抗することができないという確かな情報が伝えられていた。

そうして容易に鹵獲できるという見込みが高かったからこそ今回の作戦に踏み切ったというのに、これでは全く話が違う。


アルバースは、ぎりっと奥歯を食い縛った。


対象の様子が豹変したことについて、考えられる可能性は二つ。

一つは、稀にあるという特異体質によって症状が顕在化しなかった場合。

これに関しては、起こり得る確率が非常に低く、過去の記録でも数件しか見つかっていないと聞いていたので、最初から考慮はしていなかった。

また、魔人化の確認を計器で行った際に、他の検体と比較しても異常な数値が見当たらなかったという報告が為されていたので、やはり可能性としては低い。

もう一つは、対象の精神状態が不安定化したことに因る能力の暴走。

何らかの事象が引き金となって対象の精神状態に著しい変化が起こるか、ショック状態に陥った場合、能力の作動にも影響を及ぼす例が過去に何件かあったという。

アルバース自身も、此方の方が可能性としては高いと考えている。

それでは、変容の引き金となったものは何だったのか。

危機的状況に追い込まれたことによる対象自身の変化か、もしくは外的要因か。

もし後者であれば、余計なことをしてくれたのは、任務に当たっていた隊員らだと考えるのが自然だろう。帰還すれば死罪も問わない厳罰に値するが、恐らくあの状況では此方が罰するまでもなく、身をもって罪を贖わされたことだろう。


だが、今はそんなことはどうでもいい。

もう過ぎたことだ。今、考えなければならないことは状況の即時把握と対象が変異した原因の究明である。望みは薄いが、暴走の原因が分かればあるいは抑制することもできるかもしれないのだから。


彼は、この期に及んで未だ今作戦の遂行を諦めてはいなかった。

いや、諦めたくても諦めるわけにはいかない事情があった。

今回の作戦で、アルバースが『ナイン・ヘッズ』から動かせた部隊は四つ。

状況把握を中心とした、エージェント・クロウ。

緊急性、即応性に特化した、エージェント・ウルフ。

探知・索敵能力に優れた、エージェント・フォックス。

後衛で部隊の支援を行う、エージェント・ベア―。

前三つはアルバースが指揮権を持つ部隊だが、ベアーに関しては別の司令官が受け持っており、今回特例として借りを作る形で動かせていた。

アルバースにとって幸いだったのは、その司令官――――ディーン・カマラが次期総司令官の地位にさして関心を持っていなかったことだ。


しかし、今の状況は悪い方へと傾きつつある。

重い借りを作ってまで他の部隊を動員したことも、たった一つの任務に長期間を犠牲にしたことも、全ては作戦の成功という報酬があってのことだった。

それが今、全てが失敗に終わろうとしている。

当然、損害はそれだけでは済まない。

組織に与えた不利益による懲罰と、何よりも上層部から依頼された作戦を失敗したという事実が、今のアルバースにとって最大の汚点になってしまうのは明らかだ。

それだけは、何としても回避しなければならない。


『....後方で待機しているベアーに繋げ。部隊を二つに分け、一つは対象の半径300メートルまで接近して状況の把握を行い、逐一対象の動きを報告させろ。もう一つは、外部に現在の状況が伝わらないように認識阻害の術式を一帯の外周に展開させるよう通達せよ』


焦燥感に苛まれるアルバースは、それでも辛うじて正常な判断力を保って指令を下す。管制室にいる誰よりも早く動けたのは、彼が大部隊を率いる立場にあり、多くの経験を積んできたという実績があったからだろう。


自身の命令を聞いてから、漸く動き始めた部下を睨みつつも、何とか心を落ち着かせようとする。

まだだ。まだ、全てが終わったわけではない。

アルバースは顔を上げて、再度、中央モニターへと視線を移す。

映し出されているのは、先程と相も変わらない光景。

炎獄と化した一帯で、立っている者は一人だけ。

その姿を拡大してよく見てみると、男の顔は半分近くが醜く歪み、其処かしこから炎が噴き出していることがわかる。

炎は顔以外にも身体の各所からも噴き出しており、更に両腕から肩にかけては異様な程に膨れ上がって変形し、渦巻く火炎に覆われていた。

一見すれば大火傷を負っているとも勘違いし兼ねない状態だが、奴の平然とした様子と、意思を持ったような炎の動きが、そうではないことを強烈に主張してくる。

そんな奴の動きは、フラフラとした足取りで辺りをうろついているだけで、何の規則性も感じさせない。ただ、目の前で動く生命体を見つける度に無造作に腕を振るい、炎を撒き散らす。そうして、叫び声をあげながら燃えカスになっていくモノを見下ろす。

ただ、その繰り返しだ。

およそ常人の為す行動ではなく、恐らく既に致命的な精神障害を負っているのだと考えられる。

そして、自分達が当初想定していた以上に『悪魔の能力』は強大であり、このまま暴走が続いた場合、現在派遣している部隊では到底太刀打ちできないことは明白だ。

それに、元々『ナイン・ヘッズ』自体が隠密、機動性を重視した部隊であり、直接戦闘に長けているわけではない。本来は、今作戦の前提として儀式直後の標的の混乱状態を狙い、速やかに捕縛を実行する手筈になっていたのだから、優先されるべきは戦闘能力ではなく即応能力である。

それが分かっていたからこそ、アルバースも今回の依頼が自分達に回ってきたのだと思っていた。


それがなぜ、どうして、こんなことになってしまったのか。


『....いかんな』


再び後悔の念に呑まれそうになるのを堪えて、アルバースは現状の把握を行う。


まず、今作戦の中心を担い、ほぼ全ての人員を割いたウルフは、標的捕縛の際にも大部分を占めており、最早壊滅状態といっていい。

次に、本土から人員の半数を動員したクロウ、フォックスにも少なくない被害が出ている。ウルフが主体となって実行した捕縛任務にも何人かの隊員を割いており、それらも壊滅。また、第一陣で任務を遂行していたウルフが万が一捕縛に失敗した場合に備えて即時行動を開始できるように待機させていたのだが、これが仇となってしまった。現場の惨状を把握できた時点で管制室から即刻で待機命令が下されたのだが、命令を受けるより先に動いてしまった連中がいたらしく、その全ての通信が途絶えていた。

最後に、最も後方に控えていたベアー。彼らは、今回は完全に実働部隊の支援に回っており、悪魔降臨の「儀式」術式の実行などを行うに留めていた為、被害はない。この配置は当初から決まっていたもので、あくまでも今回のみ限定的に指揮権を借用しているに過ぎず、被害が予想される前線に送るわけにはいかないという配慮もあった。


つまり今動かせる部隊は、ウルフ以上に戦闘能力の低いクロウ、フォックスのみ。加えて、その隊員の数も、当初よりかなり目減りしているということになる。

アルバースは思わず頭を抱えたくなった。


どうすれば、この状態から作戦を成功させることができるのか。


半ば絶望的な気分で、自身の手駒を使って実行可能な作戦を必死に思案するアルバースだったが、それを邪魔するように後ろから声が掛けられた。


『――――やあ、どうですか?アルバース殿』


アルバースは、声を掛けてきた者の名を思い浮かべながら、背後を振り返る。

其処には案の定、彼が最も忌み嫌う人物が立っていた。

蛇を思わせる切れ長の瞳に、長い銀髪をオールバックにした男だった。


『....なぜ、貴様が此処にいる。モーゼス』


アルバースが険のある言い方と視線で応じても、気にした素振りを見せず、モーゼスと呼ばれた男は笑った。

ただでさえ切れ長だった目が、より一層線の如く細められる。


ローガン・モーゼス。

エージェント・イーグル、シャーク、サラマンダーの司令官を務めるこの男こそ、現在、アルバースと次期総司令の座を争っている張本人である。


『なぜ、ですか?そんなことは決まっているでしょう。同じ部隊に属する仲間が作戦を行っているのです、その成否を気にかけるのは当然ではないですか』


『....そこまで気にかけていただいているとは、とても光栄だよ。本当に心配しているというのなら、是非貴様の部隊からも助力を願いたいものだな』


『申し訳ないですが、それは無理な相談です。私の部隊も今しがた任務を終えたばかりでしてね、疲労し消耗している隊員らでは足を引っ張ってしまいます』


特段表情を変えることもなく、モーゼスはそう嘯く。

そんな余りにも白々しい態度に、アルバースは苛立ちを隠し切れなかった。

別の任務に当たっているということ自体は、同じ組織に属する関係上把握していたが、モーゼスが秘密裏に別働隊を日本に送り込んでいることをアルバースは知っている。

明確な証拠がないが故に、強く追及することができないというだけだ。

ならば、この場に来た本当の理由など一つしかない。こうして自分が重要な作戦を失敗するところを直に見に来たということだろう。


陰湿な蛇野郎が、とアルバースは声には出さず、心中で吐き捨てた。


まず、モーゼスという男は、どんなことであっても慎重に慎重を期す性格であった。

作戦を行うに当たって徹底的に不安要素を排し、1パーセントでも失敗する可能性があれば避けようとする、そんな男。

アルバースが引き受けた依頼も、元々は『ナイン・ヘッズ』全体への案件だったが、依頼の条件を確認した後に、モーゼスは直ぐに手を引いた。


慎重に行動することは重要だが、それも度が過ぎれば好機を逸する愚昧と化す。

アルバースはそう考え、モーゼスは機を逃した愚物だとその時は嘲笑った。


ただ、今回に限っては彼の判断こそが正しかったのかもしれない。



モーゼスは、内心安堵していた。

やはり、今回の作戦は引き受けなくて正解だった。

コールマン総司令官から要請が入った時は自身の有用性を見せる好機だという考えもあったが、その依頼の内容を確かめていく内に徐々に疑念が増していったのだ。

そもそも、組織の上層部が関わっていたという研究自体が余りにも不明瞭な点が多すぎる。一部の関係者のみにしか情報が開示できない最重要機密に当たるという説明を受けてはいたが、ならばどうして「被験体の回収」という肝心の任務を部外者である我々に任せたのか。

それこそ、関係者のみで極秘裏に行なえば良い。人手が足りないというのなら、使い捨ての人員を補充すれば事足りる。

組織内において、それなりの立場を持っている特殊部隊に依頼する類の任務ではない。

秘匿しておきたい筈の研究について詮索されるという危険を冒してまで、態々自分達に依頼してきたのはなぜか。

さらに気に掛かったのは、「魔人化」の術式に関して、様々な条件が設けられたこと。

一つ、「被験体は貴重な資源である為、慎重に扱い、儀式の失敗は絶対に許されない」

二つ、「儀式を行うまでは、被験体に極力精神的プレッシャーを与えることを控える」

三つ、「他の組織に被験体の存在を気付かれる前に儀式を遂行すること」

四つ、「被験体の生存は重要だが、多少の負傷や身体の欠損は考慮する必要はない」

それ以外にも幾つもの条件が出され、時には後から追加されることもあった。

その条件に目を通したモーゼスは、漠然とだが不可解さを覚えた。

条件の中には互いに整合性が取れていないものがあったり、後から追加された条件によって修正が加えられたことなど、まるで意見が二転三転する人間を見ている時のような、不安定な感覚である。

想定されるのは、上層部でもこの一件を巡っては一枚岩ではなく、扱い方などを巡って意見が対立しているという可能性。


だが、結局のところ限られた情報だけでは上層部の真意に辿り着くことはできない。

それでも、この依頼は「何かがおかしい」と、それだけははっきりと感じられた。

非正規組織で裏の世界にある程度の期間身を置いてきた経験上、が時折あることは知っている。

今回の一件は、間違いなくその部類だった。

アルバースも本来は自分と同じく三つの部隊を率いるだけの実力がある男だ。

冷静に考えていれば踏み止まることもできたかもしれない。

今回の作戦に焦って飛び付いたところを見るに、各所への根回しが上手くいっていなかったのかもしれない。

それを今回の任務で取り戻そうとした結果が、このザマである。


当人には気づかれていたようだが、アルバースが任務を失敗した場合に備えて、自身が率いる三部隊の内の一つ、エージェント・イーグルを即時投入できるように待機させていたのだが、この状況を見る限り動かすべきではなさそうだ。

モーゼスにとって最高のシナリオは、アルバースが任務を半ばにして失敗し、名目を付けて自分の部隊に対象の回収という最重要目標を遂行させることだったが、流石にそこまで都合良く事は運ばなかった。

それでも、モーゼスの当初の目的である次期総司令官の座を巡っては、今回の一件で大分有利に働いたといえる。

改めてアルバースの方に目をやると、肩を怒らせながらもモニターをしかと睨み付けていた。涙ぐましいことに、この状況から捕縛を成功させる筋道でも考えようとしているのだろう。

自分が火中の栗を拾わされたことにも気づかないとは、健気なものだ。

モーゼスは、嘲笑を内心のみに留めておく。

同じ組織の中の同じ部隊に所属している者であっても、彼らは決して気の置けない仲間ではない。

時には互いの利益から一時的に協力し合い、また時には互いの利益から対立し、足を引っ張り、蹴落とし合う。

それが、裏の世界で生きている者達が心得ておかなければならない不文律だった。


モーゼスは、モニターの向こうに広がる煉獄の景色を眺めながら、ただ酷薄な笑みを浮かべた。








誰かの、悲鳴が聞こえる。

誰かの、嗤い声が聞こえる。


何だか、とても気分がいい。こんなにも晴れやかな心持ちになったのは、何時ぶりだろうか。

怜司はそんなことを考えながら、歩き続ける。


視界に何かが映り込んだが、どうせ「虫」か何かだろう。だから、そのまま気にせず歩き続ける。

すると、けたたましい発砲音が連発し、怜司の身体に幾つもの衝撃が加わった。

その不快な感触に、またか、と怜司は顔を顰める。

どうやら放たれる弾丸には何らかの低位の魔術が掛かっているようだ。

とはいっても、今の自分にはこの程度の衝撃は苦痛とも感じられない程の弱さでしかないが。

それでも、不愉快な気分にはなる。

「虫」がいた方に手を翳すと、身体から炎が放出され、飛んでいく。

暫くしたら、衝撃を感じることは無くなった。その代わりに、何者かの叫び声、呻き声が聞こえるようになった。


我知らず、怜司は口元を歪ませる。

そうして、「虫」を追い払ったところで、再び前へと歩を進め始めた。


だが、そこでふと考える。そういえば、何故自分は歩き続けているのだろう。

怜司は考えたが、どうでもいいことか、と直ぐに頭の片隅へ追いやった。

怜司は、自分の思考が徐々に鈍化していることに気づかなかった。


顔から、手足から、そして心臓から。

身体全体へと広がっていく暖かさがあった。

それと引き換えに、自分の中で何かがゆっくりと解放されていく。

それが何かは分からないが、何故だかそれを開けてしまうのは少しだけ躊躇われる。

その一方で、それが一体何なのかが無性に気になった。


また、先程のように「虫」が纏わりついてくる。

そして、同じように追い払うと直ぐに気配は消えた。


やっと静かになった、そう思った直後。


怜司は、横っ腹に鈍い衝撃を感じた。


その出所を確かめる間もなく立て続けに数発の衝撃と、心胆から冷える程の極寒の冷気に襲われる。

痛みと寒さから立っていることも儘ならず、更に背中から加わった衝撃によって遂にバランスを崩し、地面に倒れ込む。


遠くで、怒鳴り声が聞こえた。

声は何重にも重なり、どんどんと近付いてきて、怜司の脳内を支離滅裂に駆け回る。気がついた時には、上から何人もの手で押さえ付けられていた。


そして、ブチリと何かが千切れる。


怜司は、僅かに感じる鈍い痛みと、血が流れ出す感覚から、自分の身体の一部が切り離されたのだと理解する。

どこが切断されたのかは、朦朧とした意識では判断できなかった。


痛いな、何をする。


怜司はそう抗議しようかと思ったが、止めた。

千切れたのなら、まただろう。

それに、何かを言ったところで無駄だ。奴らは自分の話など聞こうとはしない。

此方の都合など構わないし、訳の分からないことばかりするのだから、そもそも交渉すらできない。

自分がされたことを思い出す内に、沸々と怒りが込み上げてきた。

自分に理不尽な行いをしてきた連中に対して、どうして言葉で以て非難しなければならないのか。

言葉ではなく武器で訴えてくるのなら、此方がすべきことは一つしかない。

怜司は、身体の内側から熱を生み出していく。

ずっと感じていたことだが、どういうわけか、それの「使い方」を知らない筈なのに、何をすればいいのかが手に取るようにわかるのだ。

自分が何をしたいのか、その為にはどのように身体を動かせばいいのか。


全てが、解る。


腹に力を入れて大きく息を吐き出すと同時に、身体中から一気に熱が放出され爆発的に周囲へと広がっていく。

それは、最初に襲ってきた連中に対して放ったものと同じだった。

怜司の近くにいた者らは必然的に爆発に巻き込まれ、肉片を撒き散らし、全身に大火傷を負い、炎に捲かれ悶え死んでいった。


『....ハッ』


ざまあみろ。

笑みを浮かべて、燃えカスになったモノ達を見下ろす。


その時、何処かで小さな悲鳴が上がった。

直ぐ様その声が聞こえてきた方角と場所を探ろうとするが、それよりも早く正面から銃声が連続して響き、意識をそちらへと持っていかれる。

どうやら今しがたの爆発から逃れ果せた連中が何人かいたらしく、目を向けた方向には自分から距離を取って攻撃を仕掛けてくる兵士達の姿があった。

丁度いい、と怜司は対象を切り替える。

まだ、受けた理不尽の代償を返し切れたとはいえない。

残った分、怒りの感情は彼らにぶつけさせてもらうことにしよう。

怜司がそう決定し、実行し終わるまでに要した時間は、10分とかからなかった。




雨音が聞こえる。


自分を濡らしていく冷たさが、身体の内側に溜まっていた熱を放出していくかのように感じた。

それに伴って、徐々に自分の意識が覚醒する。酩酊状態から回復していく時に近い感覚があった。


一体どれだけの間、そうしていただろうか。

気づいた時、怜司は焦土の中に一人で佇んでいた。


心の中に残っているのは、胸焼けしたような気分の悪さ。

怜司は吐き気を催しそうになるのを堪えて、何とか周囲の状況を確認しようとして、目を見開いた。


辺り一帯に散乱していたのは、「ヒトであったもの」

黒ずんだ肉塊と化しているソレは、元々が人間であったという事実を知らなければ、死体だと気づくこともできない。

それ程までに、一面に広がる焼死体は原形を止めていなかった。


怜司は、そんな悲惨な光景を前にして、ただ呆然と見つめるしかなかった。


「何、なんだよ....これ....?」


何とか絞り出した声は、酷く掠れ、震えていた。

怜司は周囲を見回して、未だ誰かが生きてはいないかと探すが、動き出す者の気配は何一つとして見つけられない。

焼けた肉の匂いが、雨中にあっても薄れることなく此処まで漂ってくる。


何なんだ、これは。

俺が、これをやったのか。

そんな、馬鹿なことが―――――


『――――オイ、いつまで呆けていル?』


その声は、凄惨な光景から、目の前の事実から眼を逸らそうとする怜司を、現実へと引き戻した。


「ラ、バル....」


応じた怜司の眼に光はなく、焦点も合っていない。瞳の奥は、黒く濁り切っていた。

雨粒が落ちてくる上空にあるのは、灰色の景色だけだった。


それからまた暫くの間、沈黙の時間が流れる。


「....ラバル」


長い沈黙を破った怜司の声は、やけに平坦なものだった。

ラバルはそれに対して何も言葉を返さなかったが、怜司はそんなことなど気にも留めず話し始める。


「....俺は、覚えてる」


ポツリ、と呟く。感情の色が一切見えない、低い声だった。


「....俺が、何をしたのか」


それを聞いても、ラバルが何かを言うことはない。


「.....俺が、あの時―――――」


言葉が、止めどなく溢れ出す。



「――――――悦んでいたことを」



それはまるで、己が罪を神に懺悔する咎人のものであった。



「今まで、人生の中で、一度も経験したことのない、感情、だったんだ」


次々に口を突いて出る言葉は、最早怜司自身の力では歯止めの利かないところまで加速していく。


「俺は、あの時―――――俺は、楽しかったんだ」


怜司は身を震わせながら、そう言い切った。

その言葉に乗っている感情は何だったのか。恐怖か、喜悦か、嘆きか、憤怒か、それとも――――


「なんで、何でだよ!?俺は....」


分からない、と言いかけた怜司は口籠る。

自分自身が、分かっていることはあるのだ。

それは、あの時に自分がしてしまったこと。

そして、その行為によって得た感情。


それは、紛れもなく自分自身の意思で行ったことであり、抱いたのは、嘘偽りのない本物の感情だった。


「....でも、俺は!こんなことを、したかったんじゃない....!」


受け入れられない。いや、受け入れたくない。


嫌だ、どうして、俺は――――バケモノじゃない。


俺は、今まで普通に生きてきたんだ。

狂人になり果てたわけじゃない。

じゃあ、さっきのアレは何だったんだ。

分からない。分かるわけがない。俺は、俺は、俺は―――――


意識は支離滅裂に散らばり、何一つとして考えが纏まらない。


その時、怜司を現実に引き戻す声が聞こえた。



『ナニ、言ってンだ?お前――――――――――笑ってるじゃねェか』


ラバルは、呆れたように含み笑いを漏らす。

怜司に対する悪意はなく、ただ単純に、「コイツは一体何を言っているんだ」とでも言いたげな態度で。


怜司は、ゆっくりと足元の水溜まりへと目を移す。


其処に、「そんなもの」が映っている訳がないと確かめる為に。


其処に、あったのは。



「....ア、アァ、アァア....」


『―――――なァ、随分楽しそうじゃねぇか?』



絶叫した。


喉が張り裂けんばかりに、狂ったような叫び声をあげた。


怜司は、その後自分がどうしたのか、あまり憶えていない。

ただ、その場から逃げ出すことだけしか考えられなかった。

一体何から逃げたかったのか、それすらも解らないまま、走り続けた。

どうやって辿り着いたのか、気づいた時には怜司は自宅へと戻ってきていた。

その頃にはもう雨は止んでおり、空を覆い尽くしていた灰色は掻き消えていた。



夜空には、半月が浮かんでいた。

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