第1章「悪魔の呼び声」Part.4


深山町。東京都郊外の●●●市北東部にあるその町は、都会というには高層ビルは立ち並んでいないし、むしろ近年の開発によって範囲を拡大しつつある団地の方が目立つ、そんな町だった。

町の人口もさして多くないが、かといって田舎という表現も正しくない程度の密度はある。

その位置的には都心部からそう遠くない場所で、最寄りの深山駅からも10分程度で都心の交通機関へとアクセスすることができた。


都会なのか、どうか。

そのどちらともいえない様は、都心と郊外の「境目」にあるという表現が丁度良いだろう。

また、団地が立ち並んでいる区画とは別の都心に近い方、深山駅を中心としたエリアには、そこそこの規模でビル街が形成されている以外、これといった特徴もなかった。


強いていうなら、駅とは反対側の小高い丘にある自然公園ぐらい。団地からも少し離れた位置にあるその公園は、町の名前そのままに深山自然公園と呼ばれている。

ある程度の広さのある公園で、休日にはピクニック、夏場にはちょっとしたキャンプ場としても使われたりしているが、特段一風変わった趣向が凝らされているといったことはない。

良く言えばオーソドックス、悪く言えばどこにでもありそうな無個性な印象を与える、そんな雰囲気が近い。

それでも、深山町に暮らす人々にとっては皆の憩いの場であり、何か町をあげてイベントを行うときにも人が集まることが多く、一定の役割を果たしていた。

そういった事情もあり、一応は市により管理されている公園である為、基本的に夜間は閉鎖されていることが多く、普通は人が来ることなどない場所でもあった。

例外としては、先にも挙げたが、町のイベントで夜に集まる場合や、キャンプをする時などに限られる。


そして、まだ肌寒さも残る3月では、夜間に行われるような町の行事予定はなく、同様の理由でキャンプをする人間などいる筈もない。



――――――だから、怜司は深山公園を目指していた。


今、人目に付かない場所は、あの公園しかない。怜司は一心不乱に、そんな思いで道を駆けていく。


しかし、当たり前のように、その考えは追跡する部隊にも読まれていた。

その一人であるブレングスも、この町の近辺で標的が向かう候補地を幾つか事前にリストアップし、当然の如く完璧に把握している。

その際、深山公園についても当然確認していたので、標的たる青年の走る経路から行き先は既に予測できていた。


ブレングスは我知らず、ヘルメットの中で笑みを深める。

自分から人気のない場所に向かってくれるとは、実に好都合だ。

この様子を見ると、あの青年は「錯乱して右も左もわからず逃げ出した」というよりも、「他の人間を騒動に巻き込むことを嫌ってその場を離れた」と考えるのが自然だろう。

どうやら、彼はそれなりにお人好しであるようだ。

かといって、そんなことを知ったところで、ブレングスら部隊の者達が手を緩めることなど有り得ない。

その感覚は、只管に冷徹であるというよりも、そもそも対象を同じ人間ではなく「別の動物のように」捉えているといった方が分かり易い。

それにブレングスは個人的にも、薄っぺらい正義感や善意で行動するタイプの人間は全て偽善者であると思っている類いの人種であった。嫌悪しているといってもいいだろう。


『....今は手を出さないでおいてやるよ。そうやって逃げ回って、精々頑張ってくれよ。そっちの方がやりやすいからな』


ブレングスは獲物を追う狩猟者ハンターという立場から、眼下で逃げ惑う青年に嘲りを込めて鼓舞する言葉を送った。



そんなことを言われているなど知りようのない怜司は、背後から徐々に距離を詰めてくる気配をひしひしと感じながらも、それでも前のみを見て走り続ける。

当初心配していた背後からの襲撃がなさそうなことに少し安心したものの、それが長く続くという保証はない。

疾走する両脚により一層の力を込めて、怜司は夜の闇を駆けて行った。


それから5分程の時間を経て、遂に怜司は目的地へと到着する。

深山公園の東門。正門に当たるその入り口は、予想通りロープが貼られて閉め切られていた。

ロープからは、『閉園中』とだけ書かれた素朴なプレートがぶら下がっている。

怜司は息を切らしつつも、そのままロープを上から跨いで乗り越え、公園の奥へ奥へと進む。

入り口から30メートル程離れたところで振り返ると、丁度、背後から自分と同じように公園に侵入して来る複数の影が見えて、一気に緊張感が込み上げてくるのが分かった。

怜司は最早姿を隠そうとはせず、真正面から追跡者達へと向かい合う。

真夜中、雲に隠れて月明かりも差し込まない状況のせいで、連中がどのような服装や装備をしているのか、朧気にしか見えない。

ギリギリで見てわかったのは、全員がおおよそ同じような装備で身を固めているということくらいで、シルエット的にはヘルメット、分厚い服装、詳しい種類はわからないが大型の銃を携帯していることまでだった。


怜司は、ごくりと生唾を飲み込む。額からは、一筋の冷や汗が流れた。

そう、奴らは全員が全員、銃を持っているのだ。


改めて怜司は、自分が向かい合っている連中が途轍もなく危険で恐ろしい集団であるということを認識させられる。

極限の緊張によって口中の水分が失われ、ひどく喉が渇く。


それでも怜司は、持ち得る有りっ丈の勇気を振り絞って、震えた声で言葉を紡ぐ。


「....お、お前ら何なんだよ」


しかし、その勇気の見返りとして言葉が返ってくることはなかった。


―――――ただ、自分に向けられた言葉ではないが、後ろに控えている連中が呟いた言葉を、怜司は聞き逃さなかった。


怜司はそこで、今度はで同じ質問を繰り返す。

連中は先程と同じく返答はしなかったが、今度は僅かに身じろぎをする様子が見えた。


やはり、と怜司は確信する。

奴らが一体何者なのかは未だわからないが、少なくとも日本国内の何者かが関わっているという可能性は薄い。

それがわかったところで今の状況は全く変わらないが、それでも外国の勢力というヒントを掴めただけでも先程までと認識は変わっていた。

得体が知れないということは、とかく人を恐怖させるものだ。

加えて、今の怜司の発言によって連中を動揺させることもできた。

畳み掛けるなら今しかない。そう思い、怜司は一気に捲し立てる。


『...あのな、お前らが何者かなんて知らないし、言う気がないならそれでも構わない。けどな、こんなところで大事になって困るのはお前らだろ?自分達が今、何してるかわかってるのか!?』


先程と同じく相手からの返答はない。だが、奥の方から小さく舌打ちする音が聞こえた。


『――――オイ。面倒だし、さっさとやろうぜ』

『待て。まだ命令は降りていない....今はな』


英語で、何処からともなく聞こえてきた声と、それに続くような小声が伝わってくる。

怜司には彼らが何のことを話しているかまではわからないが、どうやら今のところは自分に危害を加える気はなさそうだと判断できた。

そこで、怜司は再び話し始める。今度は、少しだけ冷静さを取り戻しつつあったことで、落ち着いて相手の反応を見られるようになっていた。


『....なぁ、おい。俺は何もお前らを警察なんかにつき出そうを思ってるわけじゃない。それに、お前らに目的があるなら....ある程度は協力する、出来る範囲で。だから、今は手を引いて――――』


くれないか、と続けるより先に、耳を劈かんばかりのアラーム音が周囲に鳴り響く。怜司の言葉を遮り、掻き消したその電子音は、自分に一番近い位置にいた人間の手元から発せられていた。


『――――よし、待機終了だ。これより、捕獲作戦を実行する』


怜司が耳に残る音に混乱している間にも、相手は行動を開始して周囲に散開していく。

その様相はまるで、今しがた怜司が話をしていた内容など耳にも入っていないかのようで、何の迷いもない動きだった。


『ま、待ってくれ!俺はまだ話し終わってない!だから――――』


連中を説得するのに失敗したことだけはわかったが、怜司はそれでも何とか交渉しようと声を張り上げて叫ぶ。


しかし。


『....さっきからゴチャゴチャ五月蠅いんだよ』


背後から、また誰かの声が聞こえた直後。声がしたのと同じ方向から、重い発砲音が響いた。


そして、僅かな時間すら与えず、怜司の腹部に熱い感触が広がる。


「がっ....!?」


焼けるような激痛と共に、怜司はその場に崩れ落ちる。身を裂かれるような痛みと同期して、下腹部からせり上がって来る熱さがあった。

怜司がその感触があった部分を手で押さえると、べったりとした手触りと、液状の何かが付着する。

見れば、そこにあったのは手の平中に広がった真っ赤な血であった。


「ひっ...!?」


腹に穴が空いた痛みと実感させられた恐怖によって、怜司の全身に震えが走り、血の気が引いていく。


『...おい、ブレングス。胴体は狙うなと指示されていただろ。悪魔憑きの身体能力を考慮した銃弾を使ってはいても、万が一ということがある。心臓にでも当たれば面倒なことになるだろうが』


『わかってるよ。第一、俺はそんなにヘボじゃねぇから安心しろ。狙ったところ以外にはいかねぇよ』


『それだけじゃない、発砲音もだ。静音装置をちゃんと発動させておけ』


痛みに苦しむ怜司の背後でそんな会話を交わす奴らに、沸々と言葉にできない感情が込み上げてくる。


「ふ、ふざ、ける...な...!」


怜司は今なお肉体を苛み続ける激痛に耐えながら、激情を露わにする。


『こんなことして、タダで済むと思ってるのか!?』


だが、連中が怜司の話に耳を傾けることはなかった。

直後、無数の痛みが怜司を襲う。今度は発砲音すら聞こえない。肉に、骨に、鉛玉がめり込んでいく鈍い音だけが、耳の奥に響いた。

余りの激痛に意識を手放しかけるが、しかし己の意思に反し身体の方はそれを受け入れてはくれなかった。


「がっ...!?」


銃弾を受けて倒れこむと同時に、身体の内側から燃えるような熱が全身へと広がっていく。すると、何故か徐々に痛みは薄れ、消えていった。

しかし、自分に何が起こったのかを確かめる暇もなく、すぐさま背中から抉るような痛みがぶり返してきた。上から銃弾の雨を叩きつけられて、痛みと圧迫感から身動きが取れなくなる。


身体を貫かれる痛みと灼熱の感覚が、交互に怜司を襲っていた。


「クソッ...!い、痛い...熱い...!もう、やめろ...!」


怜司は痛みから逃れようと前方に向かって走り出すが、直ぐに顔面に鈍い感触が伝わる。勢い余って地面を転がり、仰向けになったところで止まった。

ぼんやりとした認識で、自分が顔面を蹴り飛ばされたのだと気づく。


「い、たい....なんで....こんなこと....」


身体中に無数の弾痕をつくられ、それでも尚ふら付く足取りで立ち上がってきた怜司に対して掛けられた言葉は、ただただ冷ややかなものだった。



『....うるせぇんだよ、バケモノが。人間みてぇに振る舞ってんじゃねェ』


バケモノ。


朦朧とした意識の中で、その言葉だけが、なぜか鮮明に聞こえた。


そして。


怜司の中で、何かが弾けるような音がした。



次の瞬間。痛みは掻き消え、灼熱の炎が溢れ出した。




『はっ....!?』


ブレングスは最初、何が起こったのか理解できなかった。


撃てども撃てども、小うるさく喚き立てる目前の標的ゴミに嫌気がさし、思わずヤツに対して意味のない罵倒を呟いた時だった。


轟音と共に視界全てが紅蓮に染まり、世界が反転していた。


10メートル近くも後方に吹き飛ばされ、地面を転がったブレングスは、節々の痛みにも構わず何とか上体を起こして状況を確認しようとする。


『な、何だよ。コレ....!?』


辺り一面は、炎の獄と化していた。木々に炎が燃え移り、地面には爆発の跡のような黒ずみ。ブレングスよりも標的に近い位置にいた隊員らは、ある者は既に焼死して燻った灰となり、またそうでない者は身を焼かれる痛みに絶叫しながら、苦しみ悶えていた。

辺り一面に燃え広がった炎は、風に煽られてさらに燃え盛り、煌々と夜の闇を照らし出す。

そして、ブレングス自身も無事では済まなかった。

震える身体を抑えつけ、何とか立ち上がろうとしたのだが、どういうことか身体に力が入らない。

怪訝に思ったブレングスは自分の身体――――下半身を見て、悲鳴をあげそうになった。


右脚が、炎に捲かれて既に黒焦げの灰と化していたのだ。


『お、俺の...俺の脚がァア!?』


痛みすら感じないことに恐怖は助長され、ブレングスは最早正常な判断がつかなくなっていた。

周囲を見渡して他の隊員がどうなっているのか確認する余裕もないまま、ブレングスは慌てて武器を探す。


このままでは、殺される。

眼前に迫った死に慄くブレングスは、先程までの威勢が嘘であったかのように、地に這いつくばる無様を晒していた。


それでも、運良く背後に転がっていたショットガンを見つけ両手で抱えるように掴むと、少しだけ安心感が戻って来る。

それと同時に、己の内から沸々と強い感情が湧き上がってくるのがわかった。


『クソッ!クソッ!クソッ!クソジ●●プが、ブッ殺してやる!』


武器を手にしたことで恐怖から憤怒へと感情が切り替わり、半ば錯乱状態に陥っていたブレングスは、自分の脚を奪った元凶である男を血眼になって探す。

不思議なことに、この時の彼の中には自分が殺されるかもしれないという可能性は思い浮かんでいなかった。


怒りに染まった眼であっても、お目当ての標的は直ぐに見つけることができた。

ブレングスの右手。倒れた木々の向こう側から立ち上がる影があった。

濃い煙の向こう側にいても、標的の姿をブレングスが見間違うことはない。

幽鬼の如く揺らめくそのシルエットは、最早人間のものではなく、人外の異形と化していた。


『バケモノが...!』


此方に気づいたらしい影が近づいてくるのを視認して、ブレングスは狂気的な笑みを浮かべる。

銃を握り直し、接近する影の頭に当たる部分に狙いを定めた。


『馬鹿がッ、死――――』


だが、彼がそれ以上の言葉を発することはできなかった。


バケモノが無造作に腕を振るった直後、業火が舞い上がりブレングスの全身を包み込む。

悲鳴を上げるより先に声帯は焼き切れ、水分を失った眼球が蒸発して潰れ落ちた。


熱い、あつい、アツい――――――


ブレングスの脳内は赤一色に染め上げられ、急速に思考力を失っていく。既に痛みも消え、今感じているものが熱さなのか寒さなのかすら判別できなくなった。

掴んでいた銃器は腕と一体化し、炎の中で全てが溶け、肉体とそれ以外の境界線が曖昧になってゆく。


無明の世界でブレングスが今際の際に聞いたのは、バケモノの嘲笑だった。



そして、最期に引き金を引くことも許されず、全身を業火で焼かれたアーロン・ブレングスは、地に転がる焼死体の一つと化す。

更に、念入りに放たれた炎によって、死体は灰すら残らず消し炭となった。



ただ、それを見て哄笑する悪魔だけが、其処には佇んでいた。

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