人化種生活サポート課 江本 芳樹

中田祐三

第1話

「もう辞めたいよ仕事なんか」


「俺も辞めたいわ~、上司がクソ野郎でさ」


「…………。」


久しぶりに会った学生時代の友人達の話すことは年々仕事に対する愚痴が増えていってる気がする。


まだ就職して数年だというのに。


楽な仕事なんてないんだなと新ためて思い知らされるな。


「そういえば江本ってどこに就職したんだっけ?」


「……市役所」


「ああそうだった、そうだった!なんか色々と面倒な人間相手の窓口なんだっけ?」


「思い出したわ、お前配属されてからしばらくはずっと仕事辞めたいってボヤいてたよな~、そんなに大変なのか?その仕事」


「守秘義務があるから詳しくは言えないけど大変だよ…最近は慣れてきた」


正確には諦めたというのが正しい。


「そうか~、お互い大変だな」


「転職もこのご時世じゃキツイしな……もうこの話は止めよう!暗くなるだけだ!」


「そうだな…もっと楽しい話しようや!そうだ俺の娘の写真見てくれよ」


来た! 俺にとって一番嫌な話題が!


友人が差し出したスマホの画面にはツヤツヤとした毛並み、つぶらな瞳と小柄な身体で寝そべっている姿が写っていた。


「犬ね~、キャンキャンうるさいし、どうにもウザったく感じるわ、その点じゃ家のミャアちゃんは最高だね」


負けじともう一人の友人が銀色に黒色の波状の毛並みの猫がお腹を出している写メを出した。


「猫ね~、あまり懐かないしクールなところが可愛げがないんだよな」


「わかってないな~、そこが可愛いんだろうが、懐けば凄え甘えてくるんだぜ!だいたい犬ってのは…」


多少酒が入っていることもあり、二人の議論に熱が入ってくる。


それを聞いていた俺は黙って自分の烏龍茶をチビリチビリ飲みながら早く終わらないかな~と思っていた。


「江本はどうなんだよ?確か大学時代には犬も猫も飼ってたんだろ?」


やはり来た。 この手の話題はどちらも譲らないから下手に参加してもメリットが無い。


ましてや今の俺にとっては犬や猫の話なんてのはウンザリなのだ。


さて、これをどう避わしたらいいだろうか?


「俺は……」


そこで携帯に着信が入る。


着信者の名前を見て思わず顔をしかめてしまう。


まったくタイミングが良いというか悪いというか。


「悪い…仕事先からの呼び出しだ、行ってくるわ」


立ち上がって自分の分の代金を机に置く。


「なんだよ、こんな時間に仕事か?」


「本当だな、公務員ってのも楽じゃないんだな」


友人二人からの同情の眼差しを背中に受けながら店を出る。


時刻は夕飯には遅いが、寝るには早い。


そしてそれはあの人達にとっては絶好の遊び時間なのだ。


「俺はどちらとも十分に関わってるから、どちらも嫌だな」


言えなかった質問の答えを一人口ずさんで歩き出した。




歩き出して20分。 目的の場所につき、見上げる。


10階建てのそこそこ高価なマンション。


俺の給料で住むには家賃が少々高い。


ここに呼び出した相手が住んでいる。


というよりも俺の仕事相手は全員とある事情でこのマンションに住んでいるのだ。


安定を求めて公務員にはなってみたが給料は安い。


それでも激務ではないだろうと高をくくっていたが、俺の職場は特殊なので色々と面倒くさい。


まあそれでも恵まれているほうなのだろうと先程の友人達との会話でなんとか自分を慰めてはいるのだが。


ガサガサと来る前に立ち寄ったコンビニの袋が鳴るのを聞きながらエレベーターに入る。


押すボタンは最上階、あの人らのヒエラルキーでは上に行くほど偉いということらしい。


理解できるようなできないような気分だが仕事なのだからしょうがない。


一度ため息をついて目的の部屋の呼び鈴を鳴らしてから中に入る。


こらも実は必要ないと言われてるのだが人としての礼儀だと思うので俺は頑なにそれを通す。


なぜなら……


「エモちゃんが来たーーーー!」


思考を吹き飛ばすような大声をあげながら女性が胸に飛び込んでくる。


そしてセクハラオヤジか?と思うように強く抱きしめて全身をこすりつけてきた。


彼女の背中越しからポニーテールの先とお尻の尻尾が千切れんばかりに振られてるのがみて取れた。


「ポチさん、こんばんわ。ミケさん居ますか?」


「居るよ~!居る居る!でも全然遊んでくれないんだよ~」


プク~とふくれ面をして俺に色々話しかけてくる。


そりゃあんたのテンションにはついていけないでしょうよ。


という心の言葉を飲み込んで、いまだしがみついてくるポチさんを引きずりながら居間に入ると、


「遅いわよ、江本。早くその馬鹿を自分の家に戻してちょうだい」


ややツリ目に長い髪をした女性が不機嫌そうに俺に命令してくる。


「ミケさん、そういうことは自分でどうにかしてもらいたいんですけど」


「しようとしたわよ!でもその馬鹿全然言うこと聞かないし、余計喜ぶんだもの」


まあいつものことだ。 そしてその度に俺が呼ばれる。


いい加減勘弁してもらいたいんだが。


「ああ!そんなこと言ってる!ミケだって僕がツマラナイからエモちゃんを呼ぼうっていったら、それはいい考えねって言ったのに~」


「そ、そんなこと言ってないわよ!た、ただ私はあんたがうるさいから仕方なく…」


「ウソだ~、言った!絶対言った!」


「だ、だから言ってないって言ってるでしょ!」


そしてこの会話もいつも通りだ。


このマンションの最上階に住むこの二人はそれぞれの業界では大物で、この街ではかなりの顔役なのだ。


まあボスといってもいい。


だったらボスっぽく振舞ってもらいたいものなのだが。


「そ、そんなことより江本、何か買ってきたんでしょ?早く出しなさいよ」


「はいはい、まずポチさんにはコンビニ限定ハングリーチャムを…」


「わあ!僕、それ大好き~!エモちゃんも好き~」


彼女なりの感謝の表現なのだろう。


頬をベロベロと舐め回してくるのだが、見た目はグラマラスな成人女性にそんなことをされると背徳的な気分になるので嬉しくない。


まあそういうのが好きない人もいるのだろうが、あまりそそられはしない。


種族的に考えて。


「ふん、馬鹿の為にそこまでする必要ことないのに江本はお人好しね」


かといってミケさんみたいにツンケンされるのも嬉しくない。


これまたそういう趣味な人ならばゾクゾクするのだろうが、俺はノーマルなので欲情はしないのだ。


むしろまだ嬉しさをあらわに出してくれるポチさんの方がまだいい。


まっ、大した違いはないが。


なので少し意地悪をすることにした。


「それじゃツンツンしてるミケさんは放っておいてこれ食べますか?俺はもう食べてきたので」


「食べる~!僕、これ食べる~!」


そう言うと俺から缶詰を受け取ってクルクル回しながら「く~ん?」と一声鳴いた後、


「開けて~?」


と可愛らしい仕草で差し出してきた。


それは本当に可愛いと思ったので思わず俺の頬も緩む。


「はいはい、いま開けますからね、ちゃんとお箸で食べてください」


そう言って缶詰をパカっと開けると濃厚な香りが鼻を刺激した。


俺には多少クドく感じるがポチさん的には溜まらないようで涎をポタポタ垂らしながらキラキラした瞳で見てくる。


店員に微妙な目で見られながらも入れてもらった割り箸を割って彼女に手渡す。


「わ~い!美味しい!美味しい!」


多少食べ方はお下品だがそれだけ嬉しい顔をされるとこちらも嬉しいというものだ。


さてともう一人は?


「何よ~、ポチばっかり……ずるい!」


チラチラとこちらを見ながらも視線が合うと慌てて目をそらす。


でも隠しきれなくなった大きな黒耳がピョコピョコとこちらを向いている。


素直じゃないな~。 まあそれもわかってはいるけどさ。


「美味しかった~!ご馳走様!」


満面の笑みだが口の周りに沢山食べたものがついている。


まるで子供だなと思いながらも持っていたハンカチで口元を拭いてやると、


「うふふ~、くすぐった~い」


「…ずるい」


何か聞こえた気がしたが無視する。


何か言えば余計に意地を張るからだ。


「お腹触って!ねえお腹触って~」


腹が膨れてテンションが上がってきたのかゴロンと横になり、服の裾をめくってスベスベとしたお腹を晒す。


「はいはいわかりましたよ」


いつものことなので慣れた手つきで撫でてやると余計に興奮してきたのか


「もっと~!もっと~!」


クネクネ動くので段々と裾が上がってきて豊満な胸の辺りまで辿り着きそうなので、その直前で撫でるのをやめる。


「え~!もっとして~」


床にゴロゴロと転がりながらねだるがいい加減にしておかないともう一人が拗ねてどうしようもなくなるのでこの辺にしておく。


「もう遅いのでそろそろ寝ましょうね」


「う~ん?わかった~」


と言いながらも立ち上がろうとしない。


満腹になったことで眠くなってしまったようだ。


本当に本能に忠実だよな。 この子は。


愚図る幼女を寝かしつけるように抱っこしてやり頭を軽く撫でてやる。


「それじゃ部屋まで送ってきますね」


「あっそ、好きにすれば」


こちらに背中を向けたまま素っ気ない態度を見せる。


だがそれは本音じゃない。


だって耳がピコピコ動いてるのだから。


見た目よりも軽いポチさんを抱っこしながら隣室の彼女の部屋へと運ぶ。


部屋の中はシンプルだ。


ベッド兼ソファが一つにテレビがあり、その上には写真が飾ってある。


写真には笑顔の老人とおそらくはまだ人化する前のポチさん。


幸せそうだ。 かつての飼い主と一緒に写っている彼女もまた同じように見える。


犬や猫は十年程生きると一部が人化する。


かつては妖怪として忌み嫌われていたが、時代が進むにつれて十年以上生きる動物は増加した。


その結果、人化する動物も増えた。


そういった動物達の生活サポートと人社会に溶け込めるように助力するのが俺の仕事だ。


はじめは悪い冗談かと思った。


そんなのは昔話や小説の中の話だと最初は否定したが、実際に見せられた以上は認めるしかない。


実は市長もそういった何十年も生きている犬らしい。


就職面接の際に昔から犬や猫を飼っていたことを話したおかげで市長に気に入られ採用された。


どうも最初からこの仕事につかせる人間を探していたらしい。


とはいえ、やはり元動物だったせいか彼ら彼女らの相手は中々に骨が折れる。


本能に対して素直で人間のように変に我慢しないので常にトラブルがつきもの。


しかもこのことは秘密なので、職場の人達はとても少ない。


まさに猫の手すら借りたいくらいに。


なので時間に関係なくこうやって呼び出されるのだから決して楽じゃない。


たまに転職しようかとも思うが、まだ決めきれない。


ポチさんをソファに置いて、一度頭を撫でてやる。


「うふふ…クーン」


微睡みながらもその感触を素直に楽しめるところは羨ましいと思う。


良くも悪くも人間である俺にはここまで正直になることができないのだから。


「まっ、だからこそ面倒くさいところでもあるんだけどさ」


そう呟いた後に部屋の電気を消して外に出た。


さてともう一人の方がもフォローしないとな。


気合いを入れるように大きく息を吸ってはく。


そして先程いた部屋の扉を開けて入る。


「ポチさん置いてきましたよ」


「そう、迷惑かけるわね…あいつが」


「もう慣れました。ミケさんも慣れたらいいんじゃないですか」


「慣れるわけないでしょ、これは種族的な問題ですもの」


相変わらず背中を向けている。


この態度にも慣れた。


やれやれと一息つくように座り込むと、それを横目でチラリと見た彼女が背中を向けたままで、スッと近づいてくる。


「ポチがあまりウザったいようなら私の方から言っておくけど」


「大丈夫ですよ。あの人はあの人で可愛いところもありますから」


「ふ、ふーん可愛い…ね」


嬉しそうだな~。 友人が褒められて嬉しいようだ。


種族としての感性なのか、この人の性格なのかポチさんと同じようにこういうところはわかりやすい。


「そうですよ、ミケさんも可愛いと思います」


ピコっと耳で反応する。


横顔にはさっと赤みが差している。


「ふ、ふーん…わ、私はそこまで嬉しくないですけどね」


と言いつつジリジリ近寄ってきてとうとう背中が俺の膝についてしまった。


そしてチョコチョコと手を伸ばして、(本人的には)さり気なく膝の上に乗せる。


ポチさんは種族的にわかりやすいが、ミケさんはわかりにくい。


だが根本的には人とは違ってやはり素直だ。


その意図を察して小柄な彼女を後ろから抱きかかえて膝の上に乗せてやる。


「ちょっ、ちょっとや、やめてよ…む~…ニャ~」


言葉とは裏腹に抵抗はしない。


首の辺りを撫でてやるとすぐにそれも止めてウットリとした表情になった。


「ウニュ~、ポチにばかりご飯買ってくるくせに~」


やはり拗ねていたようだ。


「安心してください、ちゃんとミケさんにも買ってきてありますよ…ほらモンパチ!」


「ム~…だったら早く言えばいいのに」


拗ねていたのがバツが悪いのか、困った表情を浮かべる。


「すいません、ミケさんがあまりにもツンツンしてるから…ちょっと拗ねちゃいました」


「もう…!意地悪~」


さらに恥ずかしくなったのか首筋に顔を埋めて、そのままスリスリとこすりつけてくる。


そのまましばらく好きにさせてやるとやっと満足したのか首の後ろに腕を回して上目遣いでこちらを見上げる。


「…ねえ、また来てくれる?」


潤んだ瞳と悩めかしくピンク色の唇を動かしてまさに猫撫で声で問いかけてくる。


どうしてこんなに可愛いのだろう。


それは性的な欲情ではなく、まさしく人が猫や犬に感じる思いと同じだ。


なので素直に答える。


「ほどほどに抑えてくれるなら、いつでも来ますよ」


仕事ですからとは言わない。


さすがにここまで真っ直ぐな好意を見せてくれる存在にそんな無粋なことは言えない。


「それはポチに言ってよ~、これでも私が少しは我慢させてるんだからね」


「それはありがとうございます」


微笑む俺を見て、パッと明るい表情に変わって今度は首ではなく頬に自身のそれをくっつける。


はたから見たらキスしてるみたいだなと冷静な思考で考えるが、決して嫌ではない。


なんだか昔に飼っていた猫と犬を思い出すからだ。


出来ればあいつらも長生きしてもらって人化してくれれば良かったのに。


そうなったらこの仕事をもっと好きになっていただろう。


「さてと、明日も早いのでそろそろ帰りますよ」


「え~、もう帰るの?泊まっていけばいいのに」


困った提案を出されるが、


「そういうわけにはいきませんよ」


そう言ってミケさんを抱き抱えて離す。


「ニュー~…また来てね」


不満そうな彼女の頭を撫でながら、素直に笑顔を見せて、


「ええ、また来ますよ」


それだけ言って、まだ寂しそうな彼女をベッドに乗せて家路につく。


時刻はもうすぐ明日になる。


夜の風は少しだけ冷たいが、先程まで感じていた彼女らの温もりが残っているのでそこまで寒くはない。


月は天頂にあり、彼女達の瞳のようにまん丸く美しい。


自然と鼻歌が出ていたことに気づき、少し気恥ずかしくなった。


ふとその瞬間、また携帯が震えた。


着信画面には先程居酒屋にいた友人の名前が表示されている。


「もしもし?」


「おお、江本か?実はあいつと話しあってたんだがお前は猫と犬どっちが好きなんだ?もちろん猫だよな?」


だいぶ酔っ払っているのか口調はややトロンとはしているが真剣だ。


『もちろん犬だよな!』


受話器の向こうからはもう一人の友人の声が聞こえる。


俺は少しだけ考えたあとに答えた。


「どっちも大好きだよ!」


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