飴と傘

泡沫 希生

飴と傘

 リビングの窓の外を見ると、うんざりするぐらいにどんよりとした曇り空が広がっている。

 除湿器をかけているけど、部屋の中はそれでも、じめじめとした空気に満たされている。息がつまりそうだ。


 今日は休日だけれど、これだと何のやる気も出ない。


 雨が降っても降らなくても、灰色の空が広がっているんだ。正直に言って、梅雨には飽きたの一言しか出ない。

 外に出る時、傘を持つだけで、最近はうんざりしてくる。


 私は、溜息をついた。


 昼ごはんを食べてから、私は、一歩もリビングのソファの上から、動いていない。

 背もたれに体をあずけながら、ずっと、スマホを見つめている。


 宿題何ていうものは、知らないね。何をする気も起きないから、仕方ない。こんな季節に宿題を出す、学校が悪い。


 そんな私を、お母さんは呆れたような目で見ながら、先ほど通りすぎていった。

 娘がうなだれているんだから、「大丈夫?」くらい、言ったらどうなんだ。まったく。




 そんなふうに、だらだらしていると、不意に、リビングの戸が開いて、誰かが入ってきた。おばあちゃんだ。


 白い頭は綺麗に整えられていて、動きもきびきびとしている。おばあちゃんはいつだって元気だ。中学生の私よりも元気だなんて、うらやましい。


 おばあちゃんは、私に気づくと、首を傾げた。


「あらぁ、どうしたの? 蓮花れんか。元気ないね」


 なんと優しい。お母さんなんて、声もかけてくれないのに。


「もう、嫌、この天気。なんのやる気も起きない」

「だから、元気がないのね」

「うん、そう。……ね、おばあちゃん。何か気分変える方法知らない――」


 そこまで言いかけて、私は思いついた。


「そうだ、レモンスカッシュでも、作ってよ」


 おばあちゃんの作る、レモンスカッシュは、最高なのだ。

 夏になると、よく作ってくれる。まだ早いかもしれないけど、今日はそんなものを飲みたい気分だ。


 おばあちゃんはうなずくと、「材料あったかな」とつぶやきながら、キッチンに姿を消した。

 しばらくして、キッチンから「作れるよ」と声がした。


 やった、と私は、心の中で小躍りした。

 わくわくしながら、おばあちゃんが来るのを待つ。





 そうして、おばあちゃんが机の上に置いたのは、細長いコップ。中身はもちろん、レモンスカッシュ。


 私は、そのコップをじっと見つめた。

 なぜなら、それは、今まで私が見たことのない、ガラスのコップだったからだ。


 全体は薄い茶色。側面には囲むように、何かの模様が彫られている。


「このコップ、茶色いね」


 そう言うと、おばあちゃんは口を開いて笑った。


「それはね、蓮花。あめ色と言うんだよ」


 ……まさか、雨ではないだろう。あれは、透明だし。ということは、


「飴って、食べる? ――でも」


 食べる飴は、いろんな色をしてる。現に、机の隅に置かれた袋入りの飴は、赤や黄色、緑と様々だ。


「そういう飴じゃなくてね」


 おばあちゃんも私が考えていることがわかったのか、説明しはじめた。


「ほら、水飴、昔食べたことあったろ? あの色が、飴色だよ」


「……ああ」


 それで、合点がいった。

 なるほど。確かに、これは、水飴の色をしている。淡い、透明な茶色。



「で、どうしたの、これ」


 納得した私は、次なる疑問をおばあちゃんにぶつけた。


「昔使ってたのを、ふと思い出して、この間、引っ張り出してきたんだよ。押し入れから」

「何で、今使ったの?」

「気分を変えたいと言っていたから、コップも変えてみようと思ってね。……気に入ってくれたかい?」

「うん!」


 なかなかこの色合いは好きだ。なんだか、レトロな感じがあって。


 私は、そううなずいてから、レモンスカッシュを飲んだ。


 その瞬間、レモンの酸っぱさと、しゅわしゅわとした触感が口に広がる。

 口の中が爽やかさで満たされると同時に、気分もなんだかスッキリしてくる。

 蜂蜜でも入っているのか、甘さもあって、もうたまらない。

 でも甘すぎない。レモンと蜂蜜の配分が完璧だ。お母さんだとこうはいかない。さすが、おばあちゃん。


 レモンスカッシュを堪能する私を、おばあちゃんは、にこにことした顔で見つめている。

 その顔を見ていると、こっちもなんだか笑顔になってくる。


 私は、そのままゆっくりとレモンスカッシュを飲んでいった。

 飲むたびに、口から喉にそれから体中に、爽やかさが広がっていくかのようだった。


 そして、最後の一口を飲み込むと、コップを机においた。


「美味しかった。ありがとう、おばあちゃん!」


 私は、そう言ってから、改めてガラスを見つめた。


 よく見ると、飴色は上から下にかけて、段々と濃くなっているようだ。


 私は、リビングの白い明かりにガラスを透かした。

 今気づいたけど、コップに彫られた模様は、傘ではないだろうか。開いた傘の、上からみた姿を、何個も描いているように見える。


 傘のことを、さっきはうんざりだと言ったけど、透けて見えるガラスの飴色と傘は、繊細で綺麗だった。

 明かりを受けて、ガラスは、きらきらと輝いている。


 こういう、飴と傘なら大歓迎だ。



 すっかり、今の私は、爽やかな気持ちになっていた。







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