第21話 真相

 南の方角から吹いてきた一陣の風が、彼女の長い黒髪を揺らす。


「本番……? 一体ほかに何があるって言うんですか?」


 空井野は警戒の眼差しを向け、その場に立ち尽くす。


 俺は引き止められたことに内心安堵し、ふたたびベンチに腰を下ろした。


「まぁお前も座れ。立ち話をするには長い話だ」

「お断りします。もう謎は解けたはずです、これ以上は付き合いきれません」

「あと少しぐらい良いだろ」

「ですから無理なものは無理だと――」

「なにをそんな必死になって拒否する必要がある?」

「……っ」


 自身の鬼気迫る表情に気づいたらしく、ばつが悪そうに顔を逸らす。


 きっと彼女はこの展開を予想していなかったのだろう。俺をまんまと騙し終えたと思ったからこそ、こんなにも焦っている。


 やがて沈黙に耐えられなくなったのか、言い訳がましく「……あまりにも安城さんがしつこいのでちょっと感情的になっただけです」と言ったあと意を決したように息をつき、こちらに歩み寄ってくる。


「わかりました。あらぬ疑いをかけられるのは嫌ですから、最後まで聞いてあげます」


 先程と同じ位置に座り、飲みかけの缶ジュースを両手で持つ。


「そうしてもらえると助かる」と俺は言って後半戦に入った。


「さっきの推理が間違っていることに気づいたのは、つい数時間前の話だ。偶然、教室に残ってた晴希と会ってな」


 晴希の名前を出した瞬間、空井野が苦虫を噛み潰したような顔をしたのを見逃さなかった。やはりそうか。


「あいつはある嘘をついていた。問い詰めたら洗いざらい喋ったけどな」

「相馬さんが嘘を……でもそれがなんだと言うんですか? 脈絡がなくて話の意図が見えませんけど」


 白々しく知らないふりをする。だが苦し紛れであることは変わらない。


「まぁそれは追々話す。あいつの話を踏まえたうえで、俺はこれまでの出来事を一旦ゼロから考え直した。そうしたら全くべつの真相が見えてきた」


 間違ったところに嵌め込まれていたジグソーパズルのピースが間違った絵を現すように、俺は謎の欠片を誤って配置し、その結果誤った真相にたどり着いてしまった。それもこれも晴希がどうでもいいことで嘘をついていたせいなのだが。


「さっきも言ったが、お前は手紙が発見された時からその事に触れられるのを妙に嫌がっていた。だから俺はお前に隠しごとがあると思って疑った。しかし今思えば、隠すにしてはあまりに露骨だった」


 俺たちに質問されて終始戸惑う空井野の様子が昨日のことのように思い浮かぶ。


「もし赤久真琴を自殺に追いやった過去があったとして、それを他人に知られたくないと思った場合、普通なら〝嫌がっている〟という印象を相手に抱かせないように振る舞うだろう。怪しまれれば真相に繋がる糸口となる恐れがあるからな。だがお前は俺の記憶にはっきりと残るぐらいに拒否の感情を露わにしていた。つまり俺が〝空井野卯月は何かを隠している〟というふうに受け取るようにお前はわざと演技していた」

「考えすぎです。あの日はまさか相馬さんに手紙を見つけられるとは思っていませんでしたから、動揺を隠すことができなかっただけです」

「べつにあの日だけじゃない。選択授業で勝負した四字熟語のしりとりの時だって、遠回しに意味深な言葉ばかりを選んでいた。それと新聞の件についてもそうだ。あれは俺の罠にあえて引っ掛かったんだろ。そうすることで赤久真琴が手紙の相手であることを俺に教えた」

「いきなりのことだったので動揺しただけですよ」

「そして夏祭りの日、お前は中学の頃の知り合いと会い、過去の話で口論になった。はたしてあれは偶然だったのか?」

「当たり前じゃないですか。夏祭りにケンカしに行く人がどこにいるっていうんですか?」

「そうか? 偶然にしては彼女は浴衣姿でもなかったし、手にはなにも握られていなかったけどな。夏祭りに来ていたのに、購入した物はおろか金銭の類いを持ってきていないのはどう考えてもおかしい。お前はあの口論を見せるために、俺を夏祭りに誘い、事前に彼女にも来るよう連絡をしていたんじゃないか?」

「ばかばかしいです。なんで私がそんなまどろっこしいことをしなければ――」

「いやに反論するな。さっきはあんなに無言を貫き通してたのに」


 空井野はハッとして顔を俯けた。これまでの言動を慎むように口をつぐむ。


 よくよく考えてみれば、おかしいのは一目瞭然だったのだ。手紙を発見してから俺の元には新たな情報が次々に舞い込んできていたのだから。ここは創作されたフィクションの世界ではない。こんなにも物事がトントン拍子で進むわけがないのだ。


「先々週に起こった図書室での出来事。お前は『消えたミステリー小説』の謎を作って俺を試し、謎を解いた俺を利用しようと考えた。テスト勉強と称して家に呼び寄せ(アカリの正義感も利用して)手紙の謎に向き合わせた。事は思惑通り進み、事実と異なった嘘のヒントを小出しに与え、俺を間違った真相へ誘導した。違うか?」


 すべてが嘘だったとは思っていない。確かに空井野と赤久真琴には接点があるし、あの『ぼくは。素の嘘つきが嫌い』という言葉が彼女の創り出した虚構だとは考えにくい。空井野はある目的を達成するために、自身の過去を利用したと考えるのが妥当だろう。


「それはすべて安城さんの想像であり捉え方でしかありません。決定的な証拠がないですから」


 拗ねた子供のようにプイッと顔を逸らして言う。


 まだ認めないか。まったく往生際が悪い。


 説明が面倒だが仕方ない。俺はここのところ頭の片隅にもなかった第一の謎を話題に取り上げた。


「不出来な人形の行方」

「……なんですかそれ?」


 案の定、空井野はこちらを向いて首をかしげた。


「お前は知らないだろうが、手紙の謎のまえに俺とアカリはもう一つの謎に当たっていた。大まかな内容は、商店街にある『くろくま工房』という人形店から、商品ではない人形が誤って購入されたというものだ」


 アカリの情報があまりに曖昧なものだったから、人形を購入した生徒の特定は困難だと決めつけて空井野の謎を優先させたが、まさか二つの謎が繋がっているとは思ってもみなかった。


「店主の証言では、人形が購入されたと思われる時間帯、店を訪れたのは三人。その内二人は俺たちと同じ高校の制服を着た女子生徒。そして片方は長い黒髪の女子生徒だったらしい」


 俺の視線を受けとった空井野は、自身の髪に手を当てて憮然な表情をする。


「それが私だと? 黒髪ロングの女の子なんて結構いると思いますけど。安城さんはその謎も私が犯人だと言いたいんですか?」

「いや、犯人はべつの人間だ。お前はこの謎には関係がないからな。ただお前はそこであるミスを犯した。そうだろ?」

「……意味がわかりません」


 とぼけるが、その声は自信を喪失したようにぼそぼそとしていて聞き取りづらいものだった。


「じゃあ話を戻して晴希の嘘について話そう。晴希が口を割ったおかげでお前の策に嵌まらずに済んだが、あいつの嘘自体に気づいたのは、晴希と初めて顔を合わせた時のお前の言動に違和感があったからだ」


 あのとき、空井野と晴希は初対面だった。だからこそ違和感を抱いたのだ。なぜ晴希と喋って戸惑ったり疑問を抱いたりしないのだろうかと。


「人形店のおばあちゃんが〝絵本の中の住人〟と称賛したように、晴希は長い金髪に美形な顔立ち、すらりとした体型と、誰もが息を呑むほどだ。しかしそれとは裏腹に口調は男っぽい、というか完全に男のそれだ。一人称が〝オレ〟という女性はそうそういないだろう。原因は周りの兄弟たちに感化された結果だが、本人は変える気がないそうだ」


 だから必ずと言っていいほど初対面の相手は「あれ?」と疑問に思うのが常なのだが、空井野は何の疑問も抱かずに普通に応対していた。


「あいつはいろんな運動部に顔を出してるから生徒からの認知度は高いし、そういうキャラだって知っていた可能性も勿論ある。もしくはそういう個性に寛容なのか、お前も常に丁寧口調だしな。だが一番に考えられるのは、お前と晴希は初対面でなく、すでに一度どこかで会っているという可能性。そして俺は店主の話を思い出してそれが人形店だと思ったわけだ」


 すでに晴希の口からその事実が明かされている。用事があってなのかただの気まぐれでなのかは知らないが、人形店を訪れた空井野はそこで偶然晴希と会った。


「そしてこれも店主の話だが、女子生徒二人――お前と晴希は仲良く会話をしていたらしいな。さすがに店主も会話の内容までは聞いていなかったらしいが、晴希が何のために人形店を訪れたのかを考えれば自ずと答えは見えてくる」


 胸にもやもやとした感情が募るので、あまり考えたくはないのだが。


「今日、六月三十日は俺の従兄弟――木崎先生の誕生日だ。晴希は木崎先生に好意を寄せている。人形店には誕生日プレゼントを買いに行ったんだ」


 男に人形をプレゼントというのもどうかと思ったが、たぶん女の子らしさをアピールしたかったのだろう。その結果、選んだのが子供の作った不出来な人形では女子アピールもくそもないが。今ごろは孫のところへ返しに行って再度プレゼントを考えていることだろう。


「あいつは慣れない店で、挙動不審になるぐらいにはテンパっただろう。好きな人へ贈る品選びが拍車をかけて余計にな。そこで偶然店に寄ったお前に助けを求めた」


 晴希が嘘をついていた理由はそれだ。自分には不釣り合いな場所に行ったことを恥ずかしがったのだ。べつに女子なのだから堂々としていればいいものを。おかげでこっちは無駄な推理に時間を割く羽目になった。


「お前は快くか仕方なくか(まぁ晴希の感謝していた様子をみれば前者だろうが)無下に断ることはしなかった。当然なことに、会話の内容は好きな男性のことになる。そしてそれは何も晴希に限った話じゃない。お前もまた好きな人――赤久真琴について話した」


 それが空井野の犯した最大のミス。重要な点は、その時の彼女はまだ嘘をついていなかったということだ。赤久真琴に対しての嘘偽りのない気持ち。


「晴希は言っていた。お前の口から出た恋愛の感情は共感できるぐらいに、真っ直ぐで熱いものだったと。さすがに赤久真琴であることは話さなかったみたいだな。それを聞いて俺はそれまで考えていた自分の推理がまるで違った方向に進んでいることを悟った。どうすれば心の底から好意を抱く人間を、駒のように扱う未来に繋がるのかってな」


 そして〝空井野卯月は赤久真琴を心から好いていた〟ことを前提に考えた結果、先程の答えに行き着いたのだ。


 空井野は渋面をつくり黙秘を続ける。だが証言者がいる以上、もう否定はできない。


「もう諦めろ。そもそもあの謎が生まれたこと自体がおかしいんだ。晴希が発見したあの手紙は、?」


 はじめ空井野の部屋を訪れたとき、意外にも綺麗に整理整頓されているなと思った。俺が訪れたことのある女の子の部屋といったら晴希の部屋ぐらいだ。そしてあいつはずぼらで片付けができない質だ。そのせいで女の子の部屋というものは散らかっているものと脳にインプットされていたから、余計に印象に残った。


 そして俺はその時点で確認している。


 机の上には何も置かれていなかったことを。勉強道具も趣味の物も、ましてや手紙なんてものは。


 だが晴希が発見したとき、たしかに手紙は机の上に置いてあった。だとすればテスト勉強の途中、誰かがこっそりと置いたことになる。


 それは誰か。そんなの空井野以外にいるわけがない。他人の部屋を訪れて他人の物を無断で漁った挙げ句に、目立つ場所に晒すなど行動の意図がわからない。


 つまりあの手紙は空井野が偽装したもの。手紙に書かれた字が男の書いたものとは思えないほど綺麗な字体であるのも納得できる。


 俺の問いには答えず、空井野は想いを巡らせるように目を閉じた。


 

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