第20話 誤った推理

 人ひとり分を空けて俺の右隣に座った空井野は、手にした缶ジュースの冷たさを堪能するように手のうちで転がしながら言った。


「では、さっさと推理を披露してください探偵さん」


 ぶっきらぼうな言い方だ。まぁ聞いてくれるのならなんでもいいが。


「わかった。順を追って説明する。まずはお前の家へテスト勉強に行った日のことだ」


 俺は二週間前のあの日の出来事を思い出す。


「あの日、無遠慮な晴希によって手紙の謎が生まれた。『ぼくは。素の嘘つきが嫌い』という不可解な内容の手紙の謎。その手紙は去年、この公園で偶然に知り合った同年の男子生徒から貰った手紙だとお前は言った。そして俺は手紙の相手はすでに故人であると推測した」


 あの日ほど晴希を恨んだ日はなかった。あそこであいつが手紙を発見しなければアカリの正義感が働くこともなく、謎を解くため悶々と悩む日々が訪れることはなかったのだから。


 空井野はこちらに視線を寄越さず、気のないような声で問いを発した。


「なぜ故人だと? 転校してこの町を離れたという可能性もあるでしょう?」


 たしかに最初はその線も考えたには考えたが、すぐにそれはないと判断した。


「お前とその男子生徒は手紙を渡すような間柄だ。転校だとすればその後で電話やメールの何かしらの交流があるはず。頻繁ではないにせよ、ゼロではないだろう。なのにお前は『もう意味を訊ねたくても訊ねることはできない』と言った。それはつまり、訊ねる相手はもうこの世のどこにもいないという意味だったんじゃないか?」

「…………」


 空井野は口を閉ざす。


 これだ。空井野は手紙の件に関して訊ねられることを妙に嫌がっていた。晴希が手紙を見つけた時だって物凄く動揺していたし、彼女はこの謎の解決にどこか積極的ではなかった。何かを隠しているのは明白だった。


 だからその場で手紙の相手が故人であるか訊ねなかったし、本人が嫌がっていることを無理に解決する必要はないとも思っていた。


 しかし、あの場にはアカリがいた。であれば問題を解決しないという選択肢が消えたも同然。そして俺は彼女に少ながらず恩義がある。彼女が助けたいと言えば俺は協力する他ない。それで空井野には相談せずに、勝手に謎解きを始めて今に至るわけなのだが。


 空井野の沈黙を肯定と受け取って俺は話を進めた。


「そして故人だと仮定して、次になにが原因で亡くなったのかを考えた。まだ中学生という若い年齢だ。死因は限られてくる。そこで思い出したんだ。去年の夏に近隣の中学校で起こった自殺の事件を」


 夏休みが始まってから一週間が過ぎたぐらいの出来事だったか。俺の中学校で臨時の全校集会が行われた。せっかく晴希と二人で海に行く約束をしていたのに、中止にされたのでよく覚えている。内容は他校の生徒がいじめが原因で自殺した件についてだった。


「だからと言ってその生徒である可能性は低い。俺の知らないところで、不慮の事故や病気で亡くなっている可能性だって十分ある。だから俺は選択科目の時間に確かめた。新聞を使ってな」


 中学生が自身の学校の屋上から飛び降り自殺をしたセンセーショナルな事件はニュースとなり、各紙の一面に大きく掲載された。


 俺は先週の月曜日に図書館に行き、バックナンバーを発見、コピーして利用した。


 書道の授業が終わったあと、トレイに行くからという理由で空井野に半紙を挟むようにお願いし、赤久真琴に関する記事が書かれた新聞を目にさせた。


 もし空井野とその自殺した少年に関係があるのなら、何かしらの行動を起こすと思ったのだ。


「案の定、新聞は丸められてゴミ箱に捨てられていた。お前は俺の罠に嵌り、自ら赤久真琴が手紙の相手であることを語った。さらにそのことを隠そうとしていた事実まで」


 空井野は眉根を寄せた。自身の失態を悔やむように膝のうえで固く拳を握る。


「だが、そこからが問題だった。新聞に載ってあったこと以外に、赤久真琴に関しての有力な情報は集められなかった。彼のいじめはクラスメイト全員からという集団でのいじめだった。だから同じ中学に通っていた生徒に話を聞こうにも誰も話したがらない。自分達の罪を告白するようなものだからな。そうこう苦戦してるうちに、お前との勝負に負けて約束した夏祭りの日がやってきた」


 俺はいちご飴を奢ってもらったことを今になって思い出し、鞄の中から財布を取り出した。


「あの時は奢ってくれてありがとな。いま返すよ」

「いらないです。それよりも早く続きを話してください」


 こちらをちらりとも見ずに無機質な声で先を促す。


 少しの罪悪感を感じながら財布を鞄に直して話を戻した。


「あの日、お前は中学の頃の知り合いと邂逅して口論になった。……盗み聞きはわるかった、許してくれ」

「べつに気にしてませんよ」

「そうか、ならよかった。それで俺がその口論で気になったのは『アタシを脅すつもり』『あんたも同罪』『アタシは殺してない』といった彼女の口から出た物騒な言葉の数々だ」


 女子高生から発せられたとは思えない事件を臭わせる発言。さらに彼女は何かに怯えたような、切羽詰まったような様子だった。落ち着き払った空井野とは裏腹に、顔を赤らめるほど激昂していた。


「俺はそれを聞いて二人の過去に余程のことがあったのだと思った。そしてお前が彼女の弱みを握っていて、それは決して軽いものではないと。最悪、警察の厄介になるほどの」


 今の科学捜査がどこまで進歩しているのかは知らないが、彼女が口にしていた事件はつい最近のものではなく、ずっと前にあったことだ。もし仮に人を殺めるような事を仕出かしたとすれば、すでに警察が介入し加害者として逮捕されているだろう。ずっと隠し通せるほど今の世の中は甘くない。


 だが彼女は実際に夏祭りに来ていた。


 だとすれば、直接その人間を殺めたわけではないが、その人間が死んでしまったのには自分にも非がある、という解釈ができる。


 ――――そう、例えばいじめとか。俺がその件を赤久真琴の自殺事件に結びつけたのは言うまでもない。彼のいじめは加害者が複数だ。誰か一人を罪に問うことはできない。


「のちに倉橋から聞いた。お前が素行の悪い女子生徒たちと一緒にいるところを何度も目撃したと。それは本当か?」


 空井野は俺の話に飽きてしまったように、膝の上に乗せていた缶ジュースの蓋を開けて一口飲む。そのあと質問には答えず、だんまりを決め込んだ。暗にそうだと示しているように。


 俺は構わず続けた。


「お前は今みたいに今回の謎に触れることを嫌がっていた。まるで隠されていた事実が明るみになるのを恐れるように。その真相に俺が差し迫ろうとしたから、今日お前は理由をつけてアカリを遠ざけた」


 彼女は何の反応も示さない。袋小路に追い詰められた犯人のように諦観しているのか、妙に落ち着き払っている。


「謎に対して消極的な態度。捨てられた新聞。邂逅した知り合いとの口論。不良生徒達と一緒にいた過去。突然のケンカ。そして『ぼくは。素の嘘つきが嫌い』と書かれた手紙。それらの事を踏まえ、俺はこう考えた」

「…………」

「今では優等生ぶっているが、中学の頃のお前は不良生と付き合うほどに真面目な人間ではなかった。例えるなら他人をいじめるのを厭わないような」

「…………」

「そんなお前は偶然にこの公園で赤久真琴に出会った。そしてお前は(弱気な性格で与しやすいとでも考えたのか)偽善者のふりをして彼を騙し、自分達の都合の良い駒にした。学校でいじめに遭っていた赤久真琴にとっては、唯一自分と接してくれる友達としてお前達のことを信頼していた。しかし後に利用されていると気づき、絶望して自殺した。お前が赤久真琴を――」

「もうやめましょう」


 俺の言葉を遮って、空井野はそう言った。声自体は小さかったが、そこには有無を言わせない迫力があった。


「そうですよ。彼を自殺に追いやったのは私です。これで満足ですか?」


 どこか開き直った様子。罪を告白するには不釣り合いな態度。


 空井野はまるで運命を呪うかのように深い溜息をつく。


「もう本当に何もかも最悪です。相馬さんが手紙を発見したのも、日野さんが謎を解くのに積極的な姿勢を見せたのも、夏祭りで偶然に彼女にあったのも、倉橋さんが同じ高校に通っていたのも、すべて」


 ベンチからゆっくりと立ち上がると、こちらを見下ろして睨んでくる。


「軽蔑しましたか? 私は安城さんを軽蔑しました。あなたさえいなければ私の過去が暴かれることはなく、今までどおり平穏な学校生活を送れたのですから……。なにが糾弾をするつもりはないですか。ほとんどそうしているに等しいじゃないですか。嘘つきは嫌いです……」


 鞄のひもを肩にかけ、顔を見られたくないというように彼女はこちらに背を向ける。


「話は終わりですね。広めたいのでしたらお好きにどうぞ。もう何もかもどうでも良くなりましたから。……だからもう、私には関わらないでください」


 そう言って公園の出口に向かって歩きはじめる。


 そんな彼女の後ろ姿を見ながら、しかし俺は引きとめる優しい言葉も慰めの言葉も何一つ頭に浮かんでいなかった。


 当たり前だ。だって俺は漫画の主人公に感情移入できるタイプではない。


 だから俺は、去っていこうとする空井野の背にどうでもいい言葉を投げ掛けた。


「おい、まだジュースが余ってるぞ」


 ベンチに置きっぱなしにされた缶ジュースを指してそう言うと、空井野は振り返って不機嫌な顔を見せた。


「せっかく奢ってもらっていて申し訳ないですが、捨てておいてください。……それともなんですか? これ以上まだ何かあると――」

「その通りだ。今の推理が結論だと誰が言った? 俺の話はまだ半分も終わってない」


 一瞬だが彼女は驚きに目を瞠った。それは初めてみる、空井野卯月という人間の素の表情だったような気がした。


 俺はベンチから立ち上がり、彼女を真正面に見据えて言った。


「いま話した推理は今日の放課後になった直後までの考えだ。悪いが、もうお前の茶番には付き合えない。そろそろ本番といこうか」

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