第19話 茶番
俺は待ち合わせに指定した公園のベンチに座って空井野を待つ。
遠くに聳え立つ山々を橙色に彩る夕日はだいぶ傾いている。鞄からスマホを取り出して確認すると、時刻は午後六時になろうとしていた。
この時期は日が沈むのが遅いといえど、あと一時間もすれば辺りは夕闇に染まるだろう。できればその前にすべてを終わらせたい。
俺はため息をついた。
まったく、予期せず相当に遠回りな帰路になってしまったものだ。本来ならばすでに帰宅し、ソファにどっぷりと座って観たいテレビ番組をつけながら茶菓子をつまむという自堕落な時間を過ごしていたというのに。
それがひとり虚しく来るかも分からない相手を待っているとは。まぁ彼女にしてみればこの公園は帰り道だから、よもや無視するわけはないだろうけど。
この問題は先延ばしにしたくなかった。脳裏にはまだアカリの悲しみに満ちた顔がチラついている。普段は遠ざけたいほど性格の明るいやつが、ああも落ち込んだ姿は正直みていて辛くなる。
ただのケンカなら看過していた。人間ずっと仲良しというのはあり得ないことだ。とくに二人の付き合いは一ヶ月そこらでまだ日が浅い。最初は見えていなかった性格の悪い部分が徐々に表れはじめただけかもしれない。ならば当人同士で解決するのが最善だ。俺が割って入るのはお門違い。
だが今日のこれは違う。単なるいざこざではない。意図があっての出来事だ。偶発的ではなく計画的なケンカ。時間が経つにつれて二人の間に隔たる溝はより深くなる。
アカリと空井野を助けるため、なんてヒーロー気取りはしない。俺はただ、この胸のうちで燻ぶる蟠りを消し去りたいだけなのだ。
それで誰かの思いを壊したとしても。
公園内にはねこの子一匹もいない。夕日に照らされた木々は深い影を落としている。
このまえ訪れたときよりも、なんだか寂しい場所に見えた。
手入れのされていない砂場には雑草が生い茂り、昔は子供たちに愛されていただろう遊具たちは、雨風に打たれ今や古びたオブジェと成り果てている。パンダやイルカの形をしたスプリング遊具は、誰も訪れてくれない現状を悲嘆しているようでさえあった。吊るされた鎖が鉄錆に浸食され、触れれば千切れてしまいそうなブランコが風で揺れている。
ただ待つには手持ち無沙汰だったので、ちょうど目についた公園内にある自販機で飲み物を買うことにした。
砂や泥で薄汚れた自販機。定期的に交換がなされていないのか、売り切れの文字が所々に目立った。
無難にオレンジジュースを購入する。一応賞味期限を確認したのち、ベンチに戻って口をつけた。喉から胃へと、夏の暑さで火照った体を冷たさが通る。
これから話すことを頭の中で整理して彼女を待った。
程なくして住宅街の通りから空井野が姿を現した。俺の姿を見つけると、不機嫌そうに目を細めて近づいてくる。
「こんな場所に呼び出して一体なんのご用ですか? はっきり言って迷惑なんですけど」
目の前に来られて開口一番に拒否される。唐突に呼び出されたのだから怒って当然だが、思ったよりだいぶ険悪なご様子。これまでのどこか能天気な性格の彼女からは感じたことのない類いの感情だった。
「急に呼び出したのは謝る。だからそんなに不審がるなよ。手紙の件について分かったことがあるから話をしようってだけだ」
「でしたらお断りします。日野さんにも言いましたが、もうこれ以上この件については……いえ、もう私に関わらないでください」
取り付く島のない態度。俺は心の中で本当に素直ではないなと思った。
どうやって話を聞いてもらえる状況に持っていこうかと少し考え、非常に面倒ながら彼女の策略に乗ることにした。
「なんでそんなに嫌がるんだ。お前だってあの手紙の内容は知りたいはずだろ?」
「それは……そうですけど。ですが、なぜその過程で私のことをこそこそ嗅ぎ回るんですか? 知ってるんですよ。安城さんたちが倉橋さんに中学時代の私について訊ねたことは」
声音に責めるような怒気が宿る。
「聞きたいことがあるなら直接いってくれればいいじゃないですか。友達を疑うなんて最低です」
たしかに俺は空井野を疑っていた。おそらく彼女の家を訪ねた時から。彼女はなにか重大なことを隠していると。
結果的にその考えは正しかった。そしてその心は今でも変わっていない。
遠慮せずに堂々と睨みつけてくる空井野の目から逃げずに見つめ返す。
「その事については本当に悪いと思ってる。変に疑うような真似は誰だってされれば嫌になるよな……だけど、おかげで今回の謎を解く手掛かりを得た」
一呼吸分間をおいて、彼女が靡くであろう言葉をつく。
「なぁ空井野、べつにお前を糾弾しようってわけじゃない。俺はただ自分の推理が間違っているとお前の口から否定してほしいだけなんだ。これからもお前と友達でいるために」
「…………」
空井野は思考中であることを窺わせるように視線を空に向けた。
つられて俺もそうすると、遠くの山々の間からは噴煙のような入道雲が天に昇るように浮かんでいた。天気予報では晴れの予定であったが、もう少ししたら夕立になるかもしれない。
やがて空井野は俺の手元を指差し、
「私も飲みたいです。奢ってください。でしたら少しの間だけなら付き合います」
「……はいはい」
自分の読みが正しかったことにホッとしながらも、茶番に付き合ったにしては高い代償だなと思った。
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