第18話 ケンカ
今日もいつもと変わらない学校生活を送り、放課後になった。
みんなが下校する中、俺は部室に行き、長机の席に座って考えごとをしていた。
明日から期末テストが始まる。本当であれば早々に家に帰って勉学に励まないといけないところだが、俺には手紙の件がある。
昨日、アカリにテスト期間中は一旦保留にしようと提案したのだが、案の定『大丈夫、赤点は取らないから』と肯定はしなかった。中間テストの成績は良かったらしいが、やはり心配だ。こちらに気を取られて本来の力を発揮できないのは惜しい。
頑固なアカリを説得するには謎を解く以外に方法はない。
すでに一つの推理が浮かんでいる。だがそれを彼女に話したところで納得はしないだろう。俺自身、その推理は外れていてほしいぐらいなのだから。
今は真実と合致しようがしまいが関係ない。彼女が納得する解答を出す。
机に突っ伏して嘆息をつく。
晴希のように頭がからっぽな楽観主義者ならともかく、アカリはどこか天然でいるわりに鋭い。簡単な嘘は見抜かれてしまうだろう。騙すつもりはないが、理解を得るためにはそれ相応の合理性が必要だ。まったく頭が痛い。
脳をフル活用しながら部室で待っていたところ。
「まーくん……」
部室のドアを開けて入ってきたアカリは見るからに元気がなく、目尻には涙がたまっていた。今にも泣き出しそうな雰囲気だ。
予想外の様子に内心で戸惑ったが、努めて態度には出さなかった。俺が混乱すれば余計に取り乱しそうだったから。
一旦落ち着かせてから、わけを訊ねると。
アカリは手に持ったカバンをぎゅっと胸に抱き、微かな声で答えた。
「うーちゃんと……ケンカしちゃった……」
ケンカ? あれだけ仲の良かったアカリと空井野が?
ケンカと一口に言っても度合いがある。男ではないのでさすがに手を出すまでは発展していないだろうが、なにか酷いことを言われたりしたのだろうか。
「朝から、どこかうーちゃんの様子がおかしくて。機嫌が悪いような……苛立ってるような。わたしが挨拶をかけても無反応で、なにかあったのかなと思ってて……そしたらお昼に……」
その時の状況を思い出したのか、彼女の顔がふたたび悲しみに歪む。
嗚咽を堪えながら話してくれた彼女の話を要約すると、原因は昨日、俺たちが倉橋から話を聞いてしまったことにあるようだ。
(どうやってその事を知ったのかは分からないが)内緒で自分のことを探られたのが癪に障ったらしい空井野は、昼休みにアカリを人気のない非常階段に連れていき、胸のうちを吐き出した。
当然アカリは困惑し、悪意がなかったことを信じてもらうためにこれまでの事の一切合切を話したそうだ。手紙の謎を解き明かそうとしていることも、それに赤久真琴が関係していることも、すべて。
すると、空井野は増して語気を荒らげ。
「『余計なお世話です。もう私に関わらないでください』って言われて……そのままお昼が終わって、あとは何を言っても無視されて……」
あの空井野が感情的になるところなんて、とても想像できなかった。それもアカリに対して。
「どうしよまーくん……わたし嫌われちゃったのかな……」
怯える小動物のように小さな肩を震わせ、濡れた瞳で俺をみる。
「ずっとこのままなんて……わたし、やだよ……」
目尻から溢れた涙が頬をつたった。
俺は咄嗟に彼女の頬に手を伸ばしかけたところで、引っ込めた。こんな時、どうして良いか分からなくなる。その涙を止めるすべが思いつかなかった。
アカリの嗚咽だけが聞こえる無言の間がつづいたあと、俺は訊ねた。
「空井野は今?」
「……委員会の話し合い……もう少ししたら終わると思うから、わたし謝ろうと思う……」
いくら謝ったところで空井野の気が収まらないうちは逆効果だろう。そんな簡単に仲直りできるなら、そもそも対立なんて起こらない。
「今日のところは帰ったほうが賢明だ」
「で、でも……やっぱり謝ったほうが……」
「今はお互いに落ち着いたほうがいい。感情的なままで話しても悪化するだけだ」
できるだけ戯けたような口調で言った。
「そろそろ泣き止めって。大丈夫、ただ仲違いしただけだ。俺と晴希なんて小さいことでしょっちゅうやってるぞ。ケンカするほど仲が良いっていうしな。アカリと同じで空井野だって今頃悔やんでるかもしれないし、深く考える必要はない」
ありきたりな慰めしか出てこない自分に腹が立つ。こんな表面的な言葉だけで不安が拭いされるわけがないのに。
それでもアカリは優しいから、俺の思いを汲み取り、気丈に作り笑いを浮かべて言うのだ。
「うん。ありがと、まーくん」
アカリが帰ったあと、俺は部室に残り、椅子に座ってまたひとり思考の海を漂っていた。
数分前の彼女の顔がまぶたに焼き付いて頭から離れない。
いつぶりだろうか。彼女の泣き顔をみたのは。いつでも明るくてひたむきな姿ばかりが思い浮かぶ。
彼女のあんな顔は見たくなかった。させたくなかった。俺は今回の謎を軽視しすぎていた。もっと周りに気を配って向き合うべきだった。そうすればアカリを悲しませずに済んだ……。
「――いかんいかん。これじゃ俺まで鬱になる」
一度深呼吸をしてネガティブな思考をリセットさせる。後悔はあとにするものだ。まだ何も終わっていない。これ以上誰かが傷つくまえに問題を解決することに集中しよう。
俺は今回の出来事について頭を切り替えた。
アカリと空井野による突然のケンカ。たしかに空井野の言い分もわかる。友達が密かに自分の過去を詮索していれば、疑われていると思って気分を害するのは当然だ。
しかし、その友達はアカリなのだ。空井野だって知っているはず、彼女の善意性を。なら罵倒するのは理由を聞いてからでもいいはず。なぜ空井野は一方的に怒気を露にしたのか。
考えられることは一つ。空井野にとって倉橋の話は、それほどまでに知られたくない過去だったということだ。相手の弁明もろくに聞かず頭ごなしに否定するほどに。
…………。
嫌でも消えかけていたはずの一つの推理が脳裏に浮上してしまう。望まない答えが。
窓から入る風で揺らぐカーテンの隙間から、どこか眠気を誘う橙色の光が教室を彩る。時計をみると午後五時を回っていた。
なんにせよ、このまま一人で部室に残っていても意味がない。考えごとは家でもできる。明日から期末テストだし、教師たちから怪しまれるまえに帰ろう。鍵を借りるときも訝しがられたことだし。
部室の鍵を返却したあと、手に体操着がないことに気づいた。たしか机の横に引っ掛けっぱなしにしていたか。うっかり持ち帰るのを忘れるところだった。
昇降口に向かっていた足を変更して教室に向かう。
行くと教室のドアは開いていた。まだ誰か居残っているらしい。
教室に足を踏み入れる。誰なのかはひと目でわかった。あの目立つ金髪はアイツしかいない。
晴希はひとり机に向かってなにやら真剣な表情を浮かべていた。教室に入ってきた俺に気づかないほど。
体を動かすことしか興味のないやつが珍しい。
一体なにをしているのか気になったので、足音を立てずに近づいていき、背後から机の上を覗く。どうやら便箋に何かを書いている様子だった。
すると、ようやく俺の気配に感づいたようで。
晴希は振り返って「うぉッ!」と驚き声を上げた。同時に、素早い動きで机の上のものに覆いかぶさる。
「い、いるなら声をかけろよ! びっくりするだろ!」
「わるいわるい。黙々と作業してるから邪魔しちゃいけないと思ってな。で、何してるんだ?」
晴希はばつが悪そうに顔を背けて便箋を見せてくる。
「見れば分かるだろ。手紙を書いてるんだよ」
便箋の半分まで書かれた文字をみて俺は察した。そうか。今日はあの日だったか。色々とあってすっかり忘れていた。
晴希は読まれまいとすぐに便箋を引っ込めて、つづきを悩みはじめる。
「ま、がんばれ」
「……真昼に言われても複雑なんだけど。っていうか、見てないでもう帰れよ」
「はいはい」
気になったがそう言われては仕方がない。俺にもやるべきことがあるし。それにしても毎年のことながらこいつのセンスは悪い――――
便箋のほかに、机の上に置かれてあるそれを俺は思わず二度見した。
その瞬間、これまでの出来事が走馬灯のように頭を過っていき、抱いてきた疑問が払拭されていく。
あの日、空井野の家を訪れた日に感じた違和感の正体が。
そして空井野を取り巻く謎の答えがすぐ近くに。
俺は晴希に言った。
「晴希。おまえ、俺に嘘をついてるだろ」
***
晴希は嘘をついていた。ちっぽけな理由でいて重大な嘘を。
問い詰めて吐かせ、やっと頭の中の歯車がかみ合った。
俺はずっと間違った方向に物事を考えていたようだ。誤った真実に向かって。
空井野と話をしなくてはいけない。彼女はまだ委員会活動中だろう。
話し合いたい旨を書いた手紙を靴箱に入れた。待ち合わせ場所は例の公園。
すべての謎を解いて、このくだらない事件を終わりにしよう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます