第17話 悪い噂
放課後。俺は部室の机に座って待つ。
五限目の休憩時間にアカリが俺の教室を訪ねてきた。友達の友達を当たったところ、空井野と同じ中学の人を見つけたらしく、部室で待っていてほしいということだった。昼に頼んで数時間も経たないうちに見つけてくるとは。アカリの社交性に感服する。
頭の中で訊ねたいことを整理していると、ドアが開き、アカリと見知らぬ女子生徒が入ってきた。
「まーくんお待たせっ。こちらB組の倉橋さんだよ」
背中まで伸ばしたウェーブロングの黒髪に、左目の泣きぼくろが印象的な子だった。
アカリにお礼を言ってから、真向かいに座るように促す。
「えーと、面と向かって話すのは初めてか。テストも近いのに付き合わせてわるいな」
「べつにいいけど。聞きたいのは空井野さんのことだっけ? なんで?」
お嬢様然とした外見とは反して、サバサバした口調だ。
「ちょっと止むに止まれない事情があってな」
「もしかして彼女のことが好きなの?」
倉橋はずけずけと訊いてくる。女子が好みそうな話題にしておいたほうが怪しまれずに済むし、饒舌になるか。
「どう受け取ってもらっても構わない」
そう言うと、斜め横に座ったアカリが驚きに瞠った目を向けてきた。いや好きとは明言してないから、本気にするな。
倉橋もそっちのほうに受け取ったようだ。
「へぇ、やっぱそうなんだ。じゃあ安城くんには少し残念な話になるかな」
「どういうことだ?」
「私もそこまで詳しいわけじゃないんだけど。空井野さんとは中学二年のときに一緒のクラスになっただけで親しくもなかったしね」
倉橋は足を組み直し、過去を思い出すようにあごに手を当てる。
「彼女は自ら進んで手を挙げるような積極的な性格じゃなくて、どちらかと言えば内気な感じだったわ。友達がいないわけじゃなくて、誰に対しても優しくて真面目な子って印象」
今の空井野もそんな感じなので何ら不思議な話ではない。
「でも、中学三年に上がってすぐだったっけ。悪い噂を聞くようになったのは」
「悪い噂?」
予期せぬ話の流れに、俺とアカリは顔を見合わせた。
「私たちの学年には問題児っていうか不良っていうか、一年の頃から素行の悪い女子グループがいたの。私もそのうちのリーダーのやつと一年のときに同じクラスになったから知ってるけど、態度は誰に対しても傲慢だし、気に入らなければすぐに手が出るしで最低なやつだったわ。二年と三年は違うクラスで清々した」
それほど苦い記憶なのか、少々愚痴っぽくなってきた。脱線しそうなので話を戻す。
「それで悪い噂って?」
「ああ、空井野さんが三年になってそのグループに加わったって。それを聞いたときは少し驚いたけど、確かにその不良たちと一緒にいる場面をよく見かけるようになった」
「理由は?」
「知らない。同じ学級になって初めて喋って馬が合ったんじゃない? 普段から大人しい子ほど心のどこかでヤンチャしたい気持ちってあるものでしょ」
不良たちと意気投合したというのはどうもしっくりこない気がする。どちらかというと、そういうタイプは毛嫌いしてそうだが。中学時代の彼女は違ったのだろうか。
アカリが訊ねる。
「その頃、うーちゃ……空井野さんに変わった様子はなかったかな?」
「さぁ? 私は同じクラスじゃなかったから分かんない。ただ、以前まで仲の良かった友達との交流はめっきり減ったみたいだったわね。ま、空井野さんの性格がどうであれ、不良と関係がある人とは付き合いたくないわよね」
どうやら空井野のことはこれ以上聞き出せなさそうだ。
俺は質問の視点を変えた。
「そのグループのリーダーの名前は? あと外見」
「名前は
名前と外見が一致した。リーダーは夏祭りのときの彼女とみて間違いない。
「質問ばかりでわるい。最後に聞かせてくれ。そのグループ内で大きな騒動があったとか聞いてないか?」
「大きな騒動?」
「噂の類いでもいい。警察の厄介になるような罪を犯したとか」
事情を知らないアカリは俺の質問に小首をかしげていた。
倉橋は手をひらひらとさせて否定した。
「いくらあいつらがワルだからって、さすがにそこまでの事は仕出かさないわよ。先生に反発するとか同級生に金を集るとかそんなのばっか」
「……そうか」
では、昨日の口論が意味することは何なのか。あれは確かに素行が悪い程度で済まされる話ではなかったように思う。倉橋が知らないだけという可能性もあるが。
黙った俺に、倉橋は試すように聞いてきた。
「どう? 空井野さんの過去を聞いて幻滅した?」
俺は正直に思ったことを答えた。
「いや、過去は過去だしな。それにまだはっきりと事情が分からない以上、彼女を嫌う理由にはならない」
倉橋は茶化すように「へぇ、お熱いのね~」と勘違いなことを言ったあと、椅子から立ち上がった。
「私が話せるのはこれぐらいね。彼女との恋、がんばってね」
***
アカリと並んで歩く帰り道。
いつかの日のようにお互い無言だった。
ただあの時と異なっているのは、アカリと同様俺の足取りもまた元気がないことだ。加えて二人とも足元ばかり見ているので、傍からみればケンカ中と勘違いされるかもしれない。
しかしそうなるのも仕方ない。先程の倉橋の話を聞かされれば嫌でも考えないわけにはいかなくなる。空井野の過去に何があったのかを。
歩いている途中、生け垣の中から白色の毛並みをしたネコが姿を見せた。少し煤けた見た目を見るかぎり、飼いネコではないだろう。
すぐにネコ愛好家(家に三匹飼っているらしい)のアカリが反応し、背を屈めておいでおいでする。
野良ネコは時間が止まったかのようにその場に立ち止まり、彼女から一瞬たりとも視線を逸らさない。やがて警戒したのか、背を向けた。
ちらちらと振り返りながら足早に去っていくネコに、アカリは「バイバーイ」と声を投げかけて立ち尽くす。
程なくして向こうを向いたまま、「うーちゃんはなんで不良の人たちと関わったのかな?」と誰とはなしに呟いた。
俺は答えられなかった。頭の中に浮かんでくるのは、すべて想像の域を出ないものばかり。明確でない話をしても余計に彼女を混乱させるだけだ。それが空井野を悪者扱いするような想像では尚更。
倉橋の話は信憑性が高いと思う。乙坂れいなの外見的特徴は俺の見たものと相違なかったし、夏祭りで起こった口論をみるかぎり、中学時代、空井野が不良たちと何かしら関係があったのは事実だと思っていいだろう。
だからこそ、これまでの出来事を鑑みると、悪い考えばかりが浮かんできてしまう。
「うーちゃんはね、すっごく心が優しい人なんだ」
突然、アカリがこちらを振り返ってそう言う。表情は泣き出しそうなほど曇っていた。
「わたしが教科連絡の係で手一杯になってたときに進んで手伝ってくれたし、今日だって数学の時間に解けない問題を丁寧に教えてくれた。委員会の仕事ってだけじゃなくて本当に本が好きで、わたしに合ったものを紹介してくれたり一緒に探してくれたりして……すごくすごく心が温かい人なんだ」
その声には説得するような必死さが宿っていた。
アカリも薄々気づいているのだろう。空井野卯月という人間には後ろめたい過去があることに。だから俺が軽蔑すると思って心配している。彼女は優しすぎるから。
「大丈夫。誰も空井野のことを嫌いになったりしない。言っただろ、過去は過去だって。大事なのは今の空井野だ」
誰だって過ちを犯すことはある。大小はあるだろうが、いちいちそのことを気にしていたら人付き合いなんてできやしない。
「倉橋の話は衝撃的だったけど、まだ表面的なことしか分かってない。手紙のことだってきっと解決する、させるさ。だからそんな顔するな。お前が落ち込んでたら空井野だって心配するぞ」
なるだけ明るくそう言うと、アカリは少し微笑んで小さく頷いた。
俺たちはふたたび歩きはじめる。安堵したように綻びた彼女の横顔を見ながら。
大丈夫。俺は内心でそう自分に言い聞かせた。
俺の考えは外れている。どこで間違った解釈をしてしまったのかはわからないが、きっと真実はべつの、どこにでもあるような事だ。日常が、俺たちの関係が崩れることはない。
しかし、俺の祈りに似た思いはむなしく――――
次の日、事態は急展開を見せた。
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