第22話 降参

 今、彼女はなにを思っているのか。俺は心理学者ではないので表情から読み取るなんて器用な真似はできない。


 なんにせよ、ここで空井野が白状しなければ、もう俺に打つ手はない。


 しばしのあと、空井野はベンチに深く腰掛け、降参するように伸びをした。


 そして第一声。



「あ~あ。ばれちゃったかぁ~。あと少しだったんだけどなぁ」



 その横顔は、先程までの緊迫していた様子が霧散し、開き直ったというよりはどこか清々しいものだった。


「まさかそんな細かいところまで見ているとは感心しました」


 腰掛けから背を離し、いかにも作った笑みで言ってくる。


「本音は?」

「女の子の部屋をじろじろと観察してキモイです」

「…………」


 直球で言われ、胸を抉られた気分だった。べつにそういう変態的な目で見ていたわけじゃありません。俺は無実です。


 心の中で言い訳を考えている俺の隣で、空井野は缶ジュースをゆっくりと飲み干すと、息をついた。


「さすがだと思いました。相馬さんが手紙を発見したあの日、私の言葉だけですぐに手紙の相手が赤久くんであると推測したのは驚きです。本当ならもう少しヒントを出すつもりだったんですけど。ですが、新聞を見せつけて確認するのはとてもわざとらしいですよ。偶然はあまり起こらないから偶然なんです」


 やっぱり気づいていたのか。今思えば彼女の言うとおり安直な策だった。


「四字熟語は前日に猛勉強して覚えました。どんな言葉がきても意味の悪い言葉で返せるように。期末テストが近いのに何をやってるのかって話ですよね」


 まったくだ。おかげで一方的な約束を取りつけられ、好きな人と夏祭りを回れなくなった。


「夏祭りの日だって苦労したんですよ。二度と顔を見たくない人を電話で呼び出して、ちょうど安城さんが私を探しにくる頃を見計らって啀み合う現場を目撃させる。彼女を激怒させることはいとも容易かったですが、余計なことを喋らないかと内心ハラハラしていましたよ」


 そんな態度は微塵も見せてなかったが。演劇部は早々に空井野を勧誘すべきだと思う。


「全部全部ぜ~んぶ。安城さんのせいで水の泡となりましたけどね。私はあなたを怨みます」

「そのわりには悔しがってないようだけどな」

「過ぎてしまったことはどうしようもないですからね。今や未来に目を向けたほうがよほど有意義です」


 ポジティブ精神なことで。やはり俺と空井野は相性がよくない。


「……ひとつだけ分からないことがあります。どうして私が人形店で相馬さんに赤久くんのことを話していたと考えたんですか? 私に関する情報があるという確信があったからこそ、問い質してまで聞いたんですよね」


 たしかに晴希の嘘に気づいた時点で、その時に交わされた会話の内容にも大体想像はついていた。


「ああ、それはお前の家に訪れた日にそのことを晴希が証明しているからな」


 気が付いていないのだろう、空井野は首をかしげる。


「手紙を発見したときの晴希の言葉だ。あいつはあの手紙を見たとき、真っ先に〝ラブレター〟だと言った。だがあの手紙にそんな要素はなかった」

「……あ、なるほど。考えてみればおかしいですね」


 納得がいったようで感心したように頷く。


 あの手紙は洋型封筒に入っていたものの、ハートマークのシールで封がされているわけでもないし、愛の告白も書かれていない。あれで男からのラブレターだと思うわけがない。空井野にかつて好きだった異性がいたことを知る人間以外は。


 空井野は深くため息をつく。


「本当に誤算でした。相馬さんとの会話が後々に謎を解くヒントになってしまうなんて。……まぁその代わり誰かさんの愛の告白体験が聞けたのでよかったですけど」


 その言葉を聞いた瞬間、心霊現象を目の当たりにした時のように、サァーと俺の体温が急激に冷えていく。封印していた中学時代の苦い思い出が溢れだし、軽く眩暈を起こしそうだった。


「な……晴希のやつ、そんなことまで話しやがったのか!?」


 中学二年の頃、俺は晴希に告白した。ずっと好きだった、付き合ってくれと。あいつの返答は『わりぃ。今さらお前のことそんな目で見れねえ』だった。あの時の晴希の、まるで駄々をこねる子供をあやすように困った表情を思い出すと、ほんともう死にたくなる。穴があったら入りたい、いや埋まりたいほどに。


「幼馴染に告白なんて素敵ですね。私も一度でいいからそんな素敵な恋をしてみたいものです」


 その表情は恋する乙女のように可憐な微笑みを浮かべているが、どこか俺に対しての意地の悪さが見え隠れしている。


「それにしても複雑なご関係ですね。安城さんは幼馴染の相馬さんのことが好きで、相馬さんは同じく小さい頃から交流のあった木崎先生のことが好き。もうこれは安城さんがひとり寂しくむせび泣く未来しか想像できませんね。その時は私が隣で慰めてあげますよ」

「やめろやめろ! 俺はまだ諦めてねぇ、いつか必ず晴希を振り向かせてみせる!」

「しつこい男は嫌われるだけですよ。それで、相馬さんのどこに惚れたんですか?」

「なんでお前にそんなこと話さないといけないん……」


 俺は気づく。なんだか徐々に空井野のペースに巻き込まれているような気がする。


 空模様を見るかぎり時間は有限。べつの話題をしている場合ではない。軌道修正しなくては。これ以上振られた悲しい過去を振り返るのも精神衛生上よくないし。


 俺は咳払いを一つしてから空井野の謎に集中した。


「脱線した、話を戻すぞ。二つほど俺からも質問だ。まずは倉橋の話にあった、お前が不良グループと一緒にいたという目撃情報のことだ」


 あれは俺が独自で動いて入手した情報だ。つまり空井野の嘘は絡んでいない確かな情報ということになる。


「まんまと嘘のヒントに乗せられていた俺は、お前がそのグループの一員だとそのままに受け取ってしまったが、本当は逆だったんじゃないか? お前はその不良達にいじめられていた」


 倉橋は空井野と学年は同じでもクラスメイトではない。大概いじめというのは学級規模で起こるものだ。学年全体が知っているとは思えない。


「この公園で赤久真琴と偶然に知り合い意気投合したのも、お互いにいじめの経験があったからじゃないのか?」


 空井野はわざとらしく嘆息をつき、「あらら残念です。話を逸らせませんでしたか」と計画性ありありの怖いことを言ったあと、質問に答えた。


「半分アタリで半分ハズレです。私たちはお互いにいじめられている事実を隠していましたから」


 なるほど、それで『ぼくは。素の嘘つきが嫌い』か。ではどうやら空井野は勘違いしているらしい。


「もう一つの質問は、過去の話を持ち出してまで今回の謎を作ったお前の動機だ。……お前はアカリのことが疎ましく思ったのか?」


 空井野は今回の謎を利用して自身をいじめをしていた悪者に見せようとした。つまり嫌われたかった。一緒にいたくなかった。離れてほしかった。


 そして空井野の一番近くにいたのはアカリだ。他に親しげにしていた人間を俺は知らない。


 あまり聞きたくないことだ。これまでの二人の仲がすべて偽りだったとは思いたくない。


 しかし心配は杞憂だったらしい。空井野は首を振った。


「疎ましいだなんて、これっぽっちも思ってないですよ。日野さんは素敵な方です。教室の隅っこでひとり寂しくお弁当を食べていた私に声をかけて友達になってくれた。そして今でも私に寄り添いつづけてくれる。……だから耐えられなかった」


 空井野は悲哀に満ちた笑みを浮かべて言った。


「私は、幸せになっちゃいけないんですよ」


 そして滔々と過去について語りはじめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る