第12話 不穏

 その日、俺は家に帰ると二階にある自室に行ってから、アカリにメールを送った。本当は今日の放課後に部室で話すつもりだったが、アカリの姿がなかったのだ。


 テスト期間でどこの部活も休みになって暇になった晴希に聞いたところによると、アカリが空井野と一緒にいたところを目撃したらしい。おそらく前のときのように委員会活動を手伝っていたのだろう。


 空井野がいるのでは今回の件は話せない。ちなみに晴希にも手紙の謎続行については話していない。あいつは口が軽いし、はっきり言って居ても戦力にならないし。


『例の件について進展あり』


 さすがにもう下校していると思うが、念のため空井野に見られたときの危険性を考えての文面だ。送信。


 夜ぐらいには返信がくるだろうと思っていた矢先、スマホからバイブ音が鳴った。


 見ると着信の相手はアカリだった。電話に出たところ。


「まーくん、手紙のことについてなにか分かったってほんと!?」


 思わず受話口から耳を離すほど、勢いのあるアカリの声が聞こえた。しかも早口。相当に気にかかっている様子だ。


「……もしもしぐらい言わせろよ。いま家か?」

「ううん。帰ってる途中だよ、もうすぐ家に着くかな。それでなにが分かったの?」

「ああ、それなんだけど……歩きながら話をするのもあれだし、家に着いたらまた掛け直してくれないか?」


 まさかアカリがこんなにも早くメールを確認するとは思っていなかった。機械音痴であるからかあまりスマホを弄るほうではないので、メールの着信に気づくのがいつも遅いのだ。ひどいときには日を跨いで返ってきたときもあった。なので早めに連絡を入れるのだが、今日は裏目に出たらしい。


「うん、りょうかい。全力で家に戻るね」

「いや、危ないからゆっくりかえ……」


 言葉の途中でプツっと通話が切れた。どれだけ期待しているのか。ほんと事故だけには遭わないよう祈るばかりだ。


 あの様子では数分もせずに折り返しの電話がくるだろう。


 俺は制服を脱いで家着に着替えてから、なにか飲みに一階へ下りた。





 ベッドに寝ながら小説を読んでいると、近くに置いてあったスマホが震えた。


 俺は小説にしおりを挟んで置き、三秒ほど間をあけてから通話ボタンをタップする。


「まーくん、家に着いたよっ」


 快活なアカリの声とともに、なにやらガチャリと玄関の鍵を開ける音が聞こえてきた。どうやら本当に帰り着いたばかりのようだ。


「その、落ち着いてからでいいぞ」


 そんなに慌てなくても、もっとゆっくりしてから掛ければいいのに。


「ううん、だいじょうぶ。電話しながらでいいよ」

「そうか? じゃあこのまま通話を続けるぞ。結論から言えば、空井野の手紙の相手――男子生徒が誰であるのかわかった」


「誰なの?」という疑問の声とともに、ドタドタと床を踏み鳴らす音が聞こえてくる。


 俺は探偵のような勿体ぶることはせずに答えた。


「元沖ノ浜中三年の赤久真琴あかひさまことという男子生徒だ」

「あかひさまこと……どこかで聞いたような…………え……もしかして……」


 彼女の声以外の音が消えた。衝撃的な事実に立ち止まるほど驚いたのだろう。俺もこの推理に行き着いたときには、少しの驚きと不穏なものを感じざるを得なかった。


「思い出したか? 去年の夏、いじめが原因で学校の屋上から飛び降り自殺した生徒だよ」


 赤久真琴。


 この名前を聞いて誰であるのか思い浮かばない生徒は市内にはいないだろう。


 図書館にあった過去の新聞に記載されていた情報によると。


 赤久真琴は在学中の学校からほど近い廃工場で成人男性二人組を果物ナイフで刺殺し、その次の日、学校の屋上から飛び降り自殺を決行。屋上には遺書が二つ残されており、片方は自身が学校でいじめを受けていることや、日々溜まったストレスから突発的に男性たちを殺害したことの告白が明記されていた。もう一つの遺書には同級生たちに向けた言葉が書かれていたそうだが、公表はされていない。


 新聞だけではなくニュースにも取り沙汰されたし、夏休みにもかかわらず周辺地域の学校では臨時の全校集会が行われたほどの悲しい事件だった。


「なんでそうだと分かったのか、その経緯については省く。だがこの推理はほぼ合ってると思っていい」


 空井野自身の行動でそれは確定的なものになった。


「でも、うーちゃんは相手の名前は知らないって言ってたよ?」

「ああ、多分あれは嘘だ。赤久真琴だと仮定した場合、名前を知らないはずがないし、頻繁に顔を合わせておいてお互いに名乗ってないってのはどう考えてもおかしいだろ」

「……うん、言われてみればそうかもだね。うーちゃん、わたしたちに気を遣って言えなかったのかなぁ」


 アカリの声に気落ちした様子はない。普通、友達に嘘をつかれれば多少なりともショックを受けそうなものだが、彼女に関してはやはり違うようだ。何があっても友を信じる。それが日野アカリの信条なのだ。


「まーくんはどう考えてるの? うーちゃんが嘘をついたことに関して」


 俺はベッドから机の回転椅子に座りなおして考える。


 嘘には二種類ある。良い嘘と悪い嘘だ。前者は他人を思いやってつくもので、後者は自身の利益のためだけにつくもの。


 さて、空井野がついた嘘はどっちか。


 今日(それにこの前の図書室での出来事も)、彼女と接してみて平気で嘘をつきそうなやつだとは感じた。嘘をつくことに慣れているような。


 しかしそれは飽くまで誰でも吐くようなありふれた嘘だ。本気で人を貶めるような嘘をつくとは思えない。第一アカリは優しい人だと公言しているし。あの時は俺が相手でからかっていただけだろう。


「嘘についてはそこまで深く考えてない。問題は赤久真琴が手紙の相手だってことだ」


 普通の相手であれば手紙は字面通りに受け取ることもできるが、赤久真琴は特殊だ。いじめに遭って自ら命を絶っている。書かれた内容の重さが違う。


 空井野の話を信じるのならば、手紙をもらってから一度も彼と会っていないそうだ。つまり赤久真琴が自殺した日は、空井野に手紙を渡した日からそう離れていないことになる。もし自殺する前提で書いた手紙だとすれば、そこには何らかの思いや意図が隠されているはずだ。


「なんにしても、赤久真琴のことについて調べないことには始まらない。明日は元沖ノ浜中の生徒を見つけて話を聞こうと思う」

「うん、わかった。わたしも友達に聞いてみるね。情報ありがと、まーくん」

「ああ。くれぐれも空井野にバレないようにな」


 アカリの「らじゃー」という敬礼をする姿が容易に想像できる声を聞いたのを最後に、俺は通話を切った。


 そのままスマホを机に置き、椅子の背もたれに体重を預ける。しばらく何もない天井を虚ろに眺めながら、ぼーっと思考に耽った。


 そうしていると、机の小棚に置かれた辞典が目についた。手に取る。


 ペラペラとページをめくり、最後のほうに載っていた四字熟語の項目で手をとめる。今日、空井野が書いた言葉を改めて調べ直してみた。


『利己主義』。社会や他人のことを考えず、自分の利益や快楽だけを追求する考え方。また、他人の迷惑を考えずわがまま勝手に振る舞うやり方。


『放辟邪侈』。勝手気ままで、わがまま放題に悪い行為をすること。


『有頂天外』。このうえなく大喜びすること。また、たいそう喜んで夢中になり我を忘れる様子。


『跳梁跋扈』。ほしいままに行動すること。悪人などがのさばり、はびこること。


 …………。


 あのしりとり勝負で、俺は友達や自分のことについて例えた四字熟語を選んだ。


 では、空井野はどうだったのか? 


 彼女が選んだものは、どれも良い意味には受け取れないものばかりだ。有頂天外を自分のことだと言った。では他の言葉はどうだったのだろうか。


 晴希に手紙を発見されたときの動揺。意味ありげな四字熟語。自殺した赤久真琴。そして彼が残した『ぼくは。素の嘘つきが嫌い』と書かれた手紙。


 どうも、きなくさい話になってきた。

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