第10話 手助け

 月曜日の放課後。


 帰りの会が終わり、各々の生徒が荷物を持って教室を出ていく。


 俺も下校するため引き出しにしまっている教科書類を鞄に仕舞っていると、後ろから肩を小突いてくる者がいた。晴希だった。


「真昼はもう帰るのか?」

「ああ、ちょっと帰りに寄りたいところがあるからな。晴希はバスケ部の助っ人だっけ?」

「おう。もうすぐテスト期間に入って部活動は休みになるからな。やれない分、派手に動いてくるぜ」

「部員のやる気を削ぐなよ」


 地道にこつこつと練習を積み上げてきた者からすれば、晴希の才能は眩しすぎる。晴希は傲慢な部分がなく性格のさっぱりしたやつなので、称賛は受けても嫉妬や恨みを買ったことがないのが救いだが、それでも才能の差を見せつけられると凡人には辛いものだ。


 だからほどほどに、という意味で言ったのだが、晴希はべつの意味に捉えたらしく、「おう、練習の役に立てるように気張ってくるぜ。じゃーな」と言って教室から飛び出して行った。何かのいざこざが起こらなければいいが。


 俺は教室を出て、昇降口に向かって廊下を歩く。


 すると、ちょうどA組の教室から出てきたアカリとばったり会った。


「あ、まーくん。まーくんももう帰るの?」

「も、ってことはアカリも帰るのか?」

「うん。お母さんにお使いを頼まれてて。まーくんは?」

「俺は図書館に寄って帰る」

「借りたい本でもあるの?」

「まぁそんなところだ」


 本当のところは違うが、それは確信がついたあとに話せばいいだろう。


 そこで会話が途切れるとアカリは床に視線を落とした。


 やはりいつもと比べて元気がない。今日、移動教室などでたびたび見かけたが、一様に思い煩っている様子だった。


 原因はきっと一昨日のあれだろう。アカリは一度決めたことは曲げない頑固な面があるから。友達の事となれば尚更。


 アカリは自身の前髪を指で弄っている。昔から変わらない、なにかを話したい時の素振りだ。


「途中まで道が同じだし、一緒に帰るか?」


 察してそう言うと、アカリは顔を上げ、すこし微笑んで頷いた。






    ***




 二人並んで帰る夕暮れの道。前方のアスファルトに二つの影が伸びる。


 学校の正門を出てから、俺たちの間にこれといって会話はない。


 アカリは下を向いて、とぼとぼとした足取りだ。時たまにちらっとこちらを向いては俺と顔が合うとすぐに顔を逸らす。


「…………」


 おそらく手紙の件で話をしたいのだろうが、それはもう一昨日の話だし、空井野自身が過去の事だと割り切ってしまっていることだから言い出しづらいのだろう。解決してあげたいが結局それは独りよがりではないかと煩悶し、相談することを躊躇っている。


 気持ちは分かるが、このままでは無言のまま別れ道にたどり着いてしまうので、俺は自分のほうから切り出すことにした。


「俺になにか話したいことがあるんじゃないか?」


 アカリはハッと顔を上げて「え……あ、う、うんっ」とあからさまに戸惑う。立ち止まり、覚悟を決めるように深呼吸してから、やっと話題を口にした。


「あ、あのね……うーちゃんの手紙の謎について考えてたんだけど」

「奇遇だな。俺もその事で今日は頭がいっぱいだった」

「え、まーくんも?」

「ああ。残念ながら謎は解けてないけどな」


 頭がいっぱいというのは誇張だが、嘘ではない。どうせアカリのことだから、たかが二日経った程度で諦めるわけがないと思っていたし、俺自身、あの手紙の内容が何を示しているのか正直気にはなっていた。それにこう言ったほうがアカリも話しやすいだろう。同じ考えの仲間がいれば、ただの独りよがりではなくなる。


「そっか。まーくんも考えてくれてたんだね。ありがと」

「なんでお前が礼をいう必要があるんだよ」

「なんとなーくだよっ」


 数歩先を行って振り返り、笑みを見せる。なにやらとても嬉しいそうだ。

 

 単純なやつ。だけどまぁ、やっぱり笑っていたほうが彼女らしい。


 ふたたび横に並んで歩きはじめる。今度は同じ足取りで。


「そういえばアカリと空井野って、いつ仲良くなったんだ?」


 俺と違ってアカリは誰にでも交友的だから友達は多いが、空井野は別格な気がする。仲良しの度合いがただの友達というより、親友に近いような。二人でいるところをよく見かけるし。


 アカリは思い出すように、あごに人差し指を当てる。


「んーとね、五月の半ばぐらいだったかな。昼食の時間にうーちゃんが一人でいたから、一緒に食べよって誘ったのがきっかけかな。それから自然と友達になって移動教室の時とかも一緒に行動するようになったよ」


 その後も、アカリは空井野のことを俺に語って聞かせた。授業での話、休み時間での話、放課後での話、様々なことを。


 いつも明るくて落ち着いていて、わたしの話に笑顔で耳を傾けてくれる素敵な友達。どれも拙い表現ではあったが、アカリが空井野のことをどう思っているのかよく分かった。


 アカリは嬉々とした顔から一転、暗い表情になる。


「うーちゃん、わたしがいない時はいつも一人みたいなんだ。周りから嫌がられてるとかそんなのじゃなくて、うーちゃん自ら殻に閉じこもってるみたいな……一人を好んでるような……そんな感じかな」


 たしかに空井野がアカリ以外の友達といる場面を目にしたことがない。俺は同じクラスではないので、ただ単にその機会がないだけだと思っていたがやはりそうなのか。


「でも友達と一緒にいることは嫌じゃないと思うんだ。だってうーちゃん、わたしといる時はとっても楽しそうに笑うんだもん。ただ、友達になるきっかけが訪れないだけじゃないかな。手紙の事だって本当は誰かに相談したかったんだと思う。一人で抱え込んで辛かったんだと思う。だから友達のわたしが力になってあげなくちゃ」


 今までよりも必死に謎を解こうとするのはそれが理由か。


 そのアカリの良い意味での愚直さが素直にすごいと思った。


 大概の者は(俺もだが)途中で諦めてしまうことを含めたうえで行動する。他人から何かを頼まれたときは、「できなかった時はごめん」だの「あんまり期待するなよ」だの、問題が解決できなかったときの逃げ道として伏線を張る。そんな心意気だから何をやっても物事が中途半端に終わる。


 だが彼女は違う。アカリは自分自身を信頼している。自分の中にある問題に立ち向かい続ける不屈の心を信じている。諦めや割り切るという考えは端から持ち合わせていない。やると決めたことは最後までやり遂げる。ひたすら前向きに、それこそ何年かかっても。


「それでね。あの手紙の意味を考えてたんだけど……正直さっぱりで……だからその」

「手伝うよ」


 俺は立ち止まり、アカリの頼みを先読みして答えた。


 俺は彼女のようにはなれない。正義のヒーローにはなれない。


 だからせめて、彼女の肩の重荷を減らせる存在でいられればいいと思う。


「二人で事にあたったほうが解決も早いだろうしな。それにアカリは一つの事に集中しすぎて周りが見えなくなることがあるから、テスト勉強を疎かにして晴希と同じ道を辿られても困る」

「むぅ、まーくんよりもわたしのほうが成績は上なんだけどなあ」


 アカリは冗談めかしく眉をしかめたあと、頬を弛緩させた。


「ありがと、まーくん。協力してくれて嬉しいよっ」


 まだ謎はなにも解決していないというのに、アカリは本当に嬉しそうな笑顔を向けてくる。


 その純粋な感謝を受けてすこし気恥ずかしくなり、照れ隠しに言う。


「そ、それでなんだけど、このことは空井野には内緒にしておこう。へんに気遣わせたくないからな」

「うん、そうだね。うーちゃんは優しいから、わたしたちのことを思って謎を解くことに反対すると思う」

「…………」


 優しい、か。そうであればいいが、本当のところはどうだろうな。


 まぁそれはうまくいけば明日には分かることだろう。


 空井野がなにを隠しているのか。

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