第4話 消えたミステリー小説

 

 次の日の昼休み。


 用事を終えた俺は、図書室に直行した。


 着くと、図書室は意外にもがらんとしていた。入って左側の受付カウンターのところには空井野の姿があった。


 向こうもすぐに気がついて、にこっと笑う。


「こんにちは、安城さん。昨日はお手伝いありがとうございました」


 空井野は礼儀正しくもやんわりとした挨拶を掛けてきたあと、「本を借りに来たんですか?」と訊ねてくる。


「ああ。昨日新刊の中に読みたい本を見つけてな」

「そうなんですか。言ってくれれば内緒で貸出したのに」

「みんな作業で疲れてたし、借りにくるだけなら訳ないしな。それにしても空いてるな」


 改めて室内を見回す。最初は棚の陰になって目につかないだけかと思っていたが、誰一人の姿もなく、静けさに満ちている。


「大体いつもこんな感じですよ。私的には仕事がなくて楽ですけどね」


 その分退屈だろうなと思いながらも会話を切り上げ、俺は借りる本を取りに向かった。


 足腰を酷使してやっと並べた親書コーナーを素通りし、ノンフィクションコーナーに向かうが。


「ん? ……ない」


 昨日置いたところにお目当ての小説がなかった。


 一冊ずつタイトルを見て確かめる。──やっぱりない。新刊コーナーも見てみるが、当然あるわけがなく、一巻と二巻が置かれているだけだった。


 目敏い誰かに借りられてしまったか……。


「どうしたんですか?」


 新刊コーナーで立ち尽くしていた俺を変に思ったのか、空井野が訊いてくる。


「どうも先に借りられたみたいで……」

「あらら、運が悪いですね。お目当てのものが重なるなんて」


 その空井野の言葉に俺は疑問を浮かべた。


「二人のうち?」

「はい。今日はまだ二人の生徒しか本を借りていないので」


 今の室内の状況を鑑みるに、借りていった人数が少ないだろうことは予想していたが、たった二人だけとは。しかも俺と借りるものがダブった。たしかに運がない。


 一、二巻を借りていないことから、俺と同じでファンだったのか。タイトルには数字が当てられているので間違って借りたわけではないだろう。


 しかしよく隠し場所を見つけられたものだ。ミステリー好きが来ることを危惧して無縁のノンフィクションものの中に紛れ込ませていたのに。乱読派で偶然にも見つけたのだろうか。なんか釈然としない。


「ちなみに借りようとしていたのはどんな本なんですか?」


 俺は新刊コーナーから一巻を抜いて「これの三巻だ」と見せる。


 タイトル『君と交わした約束の場所1』。夕暮れの草原の中、主人公とヒロインがお互いに向き合って佇む表紙。全体的に淡いタッチで描かれている。


 タイトルからしても恋愛系っぽいので、なんだか気恥ずかしい気持ちになる。


 空井野は「表紙のイラストが綺麗でいいですね。あとで読んでみようかな」と言ったあと、何やら眉根を寄せた。それは俺が乙女チックな本を借りることに引いたわけではなく、単なる疑問の仕草だった。


 カウンターに置いてある学年とクラスごとに分かれた木箱、その中に入っている貸出カードを確かめはじめる。全部で六枚あった。


「へんですね……」

「どうしたんだ?」

「安城さんが借りようとしていた本なんですけど、どちらの生徒も借りていってないようです」

「え?」


 六冊分の貸出カードを受け取って著作名の欄を見てみたが、そこに俺が借りようとしていた小説のタイトルはなかった。


「じゃあ本は一体どこにいったんだ……?」


 俺の呟くような問いに、空井野は困ったような笑みを浮かべて首をかしげるだけだった。






 消えたミステリー小説。


 不可思議に思った俺は、昼休みが終わるまでの間、少し考えてみることにした。


 本が独りでに消えるわけがないので、怪しいのは本を借りていった二人の生徒だろう。


 まずは二人の生徒の詳細について空井野に訊く。


 古い本の貸出カードを新しいものに取り替える作業に取り掛かっていた空井野は、一旦手を止め、記憶を呼び起こすようにあごに指を当てながら答えた。


「えーと、一人目は顔見知りの女子生徒で、お友達二人も一緒でした。一人しか借りていないことを考えると付き添いで来たんでしょうね」

「何か変わった素振りはなかったか?」

「特には何も。最初、本を返却するときに新刊のことで少し会話をしたぐらいで、あとはお友達同士で仲良くお喋りしながら本を見ていましたよ。といっても逐一行動を見ていたわけではないので、いつ盗まれても分かりませんけどね」


 意外にはっきり物を言う。だがあるはずの本が消えたということは、誰かが受付を済ませずに図書室外へと持ち出していったということ。それは盗まれたも同義だ。


 俺はふたたび貸出カードを見る。


 女子生徒が借りていった本は、

『グラフィックデザイン入門書』

『小さな動物園の歩み』

『彼に好きって言いたいっ』。

一見してミステリー関連の本はないようだ。


 続けてもう一人の生徒の情報。


「二人目は男子生徒で、女子生徒と同様に怪しい動きはなかったです。最初に本を三冊返却したあと、新刊コーナーを少し見てすぐにカウンターに持ってきました」

「他のコーナーは見ていないのか?」

「はい。ぱぱっと本を返して、ぱぱっと選んで、ぱぱっと図書室を去っていきました」


 なんか主観の入り混じったテキトーな情報だな。他のコーナーを見ていないということは、男子生徒に俺が隠した小説を取る機会はなかったわけか。


 男子生徒が借りていった本は、『落ちた吊り橋の謎』『山荘殺人事件』『貧乏探偵の事件簿』。う~ん、どれもミステリー小説っぽくて怪しいけど、アリバイがあるしなぁ。


 そこで、二人とも三冊ずつ借りていることに気づいた。空井野に訊くと。


「貸出の上限ですね。一人三冊までオーケーです。貸出期間が一週間なので三冊も借りる生徒は稀ですけどね」


 俺は一度も図書室を利用したことがなかったので知らなかった。


 だがこれで犯人の動機が分かった。三冊までしか借りれないが、どうしても読みたい四冊目が見つかり、空井野にバレないよう持ち出した。


「消えたのは三巻ですし、ミステリー関連を借りている男子生徒さんが怪しいんじゃないんですか?」

「だけど男子生徒はノンフィクションコーナーに行ってないんだろ?」

「はい、そうですけど……行ってないからってなぜ男子生徒さんが犯人ではないと言い切れるんですか?」


 そうか。昨日俺が小説を隠していたことを空井野にはまだ話していなかったか。


 そのことを説明すると、空井野は「土の中に骨を隠すワンちゃんみたいですね」と苦笑いで答えた。どことなく呆れた様子だ。そう言われると、たしかに幼稚な行動だったように思えてきて恥ずかしくなってくる。


「でも、たしかにそれなら男子生徒さんに犯行は無理そうですね。といっても女子生徒さんのほうはお友達と一緒でしたし、無断で持ち出す利点はないですよね」

「そうなんだよなぁ」


 女子生徒の場合、どうしても読みたい四冊目を見つけたなら友達の名義を使って借りればいい話だ。返すのが面倒だと拒否られた可能性もなくはないが、だからといって無断で持っていくという発想には普通至らないだろう。


 どちらにもアリバイがある。それに俺が隠した小説を見つけた方法も分からない。


「…………」


 考えが行き詰まる。


 空井野が椅子から立ち上がってカウンターに積まれた本を手にとった。どうやら貸出カードを取り替え終わったらしい。


「ちょっと本を棚に戻してきますね」

「俺も手伝おうか?」


 本は十冊以上で中には分厚い本もあるし、空井野一人では大変そうだ。


「いいんですか? 安城さんは謎を解くほうに力を入れたほうがいいんじゃ……」

「突っ立ってて良い考えが浮かぶわけじゃないしな。手分けしてしようぜ」

「そうですか。ではお言葉に甘えます」


 どの本をどのジャンルに戻すのか聞いたあと、積まれた本を手に取り、本棚のほうに向かう。


「えーと、これが文芸コーナー……これは教育・学習……これは……」


 一つ一つを確認しながら棚に戻していく。


 続けて音楽コーナーに戻していたとき、同じ場所に違うジャンルの本が紛れ込んでいることに気がついた。


 その本はタイトルを見るかぎり、ビジネス・経済の本だった。お固いタイトルや暗い色からして目立たない背表紙だし、流し見では気づかないだろう。


 面倒くさくてテキトーに直したのか。まさか俺みたいな姑息な手を使う人間がいるとは思えないし。


 その本を引き抜き、同類のコーナーに持っていく。


 きっと俺が隠した小説もこんなふうに見つかって持っていかれたんだろうな……と思ったところで。


 咄嗟にある考えが浮かんだ。立ち止まり、思考に耽る。ここまでの空井野の話を元に、二人の生徒が本を借りていった時の状況を改めて整理してみる。


 最初に図書室にやってきた女子生徒とその友達二人。新刊コーナーだけを見て借りていった男子生徒。三冊ずつ計六枚の貸出カード。消えたミステリー小説。


 考えるにつれて新たな疑問が芽生え、仮定の答えを繰り返していく。


 やがて真相が見えてきた。


 経済の本を棚に直して受付カウンターに戻った。


 空井野はすでに戻っており、俺の顔をまじまじと見てきた。


「なんだかさっきよりも表情が明るいですね。もしかして何か分かったんですか?」

「ああ、謎が解けた。犯人は男子生徒だ」


 俺の答えに、案の定、空井野は疑問を投げかけてきた。


「でも男子生徒さんは新刊コーナーしか見ていないから……」

「そう。新刊コーナーを見るだけでいいんだ」


 俺は頭の上にクエスチョンマークを浮かべた様子の空井野に訊ねた。


「まず確認しておきたいんだけど、はじめに本を借りていった女子生徒は図書委員なんじゃないか?」


 先ほど空井野は『女子生徒が本を返却するときに新刊のことで少し会話をした』と言っていた。


 話の内容として真っ先に思いつくのが場所を訊くことだが、新刊コーナーは図書室を入ってすぐのところにあるからそれはない。


 そして空井野は顔見知りの女子生徒と言った。友達と言わないあたり、本当に顔見知り程度なのだろう。女子生徒には友達二人も一緒だったわけだし、面白い本などの雑談話というのもしっくりこない。


 仲の深くない相手と、新刊のことでの共通の話題は何かと考えた時に一つしか思い浮かばなかった。


 昨日の委員会活動だ。女子生徒が図書委員だと仮定すれば、新刊のことで話があるのも納得がいく。空井野自ら引き受けたといってもあの仕事量だし、一人で大丈夫だったか気になったことだろう。


 果たして、空井野は肯定した。


「そうです。よく分かりましたね。昨日、新刊の準備を手伝えなくてごめんねと謝ってきてくれました」


 やはりか。女子生徒が図書委員だったと立証されればあとは単純な話だ。


「俺は女子生徒が借りていった本のジャンルがばらばらだったことに違和感を抱いた」


『グラフィックデザイン入門書』

『小さな動物園の歩み』

『彼に好きって言いたいっ』


 普通なら複数も借りれば男子生徒のようにジャンルが偏りそうなものだ。しかし女子生徒が借りた本にはこれといって共通点がない。乱読派という線もあるが、この場に女子生徒がいない以上それを証明することはできないし、他にもっと自然な解釈がある。


「一人が三冊借りたんじゃなくて、三人が一冊ずつ借りたんだ」


 女子生徒が借りたと聞くと彼女が三冊選んだように思ってしまうが、受付をしたのが女子生徒であって友達二人が選んでないとは限らない。三冊までなら自由に借りれるのだから、そこに友達の分があっても違反ではない。


 一人の名義で借りたのは返却する手間を考えてのことだろう。返しに行くのは一人だけで済むし、それが図書委員なら返す機会は多い。


「そして大事なのは、三人とも最初から借りるつもりで図書室に来たということ」


 付き添い程度ならテキトーに本を見回すだけで終わるだろうが、借りるとなればそれなりに真剣に見るだろう。三人もいれば俺の隠した小説を見つけ、違うジャンルだと気づく可能性は高い。


 空井野は神妙な顔で頷く。


「たしかにちらっと表紙を見たかぎり『小さな動物園の歩み』はノンフィクションっぽかったですよ」

「確定だな。自分が見つけたのか友達が見つけたのかは分からないが、図書委員としての立場上、女子生徒が誤って置かれた本を元の位置に直してもおかしくない」


 新刊コーナーには同じシリーズの一、二巻があるから、間違えて既存のミステリーコーナーに直すことはないだろう。


 つまり男子生徒が来たときにはすでに俺が隠した小説は新刊コーナーに直されていたのだ。


 あとは男子生徒が普通に選び、三冊の本とともに無断で持ち出した。


 俺が推理を話し終えると、同意するように空井野はにこやかな表情になった。


「なるほど~。そういうことだったですね。謎が解けてすっきりしました~」

「…………」


 なんだか心がこもっていないというか軽い口調だ。拍手をしているが、そこに称賛の意はなく、ぺちぺちと手を打ち鳴らしているだけの行為に見えた。元々そこまで興味がなかったのだろう。


「あとで男子生徒さんには事情を聞かないといけないですね」

「放っておけばいいんじゃないか。一時の気の迷いで持っていったのかもしれないし」


 借りたかったが仕方ない。いつ戻ってくるか分からないし、諦めて買おう。


 もう用事はないし空井野に一言いって立ち去ろうとしたとき、一人の女子生徒が図書室に入ってきた。アカリだった。


「うーちゃん手伝いに来たよっ。……ってあれ、まーくん? 本を借りに来たの?」

「ああ。といっても先に持っていかれたみたいだけど。アカリは?」

「そうなんだ。わたしはうーちゃんの手伝いに来たんだけど……人いないね。わたしいらなかったかな?」


 人気のない室内を見回してそう言う。


「いえいえ、そんなことありませんよ。唯一の図書委員の仕事も先ほど安城さんと終わらせましたし、退屈していたところだったので。昼休みも残りわずかですけど、それまで雑談相手になってくれると嬉しいです」


 アカリは「うんっ、なるなる!」と言って、カウンターの向こう側の丸椅子に座った。


 快活でお喋り好きなアカリがいれば暇はしないだろう。


 すぐに午前中の授業について二人は会話をはじめた。


 そのとき、ふと何かが引っ掛かった。


 正体の見えない不透明なそれは、次第に頭の中で主張しはじめ、俺を悩ませる。


 ここまでの物事が脳内を駆け巡り、反芻し、やっと見落としていた違和感に辿りつく。


 俺の推理は全く違う結末を描いていたんだ。

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