Ⅹ お前は別の国の人間だったんだな。

念仁は釈然としない思いに駆られていた。


なぜ――自分がこんな目に遭わなければならないのか。三十八度線からも遠いこの国で――戦争など過去の話になっているはずのこの国で――なぜ内乱みたいなことに巻き込まれているのか。


秋葉原――そこは、自分の中から湧き上がる生命力エーテルを感じ取るはずの場所であった。それが今、流血と火焔に彩られているのはなぜか。


全てが納得できなかった。


今、念仁は誠とともにテロリストたちに近づきつつある。テロリストたちにも機動隊員たちにも気づかれないよう、身を屈めながら歩道を進んでゆく。時には、流れ弾が頭の上を通過していった。


「朴三等兵! 敵は今、どこにいる?」


軍隊にいたころの状況反射で、はっ、と答えてしまった。


身を上げ、前方の彼方へと目を遣る。燃え上がる焔に照らされ、宵闇の中に翻る赤旗が見えた。


「一時の方向、戦鬥警察隊たちに囲まれているであります! 今は、完全に動きを止めているようです!」


「そうか、動きを止めておるのは幸いだな。」


「敵情報を摂取するため、写真を撮ってもよいでありますか?」


「うむ、よかろう。」


スマートフォンを取り出し、遥か前方にいるテロリストを写真に収める。当然、敵情報を摂取するためなどではない――イルペに上げるためだ。そもそも、ここは戦場ではないはずなのだから。


大体からして、軍隊にも行っていないこの男から、自分はなぜ指図を受けているのか。一体、三等兵などという階級が、この地上のどこの軍隊にあるのか。しかも――なぜ自分はこの男について行っているのか。念仁は、自分自身の行動にも説明をつけられないでいた。


強いて言えば、この男を止めなければならないと考えていたからだ。誠は今カウンターテロを本気で行おうとしている。しかも、それに念仁まで付き合わせようとしているのだ。


けれども、そんなことがあってはならないのだ。もしもそんなことをしようものなら――誠は、取り返しのつかない罪を背負ってしまう。だから――念仁はどこかで誠を止めなければならないのだ。そうであったとしても、一体どうしたらいいのか分からない。今の誠は、どうあっても念仁の言葉など聞きそうにない。


撮ったばかりの画像をイルペに投稿する。そして、テロリストから攻撃を受けたことと、銃撃戦が行なわれていることを書き込んだ。すると、次のような返信があった。


――チョム 붙어봐ブトブヮ ㅋㅋㅋ(もっと近づいてみろよwww)


――チョム 붙어서ブトソ 테러리스트テロリストゥ 놈들의ノムドゥレ 얼굴을オルグルル 찍어와봐チゴワブヮ(もっと近づいてテロリストどもの顔を撮ってこい)


――ムォル 찍고있는지チッゴインヌンジ, 벙쪄서ボンチョソ 모르겠잖아モルゲッチャナ(何が写ってるのか、ぼんやりとして分からないじゃないか。)


―― 접근해서チョプグネソ 제대로ジェデロ 사진サジン 찍고와チッゴワ, 병신아ピョンシナ(もっと接近してちゃんとした写真を撮ってこい、病身よ)


そんなことを言われても困るのだ。何しろ、こうしている今も、念仁はテロリストたちに近づきつつあるのだから。今も――頭の上ではぴゅんぴゅんと銃弾が飛んできているのだから。


テロリストたちは、ちょうど総武本線の高架線の下あたりにいた。周りは機動隊員たちが既に取り囲んでいる。激しい銃撃の音、爆弾の爆発する音、火焔瓶の割れる音もする。催涙ガスでも使用したのか、念仁はほんのりとした痛みを眼に感じた。


そもそもこの男を止めるべきなのかどうかさえも疑問に思えてきた。旅先で意気投合したからといって、目の前の男は、どうせ今まで何の関わりも持たなかった他人にすぎないのだから。しかも、韓国と左翼への憎悪で頭がおかしくなってしまっているのである。


「畜生、これじゃあ近づけねえや!」


二人がいるのは、秋葉原駅付近にある大きな交差点であった。誠は周囲をきょろきょろと見まわし、そして交差点の東側を指さす。


「よし、朴三等兵、作戦を変える! 俺について来い!」


「はっ!」


またしても、つい返事をしてしまった。


誠に従い、交差点の東へ進む。


その道路は全部で三車線しかなく、高いビルに挟まれていた。銃撃戦の音が少し遠のいた。もはや銃弾が飛んでくる心配はない。車道にはこの騒動で動きを止めた車で溢れ、歩道には通行人たちが溢れていた。通行人の誰もが不安そうな顔をしている。


こんな男に振り回されている自分は何なのだ。とっとと見切りをつけて逃げるべきなのだ。


それなのに――離れがたいのはなぜか。


まるで、心の中の天使マニトが、離れるなと訴えているかのようである。


二人で車道を横断する。人込みを掻き分け、誠は南に伸びた小路へと目を遣った。小路の向こうでは、機動隊が銃撃戦を行っていた。誠は舌打ちをし、さらに東へと進んだ。念仁もそれに続く。


どこかで止めなければならないことは確かなのである。


それでも、一体どこで止めたらいいのかが分からない。


人込みを掻き分け、二人は秋葉原駅前の広場へと出た。淡路公園と同じく、城壁に囲まれた中庭のような場所である。通行人たちは二人が今抜けてきたばかりの道へと群がっている。広場の片隅には救急車が停まり、怪我人を運んでいる。誠に従い、さらに南へと駆けてゆく。


南の突当りは秋葉原駅であった。テロリストたちの頭上に見えていた高架線は、駅ビルから東西に突き出た総武線のものである。


高架線に沿って西に延びる小路へと二人は進んだ。


再び、ぴゅーんと音を立てて銃弾が飛んできた。近づくことが危険であると分かっているためか、今この小路には人はいない。


少し西に進んだが、やがて誠は立ち止った。当然の話であるが、ここでも百メートルほど先を機動隊員たちが塞いでいた。そもそも、テロリストたちの四方は機動隊員が既に取り囲んでいるようだ。


「な、なあ――嫌韓君、もうやめよーよ、こんなこと。」


我ながら情けない声で催促する。


「これじゃー、빨갱이パルゲンイどもに近じゅいてだよー、爆弾を投げるなんてことをーできなさそーじゃん。てきたとしてもー、投げ続けるなんてーできない思うんだよ。そ、そんなことしたらー、周りにある戦鬥警察隊たちに取り押さえられちまう思うんだけど。」


「やめるだと?」


誠はぎろりと念仁をにらみつけた。


次の瞬間、鉄拳が念仁の頭上に落ちた。間髪を入れず、誠は念仁の胸倉に掴みかかり、ぶんぶんと左右に振り回す。視界とともに頭の中で鈍痛が揺れていた。


「貴様、それでも帝国臣民か! 上官の命令に指図するとは何事だ!?」


「や、や、や、やめろよ!」


さすがに頭に来た。頭蓋骨の中で血管の破裂するような感覚がした。怒りは拳となり、誠の頬を殴りつけた。手の甲に手ごたえがあり、誠は念仁から離れた。そして誠は念仁の目を見据える。しばらくは、お互いの呼吸する音だけが聞こえていた。


「一体いちゅの時代の人間だよ! お前は俺の上官じゃねーよ! しかも、さっきから三等兵だとかなんだとか言いやがてよー! とこまで無視すりゃ気が済むんだよ!?」(※無視する=莫迦にする。)


誠は念仁を睨み続けていたが、やがてふんと鼻を鳴らした。


「終戦の間際も朝鮮人はそうだったというな。それまでは大日本帝国に忠誠を誓い、徴兵制度も歓迎して受け入れ、鬼畜米英を倒せと奮起していたというのに、いざ敗けたとなったらウリたちは戦勝国民ニダと手の平を翻しやがった。」


そして、誠は高架線の上へと視線を遣った。


「まだ最後の手立ては残っている。あの高架線の上へとよじ登り、全ての爆弾に点火してパルゲンイ共の上へとダイブするのだ。」


たった今まで感じていたはずの怒りが、急激に冷めるのを感じた。


「そ、それ、本気でやるちゅもりなのか?」


「俺はいつだって本気だぜ? お前も――」


何かを言いかけ、誠は口を閉ざした。


誠の何メートルか後ろを、風音を立てて銃弾が飛んでゆく。


誠はポケットからシガレットケィスを取り出した。


「そうか――お前は別の国の人間だったんだな。どうせ、日本の左翼とは何も関係がないんだ。日本の左翼から被害を受けたこともなければ、日本の左翼から守るべき国体もない。それなら、俺に付き合わせるのも悪いな。自分の国の汚れは、せめて自分で綺麗にせねば。」


煙草を一本取り出して咥え、火を点ける。


「どうやら、もうお別れの時間のようだ。」


「――は?」


「お前と過ごした三日間、本当に愉しかったぜ? 人生の終わりに、こんないいやつに出会えるとは思ってもなかった。しかも――まさか朝鮮人にな。」


「嫌韓君――?」


「俺はこれからパルゲンイどもを撃滅して死ぬ。お前が朝鮮で軍事クーデター起こしてくれるの、天から見守ってるぜ? 極右軍事独裁政権、樹立させてくれるんだろ?」


念仁はふっと寂しくなった。この異国に来て、初めて孤独を感じたような気がした。誠は目の前にいるはずなのに、遠い隔たりがある。


どこかでやめさせなければならないと思ってここまでついて来た。しかし、それは無駄であったようだ。かつて誠が言ったことと同じだ――友人でも何でもないはずの、好きでも何でもないはずのこの男に付き合っている自分がおかしいのだ。


「おう――そこまで言うなら、俺も止めやしないよ。」


なので、念仁はそう言った。


「お前の好きにすりゃいいさ。俺は俺でー、韓国で何とかするから。」


今度は、どういうわけか誠が寂しそうな顔をした。


誠は煙草を地面の上へ放り投げ、靴で踏みにじる。顔を背け、銃撃戦の行われているほうを向いた。彼方では焔がちらちらと燃え盛り、爆発音が一つ二つとしている。


「じゃあな――お前との聖地巡礼、愉しかったぜ。」


その言葉に、念仁は今まで忘れていた何かを思い出しかけた。


銃撃戦の行われている方向へ向かい、誠は静かに歩き始める。


しかし、このとき念仁の目には別のものが写った。機動隊とテロリストの向こう側にあるビルに、巨大な『まほつゆ』の広告が掲げられていたのだ。


つゆりの全身が、垂れ幕状の広告いっぱいに描かれていた。テロリストが放った火が燃え移ったのか、下のほうから、まるで捲り上げられるように燃えている。それはちょうど、『まほつゆ』の最終話で光の中へと姿を消していったつゆりの姿に似ていた。


しかしながら、それは生命としての死ではなかった。一種の神――全ての人類に、笑顔と幸福を届ける存在となったのだ。


つゆりは誰の心の中にもいる。もちろん、念仁のなかにも。


そして、誠の中にも。


とある重要なことを思い出したのはこのときだ。


目の前には遠ざかりつつある誠の後ろ姿がある。


念仁は仮面を脱ぎ捨て、踏みつけた。


彼を止めなければならないという思いは、すぐさま行動に出た。


「ちゅゆちゅゆりん☆ ゆるゆるりんりん♪ ちゅゆりんりん!」


アニメで覚えた振り付けとともに、念仁は大声で叫び始める。


誠の動きが止まった。


ぎこちのない日本語とぎこちのない振り付けで――それでも精一杯、アニメのシーンを真似してつゆりの決め台詞を叫んだ。


「疲れた貴方も、悲しい思いをした貴方も! ちゅゆりは誰でも、笑顔にしてみせる! みんなのスクールアイドル、小鳥遊ちゅゆりだよ☆ とうかちゅゆりの魔法、受けてみせて! りんと響くように、ゆるりと蕩けるように! フルメタルマジカルエクスプロモーション! 世界のみんなが、幸せになーあれ!」


両手でハートマークを作った格好で、念仁はしばらく固まっていた。


誠はやはり動かなかった。


ハートマークを解き、念仁は声を張り上げる。


「今日、五月七日ちゅゆりちゃんの誕生日だろが!」


誠の後頭部が、つと動いた。


「大切な守護天使の誕生日を忘れちまうとか、お前はチュユリストの風上にも置けねえやちゅだじぇ! 大切な女の子のことも忘れてるくせに、国を愛するとか笑い物だ! カウンターテロで自爆して死ぬとか、そんなことしてちゅゆりちゃんが喜ぶかよ!」


念仁は力の限り叫んだ。


「朝鮮人皆■しとか、ちゅゆりちゃんがそんなこと言うかよ!」

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