Ⅷ おいお前! 一体何してんだよ!?
左翼団体が投げる石礫を避け、念仁は街宣車の陰に隠れていた。
前方ではデモ隊と機動隊との小競り合いが起きていた。中には、左翼団体の投げた石礫を投げ返している者もいる。誠などは、頭から血を流しながら街宣車の上で演説を続けていた。
そのさらに向こうでは、左翼団体が機動隊と殴り合ったり、デモ隊へ向けて投石したりしている。
そんな様子を写真に収め、念仁はイルペへと投稿していった。
突如として、耳を叩かれたような音が聞こえてきた。胸の動悸が高鳴り、思わずスマートフォンを落としかけた。
正確に言えば、炸裂音は四つほど立て続けに聞こえた。顔を上げると、十メートルほど後方、人だかりの中から硝煙が上がっていた。しかし、何が起こっているのかはよく分からない。
人々は疑問の声を発する。
「何が起こった!?」
「爆発だ! 爆発!」
「爆発!?」
「ガス爆発!」
硝子の割れるような音がして、前方から悲鳴が上がる。
一体何が起きているのか。念仁は身体を伸ばし、人込みを掻き分け、街宣車の陰から前方を窺う。
機動隊員の中から焔が上がっていた。ワゴン車の上にはヘルメットを被った男がおり、今まさに機動隊員に向けて火焔瓶を投げつけようとしてた。機動隊員の中から再び焔が上がる。
機動隊員たちに押される形で、デモ隊員たちは及び腰になりながらも逃げだした。ただし、まだ昂奮は冷めていないようだ。左翼団体に向かい、口々に罵声を叫んでいる。
「ついに正体を見せたな在日野郎!」
「ボケ、ボケ、ボケェッ! クソ、クソーッ!」
念仁もまたその流れに従って逃げようとする。
しかし、ちょうど先ほど爆発が起こったあたりに、何かが落ちるのを見た。その周囲を逃げていた人々は、慌てふためいたような動作を見せる。何秒か後に、今度ははっきりと爆発と判る爆発が起こった。
ワゴン車から大音量で『インターナショナル』が流れ始めた。背後から聞こえてくる太鼓の演奏も、自然とその旋律に合わせられた。
念仁は周囲を見回し、そして誠がいないことに気づいた。
先ほどまでは、街宣車の上で差別演説を繰り返していたはずだ。
まさかと思い、梯子に足をかけて演壇の上を覗く。案の定、誠はそこにいた。演壇の縁に身を隠しつつ、前方を窺っている。
念仁は素早く演壇の上へ駆け上り、誠の隣で身をかがめた。
「おいお前! 一体何してんだよ!? さっさと逃げんと駄目だろ!」
誠はちらりと念仁を一瞥すると、小さな声で叱責した。
「何を言っている! この国家の緊急事態に!」
「はあ?」
「日本を牛耳るべく、在日どもがついに一斉蜂起をしたのだ!」
念仁は、しばらく二の句が継げなかった。
「――何だよ、『ちゅいに』って。」
そんな誠の息は酷く酒臭かった。
機動隊員たちが反撃を始めた。機動車輌の上部から水が噴き出し、火だるまになった隊員の身体に水をかけたり、辺りに燃え広がっていた焔を消したりする。対向車線から続々と応援の機動隊員たちが駆けつけてきて、盾を突き、威嚇発砲を始めた。
誠は立ち上がり、日章旗を高く掲げた。マイクを片手に、デモ隊に対して演説を始める。
「デモ隊諸君! ついに来るべきXデーが到来したのだ! しかし怖気づくことはない! 機動隊員たちが既に反撃を始めている! 我らがデモ隊を攻撃してきたのは、見たところ二台のワゴン車に乗ったテロリストどもだけ、しかもみんな爺や婆ばっかりだ! 愛国者諸君、反撃を始めるのだ! 我らが麗しい祖国を、断じて在日どもの手に渡してはならない! 起ち上がるのだ!」
あちこちから焔の立ち昇るなか、ビル風に翻る巨大な日章旗を掲げ、頭から血を流して叫ぶ誠は、念仁からしても英雄のように見えた。
「たとえ我々の何人かが戦陣に
そして演壇の上に落ちていた礫を手に取り、左翼団体へ
「朝鮮人を――――ッ、日本からァ――――ッ、た――――たき出せェ――――ッ! 東京湾にィ――――ッ、ほォ――――り込めェ――――ッ!」
途端に、デモ隊たちは何かに覚醒した顔となった。
「そうだそうだあっ! 戦争だあっ! うぉーっ!」
「我々も嫌韓君のあとに続け! 今こそ鬥うときだ!」
「朝鮮人を皆■しにしろぉーっ! 今こそ、皆■しにしろぉーっ!」
――
デモ隊たちは蝋燭やら礫やらを手に取り、左翼へ向けて次々と投げ始める。ほとんどは目標へと到達せず、その手前の機動隊員たちの上へと落ちていった。現場指揮車に取り付けられたスピーカーから警告の声が発せられた。
「デモ隊諸君! 物を擲げるのをやめなさい! 君たちの行動に機動隊員たちは迷惑している!」
そうするあいだにも、現場指揮車のほうにも礫は飛んできた。
「物を擲げるのをやめなさい! 物を擲げるのを――やめろっつってんだろこの野郎!」
機動隊員たちは、デモ隊の行動を止めようとして警棒や盾を振う。デモ隊も反撃して日章旗の竿や礫などで殴りかかる。
誠はなおも煽動を続けている。
「反日極左の在日どもと反日極左で在日の警視庁が我々のデモを妨害しているぞ! 戦うのだ! 反日極左の在日と反日極左で在日の警視庁を日本から叩き出せ!」
銃声が聞こえてきた。誠のすぐ隣を、目に見えぬ速さで何かが飛んでいった。ぎょっとして目を遣ると、ワゴン車の中からライフルの銃身が突き出ていた。
「おい嫌韓、伏せろ! 鉄砲だ!」
誠は慌てて演壇の中へと身を隠す。再び銃声がして、誠の上を風音が切り抜けていった。
「おのれ、憎しみの在日どもめ! 種子島まで持っていたか!」
「おい、嫌韓君――たから、そろそろ逃げなきゃ――」
「ニゲナキャ? 何だその言葉は? 日本語で言ってくれ。」
誠は、再び演壇の縁から敵を窺った。
機動隊員や特殊警備車輌へと銃撃を加えながら、ワゴン車は静かに動き始めた。対向車線へと移動し、南のほうへと走りだす。
「畜生! あいつら、ニゲルぞ!」
言うなり、誠は街宣車から駆け降りた。念仁もそれに続く。
周囲は混乱を極めていた。あちこちで火炎瓶の焔が燃えている。倒れて苦しむ人々がおり、機動隊員と殴り合う人々がおり、呆然としたままおろおろしている人々がいる。
誠は街宣車の後部座席のドアを勢いよく開けると、その中から小さめのリュックサックを取り出した。
「何でさっきこれを投げなかったんだ!」
誠は周囲を見回した。ワゴン車は、今度は『聞け万国の労働者』を大音量で流している。
第三車線にはこの騒ぎで停車した車が連なっていた。ワゴン車を追いかけ、機動隊員たちもまた続々と対向車線へと出る。聞こえてくる『聞け万国の労働者』から察するに、ワゴン車はデモ隊の後方へと遠ざかっているようだ。
「畜生! 遠すぎる!」
言うなり、対向車線へと駆け出していった。一体、何をするのだと思った。曲がりながらにも、二晩も部屋に泊めてもらい、東京のあちこちを案内してもらった仲だ。念仁は誠のあとを追った。
対向車線を走行していた車は、この騒動で完全に動きを止めていた。その合間を、デモの参加者や野次馬が逃げて行ったり、あるいは機動隊員たちがワゴン車を追いかけて行ったりしている。ワゴン車のほうからは、時として銃弾が飛んできて人々の頭の上を掠めていった。
路上に停まった車に身を隠し、誠は前方を窺っている。
念仁もまた誠の隣で身を屈め、そして問う。
「一体、何をする気だよ、お前は?」
「何って、
「
「機動隊どもには気づかれるなよな。でなきゃ、攻撃ができない。」
何を言われたか最初は分からなかった。
「攻撃――って。あの
「金本がいたんだ。あの左翼ババア、やっぱり金本だったんだ。」
どこかからか爆発音が二つほど聞こえてきた。あの左翼ババアとは、先ほどまで演説していた老女のことか。それが――かつて誠に傷を負わせたという教師と同一人物だったのか。
「けれどもー、攻撃するって――一体、何でそんなこと?」
「日韓の左翼どもを皆■しにするって言ったの、お前だろうが? 国のために命を散らす覚悟のないやつは、その国に住むべきじゃないっていうお前の言葉、随分と身に沁みたぜ。」
念仁は驚愕した。そんなことは言っていなかったはずだ。
「あ、そうそう。これがなきゃお前も攻撃できないよな。」
誠はリュックサックの中からビニール袋を取り出し、三つ四つほど何かを入れた。そして、持っとけよと言い、念仁へと渡す。
ビニール袋の中には、手のひらほどの大きさの罐が数個入っている。罐は濃紺の塗装がなされており、銀色の蓋が輝いていた。しかし、そのどれもから導火線のようなものが伸びている。
「おい――これー、ただの煙草の罐だよな?」
恐る恐る問うと、誠は不機嫌そうな顔をした。しかしやがて納得したような顔となり、ああ、そうか――と言った。
「そういえば、朝鮮では知られていなかったんだな。まあ、日本人でも、俺の年代じゃ知ってるやつのほうが少数派か。――これは左翼を皆■しにするための武器だ。煙草の罐から作った。」
念仁は手元のビニール袋と誠の顔とを交互に見比べる。遠くから聞こえる爆発音と銃声と悲鳴――そして革命歌の演奏が耳に迫った。誠はどうやら本気でこれを爆発させるつもりらしい。
「と、とうして――とうして、こんなものを?」
「かつて日本のパルゲンイどもはな、暴力革命のためにゲリラ戦を展開する方法を書いた本だとか、身近な材料から爆弾を作る方法を指南した本だとかを地下で出版していた。俺の部屋の本棚にもあっただろ? 『球根栽培法』と『腹腹時計』がそれだ。連中は、自らが開発した武器によって死ぬのだ。」
誠の部屋にあった本のことを今さらながら思い出した。あれは、家庭菜園の本でもなければ時計の本でもなかったのだ。よく考えてみれば、誠が珈琲を沸かすために使用していたフラスコやアルコールランプも、理科の実験で使用されるそれと同型であった。
「あ、俺ー、そろそろ宿のチェッキンの時間だわ。――」
白々しくそう言い、念仁は踵を返そうとする。
「ちゃあな。ちょっと俺ー、一旦宿に帰らなきゃいけねえんだよ。」
そんな念仁の襟足を、誠はがっしりと掴んだ。首筋に痛みが奔る。脂肪で隠されていたためか、あるいは脂肪がついているゆえか、意外にも怪力であった。
「逃げてんじゃねえぞ――お前もやるんだよ。」
そして、耳元で囁くように言った。
「俺たち、
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