Ⅶ よし――分かった。

茜差す夕陽が居間に充ちていた。テーブルの中央には東京都内の地図が拡げられており、黄昏の中で夕凪の海のような色に染まっている。その周りを取り囲むのは、猟人を中心とした老人たちである。


赤旗の前に坐り、猟人は腕を組んで言う。


「金田一の監視はまだまだ続いておるらしい。蹶起けっきの日までは、同志の誰にも接触しないように言っておいた。ただし幸いと言うべきか、蹶起の日には全ての同志が集まって来られそうだ。久々に、大規模なゲヴァルトが行なえることになる。」


しわだらけの梅干しのような顔に、誰もが満足そうな表情を湛えていた。


「金本同志、蹶起当日の連中の予定はどうなっておる?」


「――はい。」


アイパッドを片手に、佐代子は答える。


「主催者の男の呟器を確認するに、デモ隊は十八時半――日没と同時に淡路公園を出発するようです。それから、小川町を経由して万世橋へ、それから――」


言いつつ、地図の上を指でなぞりながら、デモ隊が立ち寄る地点の地名を挙げてゆく。


「――といったように、最終的に元の場所に戻ってきて解散するようです。」


「ふむ。」


佐代子が挙げた場所を、猟人はそれぞれ思い浮かべていった。


紅軍は三十六人、相手は千人――一見すれば衆寡しゅうか敵せずのように思える。ただし、紅軍が完全に武装しているのに対し、デモ隊は何一つ武器を持っていない。気にかかるものといえば、相手を取り巻く警察や機動隊たちである。


「東同志、こちらの武装はどんな感じだ?」


へぃ――と東は答えた。


「まず、鉄砲は村田銃むらたずうが一丁、種子島たねがすまが二丁あるだ。銃弾は全部で三十発すかないだな。ただ、火薬と実弾がら、あと四十発程度なら作るごとはでぎるだけれども。それから、罐入り爆弾を二十発、火焔瓶モロトフカクテルを三十発ほど作ることがでぎるだ。それを除けば、戦斗用のワゴン車が四台、とりあえずは現役で稼働でぎるぐらいすかねえだなあ。――」


紅軍は、ゲヴァルトのために改造したワゴン車を所有していた。外側から見れば何の変哲もないワゴン車であるが、実際は分厚い装甲と防弾硝子で守られており、爆弾や火焔瓶をゴム仕掛けで射出する武器や、銃眼、連絡用の違法無線、街宣用のスピーカーも隠されている。これだけの改造が施されておきながら、役に立ったことはない。


東の言葉に猟人は引っ掛かりを覚える。


「なぜそんなにも武器が少ないのだ? いや、爆弾などの原料が少ないことは理解できるのだが――いくら何でも種子島というのは酷くないか? いつだったか、ウィンチェスターとかレミントンとかを購入したはずではないか。」


「それ、もう二十年前に資金力の足すにするっで目的で売っちまっただよ。大体、それを指示すたのは中央委員長同志でねえか。」


言われて、猟人は思い出す――資金力確保のために必要最低限以外の武器を売るよう指示したのは、確かに自分であった。どうやら記憶力に衰えが見られ始めているようだ。


「そうか――儂はそんなことをしておったのだな。」


強い悔恨の念があった。たとえどれだけ乏しさに喘ごうとも、革命を実現させるための手段は売るべきではなかったのだ。


猟人はテーブルの上に拡げられた地図へと視線を落とす。どうやったらデモ隊を効率よく殲滅することができるのか、しばし考える。地図の上の細い道路を、デモ隊が蟻のように行進してゆくのを想像する。


「デモ隊は、車道と歩道とのあいだを行進してゆくのだな?」


誰に向けるでもなくそう言うと、東が、まあそうだなと答えた。


しかし、銃があまり役に立たなさそうだということに気づくまで時間はかからなかった。猟人は、それまでの憂鬱が急激に晴れるのを感じた。撃滅は意外にも簡単そうだ。


「よし――分かった。」


猟人のその一言に、同志たちは視線を寄せる。


「デモ隊を警護する国家権力の犬どもを除けば、今回のゲヴァルト目標は武器を持っていない。ましてや、デモ隊は歩道と車道のあいだを細々と行進していくのであろう。もしその先頭を足止めさせることができたならば、やつらは全体的に身動きが取れなくなる。」


ほう――と東は言った。


「現在、紅軍は全体で三十六人である。そしてゲヴァルト用のワゴン車が四台。ということは、一台につき九人を乗車させる形で、全体を四つの部隊に編成することができる。――」


猟人は須臾すこしのあいだ地図を見つめ、考えを整理する。


「まずは、紅軍の半分の人員と二台のワゴン車を『レイシズムに反対する市民の会』へ偽装させるのだ。当日、淡路公園を出発したレィシストの豚どもは、しばらくは泳がせておく。そして、『レイシズムに反対する市民の会』の手によって、この地点で足止めをさせる。」


言いつつ、猟人は地図の一角を指さす。頭には、ネトウヨはアニメオタクだという佐代子の言葉があった。ならば、ここで攻撃を行うことは社会にとっても意味がある。


佐代子は、つと視線を上げた。


「そんな簡単に足止めできますかね? 千人もの人間を。」


「レイシズムに反対する市民の会」を指導するのは佐代子だ。その心配ももっともである。


「もちろん、骨の折れる話ではあるだろう。やつらには警官や機動隊も随伴しておるしな。足りないのであれば、もっと多くの同志たちを動員してもいい。ともかくも、最初は投石やゲヴァ棒などによる妨害活動で、デモ隊を喰い止めるのだ。」


「最初は――武器は使用しないんですの?」


「ああ。あくまでも、最初は普通の暴力斗争を装う。」


無論、暴力斗争に普通も何もあったものではないのだが。


「あとの半分の部隊は――?」


「デモ隊の対向車線側に配備しておく――ちょうど、デモ隊を横から攻撃できる地点にな。」


東が何かに気づいたかのように言う。


「デモ隊の前と横からゲヴァルトをかけるわけだか?」


「そうだ。ゲヴァルトを仕掛けるのは、『レイシズムに反対する市民の会』の手によってデモ隊の行進が止まり、前のほうへと人が集まってきたときだ。攻撃が始まったら、四台はワゴン車を発進させて、デモ隊の前のほうから後ろのほうへと移動しながら火炎瓶や爆弾を投げてゆく。ゲヴァルトが終われば、そのまま横道に逸れて逃走する。」


「――ほう。」


「デモ隊に対して、鉄砲は基本的に使わない。どうせあまり効果はあるまいし、弾薬も少ない。使用するのだとしたら、武器を持っている官犬かんけんどもに対してだな。ひょっとしたら銃撃戦が行なわれることになるのかもしらん――無駄撃ちはするな。そうしてレィシストの豚と官犬どもを殲滅したあと、我々は真麻山まで逃走するのだ。」


その場にいた誰もが、猟人の作戦を熱心に聞いていた。言い終えたあとは、凪のような静寂が訪れた。猟人の作戦に、誰も異議は唱えなかった。むしろ、長年に亘って紅軍を率いてきた中央委員長への尊敬の眼差しが、今になって蘇ってきたかのようであった。


「さすが、中央委員長同志は論理的だ!」


東は感嘆の声を上げる。他のメンバーも同意して声を上げる。


「異議なし。」


「異議なし。」


「異議なし。」


自分の作戦がすんなりと受け入れられたことと、尊敬の念が再び寄せられたことを感じて、猟人は満足した。頭の中には既に、燃え上がるような革命の旗と、爆焔と共に夜空へと舞い上がるデモ隊・官憲の姿がある。これぞ、我々が世界中の全ての同志に対して捧げる、世界同時革命の嚆矢なのだ。


一方で――。


心は浮き立っていたが、必ずしも期待ばかりではなかった。なぜか、言い知れぬ不安が見え隠れしている。それがなぜかは分からない。作戦は論理的だ。失敗するようには思えない。しかし、得体のしれない不安がつきまとっている。


それは、自分の考えてきた作戦が、今まで一度も成功したことがなかったからなのかもしれない。

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