Ⅳ 端的に言えば、そういうことだ。

金田一が公安警察にマークされているという情報が入ってから、何日か経った。


夜闇に押し潰されそうなほど傾いだその日本家屋に、猟人を含む十人ほどの幹部が集まっていた。彼らはいつものように居間のテーブルの左右に坐り、猟人の話に耳を傾けている。


そういうわけだ――と猟人は言う。


「公安がこのアジトを嗅ぎつける可能性は高いと言える。いや、恐らくはもう時間の問題であろう。それに備え、新たにアジトを移す計画を立て、退却に備える必要がある。」


その場にいた誰もが難しそうな表情をした。


革命戦士の一人が声を上げる。


「しかし――退却すると言っても、どこへ退却するのです?」


真麻山まあさやまの奥深くに隠した山岳ベースを考えておる。もちろん、もう何十年も放置してあるし、そこへ辿り着くのも骨が折れることではあろう。しかし、退却後の秘密基地としては申し分ない。」


「そこを今から綺麗にして、発覚したときに備えるわけですか。」


「そのとおりだ。」


「紅軍の全員を収容できますか?」


「それには問題がない。もしもガサが入ろうものなら、全員に連絡を入れて逃走し、真麻山の麓に集結するわけだ。だが――」


猟人は言葉を区切り、険しい表情となる。


「しかし、真麻山に退却したあとはどうなるのか? そこで、ただひたすら老死してゆくのを待つだけなのか? もしそうなったら、今よりもっと惨めな生活を送り続けることになるであろう。」


革命戦士たちは表情を引き締めた。


「真麻山の山岳ベースは森林に囲まれた山奥にある。人里へ出るのも精一杯だ。街へ降りてデモを行うことも難しくなる。そこで死ぬまで自給自足の生活をしてゆくことに、何の意味があるのか?」


我々の目的はそんなことではないっ、と猟人は啖呵を切る。


「日本において農村部ゲリラ戦が役にも立たないことは、既に代々木よよぎ派が証明している。もし退却するのだとしたら、世間に大きな撃滅を与えてからのほうが有意義である!」(代々木派=日本共産党)


別の同志が訊ねる。


「それは、新たにまたゲヴァルトを行うということですか?」


「端的に言えば、そういうことだ。」


おずおずと意見を口にしたのは、奥田であった。


「けれども――我々の行動が公安にバレたとは、まだ決まっていないのではないですか?」


ナンセンス――と誰かが突っ込みを入れた。


「そのとおり、ナンセンスだ。」猟人は口先を尖らせる。「お前は反動権力の恐ろしさを知らんから、そんなことが言えるのだ。秘密保護法や共謀罪の成立などを見てみろ。反動権力どもの目的は、人民の生活を監視するファシスト社会を成立させることなのだ。無産階級プロレタリアトの味方である我々のことを、奴らが憎く思っていないはずがなかろう。じきに白色テロの嵐が吹き荒れることとなる。」


そのとおりです――と佐代子が声を上げた。


「そうでなかったとしても、反動権力の陰謀によって同志たちは高齢化しつつあります。このままでは、我々は何もしないままやがて壊滅してしまうのかもしれません。」


「そうだ!」猟人はひときわ大きな声を上げる。「そうなる前に――社会矛盾が止揚アウフヘーベンしつつある今だからこそ、革命の嚆矢こうしが放たれたことを国内外の無産階級プロレタリアトたちに報せる必要があり、そのために、紫陽花あじさいのように咲き誇る紅い爆焔を上げるのだ。」


「「「「「異議なし。」」」」」


複数名のメンバーが、ほぼ同時にそう言った。


波のあとに凪があるように、その場が少し静まり返った。


「さて――そうと決まれば、ゲヴァルト目標をどこに定め、どう行うかが問題である。遺憾なことながら、我々にはあまり体力が残されていない。けれども、できるだけ大勢の無産大衆に、革命の烽火のろしが上がったのだということを伝えたいものだ。」


猟人は革命戦士たちを見回す。


「首相官邸や国会議事堂など、儂も色々と考えてはみたのだが、どうもどれもパッとしないものばかりだ。何かいい案はないだろうか?」


しばらくは、柱時計が時を刻む音のみが聞こえていた。


ややあって、革命戦士の一人が発言をした。


「首相官邸や各省庁、それとブルジョワ企業に爆弾を送りつけるっていうのはどうだ? これだったら、あまり労力はいらんと思うのだが。とにかく爆弾を送り続けて、それで、ばれたら逃げるんだ。」


「それは儂も考えたのだが――」猟人は首を捻る。「外務省での一件以来、霞が関も郵送物には警戒を強めておるだろうなあ。それに、それだけならば山岳ベースに逃走したあとからでもできるだろうし。もう少し、今だからこそできることをやりたいものだ。それに、いまいちインパクトも弱いように思う。」


別のメンバーもそれに同意して言う。


「確かに、中央委員長同志の言うとおり、もうちょっとインパクトが弱いように思うな。どうせなら、首相官邸や国会議事堂に突撃するくらいやりたいものであるが。」


突っ込みを入れたのは佐代子であった。


「それこそ、今の同志たちには無理でしょ。首相官邸も国会議事堂も、今は警備が厳しくって突撃なんてとてもできないわよ。」


言われて、そのメンバーは苦しげな表情をする。


「それじゃあ、帝国主義企業や証券取引所を襲うとか――」


だけれどもと、幹部である老女の一人が言う。


「国会議事堂を襲うとか、帝国主義企業を襲うとか、何だか何十年も前から同じことやってねえか? インパクトが弱いって思える理由は、それでねえかと思うんだよ。どうせ革命の烽火を上げるっていうんなら、もっと流行に乗ったトレンデーなことしたいなあ。」


再び、その場は静寂に包まれた。


確かに、紅軍の行動は数十年前から似たようなことの繰り返しであった。彼らはこうして半世紀以上も前から、今こそ革命が始まるのだと騒ぎ続けていた。何よりも、そんなことをやっても彼ら自身が面白いとも何とも感じられないのだ。


静寂を破ったのは、東であった。


「そういえば佐代子さん、インダーネットとがやっどるでねえか。何か、そういっだトレンデーでオサレな問題とかねえだか? 例えば――そうだな――最近、ヘィトスピーチとが何とがっでいうやつが問題になっでるって聞いたこどあるだ。それ、インダーネットと何か関係があるだがっではなすだげれども、違うだか?」


「まあ――違わないこともないわね。」


「というと?」


「前にも言ったとおり、ネットっていうのは底辺階級ルンプロの掃き溜めなの。特に問題なのはネット右翼――いわゆるネトウヨと呼ばれる連中ね。こいつらは、ネットで安全に中傷を行えていたことで勘違いして、現実でも徒党を組んで似たような暴言を繰り返しているの。」


「ははあん――なるほどなあ。」


何が何だか分からなかったが、東は分かったような顔をする。


「そうだ――ヘィトスピーチで思い出したわ。ちょうど一週間後に、南朝鮮との国交断絶を主張するデモが都内で行われるんですって。」


佐代子の言葉に、猟人は首をかしげる。


「日本と南朝鮮が国交断絶して、何がどうなるっていうんだ?」


「さあ――何をしたいんだか。ただ、日本と南朝鮮って、最近は色々と外交上の問題を抱えているわけでしょう? それで、坊主難けりゃ袈裟まで憎しというわけで、国交断絶を主張しているわけですよ。来週のデモでは、千人が集まるって話ですけど。」


猟人は目をまるくし、千人、と叫んだ。


「本当に、ばかだな、そいつら。」


左様でございますわね――佐代子は深くうなづく。


「ちなみに、その主催者の男の莫迦っぷりも凄まじいですよ? 実際に見ていただければ、どんなやつかは分かると思いますが。」


佐代子はアイパッドを取り出した。インターネットに接続し、誠の呟器へとアクセスする。


「これが、その男のホームページみたいなものなんですけれどもね。」


インターネットにほとんど触れたことのないメンバーたちに対して、佐代子は、呟器とはどういうものかということや、このサイトが煽動に使用されていること、そして誠のつぶやきなどを丁寧に説明してゆく。言うまでもなく、誰もが嫌悪感に充ち溢れた目をしていた。


特に狼狽の色を示したのは、猟人であった。


「こっ――このような莫迦な男の呼びかけで、千人もの人間が集まったというのか!? 大体からして、どうしてこの莫迦は女児向け漫画の画像を先頭に貼り付けておるのだ? ただの莫迦ではなく、もはやパーフェクトではないのか?」


「それは、ネトウヨというものがアニメオタクだからですわ。」


佐代子の顔は煤けた笑顔に彩られていた。


「先ほども申し上げましたように、ネトウヨというのは人種差別を熱心に行っている底辺階級ルンプロなんですよ。生活への不満を革命へ向けるのではなく、人種差別へと向けているわけです。そんな彼らがこよなく愛しているのが――女児向け漫画なのです。」


「いや、いくら何でも――それは――」


「信じられないかもしれませんが、事実です。底辺階級ルンプロどもにとって、女児向け漫画の可愛らしい世界観は心地のいい現実逃避をもたらしてくれるのでしょう。ネット上で反動主義的言動を行っている者の呟器や、そういった情報が載せられたサイトには、女児向け漫画の画像や宣伝広告などで充ち溢れていますよ。」


猟人は絶句していたが、やがて顎に手を当てて何事かを考え始めた。


「なるほど――ネトウヨはアニメオタクだったのか。」


「ええ。特に、レディを朝鮮ババアなどと呼ぶネトウヨは。」


佐代子は目をぎらぎらと輝かせていた。


「ちなみに、その男は、自らが行なっている憎悪示威ヘィトデモの映像をインターネット上にいくつも公開しています。そうすることによって、親派シンパを増やそうという卑怯かつ姑息な作戦ですけれども。」


佐代子はアイパッドを操作し、動画サイトへとアクセスする。


「これが、その動画の一つですわ。」


佐代子はアイパッドをテーブルの中央へと置いた。


動画には、歩道の上に屯する七、八名ほどの若者が写っていた。「在日朝鮮人への優遇措置を即刻廃止せよ!!」と書かれた横断幕を手にし、背後にはいくつもの日章旗が翻っている。


先頭に写っているのは、ドラえもんのように太った男である。


「この手前の男が、デモの主催者ですわ。」


佐代子はその手前の男――誠を指さす。


同時に演説が始まった。


「いいですか、みなさん! 今、日本にはですねえ、五十万の在日がおります! この在日どもときたら、不法入国者や犯罪者の子孫であるにも拘らず、いつまでもいつまでも日本に居坐り続けて、日本人の土地と税金に寄生しながら生活し続けとるんですよ! このクソチ■■コどもはねえ、差別だなんだと騒いでは日本人から金を毟り取ったり様々な優遇措置を受けたりしております! 犯罪をしても強制送還もされない、優しい新聞は本名を報道しない、役所に行けば日本人より優先して生活保護を支給され、ИНКの電波料金や水道料金は免除! 自分たちを強制連行の被害者だと嘘を吐き、ひとたび差別を言いわけにすれば、ありとあらゆる特権が手に入る! 本当にこれでいいのか、日本人!」


よくないぞおっ――と周囲から同意の声が上がった。


「我々はですねえ、このチ■■コどもに対して日本人として当然の声を上げとるんですよ! それなのにこのレッテル貼りしかできない在日工作員の左翼どもときたら、自分に都合が悪いとヘィトスピーチだのレィシストだのネトウヨだのとレッテル貼りをしてくる! じゃあ、お前らのその犯罪率の高さは何なんだよ! アメリカを見てみろよ――何年に一度かの割合で、白人の警官によって黒人が殺されてるだろうがよ! 朝鮮人に対する差別が深刻だの何だのとは言うけどなぁ、在日が差別によって殺されただなんて話は聞いたことがねえぞ! 日本、むっちゃ平等な社会じゃねえかよ! 在日によって日本人が殺されるってのはよくあるけどな!」


そうだあ――と一際大きな声が上がった。


動画を視聴している最中、革命戦士たちの誰もが、唇を固く結んでいた。彼らにとって、そこに写っていたものは、この世にあってはならないものであった。憎悪の言葉を恥じることなく吐き散らかし、正当化している存在を、彼らは彼ら自身以外の人間で初めて見た。


それからも誠は、画面の中で似たような憎悪の言葉を吐き続けた。通行人たちのほとんどは、何も見なかったような顔をして通り過ぎてゆく。しかしそのうち、デモ隊の前に一人の高齢男性が立ち止った。


「――るっせえぞ手前てめえら!」


「何だとこのジジイ! 貴様、在日朝鮮人か!」


誠は素早くその高齢者の胸倉へと掴みかかった。他のデモ参加者も老人へ駆け寄る。警察官が誠とデモ参加者を止めようとする。一瞬、画面は揉みくちゃとなった。老人が路上へと倒れた。警察官は老人を守ろうとし、誠とデモ参加者を引き離そうとする。警察官の腕に掴まれつつも、誠はなおも老人を罵倒し続ける。


「この在日朝鮮人! 貴様、反日極左かぁっ!」


他のデモ参加者も、それに同調して叫ぶ。


「そんなに日本が厭なら出ていけよぉっ!」


「半島に返れよ、この反日不逞鮮人!」


「そうだ、帰れ帰れえっ! 反日工作員を日本人は許さないぞ!」


許さないぞぉっ――マイクを片手に、誠は高らかに叫んだ。


「チョ――センジンを――ッ! 日本からァ――ッ、タァ――タキだセェ――ッ!」


呼吸をぴったりと合わせて、燃え上がるような声が上がる。


「「「「タァ――――――――タキだセェ――――――――ッ!」」」」


「東京湾に――――ッ、ほ――――リこめェ――――――――ッ!」


「「「「ほ――――リこめェ―――――――――――ッ!」」」」


警官の手によって、老人はどこかへ連れられて行った。


動画はそこで終わった。


革命戦士たちの誰もが、慄然とした表情をしていた。


獣のように歪んだ顔が、金切り声とともに網膜に焼きついていた。


しかし、それは同時に懐かしい熱風の感触でもあった。紅軍の斗争は、かつてこれに負けないほどの発熱を以って吹き荒れていた。火焔瓶を投げ、爆弾を爆発させ、放水車が作る雨のなかを機動隊と殴り合った。自分を正義の使徒と信じて疑わなかった論理ロジックと暴力の日々――それが青春というものであった。しかし、あの昂奮が今や反動主義勢力に奪われているとは――どういうことか。


「ご覧になっていただけたでしょう?」


佐代子は妙ににこにことした表情で言う。


「反動主義のネトウヨどもがいかに暴れているかということは、これでお分かりいただけたかと思います。さらに問題なのは、この莫迦を支持する人間が大勢いることです。」


佐代子は動画のコメント欄を猟人に見せる。既に二千以上ものコメントがついていた。


批判的なコメントはあまりなく、ほとんどはデモを称賛するものであった。在日朝鮮人へ一矢報いたことに対する祝辞、自分の気持ちをよくぞ代弁してくれたという感謝、朝鮮人や朝鮮半島に対する痛烈な批判――。読んでいて、猟人は絶望を覚えた。てっきり、差別的な内容の演説や、老人に暴力を加えたことに対する批判が書き込まれているのかと思っていたからだ。


「――まさか、ここまで日本人が莫迦になっていたとはな。」


猟人のその涸れた声は、濃厚な重みを持っていた。革命戦士たちの誰もが、沈痛な顔でその言葉を受け止めた。しかし、内面では静かな熱が湧き上がるのを感じていた。ガソリンの香りの漂う赤色テロの現場が、急激に懐かしく思えてきたのだ。


「それで――この莫迦に乗せられた人間が、千人も集まると?」


「ええ、千人も集まりますわ。」


佐代子は挑発的な笑みを浮かべる。


「どうします?」


「決まっておる。」


猟人は深く首を下ろした。


「もはや、公安にばれようがばれまいが関係はない。言葉の暴力には、血潮の暴力を以って鉄槌を下さなければならない。今度のゲヴァルト目標は、こいつらだ。」

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