第38話 良くも悪くもそこに在るもの


「お前の父ちゃんがわりぃよぉ……」


 掌の隙間から、絞り出すように俺は告げた。


 それは。それはお前の父ちゃんが悪い。


 それ以外なにが言えンだよこれぇ……。


「誓って言うが、遊ぶ金欲しさではない。父は、父はただ……」

「おン、おう。わかる。わかるから……」


 わかる。超わかる。


 わかるからやめてくれ……。


 ハコ、、ができるまではわき目もふらなかったんだろうこと。別段、先の見通しがたたねぇわけでもなきゃ、「これは必要な、大事なカネだ」がわかってなかったわけでもねぇこと。


 わかる。手に取るように。


 ただ。


「魔が差したんだ……」

「うん……」


 思っちまったんだな。


 いざハコができて、その日暮らしの旅くらしじゃ絶対に感じれないことを。


 「デカいカネを動かせば、思い通りに、思ってもないような大事おおごとが進む」ってのを、実感しちまって。


 さて、あとはこまごま揃えるだけだ。そうすりゃ仕事が回るようになる、って、わかったときに、手元に残ったカネを見て。


 思っちまったんやな。


『これが増えれば、もっと思い通りに事が進む』ってよ。


「父は、父は強かったんだ。『仮面舞踏会』の名手だった。辻で指すショーギで負けなしだった。――幼い私を食わせながら、流浪して生きれるほど、強かったんだ」

「ああ……」

「私も、教わった。教わったんだ、ショーギを、父に……」

「ああ、そっか。そうなんか……」


 こいつの。


 こいつの、序盤ができて後がさっぱりのショーギは、それか。


「だが、父は、父は、この町で負け越した……」

「……」


 相性が、悪かったんだな。


「序盤で、押し切るショーギだからだ」

「……?」

「おめぇの、――おめぇの習った、おめぇの父ちゃんのショーギは、一発芸なんだよ」


 なるほど。現代の将棋指しでも舌を巻くような相矢倉の名手。強い。初めて辻で指したならまず勝てねぇ。


 底が見えねぇからだ。


「お前の父ちゃんと指したショーギ指し達は思ったはずだ。『だめだこりゃ。こいつはつぇえ。勝てねぇ。無理だ』って、な」


 ショーギは、負けを認めたら負け。


 負けを認めさせたら、勝ちなんだ。


 そして。


「負け方の汚ねぇショーギは、勝っても負けても楽しかねぇからな」

「……」

「辻の遊びごとで大事なのはそれだ。楽しいこと、、、、、だ」


 だから勝てたんだ。


 そういう場だったから。


「お前の指し方で勝てるのは『楽しく勝ち負けしたい奴』だけだ。――生き汚い奴に付きまとわれたら、地力の勝負になったら、通じねぇ」


 そして一度でもリキがわかれば、それはたやすく広まる。


 信用を失うんだ、、、、、、、


 町を渡る暮らしだから、続けられたんだ。


 タネが知れても、おさらばできるから。


「ばれたら終わりだったんだ」

「……その、通りだ」


 そもそも、だ。


 ショーギの局面は千差万別に変化する。そしてその変化は終盤になるほど多岐にわたる。


 それを学ぶには、『流浪のショーギ指し』なんてのは無理がある。


 むしろ相矢倉をモノにしただけ大したもんなんだ。


「終わりだが、だが、お前の父ちゃんは、大したもんだ。実際、大したもんなんだ。その日暮らししながら相矢倉収めるだけで、立派だ。自信をもって、いいくらい」

「……」

「……自信を持っちまったんだなぁ」


 できる。と思ってしまった。


 もっとできる。と。


「父は……」


『もっといい明日を賄えるはずだ』と、夢見てしまった。


「……ただ、道場の盤駒を、豪勢にしたかったんだ。そうすれば、きっと、しないよりましに、客入りがもっと良く、なるはずだと」


 そして。


 こいつの父ちゃんは負けた。


「『赤鬼ウベルド』と父は呼ばれていた。――赤毛で、負けると大酒を飲んで赤ら顔でクダを巻くから」

「……」

「借りたカネはきっとあっという間に溶けたんだろう。あとはその日をしのぐためのショーギになった。勝っても一日二日、息をつけるだけの勝ちにしかならない。日に日に負けが込んでいく。その度飲んで、正体を失うほど飲んで。――そしてある日、酔って往来でつぶれた父は、夜半に馬に踏まれて、胸をつぶして死んだ」


:::


「そのあと私は、プブリオに引き取られた。読み書きをそこそこに教えられて、商会の荷付き場の下働きをして暮らした。今の職につくまでな」

「……あのさ。つかぬことをうかがうけどよ」

「……」

「この国の官憲ってのは、そのよ。みなしご、、、、でもホイホイなれる――」


 わけねぇわな。


「……口利き、してもらった」

「お前さ。二度と旦那にたてつくなよマジで」


 かわいそうだよ。


 ただの篤志家じゃねぇかよ。あの旦那。


 むしろタダもんじゃねぇ篤志家だよ。

 

 立派な人だよ。


「で、あれだろ? 旦那は借金チャラにしてよ。貸した金の半値にもならねぇこの道場でお前を自由にするって言ってんだろ?」

「うん……」

「で、なんでそんなに道場にこだわんだよあの人」

「……町に、娯楽があるほど、みんな笑顔になるからって……。自分だけ金儲けしても、周りが幸せじゃないと意味ないから、って……」

「邪魔してやるなよ」


 せめて邪魔すんのに俺を巻き込むなよ。


「お前が悪い。全面的にお前とお前の父ちゃんが悪い。というか実質育ての親だろ。地獄に落ちるぞお前。なんだ? 反抗期なんか?」

「その点は感謝している。今でも家に食事に来いとか言われるのはちょっとなんかアレだが。もう一人立ちしたのに」

「行ってやってくれよ。頼むよ。もう俺が頼むから」


 お前が一言言ったら解決じゃん。


 なに? なんだよこれ。馬鹿か?


「お前が悪いよ」

「……」


 馬鹿だコイツ。マジで。


 庇いようがねぇ。コイツとコイツの親父が悪い。完全無欠に。コイツが自分の口から言ってこれなんだから、旦那側の言い分聞いたらもっと悪くなる可能性すらある。


 なんでこんなに馬鹿なんだコイツ。


「わかってる……」


 なんで、そこまでわかってて、自分でも理解してて。


「……父が悪いのも、私が間違ってるのも、全部わかってる」


 泣いてんだコイツは。


「わかってる。わかってる。言われなくてもわかってる! 最初からわかってた! そうだ! お前なんかに言われなくても、わかってるさ! 父が悪いんだ! 馬鹿だったんだ! 間違ってたんだ! 変な、変な夢を見なきゃよかった。――道場が持てるだけでも、夢みたいな話なのに! そこからもう一つ欲をかくなんて! 馬鹿だ! 間違ってる! 大馬鹿だ!」


 クソ、クソ。よく泣く女だ。クソ。


「私は、私はどうなる! 馬鹿だ。あんな。もうちょっとで、全部うまく行ったじゃないか。なのに。馬鹿、馬鹿だ。ショーギなんか。賭けショーギなんかで。シンケンだかなんだか! そんなもので死んで!」


 大声でわめきながら。


 床を何度もたたきつけながら。


「ショーギなんて。ショーギなんて。嫌いだ! こんな、こんなことで一生懸命になって!」


 あの日、俺とコイツとで指した日の、瞳の奥に燃えていた炎が、あった。


 爛々とマグマみてぇに燃えていたそれが、噴き出していた。


「引き取られてからの方がずっと楽に暮らせた! 布団で眠って、食事に困らなくて! 仕事ももらえて! ずっと楽になった!」


 こいつの、怒りが。


「こんなものに夢中になるから!」


 叩いて、わめいて、ぼとぼと涙を床に落としながら。アルフォンシーヌがわめく。


「――でも」


 目の奥の怒りが、粒になって、床に落ちて、はじけて散って。


「私まで『父さんは馬鹿だった』なんて、言えない……」






「そんなの父さんが可哀そうだ」





「馬鹿だけど、間違ってたけど、私の」





「私の、お父さんなんだ――」







「あなたが死んで、全部諦めたら、うまく行きましたなんて、言えない」


 ああ、やめろよ。


「間違ったことでも、無駄なことでも、してあげたい」


 勘弁してくれ。


「父さんだから」


:::


「もう、今日は、帰れ」


 ああ。


 クソ。


「帰れ。今すぐ。俺は寝る」


 クソ。畜生。くそったれ。ろくでもねぇ。


 好き放題言って。のどをからして。ひんひん鼻をすするアルフォンシーヌを、追い返して。


 俺は寝た。


――嫌な夢を見る気がしながら。

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