第36話 灯下に二人
塒に帰り、盤駒を並べる。
ランベルトとの対局。それで推し量ったこの国のショーギの『進み具合』を手放す前に、しっかり身に浸み込ませておかなくちゃあならねぇ。――あれだけ
「アーアー、スグショーギするナ。先、メシ。スグ作っからナ。ガマンセーヤ」
「作っとけ。出来たら喰う」
「オメーゼッテー離れねェナ。ショーギダメゼッタイ。メシの後」
「じゃあ要らねぇ」
「ンなわけアッカ」
うるせぇな。
「ゆっくり食ってからにしろよナ。ったくモー」
「――どうせそんな時間ねぇよ」
「あー? 何の用事ナ。なんでもいいけど今日はもう飯食って寝ろナ」
「俺の都合じゃねぇよ」
むしろ向こうから来る用事だ。
「その前にすまっせてェ」
「何の話ナ」
済むとも思えねぇが。
「あの赤毛に、もろもろ問い詰めにゃならんだろうよ」
長い話になりそうだ。
:::
結局、赤毛が塒にやってきたのは日が沈む直前だった。
――検討は半端だったが。まぁ、いいとしようや。
来ないかもしれねぇと思ってたからな、正直。
「……遅くにすまんな」
「感謝してほしいね」
行燈(っていうのが正しいかわからねぇ。油を張った皿に芯を落としてガラスをかぶせた、この国の照明だ)に灯をともしつつ応える。
「今日来なかったらどうしてやろうかと思ってたぜ」
「例えば?」
「お前の絵図をめちゃくちゃにしたり、とかな」
基本的に、だ。
俺は俺に乗っかったやつの事情なんざ興味はねぇ。そもそも、んなこと知ってようが知ってまいが、関係ないからな。
当然だが、俺が指してるのは趣味や道楽じゃあねぇ。
じゃ、ねぇし。もっといやぁ棋士のプライドだとか、矜持だとか、そういうのだって極論関係ねぇんだ。
将棋指しとしての『道』だとかなんだなんてのぁ、――真剣師には、一等縁遠い概念だ。
そうだ。
「俺は『真剣師』なんだぜ。アルフォンシーヌ」
「ああ」
「タニマチが誰と揉めてるだとか、何が欲しいだとか、それは俺の商売の外だ。思い思いにやりゃあいい。……クニじゃあ、なんやぁ『美学』だとか『道理』だとか抱えて仕事を選ぶやつもいたけどよ。少なくともそれは俺のやり方じゃねぇ」
勝って稼ぐ。勝てば儲かる。それさえ筋が立ってるんなら、俺の仕事の裏で何が動いてようがそれは俺の仕事じゃあねぇ。
だがな、俺だって気にすることがある。
「後に尾を引くような仕事なら、困るんだよ。なァ? 当たり前だろ?」
「わかる――」
「いいや、わかってねぇな。わかってねぇよ」
「わかっている、大丈夫だ。相手が大店だとしてもそう法外な賭け額にはならない。それに、お前に負け分がかぶさることもない」
「やっぱりわかってねぇじゃねぇか」
根本の、根本からよ。
「
ほんとコイツは何から何までずれてやがるな。
「勝つのは当然なんだよ。誰が負けの気を揉むかよ。あの旦那は
この辺一帯紐付きで。押しも押されぬ大旦那。
あれだけ指せるような『先生』を抱えてる、ショーギに興味津々な大金持ち。
「うっかりした勝ち方したらよ、俺の商売が立たなくなる。そうだろ?」
「だから、大丈夫だ。まさかあの男を傾けるような勝負ではない」
「
つい先日の、取り分についての話を思い出す。
――私が求めている分け前はこの袋の中にはない――
――用のあるヤツがいる、ウマを差すだろう金主に用がある――
「知らなくたってショーギに差しさわりはねぇ。お前が儲けようが、いくらの勝負だろうがな」
だが。
「お前の『用』の如何によっちゃ、商売に差し支える」
ゆらり、下から舐めるような灯りに、アルフォンシーヌが照らされている。
「俺はこいつで
「心配はない、と今ここで言っても、信じられないか?」
「今朝までは、それで呑ンでやったかもな」
そもそもこの女以外に伝手がねぇ。よっぽどでもなきゃ頭っから信じるほかねぇ。
「だが、ダメだ。お前がべしゃってねぇことが山ほどありそうだって、わかったからな」
「……以外だな。そう理詰めで喋る男だとは思っていなかったよ」
「ショーギ指しが理詰めできねぇ理屈があるかボケ。話を逸らすなボケ。さっさと寄り道しねぇで話せボケ」
「お前が言うなと。次は殺すぞと。いったぞ私は」
「やってみろや」
怖かねぇんだよ。
「それでお前の絵図が通るんならやってみやがれ」
「……」
「お前にや俺が要るんだろぉがや――。んでもって、話さねぇってんなら俺は降りる」
そもそも。
パチ公に商売にならねぇような長手詰めを託して、『指せる奴』をわざわざ探していたのが、こいつなんだ。
「詰んでんだよ最初っから」
あの詰所で『37手を解けるショーギ指しを探していた』のが、俺にばれた時から。
こいつは、俺の要求を蹴れる立場じゃあねぇんだ。
「この上まだ組んでいてぇってんなら、ワタからぶちまけて全部話せ」
ちろりちろちと灯りが揺れる。この国の夜は、暗くて、深い。
板の間に胡坐をかいて、向かい合う顔は見えない。
影だけが、高く、黒く、伸びていた。
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