第35話 定命の長じて化生と成ること
「……いやじゃのう、最近の若者は。盤の隅どころか外側まで目端が利きよる」
「ほうじゃほうじゃ。手前の玉だけ見とればいいものを」
「やり辛いったらないわい。ジジイにすこしくらい気持ちよく勝たせようという孝行心はないのかのぅ。嘆かわしいのう」
あーいやじゃいやじゃ、と三者三様に嘆きながら、老爺達は天を仰いだ。そうしてぶつくさと口々の悪態をつきながら眼前の盤駒を片付け始めた。
ただし
「な、はぁ⁉」
「なんじゃぁ嬢ちゃん。今初めて気づいたような顔しよって」
「いや、今初めて気づいたんだが⁉ なんだ⁉ 何がどうなって二組も駒があるんだ⁉」
「……嬢ちゃん良くそれでリョマちゃんに喧嘩売ったのぅ」
「気づかれるのは儂らが悪いが、気づかんのは嬢ちゃんが悪いぞぃ。こっちの旦那なぞその場を見ずとも察しをつけたというに」
「だからなんの話なんだ!」
「じゃからの。儂らのイカサマの話じゃよ」
そういって、まさしく最前まで対局のあった、今もまだ投了図のままの盤を、老爺達は顎でしゃくった。
「リョマちゃんとそこで指しとる間のぉ。ずぅっと隣で検討かけながら指しとったんじゃよ」
***
「まぁショーギに関する
顎をさすりながら、気分上々ご機嫌様な俺ちゃん。いやぁ、不覚不覚。結果が良ければすべて良したぁいえ、ちょいと気が抜けてたのぁ否定できねぇ。爺どもが手の内さらけるのは勝手だと思ってほったらかしてたが、まさか俺に仕掛けられたイカサマが切欠で分が悪くなるたぁね。
「……つまり、ジジーたちはあれかナ?
「そうそう、流石こすっからい手口ににゃ敏いねテメェも」
仕組みは単純。俺とパオロのじっちゃんが盤を挟んでる間、隣の二人は指してるふりして『俺とパオロ爺さんの対局』を延々並べて検討しくさってた、ってわけだ。
ショーギは――将棋は、すべての情報が公開されていて、互いに一手一手を不可逆に繰り返すゲームだ。理論上、すべての最善手は先読みできる。
そうでなくても、五手先七手先を『実際に並べてみる』というのは、盤上を損得勘定する時には馬鹿にならねぇアドバンテージになるんだ。
俺が一手指し、爺が一手指す間に、数手先まで検討を済ませたうえで、『明らかに悪くなると検討された手』をパオロの爺さんが指そうとしたなら、向かいの爺が咳払いの一つもしてやればいい。それだけで、常に俺の相手は『数手先で効いてくる悪手』を打たなくなる。
将棋は、すべてが公開された状態で、一手一手を不可逆に繰り返す。お互いにまったく同じ手数の駒を、全く例外なく交互に、だ。
「だから、悪手を打たねぇ相手はそれだけでやりづれぇ。――お互いにまったくイーブンな状態から始まるまったく公平なゲームの均衡を、こっちから崩さねぇと場が動かなくなるからな」
「なんでそれで駒二組使うナ?」
「そりゃおめぇ、検討ってのは二択三択と局面が割れるもんよ。駒数が足りなくて並べられません、なんてのぁ意味がなくなる」
それにだ。ふと隣の盤を見てまったく同じ盤面が広がってりゃ
面白いもんで『金銀が二枚ずつ多い』みてぇな違和感には、それこそ傍目八目にゃきづけねぇしな。
「……ワケフメーだナ、頭パーナンカ? なんでわかっててサマ指しさせるナ? なんにも得しネェ」
「そりゃおめぇ、そうでもしなきゃ引っ張り出せねぇモンに用があったのよ」
歯を、剥いた。
「ありがたいねぇ。年の功ってのぁよぉ」
***
「旦那もさぞかし強かろうが、儂らとて腕に覚えはあるぞい」
「道場に通い教えを乞うて、辻で指しては切った張ったのショーギ狂いでこの年じゃ」
「この国の流行りも廃りもよぅく知っとる。お前さんがたよりずっとよく知っとるよ」
じゃが。
「全部、全部
「儂らが今どこにおるのか、
「あの糞餓鬼め、ジジイ三人分の脳味噌で
たまらん餓鬼じゃ、と笑いながら。三者が三様に手を叩きながら、目は爛々と光っていた。
「旦那もしくじりなさったのぅ」
「引き出すつもりで乗り込んで」
「返り討ちじゃ。たまらんの。旦那ほどのお人の
剣呑な事を口々に継いでのたまって、そのままカカカ、と笑う翁たちが、アルフォンシーヌにはいっそ、化生の類いに、見えた。
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