第20話 身勝手
先手はパチ公。
3四歩。
応えて、7六歩。
アルフォンシーナと指した時と同じだ。互いに角道を開く。
そしてパチ公が、2六歩。飛車先の歩をついて。
俺は、『7八に銀を進める』
いつもと同じ。
いつもと同じ手筋だ。
***
弱い。
「詰み」
「――もう一回」
弱い。
「詰みだ」
「――もう一回!」
パチ公は。弱い。
「詰み」
「……」
五回やって、五回とも勝った。
全部、『全駒』にして、勝った。
最後の一局に至っては、王手すらかけさせなかった。
「……もう、一回」
「いいぜ」
盤上を、ぐしゃり、と、かき乱す。
「何度でもやってやる。何度でも。何度でも勝ってやる。負ける気がしねぇ。ちっとも負ける気がしねぇ。ん? 次は駒落としてやろうか? 何枚落ちがいい? 言ってみろよほら」
恨めしそうな目で、俺をねめつけながら。
パチ公は、いう。
「平手」
「――いい加減に」
手が出なかったのは。
「しろよやッ! このクソ餓鬼ッ!!」
ほとんど奇跡だった。
「また? また平手か!? そんで角道開けてよ、俺が7八銀上げて、お前に――」
俺とパチが指すときの、お決まりのやり口。
「――お前に、タダで角ぅ
パチ公は、弱い。素人同然に弱い。
俺が、
先手3四歩に対し、後手7六歩。これは、ほとんど挨拶みたいな将棋の常道だ。多分どんな初心者でも最初に覚える定跡だ。
そして、その次に覚えるであろう『指してはいけない手』
角の真横に銀を進める手。
「オメェはよぉ、意地でも駒落としゃしねぇ。事あるごとに平手、平手、平手――」
それじゃあまともな勝負になりゃしない。
だから俺は『抜いて』やった。必ず、必ずこの銀を前に上げて、パチに角を
単純な駒落ちよりよっぽど辛い。無傷で大駒を取られたうえ、ここから傷口が広がるのが決まってるのがこの手だ。
それでも。
それでも、こいつは、俺に勝てない。
「――なぁ? クソ餓鬼」
手が、声が、震える。
「なぁおい。お前はよ、弱いんだよ」
弱い。弱い。負ける気がしねぇくらい弱い。
「お前も、お前の客も」
酒を飲んでも勝てるくらい。
「あのクソタコもザコハゲも!」
二面指しで言葉を覚えながら勝てるくらい。
「エラぶってたあの赤毛もッ!!」
曲芸かまして嬲れるくらい。
「弱いンだよ! 弱いンだ!! クソが! クソザコがッ!!」
負ける気がしねぇ。これっぽっちも負ける気がしねぇ。
「ザコ、ザコ、ザコザコザコザコッ!! トロくせぇ囲いにチンケな攻めによ、ひっとつも怖かねぇ、怖かねぇンだよ!」
そうだ。いくらでも勝てる。どれだけでも勝てる。何回でも何十回でも何百回でも勝てる。
でも。
「もっぺん言ってみろ。言ってみろや、なぁ、おい。言ってみろ。誰が、誰に、負けるって? あ? 言ってみろ!!」
勝つだけじゃ意味がねぇ。ただ勝つだけじゃ銭にならねぇ。
「なぁおい。角とらせても勝てねぇクソザコッ! 言ってみろよ、言えよやッ!!! 誰が、負けるって!? ァア!?」
銭にしなきゃならねぇ。しなきゃならねぇし。
俺だけの商売じゃねぇ。
「俺が負けるか。こんな、お前らみてぇなクソ雑魚に」
俺と、お前の商売だから。
「俺は」
ただ暴れるだけじゃあいけねぇから。
「俺は、
俺が、誰のために。
「俺は……!!」
それを。
「弱くなる。弱くなるンだ。強えぇ奴と指さなきゃ弱くなる。弱くなっちまう。お前らと指してるとザコんなる。弱くなるンだよ」
将棋が強い奴が偉いンだ。
勝たないといけないンだ。
強くないといけないンだ。
「弱くなる。弱くなる。お前ら、お前らみたいなのと、いつまでもジャれてちゃ、弱くなる。負けたりなんかできねぇんだ。負けたらいけねぇンだよ。弱くなったら、弱くなっちゃいけねぇ」
そうだ。弱くちゃいけねぇんだ。弱いより、強いほうがいい。負けるより、勝つほうがいい。
「将棋が、将棋が強い奴が偉いンだ。勝たないといけないンだ。強くないと。負けたら終わりなンだよ。負けていい勝負なんてねぇンだよ! 負けてよくなったら、弱くなんだよ」
それでも。
俺は、パチ公には、負けてやりたかった。
肉が喰いてぇとか魚が喰いてぇとか、そんなことを、五分五分に決めたかった。
パチ公との商売なら、『上手く負ける』のだって、悔しかなかった。
それを。
「ザコ、ザコ、ザコが。ザコども。こんなところ、こんなところで、指せねぇんだよ。強くならなきゃいけねぇんだよ。つまんねぇとこでやってらんねぇんだよ」
それを。
「将棋が強い奴が偉いんだ」
俺がとびぬけて、本当は絶対負けもしないくらい強いと、お前は信じてくれていると思ってた。
思ってたんだ。
お前が、知ってくれているなら。
「ザコが、デコッパチの、クソ餓鬼が」
誰も俺を知らねぇこの国で、ただ一人俺を知ってるお前が、お前が俺の強さを知ってるなら。
「お前の指図は、もう受けねぇ」
俺は、お前が信じてくれてるなら、負けたって良かったんだ。
盤駒を片付けもせず。パチ公の顔も見ないまま。
俺は、さっさと荷物をまとめて馴染みの部屋を引き払った。
***
「十人長……」
「その、ご来客です……」
とはいえ、俺の知り合いなんてパチ公を除けば数えるまでもなく。
「ちぃーす、
「貴様三日前出てったとこだろうが!?」
貸しがあってよかったー。
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