第33話 皇の因果




 この境内に咲く花は、どうしてみな、紅くなるのだろう。

 そう、思っていた。

 この、皇の社を、人は――緋の杜と呼ぶ。

 なぜ。

 どうして。



 問うた時、誰かが言った――。



「さあね。昔は、こんなふうではなかったよ」

「この杜に、赤い花など無かった」

「桜は薄紅であったし、躑躅は白であったし、椿も白であったし」

「それがね……。染まりだしたんだと、聞いているよ。いつのころからか」

「花が、赤くね……」

「染まっていったとね」

「これは徴なのさ……」

「凶兆であるのか、吉兆であるのか……」

「それは、わからないけれどね。きっと、何かが起こる」

「その前兆なのだろうよ……」



 私は。

 その言葉の意味を。

 十五の春に知ることとなる。


      ☆


「子供を身籠もった……?」



 打ち明けた時には。

 私の胎はもう目立ちはじめていて、誰の目にも、その事実を隠すことができなくなっていた。

 そう。

 十五の春、私は、子供をこの胎に宿したのだった。



「馬鹿な……。皇の……巫女ともあろう者が……なんたることだ!!」

「十五で腹に子を宿した、だと!?」

「まさか……」

「お前、わかっておるのか!! 次代の皇はお前の手に委ねられるのだぞ!?」

「誰だ」

「相手は誰だ!!」



 一族の叱責と詰問。

 兄――と。

 私は答えた。

 胎児の父は――私の、双子の、兄なのだと。 私は、魂を分けて生まれた双子の兄のことが、とても好きだった。

 優しくて、聡明で、穏やかな人で、誰よりも妹である私を可愛がってくれた兄を、私はとても敬愛していた。

 けれど。

 兄が。

 まさか、私を妹としてではなく――恋慕の対象としてみていたとは。

 私は知らなかった。

 私は、十四の夏に、兄にそれを告白され。――兄を拒み。

 そして。

 その場で兄に犯されたのだ。

 生まれてからその時までこれ以上ないくらい優しかった大好きな兄が、豹変したときのさまは、どう言葉で語っても語り尽くせぬほどの衝撃だった。

 そして。

 それはたった一度きりのことであったのに。

 私の身体には――。



「堕胎を」



 誰もがそう言った。

 私もまたそれをまったく望まなかったわけではなかった。

 だが、それは適わなかった。

 私の胎の子供が、それを拒んだからだった。

 ありえない、――と思うだろう。

 しかし事実、そうとしか言い様のない、説明のつけられない数々の出来事によって、堕胎は阻まれた。

 それでも。

 なお、生まれいずるまえにその命を絶つべく、胎の子には様々な手段が講じられた。

 医師の手になる合法的なそれでなくても、かまわぬ、と。

 母体である、私の命を危うくするようなことまで、ありとあらゆることを試みた。

 服薬も試した。

 冷水に身を浸して夜を過ごしたこともある。

 何日も立ち続けて過ごしたこともある。

 けれど。

 胎の子は生き続けたのだった。

 それは――ともすると。

 その驚異的な生命力と生命欲に、私が助けられ続けたのだと言った方がよかっただろう。



「もう……止めて下さい」



 それゆえ、ついに私の口からそういう言葉が出てしまったのも、無理からぬことだったろう。

 望まぬ受胎とはいえ、私の子供なのだ。

 しかも、必死で生きようとしている、胎児なのだ。

 たとえ実の双子の兄妹の間に出来た禁忌の子だとしても。

 生きたいと。

 それを願うことは罪なのであろうか。

 その願いは許されないのであろうか。

 そんなはずがない。

 だって。

 子に罪などないではないか。許されざる大罪を犯したのは私と私の兄であって、この子ではないのだ。

 なのになぜ、死の制裁をもって裁かれねばならない。

 これほどに。

 生まれたいと願っているのに。

 なぜ、それ程までに赤子の命を絶とうとするのか――。



「お前は……一体何を生んだかわかっているのか」



 一族の当主が、そんなことを言ったのは、その子を生んだ後のことだった。

「……お前が胎に宿したのは、鬼だったのだよ」

 首を傾げる私に、こう言ったのは先代皇の当主たる、父。

 ――鬼?

 その時――何をいうのかと、私は笑った。

 ――実の兄妹の間に生まれた子供だから?

 ――そんなことを?

 時代錯誤も甚だしい――私はそう、反駁したのだが。

「たとえ話ではない。……あれはね。……本当に、鬼なのだよ」

 ――鬼?

「そうだ……」

 ――そんな、馬鹿な。

 けれど父は、哀しい目をして。

 ひどくうなだれて。

「本当なのだよ……」

 その声には、深い絶望が宿っていたような――気がする。



 そうして私は知ったのだ。

『勾玉の血脈』の一族の当主にのみ伝えられる、昔語りを。

 緋の花の誓約の物語を―― 。


      ☆


 婿を迎えよ、と父は言った。

 後継者の問題だった。

 私には双子の兄の他に、姉ふたりと、兄ひとりがあったが、姉はとうに嫁いでおり、一番うえの兄には皇の家を継ぐに必要なだけの巫としての資質が備わっていなかったのだ。 かといって実の妹を犯してはらませるなどという凶行に走ったうえ、一族から放逐された双子の兄を当主の座に据えるわけにもゆかない。

 心を犯され巫女の資格を喪失した私が、他の巫家より婿を迎えてふたたび子を成し、血を保つより他はないと、いう判断だったのだろう。

 事実、皇の勾玉の血を守るためには、それしか方法がなかった。

 そして、私は、皇の者としてその判断に従わざるをえなかったのだ。



 ああ――けれど。



 まずは巫女を――と言われたときの、私の絶望――。

 それが誰にわかるだろうか。

 巫女を生むのだ、と。

 言われた私の気持ちが。



 その言葉の意味するところは、私には明白だった。

 なんという外道なことを、父は望んだのだろう。

 兄が――私と兄が犯した罪を。

 繰り返すために、子を成せと、父はそう、言ったのだ。

 そうなることを。

 私は。

 私だけは知っていた。

 鬼の供物とするだめに、娘を産むのだと、いう、ことを。

 この世に甦る、鬼のために。

 ただ、そのためだけに。



 その後私は、言葉の通りに巫女たる女児を生み落とし、そして――子供を生む力を失った。

 それを知った父は――皇の当主たる父は、その可能性をまったく考えていなかったらしく――私とてそうではあったが――蒼く、なっていたっけ。

 当然だ。

 女児はただの贄なのだから。

 私の生んだ巫女が辿るべき運命――その末路を思えば。

 それはもはや、つきつけられた預言のようなもの。



 皇の血は――絶える他ないだろう。



 いまわのきわ。

 血溜まりのなかで死にゆく時。

 私は、自ら生み落とした鬼と。

 その供物となるべく生んだ巫女の姿を、視界の隅に捉えながら。



 許して――。



 と。

 己の頭上にふりおろされる太刀に請い、ただそれだけを祈っていた。

 それを当然の報いと。

 知りながら。



 許されることを、祈って――いた――。


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勾玉遊戯 さかきち @sakakichi

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