ペンケースの妖精~Fairy in the pencace~
秀田ごんぞう
ペンケースの妖精
ジージージージー。みーんみんみん。みーんみんみん。
セミは元気だ。なんでそんなに元気なんだ。その元気を少しは僕にも分けてほしい。
一年二組の教室では、このクソ暑い中、石田先生による国語の授業が行われていた。
僕はただただ眠かった。石田先生の授業はとにかく退屈で惰性的なのだ。
そう感じているのは多分僕だけじゃなくて、クラスのみんなも同じなのか、教室全体に重く、くぐもったような空気がのし掛かっていた。前の席に座る早見なんて、十秒おきに起きたり覚醒したりを繰り返している。首をかくんかくんと揺らす様子は、まるでRPGに出てくるモンスター、スケルトンみたいだ。だけど人のことを言ってる場合じゃない。僕だって、少しでも気を抜けばスケルトンになりかねない。それだけ石田先生の催眠術が強力だと言うことなのだろうか。
何か退屈を紛らわす策はないものかと必死に考える。このままでは手をこまねいていては僕も早見のようにスケルトンになってしまうにも、遅かれ早かれ時間の問題だ。
そのとき、ふと机の上の筆箱がもぞもぞと動いた気がした。
目をこすって見ると、何の変哲もない、いつもの筆箱だ。暑さと、石田先生の授業のせいで、とうとう僕の頭もおかしくなってきたのかもしれない。
しかし、ほっとしようとした途端に、再び筆箱がもぞもぞと動き出した!
……見間違いなんかじゃない。ペンケースの中に何か……いる…………!?
おそるおそる手を伸ばし、筆箱の開閉チャックをつまむ。
もぞもぞという動きがより一層強くなる!
呼吸を整えて覚悟を決めると、いよいよ一気にチャックを開けた。
…………。
何もいない……? 筆箱の中はシャープペンやら赤ペンやらがごちゃごちゃ入っている、いつもの中身である。
「――やっと会えた」
不意に声が聞こえてきた。
気づけば、僕の鼻先にヘンなものがいた。
大きさは中指くらい。少年とも少女とも似つかない不思議で中性的な容姿をしていて、背中にはチョウに似た、何やら珍妙な四枚の小さな翅がある。
見たことのないヘンなものを前にしてぽかんとしていると、そいつはくすくす笑いながらつぶやいた。
「ふふふ……おどろいてる、おどろいてる」
隣の席の中山をちらと見やる。中山は半スケルトン状態になりながらも石田先生の話を聞いていた。どうやらこの小人みたいなヘンなやつには気づいていないらしい。」
「安心して。わたしの姿はあなたにしか見えないし、声も、あなた以外には聞こえない。そういう魔法を使ったの。あなたの声も、今は周りの人たちには聞こえないよ。逆に向こうの声もこちらには届かないけど」
胸の内の疑問を見透かされたような小人の言葉に、思わずどきりとする。
……ん? ちょっと待てよ……いま、こいつ魔法って言わなかったか? なんだ魔法って!? ここはホグワーツ魔法学園ではない!
「き、きみは……一体……!?」
……魔法? それに……そもそもこいつはどこからやってきたのか? 聞きたいことがたくさんありすぎて、上手く言葉になって出てこない。
小人はそんな僕の様子を見ると、にっこり笑って、空中をふよふよと楽しそうに飛び回る。
「……ふふふ。聞きたいことがあるときは、まず自分の名を名乗るのが礼儀ってものよ」
「そ、そうか。僕はマモル。君は一体……その、何なんだ? なんで僕の筆箱から出てきた!?」
小人は華麗な宙返りを披露してから僕の左手の上に降り立つと、恭しく礼をして言った。
「わたしは小妖精のルリエラ。マモル、あなたに伝えることがあってきたの」
「小妖精!? 伝えること……って、待って待って! まったくわけがわからないよ!」
「…………?」
ルリエラは何がおかしいのかという様子で、きょとんとした目で僕を見つめている。
「小妖精なんて出会ったことないし。大体にして僕は今授業中だよ? 確かにどういうわけか、君の魔法? とやらの力でみんなに声が聞こえないみたいだけど、授業をサボってどっか行くわけにいかないよ。……これでも平常点あんまいい方じゃないからさ」
堰を切ったように言葉が流れ出てきて、捲し立てるように話す。そもそも僕はまだこの理解不能の状況に適応できていない。
「でも、マモル寝そうだったじゃない」
うぐっ! それを言われるとなんとも……。
「わたしはあなたを迎えに来た。マモル。あなたは世界を救う勇者なのよ」
……小妖精のお次は勇者ときたか。これは夢か? 大体設定がおかしすぎる。気がつかぬ間に、とうとう僕も石田先生の術にかかってしまったのか!?
ルリエラは得々と話を続ける。
「世界は今、暗黒に包まれつつある。前の席を見て」
言われて、前に座る早見を見た瞬間、僕は愕然とした。
早見が――スケルトンになっていた。
――比喩ではない。
早見の手が、足が、全身のあらゆる部分が……RPGに出てくる白骨死体のモンスター、スケルトンのような姿に変貌していたのである! その姿にはもはや早見の面影を感じ取ることはできない。
「早見!? おい早見!? 返事をしろってば! 早見ィィィッ!」
「無駄です。マモルの声は彼には届かない。わたしがそういう結界を張ったから。……けど結界がなかったとしても、彼にはもう……」
「ルリエラ! 早見は……早見は……どうしてこんな………」
ルリエラは目を閉じて哀しげな声でつぶやいた。
「言ったでしょ。世界は今――暗黒に包まれている、と。アレはその象徴とでも言うべき存在。闇の魔王の影響で今、白骨化〈スケルトンヴァイス〉が蔓延しつつある」
ルリエラの話からは魔王や白骨化など聞き慣れない単語が次々と飛び出す。
「……見て。白骨化の波はすぐそこに迫っている」
隣を見やると、中山の左半身がスケルトンになっていた。こいつの言葉が真実ならば、中村が早見と同じように完全にスケルトン化するのも時間の問題なのかもしれない。
「ルリエラ! 早見と中村を元に戻してくれよ! こんな結界を作っちゃうんだから、君ならそれくらい簡単だろ! 彼らは特別仲がいいわけではないけど……クラスメイトがどんどん白骨化していくのをこのまま黙って見てられないよ!」
「だから言ったじゃないの。わたしはマモルを……勇者を目覚めさせるために来たんだから。この世界に希望をもたらすことができるのは、勇者であるマモルしかいない」
「ぼくが勇者!? ……何かの間違いでしょ」
「いいえ。あなたは勇者。この教室で未だスイマに屈服しない唯一の存在よ」
なんだかどっと肩の力が抜けていくのを感じる。
もしかしてルリエラの言う魔王ってのは……、
僕の中でなんとなく予想がついた言葉が、ルリエラの口をついて出てくる。
「睡魔王――石田先生を打ち破るのはあなたしかいないのよ、マモル!」
……シュールである。
いや、確かに石田先生の授業は眠いけど……眠いけど!
なんかもっとこう……勇者って、もっと勇者らしくっていうか、そうあるべきっていうか、自分でも何言ってるか分からないけど、ルリエラの言う勇者が僕の考える勇者像とだいぶかけ離れているだろうことは分かった。
……ていうか起きてるの僕だけかよ。
「睡魔王によるスイマによって、クラスのみんなの精神はボロボロに破壊されたわ。精神が壊れた肉体はスイマに支配され、白骨化……やがて完全なスケルトンになる。これが白骨化――スケルトンヴァイスよ」
「みんな、クラスメイトがスケルトン化していくのに気づかないのか!?」
「ムリね……彼らの精神はすでにスイマに屈した。もはや周りを気にする余裕などない」
「そんな……」
悲痛な面持ちでルリエラは続ける。
「クラスのスケルトン化に気づいているのは勇者であるマモル、あなたと…………事の元凶である石田先生だけね」
先生は自分の授業に酔っているのか、口元をほんの少しにやけさせながら、楽しそうに弁舌を振るっていた。
先生はこの状況を見て、分かって笑っている。そんな石田先生がなんだかすごく怖くて不気味に思えてきて。僕は黒板に向かい合わせに立つ石田先生の姿に、累々と横たわるスケルトン達をあざ笑うかのように君臨する魔王を垣間見た。
「マモル。あなたはこの教室で唯一、スイマに耐えている。睡魔王によるスイマの魔術を払いのけるのは古来、勇者にしかできぬ芸当なのよ」
「……ルリエラ。どうすればこの地獄から皆を救える? これ以上、スケルトン化が進行していく様を見ているのはツラい。何より、皆が不憫だ」
すると、ルリエラはにやりといたずらっぽく笑う。
「……あなたは知っているはずよ、マモル」
「要するに皆の眠気を覚ませばいいわけだろ?」
「そう。心の深くにある自分の意識が目覚めさえすれば、スイマの呪縛は解ける。そうなればすぐに精神力が回復していつものみんなに戻るハズよ。みんなの意識を一斉に解き放つ方法はただ一つ……」
ルリエラはペンケースの傍に降りたつと、神妙な顔つきで言った。
「この退屈な世界を救うには、聖なる鐘の音を響き渡らせるしかない」
世界の鐘……? それって……なんだ? そんなご大層な鐘がウチの学校にあるとも思えないし……。
「鐘って言っても……ウチの学校にあるのは学校のチャイムくらい……」
「そうよ。チャイムこそ……スイマを打ち破り、スケルトンヴァイスの呪縛を解く唯一の方法なの。やっぱりマモル、知ってたんじゃない」
ルリエラは誇らしげにつぶやくのだが、僕はすでに開いた口が塞がらなかった。
なんだよチャイムって……。世界を救う鍵がそんなんでいいのかよ。
けどまぁ……確かにチャイムが鳴れば皆、一斉に目覚めるだろうな。貴重な休み時間を無駄にしたい人はいないだろうし。
問題はチャイムを鳴らす方法がないって事だ。授業が終われば、定刻通りに黒板の上のスピーカーからいつもの聞き慣れたチャイム音が流れ出すはずだが……あいにくそれにはまだ三十分以上時間がかかる。
ていうか今更だけど、授業始まって十分足らずでクラス中を寝かしつける石田先生ってすごいな。これもルリエラの言うように、石田先生が睡魔王と呼ばれる所以なのかもしれないな。
「安心してマモル。チャイムを鳴らす方法ならあるわ」
僕の考えを見通しているようなルリエラの言葉に驚きつつ、僕は彼女に尋ねる。
「そうは言うけど……実際どうやって? まさかトイレに行くふりして放送室にでも忍び込むつもりか?」
「そんなことする必要ないわ。方法は簡単。あなたのポケットに入ってるモノを使えばいい」
「ポケットに入ってるって……スマホ?」
「ええ。その機械から大音量で鐘の音を鳴らせばいい」
なるほど…。確かにその方法ならこの場にいながらにしてチャイムを鳴らすことができる…………ってちょっとまて。
「ちょっとルリエラ! それなら確かにチャイムは鳴らせるし、皆も起きるかもしれないけど、授業中にケータイ鳴らすって、絶対没収されるんだけど!?」
すると、ルリエラはくるりと背を向けて、静かにぽつりとつぶやいた。
「……わたしは方法は伝えたわ。実行するか、しないかはマモル次第」
なんだ? なんでこんなにシリアスな物言いなんだ!?
そのとき、突然、ルリエラの体が淡い光に包まれ始めた。
「もう、時間みたい」
そうつぶやく彼女の顔はひどくさみしげで、言いたい言葉も色々あったけど、ルリエラの瞳を見ていると、僕はもう何も言えなかった。ただただ、彼女の次の言葉を待った。
「……わたし、戻らないといけない。マモルに会うのもこれで最後ね……」
「ちょっと急すぎるよ! 勝手に出てきて、勝手にいなくなるなんてどうかしてる!」
「そうね……わたしはどうかしてる」
「ルリエラ!」
心なしかルリエラの目の端が濡れているように見えた。ルリエラは僕を見て小さく微笑むと、唇をきゅっと結んだ。
「マモル、あなたに必要なのはほんの少し踏み出す勇気。それさえあれば、あなたはきっと世界を救う勇者になれる。わたしはそう信じてる」
ルリエラの周りの光がどんどん強くなる。
「結界はまもなく解けるわ。世界を頼んだわよ、マモル」
「そんなルリエラ、ちょっと待ってよ……」
ルリエラは僕の鼻先にちょこんととまって、そっと小さく口づけした。
柔らかな唇の感触と同時に、冷たい滴が一つ落ちた。
「……サヨナラ」
まぶしい光が視界を包んで目をつぶる。
それからすぐに目を開けた先に……小妖精の姿はなかった。
声にならない叫びをあげた。
どうしてこんなにシリアスな気持ちになっているのか、自分でも分からない。だが、そうせずにはいられなかった。
やがて徐々に石田先生の声が響いてくる。ルリエラの張った結界が解けつつある、ということなのだろう。
――僕は勇者だ、と。そう彼女は言った。
勇者ってなんだ。その答えは僕には分からない。
だが、僕に思いを託して消えていった小妖精の行動を無駄にはしたくなかった。
――やってやろうじゃないか。
恐れるな。必要なのは、ほんのちょっぴり踏み出す勇気。それさえあれば、この世界は変えられる!
おもむろにポケットからスマホを取り出し、動画サイトにアクセス。
ボリュームを最大に設定する。
前の席の早見が……隣の席の中山も……最前列の委員長までがすでにスケルトンと化していた。
かつてはクラスメイトだったおびただしい骸の先で、石田先生……いや睡魔王がにこやかに教鞭を振るっている。この教室で未だスケルトン化していないのは僕だけだ。
僕は再生ボタンに手をかける。これをタップすれば、聖なる鐘の音が流れ出す。
――変えてやる。このクソッタレな世界を!
再生ボタンをタップした瞬間、キ~ンコ~ンカ~ンコ~ンとチャイムの音が教室中に響き渡る。それと同時に、目の前が真っ白になっていって……やがて…………。
◇
「……きろ。いい加減起きろよマモル!」
早見の声で僕ははっと顔を上げる。気絶していたのか、口元にうっすらよだれがついていた。
早見はいつもの早見だった。スケルトン化の呪いは解けていた。
「やっと起きたか。次、移動教室だろ。早く行こうぜ」
「早見、お前、なんともないのか? スケルトンヴァイスは?」
「は? お前、何言ってんだ?」
「い、いや、別に。それに石田先生は?」
すると早見はくっくっと笑いながらつぶやいた。
「マモル、寝ぼけすぎだぞ。石田先生の授業なら、さっき終わったじゃねぇか。チャイム聞いてなかったのかよ?」
見れば、教室の時計はすでに授業終了から四分ほど過ぎていた。
「もう、おれ先行くからな」
言って、早見は教科書類を片手にさっさと教室を出て行ってしまった。
どういうことだ……? なんだか頭がぼーっとしているような……。
僕が見たのは夢だったのか?
……なんだか納得いかないが、次の授業に遅れるといけない。早く移動しようっと。
僕は眠気を払うようにまぶたをこすって立ち上がり、教室を出た。
――教室中に蔓延したスケルトンヴァイス現象。あの光景が現実のものだったのか、結局僕がねぼけて見た夢の中の出来事だったのかはわからない。
それでも……ペンケースを開けると、小さな妖精が飛び出してくることを期待してしまう自分がいた。
セミの声は相変わらずうるさいし、むせ返るように暑い。
だけど、僕の胸の内は不思議なほどに爽やかさでいっぱいだった。
ペンケースの妖精~Fairy in the pencace~ 秀田ごんぞう @syuta_gonzo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます