第3話
しんみりとした空気を破るように、彼女は俺の顔をまじまじと見た。
「あなた、名前はあるの?」
「一応。ここではニックと呼ばれているよ」
本名は長くて呼びにくいからと付け加える。
「きみの名前を教えてほしい」
「私? 確か……」
彼女は俺の顔をまじまじと見た。
「何だったのかしら?」
「俺に訊くのか?」
改めて彼女は長い間、誰からも本名で呼んでもらっていないのだと悟った。
自分は別の名前で呼ばれることもあるが、名前すら呼ばれない人生は何とも味気ないものだろう。
「喉元まで出掛かっているの」
しばらく経って彼女は小さな声を漏らしたが、嬉しそうな表情には見えない。
彼女は小さく答えた。「形代」と。
俺は驚きを隠すことができなかった。彼女は、子供の災厄を肩代わりするために生まれた存在だったのだ。
彼女は静かに話し始めた。
「名を付ければ愛着が湧く。名がなければ、形代が消えたときに持ち主が傷付かなくて済む」
「災いは……痛まないのか?」
「痛むに決まっているじゃない」
彼女はつらそうに微笑んだ。
「契約がなければ我慢できない。力の源は家族の愛情。形代は子供の健やかな成長を支えるために存在する」
契約さえあれば傷付くこともいとわない。そんな強い意志を聞いて、俺は口の中が渇いていくのを感じた。
玩具にとっての契約は、生まれながらにして課せられている義務のようなものだ。契約では持ち主の幸せを保障するように定められているのだが、最近の玩具は契約に縛られないようになっていた。大量生産された玩具には、もろい意思しか宿らないからだ。
俺もまた、もろい意思を抱いている玩具だった。持ち主から一日でも早く解放されて楽をしたいと、会議の前に考えていたところだった。
自分には、持ち主の幸せを守るために災厄の痛みに耐え抜くことができない。俺は彼女に疑問をぶつけた。
「子供の幸せを願うこと以外、他には何もいらないのか?」
彼女はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「……サイドボードの上」
「は?」
「写真があるでしょう? あの子が大人になった姿を、この目で見たい」
彼女が言うように、サイドボードの上には写真立てがいくつも飾られていた。彼女の大切に思っていた女の子が誰を指しているか分からないため、写真を持ってくるか彼女を外に連れ出すほかないだろう。
「あなたが叶えられる願いだといいけれど。腕が細すぎて、ガラスを持ち上げられないでしょう?」
彼女が外に出る道は、ガラスケースが阻んでいる。指摘された通り、俺は腕力に自信がない。
だが、俺は首を振った。
「俺の仕事はな、みんなの夢を守ることなんだ」
キザな笑みを浮かべて、俺はブーツについている金具を引っ張った。
暗い空間の中に、季節外れのジングルベルの曲が鳴り響く。
「あなた……もしかして踊っているの?」
遠回しに情けない格好ねと言われ、俺の機嫌はやや下降気味になる。
「壊れた靴のおかげで、動きがぎこちないけどな」
しばらくして曲がやむと、戸棚が勢いよく開いた。
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