第2話

 俺がいる場所は、闇に包まれている。古くさい匂いが漂い、思わず顔をしかめた。

 これほど暗くて退屈なところに、あのお方は長年いるという。


 俺は夜目が利くため、すぐに透明な壁に包まれた空間に辿り着いた。

 そっと指を近付けると、空間の一面が外れそうだった。俺は背丈に余る大きさの壁を支えられないため、慌てて指を離した。

 そのとき、反対側に座っている人形が俺の方を見た。


 顔立ちに少女らしいあどけなさはなく、背筋を伸ばしてツンと澄ましている。反対に、瞳は寂しげに揺れていた。

 黒髪は、肩より少し長い位置で切り揃えられている。身にまとうものは、糊が落ちてくたくたになった着物だ。あせた赤色に浮かぶ花模様にも輝きはない。

 なぜか、俺の脳裏に知り合いの西洋人形の姿がちらついた。彼女は、豪奢なレースをふんだんに使ったサテン地のドレスを着ていた。

 扱いは真逆でも、内面は目の前の人形の方が綺麗だった。


 なぜそんなことが分かるのかと言えば、俺の特技が他者の心を見抜くことだからだ。性格や精神状態を、一目見ただけで察知することができる。

 彼女の周りには、虹色の粒子のようなものが浮かんでいる。それは、心が澄んでいる証拠だ。だが、少しだけモヤが掛かっていた。長老の言った通り、疲れがたまっているようだ。


 輝かしい思い出を抱えてまどろむ生活も、限界に近付いていたのだ。心のタガが外れれば、玩具の心は朽ちて消えてしまう。心がなくなれば、持ち主に憎しみの心を植え付けるようになる。

 最悪の状況を防ぐためにも、何とかして彼女の疲れを取り去らなければならない。


「美しい心が消えゆくさまは見たくないな」


 俺は思わず呟いた。お世辞ではなく、本心からの言葉だった。


「頭、おかしくない?」


 ぶっきらぼうな口調に、俺は目を見開いた。

 今の声は、本当にこの人形から発せられたのだろうか。


「嫌なおじいさんね。私の心を見抜けると言うの?」


 俺は鋭い視線を浴びながら、この敵意をどうにかして減らせる方法がないかと考えていた。

 とりあえず、屈託のない笑顔でも見せておくか。


「おっと。俺は年寄りに見えるかもしれないが、年寄りじゃないんだぜ?」


 俺は朗らかに笑って、口ひげを取った。

 俺の笑顔を見た人は誰であっても微笑み返すのだが、彼女はそっぽを向いて鼻を鳴らした。


「紛らわしい。何のためにそんなものを付けていたの?」

「子供を喜ばせるためだ」


 偽りない言葉に、彼女の瞳は暗く光った。


「ふうん」

「……棒読みだな」

「あら。ばれちゃった?」


 彼女は、見た目通りの可愛らしい笑みを浮かべた。


「今から出してやる」


 俺の申し出に、彼女は首を振った。


「いいえ。結構よ」


 俺は、言葉の意味をすぐに理解することができなかった。

 玩具は、玩具箱や戸棚であれば自由に動くことができるが、ガラスケースの中ではそれすらもできない。退屈な生活だろうと考えていたが、彼女がそんな暮らしに不満を抱いているように見えないことが不思議だった。


「ここから出たくないのか?」


 俺は疑問を投げ掛ける。


「えぇ。縫いぐるみと交流すると気が滅入るわ。睨まれたとか、暗いとか言われるだけ。あなたみたいに、美しいと言われることはなかった」


 その言葉を聞いて、俺と彼女は正反対な存在だと確信した。俺は幸せを配り、彼女は負の感情をその気もなく植え付けてしまう。


 そんな彼女にも、大切に思う女の子がいたという。この家には小さな子供は一人しかいないため、巣立ってかなりの年月が経ったようだ。


「最後に話し掛けてくれたのは、いつだったかしら……」


 彼女は遠い目をした。


「思い出した。素敵な旦那さんを見つけたいと夢を語ってくれた、あの日以来会えていない」

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