第19話 ヴィーシャと第三種接近遭遇

 狩猟小屋の傍で軍用コートにくるまり、焚き火を見つめながら、ヴィーシャは一人呟く。

「色々、ぎりぎりだなぁ」

 ヴィーシャの狩猟が軌道に乗ったお陰で、肉の供給を原動力として町の越冬準備状況はかなり好転している。労働力が肉であがなわれる、食肉本位制経済である。原資はヴィーシャの狩猟成果。

 中佐殿が今の自分を目撃すれば、さぞ興味深い論文を書いてくださることだろう。

 全ての原動力がヴィーシャ一人におんぶにだっこの状況であるから、ヴィーシャがコケたら全滅必至である。

 単一障害点。

 自分がになっていることを自覚しつつも、他に方法が見つけられない。

 幸いにもというべきか、よくわからないうちに懐かれてしまった狼との共闘が大変上手くいって、獲物を持ち帰れるようになったからこそなんとか回っているが、そもそも何で狼が狩りに協力してくれるのかよくわからない。よくわからないもので成果を上げている単一障害点に依存している町の状態は、まさに薄氷の上、と評するのが適切というものだろう。

 それとも薄気味悪い、というべきか。

 全力を尽くしているのは間違いないが、成果が期待値を上回っている。上手く行き過ぎている。

 こういう時は足元に落とし穴が開いているものだ、と慎重居士だったかつての上官は警戒を絶やさなかった。しかしてその懸念は的中することが多かったように思う。

 正直、破綻の可能性は山ほどある。ヴィーシャが風邪を引いても破綻するだろうから。指折り数えたくはないが、将校の本能が可能性を真摯に検討しろと中佐殿の姿をとって警告してくる。

 でもどうにもならない。今、あの町には余裕がなく、不慮の事態が起きたら対処不能、破滅しかない。

 神に祈るしかない。

 祈れば奇跡が起こるならいくらでも祈るのに、困ったことに祈りで奇跡を起こしてくださる中佐殿は遠い空の下だ。

 軍にいたころはもっと全能感というか、なんでもできるような気がしていたものだが、それは中佐殿あっての自信だったのだろう。

「疲れたなぁ……」

 指揮官の疲労は判断力の低下を招き、隷下部隊を危機に陥れる。故に、休息は適切に取らねばならない。

「分かっております、中佐殿……」

 人目のない狩場の森が、ヴィーシャにとって唯一の安息の地。今日はこのままここで寝て、明日狩りをするのだ。焚き火で熱した石を抱いて寝袋にくるまるのがこんなに心休まることだと、戦争が終わって初めて知った気がする。


 寝覚めは唐突だった。

 地面を伝わる振動がヴィーシャの意識を一気に覚醒状態にまで持って行き、寝袋を飛び出すや銃とシャベルを手に茂みに飛び込む。腰を落として位置を確保し、銃に弾を装填する。

 まだ暗い夜闇の中を、二つのライトがこちらに向かってくる。ゴトゴトと回りの悪いエンジン音が耳に障る。

 狩猟小屋の前で停まったのは、鎌と金槌のマークを付けた幌なしトラック。

(なんで⁉ ここ連邦の統治区域じゃないのに)

 歪んだドアを蹴飛ばすように開けて降りてきたのは、三人の連邦兵と、引きずられる一人の女の子。町の臨時職員の子だったが、顏には殴られた痣が痛々しく残り、唇を切ったのか、口元には血の跡も残る。

 後ろ手に縛られているのか、男の一人の手にはロープが握られている。

「本当にこんな森に女がいるのか?」

「このガキはそう言ってる」

「焚き火の跡があるから人間がいるのは確かだな」

「まあいいさ、女なら! もうババアとガキは飽き飽きだ」

「帝国の女はみんな森に逃げたのか? だからどこにも女がいないってのか⁉」

 連邦語でがなりたてるが、怯える少女に通じるはずもない。

「女だよオ・ン・ナ! どこにいるんだ!」

「もうやだぁ…助けて……」

 拳銃を突き付けられた少女が泣くのもお構いなしに、小銃を持った男が叫ぶ。

「女ぁ! 出てこい! 出てこねぇとこのガキを撃ち殺した後に火をかけてやるぞ!」

 一旦は銃を構えたものの、人質との距離が近過ぎる。散弾銃では、巻き添えにしてしまう。

 暫し迷ったあと、ヴィーシャは銃を置いてシャベルを背中に隠し、両手を上げて茂みから立ち上がった。

 トラックのライトの範囲に入ると、連邦兵がどよめいた。

「お、本当にいるじゃねぇか!」

「凄ぇ! 本物の帝国女だ!」

「待てよお前ら順番だぞ! 町で待っておられる政治士官殿が最初だ‼」

「味見くらい構やしねぇって」

 銃を構えたまま近づいてくる男どもとの距離を測り、あと数歩、と数えているとき不意に隣の茂みから茶色い物体が飛び出した。

「ヴァウヴァウ!」

「ひいっ! こいつ!」

「犬⁉」

 ブーツに噛み付かれて転倒する連邦兵に注意が集まった瞬間をヴィーシャは見逃さない。

 シャベルを抜き放ちながら一気に距離を詰め、二人目の小銃手の頭をぶん殴りながらまずは人質を確保。

「このアマぁ!」

 少女を搔き抱いたヴィーシャの背中に向かって拳銃が発砲されるも、弾はチン!という軽い音を残して跳ねていく。

「な⁉」

 振り向きざまに振るわれたシャベルが拳銃男の頭蓋を破壊する。

 パァン!と今度は小銃の発砲音が響くが、ヴィーシャを狙ったものではなかった。

「この犬っころめ! ザマァ見やがれ」

 足をかばいながら立ち上がった最後の一人を、ヴィーシャは無言で殴り殺した。


 泣きじゃくる少女を抱きしめて、それでもヴィーシャは先を急がざるを得なかった。

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

「いいのよ、私のことはいいの。町はどうしたの? 連邦兵は何人くらいいた?」

「わからない! 急にトラックが何台も来て……」

 恐らく、一箇小隊くらいか。

 連邦統治区域でもないこの辺りまでわざわざ遠征して何をしに来たのか……は、明瞭だった。

「町長さん撃たれて、おばさまたちがみんな……みんな……」

 少女をぎゅっと抱きしめ、「そこの小屋の中で待ってて」と言い残すと、死体をトラックの荷台に放り上げ、銃を拾ったヴィーシャは運転席に上がった。

「ちょっと片付けてくる!」

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