第13話 ヴィーシャは直面する
嬉しさの余り新聞を持ったまま夕食会に雪崩れ込み、「こういうシェルターをうちでも作りましょう!」とぶち上げたところで冷ややかな視線に気付かされた。
「……あれ?」
おばさんたちが顏を見合わせて、誰が口火を切るか押し付け合った結果、まず母に窘められた。
「ヴィーシャ、なにもそんな穴倉暮らしをしなくても……」
すると次々におばさんたちが言葉を連ねる。
「ようやく家の解体が終わりそうなのにまた穴を掘るなんてねぇ」
「もう戦争も終わったんだし、今さらシェルター作りなんて」
「駐在さんも口うるさく言ってたけど……」
「防空壕なんてなくても誰も死ななかったものねぇ」
いや、その駐在さんが死んでるから。
ヴィーシャの内心のツッコミもなんのその、もともと戦略的価値のない片田舎。都市部では必須だった防空壕作りすら行われていなかったらしい。
「大工さんが帰って来れば済む話よ。大人しく待ちましょう、ヴィーシャ」
そう宥められるに至って、ヴィーシャはかつて中佐が教えてくれた言葉を思い出さずにはいられなかった。
(〝正常性バイアス〟だ!)
ヴィーシャがこの町に帰って来てからというもの、彼女の獅子奮迅の働きで町の機能が回復を見せ、復興が目に見える形で進んでいる。生活は最悪の時期を脱し、悪化の一途を辿っていた〝戦時〟の終焉、そして好転する〝戦後〟を印象づけてしまった。
残存町民が力を合わせることによって、今では毎日このように温食が食べられる。献立は貧しいが、飢えるほどではない。
町民の多くに「このままなんとかなるんじゃないか」という根拠のない楽観が蔓延しつつあった。
脳裏で警鐘が鳴り響く。
ヴィーシャはこんな空気に浸ってしまった部隊の行く末を、嫌というほど目の当たりにしてきた。最悪を想像できなくなった部隊は、外見上は充足していても呆気ないほど脆くなっている。
そして、気づいた時には――
これは駄目だ。
このままでは駄目だ。
こんな時、中佐殿はどうされていただろうか? 答えはすぐに思い出の中から拾い出せた。そんな時、いつも中佐殿は自ら憎まれ役を買って出ておられた。
そうだ。ここでは私が、私だけが将校なのだ。
表情を引き締め、将校の顏になったヴィーシャは、町民の過信を打ち砕くべく口を開かんとした、ところを町長臨時代理に遮られた。
「皆さ――」
「セレブリャコーフ中尉、今日は安息日ですよ。仕事の話は、また後で」
やんわりと、しかししっかりと制止され、ヴィーシャは牧師の顏をみやる。町長臨時代理は視線で、後で二人だけで、と示すと、夕食会を続けるよう町民を促した。
ヴィーシャは、沈默するしかなかった。
「なぜ止めたんですか?」
夕食が終わって、皆が後片付けに精を出す中、役場の中の薄闇の中でヴィーシャは町長臨時代理を問い質した。
彼女の知る常識では、この状態は危機だった。そして危機を等閑視することを、彼女の上官は決して許さなかった。それは厳しくも隠し切れない部下への愛情が故であったことを彼女は知っている。甘やかすことが優しさではないと、中佐はいつも体現しておられた。
自分の正しさを、ヴィーシャは確信していた。
そんなヴィーシャを、眉を下げて困惑を表しながら町長臨時代理は諭した。
「セレブリャコーフ中尉、町民は兵士ではないのです」
いみがわからない。
「冬は、誰にとっても冬だと思いますが」
兵士でなければ、冬が避けてくれるとでも言うのか。
「そうではなく……」
力なく首を振る町長臨時代理が何を言いたいのか、ヴィーシャにはさっぱり分からなかった。
「もう少し、希望の持てるやり方はありませんか?」
「現下の状況で最も希望の持てる方法だと確信します」
断言する。
むしろ、町民たちがどんな見通しを持って〝希望〟を抱いているのか、そちらの方が心配だった。全滅するかどうかの瀬戸際なのに。
「町長さんだってお分かりでしょう? このままだと――」
「セレブリャコーフ中尉!」
泣きそうな顏で制止されて、ヴィーシャは説得の無益を悟った。この町長臨時代理氏もまた、何かを信じたくて、あるいは信じたくなくて仕方がないのだ。
もし明日大工さんが帰って来たとしても、家の再建は間に合わない。食料の備蓄も万全ではない。シェルターを掘ったとしても、全員助かる保証もない。どの道を選んでも、犠牲者がゼロになることはないだろう。
そんな時に、犠牲が最小限になるように、その犠牲が可能な限り有意義であるように、判断し決断するようヴィーシャは教えられてきた。
だがここは、そんなヴィーシャが慣れ親しんだ常識の通用しない故郷だった。犠牲を前提とした決断を下せないまま奇跡を願って時間を浪費する、ヴィーシャの知らない社会がそこにはあった。
(いや、違う……中佐殿は、ずっと
ヴィーシャは、ヴィクトーリヤ・イヴァーノヴナ・セレブリャコーフ中尉は決断した。
「私はやります。独りででも」
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