第11話 森へ行くヴィーシャ③

 翌日。久しぶりに人目を気にしない自由な食事を満喫し、景気付けにコーヒーまで自分にご馳走したヴィーシャは、早速狩猟台に移動して銃を据えてみた。

 周囲を見渡すと、櫓の周りは素通しだ。

「偽装が足りないよね……」

 一旦櫓を降りて、シャベルを振るって近所から枝を調達し、狩猟台をわさわさと飾り付ける。ついでに偽装網ギリーネットを持ち出し、枝葉を挿して人間の姿が全く見えないよう隠蔽してみる。

「うん、いい感じ」

 これなら航空偵察も充分ごまかせる。納得したところで狩猟台に登って背囊をクッション代わりにして楽な姿勢を整えた。長時間の待ち伏せでは、リラックスが重要だ。

 暇つぶしには、宝珠でラジオ放送を受信する。

 新国家建設について、合州国、連合王国、共和国、連邦の四ヶ国協議が紛糾。レガドニアの新体制でも連邦とそれ以外の国々が対立。

(あー、中佐殿も戦後は二極化するって仰ってたなぁ……)

 配給状況。国民の栄養状態は劣悪。この冬は流感等の伝染病に注意。

 気分がどんよりしてくる話が続いた後に、尋ね人のコーナー。○○州××市の誰それさん、△△州のご親戚の家に避難しています……。

 収容所の捕虜から届いた手紙の朗読。連邦の東の果て、シルドベリアから。お父さんは連邦人民の学習支援に支えられて、生まれ変わった気分で毎日の労働に歓喜の汗を流しています……。

(モスコーに行った時に、もうちょっと頑張ってれば良かったのかなぁ)

 あの時、クレムリンをとせていれば……。

 ついつい、そんなことを考えていたら、視界の中に動くものが見えた。

 すわ、獲物か⁉

 安全装置に指をかけたところで、ヴィーシャは息を吐いて緊張を解いた。相手は茶色と黒の毛をまとった、一匹の犬だった。

「もう、驚かせないでよ。どこから紛れ込んできたんだろう。飼い主とはぐれちゃったのかなぁ」

 犬なんかいたら、獲物が寄ってこないじゃない。

 偽装網を跳ね除けて、ひょいと狩猟台から飛び降りたところで、思い違いを悟った。

 着地までの、一秒にも満たない滞空時間のフラッシュバック。

 遠い日の思い出。

 猟師のおじさんが、仕留めた鹿を解体しながら、子供たちに武勇伝を語って聞かせたものだった。娯楽の少ない町のこと、特に少年達は目を輝かせ、胸をときめかせて話に聞き入っていた。

 話の〆はいつも同じ。

『狩場の森には近づいちゃなんねぇヨ。あそこにはがいるからな』

 視界いっぱいに広がる牙の列。

「ああッ‼」

「ガアッ!」

 野生の暴力は過たず喉笛に襲いかかり、空中のヴィーシャは為す術なくその命を散らすかに思われた。

 が。

 ガチン、ガチン、と牙が防殻を叩く音に、ヴィーシャの視界が狭窄し、極度の興奮で赤く染まる。

「あああああああ!」

 間一髪で間に合った、本能だけで展開した防殻に弾かれる狼のあぎとを、右手と左手で鷲摑みにして引き剝がし、力一杯投げ捨てる。

「グルルル……」

「ふーッ、ふーッ」

 直ぐ様態勢を立て直し再びこちらを窺うから視線を切らず、手探りだけで頼もしい相棒を探り当てる。

「ゴォッ!」

「ふッ!」

 一人と一匹の影が交錯し、そして一匹が地に伏した。

 シャベルを振りぬいた姿勢で暫し硬直していたヴィーシャは、狼がぴくぴくと痙攣するばかりなのを注意深く確認してから、改めてトドメを刺し、ようやくぺたん、と地面に膝をついた。

「び、びっくりした~」

 森の中を歩きまわるのは危険が大きいからこその待ち伏せ猟であると、ヴィーシャはようやく理解することができた。

「うわー、これどうしよう……」

 返り血を浴びて頭も顏も生臭く濡れているし、倒した狼から流れ出した血が猛烈な血臭を漂わせている。

 こんな所に寄ってくる動物は、それこそ肉食獣だけだろう。

「狼って、食用じゃないよね? あ、でも毛皮は使うんだっけ?」

 さらに、獲った獲物を運ぶ方法も用意してないことに気づく。

「ああ~。全然駄目だ~」

 準備不足、ここに極まれり。

 暫く頭を抱えて煩悶していたヴィーシャは、すっくと立ち上がって宣言した。

「予行演習はこれで終了とする。これより帰還する」

 収穫はあった。狼がいるということは、狼の餌となる草食動物がいるということだ。力強くそう自分を納得させる。

 大隊のみんなに見られてなくて良かった。心底そう思いながら、ヴィーシャは狼を担いで町に帰るのだった。

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