第7話 ヴィーシャからの手紙
彼らは、〝ただの男たち〟であった。
無位無官。社会的地位もなし。家族を持つ者すら少数。
ただ、ほんの僅かに、心に黄金を宿しているだけの、ただの男たちであった。
「私で最後のようだな。始めよう」
何の儀礼もなく、帝都の崩れかけた建物の一室に集まって、挨拶もなく話し合いを始める。
帝国各地の様相、占領軍動向、食料問題、治安紊乱、交通痲痹。絶望感に飲み込まれかねない情報を、彼らは鋼の精神で取り込み続ける。
帝国…いや、旧帝国の様相は、いわば病院の一室で死を待つ重病人であった。辛うじて点滴で命を繫いでいるだけ。
帝国の死自体は、織り込み済みだ。だが、その死から次の生が生み出せなければ、無駄死にだ。
彼らは旧帝国を葬る墓掘りにして、新生ライヒの産婆であり、傅役たるを自認する男たち。
「予定通りと言えば予定通りではあるが……酷いものだ」
彼らの当初計画は
もしかしたら元上官は、この状態を見たくなかったからこそ、生贄となる道を選んだのかもしれないとすら思う。
最小限の犠牲が全土で百万市民の死、などという計画が、マトモであるはずがない。それでも彼らは、一人でも多くの市民を救うべく、悪あがきを止めない。
報告が終わり、検討事項の審議に入ろうかという所で、一人が手を挙げた。
「我々宛の手紙が届いています」
ざわり、と部屋の空気が搖らぐ。この集まりの存在は、各国の上層部の、さらに極一部だけが承知している、まさしく秘密結社だ。交渉チャンネルですら、厳重に秘匿されている。
それを、一体誰が……。
「アレの部下です」
「見せろ」
役場にあるような公用封筒の中に、表裏びっしりと書き込まれた便箋。そこには、地方のとある辺鄙な町の現状が、赤裸々に描写されていた。
「どうやってここを嗅ぎ付けた? アレの指示か?」
「いいえ、どうやら配給ルートを遡っていくよう指示されたものらしく、途中で我々の目に留まることを期待したものかと」
一見すると、幼い子供が聖夜に来訪する聖人に宛てた手紙のように、宛名が「赤鬚のおじさまへ」などと書かれている辺り、芸が細かい。ボトルレターでもあるまいに、こんな方法で我々にコンタクトを取ろうとするとは……流石というべきか、無謀というべきか。
手紙は次々と列席者に回覧され、彼らの表情を一層深刻にする。
「少し都市部に注力し過ぎていたかも知れないな」
「いえ、都市部は生産と消費の不均衡が著しいところですから、第一に都市を対象とするのは間違っていないかと」
「しかし一次生産を担うはずの農村部がこれでは、来季以降の食料生産も絶望だぞ」
人手がなく、家畜も根こそぎ供出されてしまった農村では、
「帳簿上の耕作面積に対し、秋蒔きの実際の作付面積がどの程度なのか、調査が必要だな」
「すぐにとりかかります」
「捕虜の解放を促進すべきでは?」
「それは駄目だ。今捕虜を一斉解放すれば、配給が完全崩壊する」
言ってしまえば〝捕虜〟という形で同盟軍に食わせてもらっているのだ。今の帝国にはそれを支える兵站…物流がない。そんな所に何百万という復員兵を一気に送り込めば、悲惨なことになるのは目に見えている。
同盟各国への補償などという名目で工場に動員した工員を引き止めて生産を続けさせているのも似たような理由だ。少なくとも、食わせてもらえる。この冬はそれで乗り切る気だった。
だが、来年以降、状況の好転が見込めないとなれば、計画の修正は不可避だ。
報告によれば、町には種豚の類すらないというので、食肉生産も絶望的だろう。馬車を輓く驢馬もいないので、近隣との連絡もままならない。
「家畜……家畜だと? どこから湧いてくるというのだ」
種牝まで根こそぎ持ち去るなど、一体どんな阿呆の指示だと、過去の自分をぶん殴りに行きたくなる。しかしあの時は必要だったのだ。あの頃は動物園の動物すら……。
「合州国を
「已むを得んか」
幸いなことに海外でのアレの交渉は上手く行ったらしく、合州国はかなりこちらに協力的だ。だが、借りが積み上がっていくのは気分的に良くないことは間違いない。
それにしても、自らの海外工作に直率した部下に、帝国での秘密工作に従事させた部下のみならず、このような
「得難い人材だが、取り込みは無理だろうな」
「アレの部下ですからな」
〝原初の大隊〟に命令を下せるのはアレ一人。そしてアレに命令を下せるのは、今は亡き閣下一人だ。手綱なき狂犬と化した連中を操るには、我々の狂気は些か不足しているのだ。
「それで、どうします? 支援は?」
「食料以外は無理だ。それは向こうも承知だろう」
特に家屋が喫緊らしいが、漆喰もセメントも、優先的に回せるものはない。他に欲しい物資は列挙してあれど、物資が無理なら知恵が欲しい、と締められている。
「知恵、知恵か。女子供でも建てられて、冬を凌げる家の作り方……誰か、心当たりはないか?」
「東部の建設工兵に当ってみます」
「この際古代人の住居でも構わん。一冬凌げれば良いのだ」
「新聞に載せましょう」
「それで行こう。あと、同様に孤立した村落がないか空から偵察して、その際にあちこちに〝荷物〟を落としてきましょう」
「雀の涙だろうがないよりマシだろう」
男たちは動き始める。
全ては未来のため。まだ見ぬ明日のライヒのため。
「ライヒに、黄金の時代を」
ブォンブォン、という聞き慣れたプロペラ音に、反射的にヴィーシャは瓦礫の陰に身を潜め、背囊から取り出した双眼鏡を空に向ける。
「合州国の双発機……!」
戦争は終わったので、もう怯える必要はないのだと頭では分かっていても、身に付いた習性はなかなか抜けないものだ。
飛行機から、ぽろっと何かが落下し、空に白い傘が開いたのを見た途端、ヴィーシャは頭を抱えて地面に伏せ、口を大きく開いた。
「なにをしているの、ヴィーシャ?」
知り合いのおばさんが不思議そうにヴィーシャに声をかけたのは何秒後だったか。ハンドサインだけで伏せるように伝えても、全然伝わらない。
「もう! ちゃんと伏せてよ! 危険物かも知れないんだから」
「まあ、何を言っているの、ヴィーシャ。戦争は終わったのよ?」
「子供たちが追っかけて行ったわ」
役場の臨時職員がパラシュートの回収に向かったと聞いて、ヴィーシャは慌ててシャベルを引っ摑むと、全力で駆け出す。
結局、投下された一抱えもあるような箱の中身は缶詰だった。
「ないよりマシだけど、焼け石に水だなぁ」
それでも上の人たちがこの町の存在を認識したことだけは間違いない。
缶詰はありがたく町の備蓄倉庫に保管され、その日の食事会でヴィーシャの行動が面白おかしく伝えられた結果、「怖がりヴィーシャ」という新たな称号が彼女に付け加わったのだった。
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