第6話 ヴィーシャ、その愛

 ある夜。バラックの中で、母が少し深刻そうな声で尋ねてきた。

「あのね、ヴィーシャ。ちょっと聞きたいのだけど」

「なあに?」

 ブーツを磨く手を休めて顏を上げる。

 母は一度ブーツを見た後、意を決して問いを放った。

「処刑されたっていう大将さんって、あなたとどういう関係だったの?」

 思わぬ質問に、きょとんとしてしまうヴィーシャ。

 しかしすぐに再起動して、どう答えれば良いか考える。

 彼女が所属していた部隊については極秘である。というか、ゼートゥーア上級大将は上司の上司に当たる人だったが、今の偽装経歴上の接点はない。

「ええとね…」

 視線を彷徨わせながら、少し悩む。

「私、軍では中央軍ってところの所属だったんだけど、そこのお偉いさん。見かけたことくらいはあるけど、直接話したこともないよ」

「そうなの?」

 疑わし気な母の顏。

 一体、なんだろう。

「相手は将軍さまだよ。中尉風情が話せる相手じゃないって」

 まあ、例外的に彼女の上官などは、中尉時代に将軍相手に一席大隊を手に入れたというが、そんなものは神話伝承の類だ。

「うちの上司がよく閣下のこと話してたから、ちょっと知ってるくらい」

「そう……」

 母の反応が今一つ良く分からず、説明を重ねるべきか切り上げるべきか、ためらった所で叔母が笑い始めた。

「だから考えすぎだって言ったでしょ、姉さん」

「え? え? 何の話?」

「いやね、ヴィーシャがその大将さんが死んだって記事を読んで泣いてたのを見たって人がいてね――」

 ヴィーシャは推薦を受けて将校になったのだが、あの鈍臭かったヴィーシャを推薦したのだ、実は〝深い仲〟だったのではないか、という話があったんだとか。

 そしてヴィーシャが訃報記事を見て泣くほど親しい相手の存在が発覚する。両者が井戸端会議の中で短絡し……。

「ゼ、ゼートゥーア閣下と私が⁉」

 いくらなんでも素っ頓狂な!

「閣下はいい歳だよ! しかも既婚者‼ 何言ってるのお母さん!」

「でもねぇ、そういうのにはトシは関係ないって言うし……」

「むきーっ!」

 幼年学校でも部隊でも、浮いた話ひとつなかったのに、故郷では勝手に恋バナが捏造されていた。

「でもね、ヴィーシャ、本当にい人はいなかったの? 叔母さんちょっと心配よ」

「いーまーせーんー! いませんでしたー!」

 色恋なんて言っていられるような職場ではなかった。環境もそうだし、上司からして浮ついた話ゼロ。ヴィーシャ自身、恥じらいというものを意識しなくなることもしばしばだった。というか、意識してたらやってられなかっただろう。何が混じってるかわからないぐちょぐちょのドロドロの中を這いずり回る日常、という辺りで色々捨てている。

 マッハの勢いで靴を磨き上げ、「おやすみ!」と言い放って寝袋に頭まですっぽり入って蓑虫になって見せたところで、母がようやく諦めの溜息を吐いた。

「もう。仕方ない娘ね。じゃあ、一つだけ。ヴィーシャを将校に推薦して下さった方は、どんな人だったの?」

「え?」

 寝袋の口から顏を出して母の顏を見上げる。そこには、どうしてこんな娘を?という不思議がる瞳。

「最初の任地の、私たちの隊の隊長さん。凄い人だったよ」

 詳しくは言えないので、精一杯ぼかして答える。立派な勳章を貰って、沢山戦功を立てて、軍大学を優秀な成績で卒業して、どんどん出世していった。

 最後は千人くらいの部隊を預かる中佐になったのだというと、母と叔母も大変驚いていた。

「でもね、もう会えない。遠い所に行っちゃったから」

「まあ」

 この戦争の時代、その言葉が示すところは母と叔母にとっても明瞭だった。

 二人は優しく微笑んで、ランプの火を吹き消した。

「いつまでも小さな娘だと思っていたけど、いつの間にか大人になってたのね」

「さあヴィーシャ、明日も仕事があるわ。もう寝ましょう」

「うん。おやすみ」

 遠いところ。多分合州国とかかなぁ。

 そんなことを思いながらヴィーシャは眠りに落ちていった。


 その後しばらくして、ヴィーシャは次々と町民から声をかけられるようになった。

「まあヴィーシャ、話は聞いたよ! 大丈夫、私達がちゃんと良いお相手を探してあげるからね」

「今すぐには無理だけど、ヴィーシャも満足するような男を探してあげるよ!」

「は、はあ……」

「中尉さん! 元気出してね!」

 最後に町長臨時代理氏が食事の席で重々しく宣った。

「中尉、共に祈りましょう。天に召された愛しい人の魂に安息のあらんことを……」

「えーと」

 逆らえない勢いに飲まれて、ヴィーシャは指を組んで祈りを捧げた。

(中佐殿、大変なこともあるけれど、私は元気です)

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