第5話 安息日のヴィーシャ

 娑婆で安息日の習慣がまだ生きていることに、ヴィーシャはとても驚いた。軍隊は二四時間営業、三六五日年中無休のサービス業。休息は交代で取り、休暇中ですら留守番士官が待機するのが当然という生活を何年も続けていたので、町民全員が一斉休暇、しかも皆揃って朝から礼拝という一般社会の風習はとっくに歴史の彼方に消え去ったものと思っていた。

 念のため、彼女の上官は休息、即ち戦力回復にに大変やかましい人物であり、規定通りの休息を取らない将兵に対し大変厳しく、時には術式を使って休息を強要する立派な指揮官であった。

(そういえば中佐殿も敬虔な方であったなぁ)

 戦場でも祈りを忘れなかった中佐殿のこと、きっと戦争が終わった今では安息日の習慣も取り戻しておられるかもしれない。

 そんなことを思いながら、礼拝を終えたヴィーシャは半壊した町役場で新聞を取り出す。

 町役場兼町民会館の建物は幸いな事に完全倒壊を免れた。単に建物が大きかったので一発で全体が吹き飛ばなかったためでもある。向かって右半分は倒壊したが、左半分は綺麗に残っている、という状態。

 ともあれ、ヴィーシャは役場の一室を借りて、終戦後の新聞をまとめて閲覧することにしたのだ。

 一番古い、終戦の翌日付の新聞を見る。一枚の紙を二つ折りにしただけの、粗末な紙質。こんなところにも、戦争の影響は及んでいた。

『帝国軍、降伏す』

『同盟軍に対し、無条件全面降伏』

『皇帝亡命』

 見出しを読むだけで、心が痛くなる。

 最初は悲嘆に暮れていた論調は、数日後には帝国軍を批難するものに変わっていく。

『悪の首魁・ゼートゥーア起訴』

 戦争を企画し、陰謀を巡らせ、レガドニアを誘引し、全世界を戦争に巻き込んだ。もちろん、帝国の現在の窮状もまた、彼の責任であると筆を極めて罵られている。

 ゼートゥーア上級大将は彼女の属した大隊の直属の上司だった。もちろん、一介の中尉の身、直接言葉を交わす機会があったわけではないが、彼女の敬愛する隊長が常々尊敬の言葉を漏らしていた上官なのだ。軍人らしくない物腰穏やかな紳士で、一角の人物であると信じていた。

 それがこんな扱いを……。

 その後数日の新聞は、目を覆いたくなるようなものだった。

『人道に対する罪』

『人類に対するヘイトクライム』

『血を啜る帝国軍人』

 大陸軍事裁判の判決は死刑。

 即日執行。

 新聞は高らかに新時代の始まりを謳う。

 中には帝国軍を擁護する言葉すらある。帝国軍は間違った指導者によって、誤った戦いに駆り出された被害者である。

 そんなことはない、とヴィーシャは断言できる。

 東西南北、果てはモスコーや暗黒大陸まで、すべての戦域を飛び回った彼女たちは、決して間違ってなどいなかった。

 中佐殿はいつも正しかった‼

 我知らず涙が浮かび、少しの間だけ、ヴィーシャは泣いた。ゼートゥーアが否定されるのは、その下で戦っていた自分たちが否定されたように思えたからだ。

 心を落ち着けてから、歯を食いしばって新聞を読み進める。

 交通網の寸断、配給の停滞、途切れがちな援助。

 きらびやかな言葉の陰に、悪い情報は沢山見つかる。

 都市部での燃料の不足。ああ、この町は幸いにも薪には不自由しない。問題は家だが。

 治安の悪化。記事ではぼやかして書いているが、連邦軍がいろいろとやらかして、しかも誰も取り締まれないらしい。幼い時分の赤軍の記憶や、東部でのあれこれを考えれば当然だろう。

「治安。問題だな……」

 この町には以前警察官が一人駐在していたが、まさにその人物こそが爆撃の被害者だった。空襲警報の鐘を鳴らし、町民を避難誘導した果てに、本人だけは駐在所に残ったのだ。多分、命令で逃げられなかったのではないかとヴィーシャは推測する。

 かくして現在、この町には警察力がない。軍事力は、まあ、少々。

 自分一人なら連邦の一箇歩兵中隊くらい撃退してみせるが、銃も術弾もないのでは町を守るとなると難しい。

 女性と老人しかいないこの町に連邦兵が押し寄せてきたら……。

 悲惨な未来図に、ぶるっと身震いする。

 優先順位を上げておこう。心のメモ帳に、そうしっかりメモする。

 軍が解体され、残余事務は内務省に引き継がれる旨の公告。公務員の給与・年金等の遅配が宣告される。

 物価の高騰もあって、通貨価値は暴落中。

(ああ、これも中佐殿が事前に教えてくださってたなぁ)

 使う宛もなく貯まっていた貯金は、助言に従い、大隊の伝手で貴金属類に換えて誓約同盟の某銀行の貸し金庫に預けてある。問題は、自ら取りに行かない限り使えないことだが、当面は手持ちで凌ぐしかない。もっとも、この町にいる限り、現金が必要になるのはもう少し先のことだろうが……。

「ホント、中佐殿って未来を見通すっていうナントカの悪魔じゃないかって思うな」

 歩くと一日かかる隣町から連絡が来るのは、二三日に一回。それも、何が運ばれて来るか分からないのが実情だ。

 この町は今事実上の陸の孤島だ。向こうから支援がやってくることを期待するのは間違いだろう。

 次の連絡便に託す内務省宛の手紙の文面を、ヴィーシャはひねり始めた。

 支援を要請しても、今の帝国では難しいかも知れないが。


 夕食も町民一同で摂り、後片付けの後、バラックまで歩いて帰る。

「ああ、早く家を建て直したいね」

「本当! 家財が結構救い出せたのに、これじゃ置き場もないものね」

 倒壊家屋の撤去が進むに連れて、家々の再建の話は持ち上がってきているが、今のところ方策なしだ。

「ゴメンね。軍隊で家の建て方は習わなかったの」

「ヴィーシャは気にすることはないわよ!」

「そうよ、今でも十分に助かってるわ」

 町に大工のおじさんがいたが、いつ帰ってくるのか皆目見当がつかない。

「野戦築城ならそれなりにできるんだけどなぁ」

 蛸壺を掘ったり塹壕を掘ったり交通路を掘ったり土嚢や胸壁を積み上げたりするのは、相棒の手にかかればお手のものだ。バリケードを構築したりするのもできるが、それ以上となると難しい。

「うーん、色々頑張んなくちゃなー」

 バラックを見て思う。

 このまま冬を迎えてしまっては、皆共倒れだ。家畜も男手もないので、農地も家庭菜園程度であとはほぼ放ったらかし。馬車もないので隣町にも行けない。頼みの古巣軍隊も解散してしまった。

 この冬は、厳しいことになりそうだった。

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