第2話 ヴィーシャ、自覚する

 体内時計が起床時間を告げると同時に目を開き、寝袋の紐を弛めてするりと抜け出す。寝袋を畳んで丸めて場所を空けると、狭い空間で手早く身支度を整える。

 体内時計が経過時間を刻々と告げる中、コッヘルに水筒から水を注ぎ、指先を濡らして顏を洗う。残った水で歯を磨き、ブラシで髪を梳いてヘアピンで留める。昨夜ピカピカに磨き上げたブーツを履き、着たまま寝た軍服が見苦しくないか確かめるため、掌サイズの鏡を取り出したところで吃驚仰天。

(ドッペルリッツェンと階級章がない!)

 どこかで剝がれたの⁉ このままでは中佐殿に教育的指導を受けてしまう!

 慌てて予備の徽章を調達せねば、と思い決めた所で気がついた。

「そっか、戦争終わったんだっけ……」

 徽章以外、完璧に整えられた軍装を見下ろし、習慣は怖い、と誰にともなく呟く。

 日の出は過ぎているはずだが、ヴィーシャが身を寄せているバラックの中はまだ暗い。

 母と叔母はまだ毛布に包まったまま、起きていないようだ。敵に気付かれぬよう、音を殺して身支度する術も、健在ということか。

 とりあえず外に出てコッヘルの水を捨て、身体を伸ばす。バラックは本当に手狭で、三人並んで寝ると他にスペースは残らないと言っても良いくらい。ありあわせの木材で作られたバラックは、風雨こそ凌げるものの、このまま冬を迎えるのは厳しそうだった。

 軽く体操をしたところで手持ち無沙汰になったヴィーシャは、周囲を偵察することにした。将校課程でも、また大隊でも戦闘団でも、新たな地点に進出した時にはまず兵用地誌を掌握すべし、と叩きこまれている。ここは見知らぬ故郷ふるさとだ。

 軽く、ペースを保って走りだし、このバラックが立ち並ぶ避難所を観察する。

 昨夜母と叔母から聞いた所によれば、数ヶ月前のこと、突如空襲警報が鳴り響き、慌てて住民が逃げ出した後に、数機の飛行機がやって来て爆弾を落としていったのだという。どこの国かは分からないというが、誤爆だったのかもしれないとヴィーシャは考えていた。爆撃機が機位を見失って、適当に目に付いた町にを捨てて帰るという話は、戦時中よく聞いたものだ。

 何の変哲もない地方の住宅地だったのだが、被害は甚大。幸い、避難のお陰で死者は殆どなかったというが、多くの家屋が破壊された。

『焼夷弾じゃなくて良かった』

 そう安堵の息を漏らすと、母と叔母からは『この娘は何を言っているんだろう?』と言わんばかりの眼差しを向けられた。

「私、だいぶズレちゃってるなぁ……」

 大隊では常識人の方だと思っていたのだが、知らず知らずのうちに、染まってしまっていたのかも知れない。まあ、そのくらい長い付き合いだったのだ。

「中佐殿、今何してるかな……」

 〝ライヒの護り〟作戦の前に、大隊は実質的に解散した。一つは国外で極秘作戦に従事、もう一つは国内で極秘作戦に従事。両方とも志願のみ。〝死人〟となることが条件。

 ヴィーシャも志願したのだが、身寄り、身内がいるものは不可とされたところだ。

 そして公式に大隊は全滅。大隊に所属していたセレブリャコーフ中尉も少佐に二階級昇進した。今ここにいるのは、同姓同名の別人で、ラインで初戦を飾った後、将校課程を経て中央軍に所属していた一介の退役魔導中尉、ということになっている。いかなる手回しか、帝都攻防戦にも参加せずに済んだ。

 極秘作戦については、殆ど何も知らない。ただ、〝バルバロッサ〟なる秘密組織を立ち上げ、ライヒの再興を期するのだ、と聞いているが、漠然とし過ぎている。

 愛国心に満ち溢れた中佐殿のことだ。今もライヒのために邁進しているに違いない。

「私、頭の方はイマイチだからなぁ」

 将校にはなったけれども、幼年学校徴募組の上、促成栽培だ。かの軍大学の恩賜組であった中佐殿とは比べ物にならない。

 中佐殿の新しい戦いに必要とされなかったのは悲しいことだが、幾分諦めもあった。戦争ドンパチは上手になったが、その先がない。中佐が必要としていたのは、その先の戦いに役立つ人材だ。

 そう、例えばグランツ大尉とか。

 最初はラインで合流した補充兵だったのが、正規の士官学校卒ということもあり、最終的に階級では抜かされた。死人となった彼も今どこで何をしているやら。

 気づくと、バラックの群れを一周していた。

 建物の配置や周囲の状況は把握できたが、少々負荷が足りないと感じたヴィーシャは、もう一周、ペースを上げて走り始めるのだった。

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