第10話

 ――水曜日


 和也は早朝にユミが発した言葉が気になっていた。少し空が明るくなり始めたころだから、午前四時三〇分ごろだろうか。ユミが『あ! F病院』とだけ、はっきりと話したのだ。

 和也が『ユミ、F病院がどうした?』と問いかけても、ユミは和也に抱きついて、安らかな寝息をたてるばかり。

 朝食の際に、和也がF病院についていても、行ったことのない病院、とユミは答えた。


 和也が通勤のための電車に乗ったので、F病院を携帯電話で検索してみると、G県T市にある救急病院だった。七月にユミがF病院に搬送されたのではないか。和也はそう推理した。ユミが生霊で、F病院で闘病をしているのかもしれない。もちろん、ユミが幽霊で、既に死亡している可能性もある。

 大いに悩んだ末に、和也は探偵の中崎なかざきに、ユミがF病院に入院しているか、調査を依頼した。


 ◇◇◇


 ユミは綿密にシミュレートする。ユミの実家からセキセイインコの佐吉さきちを連れ出す計画だ。既にケージや餌などの飼育用具は調達してある。あとは肝心の佐吉だけ。

 インコの佐吉はユミが一人暮らしを始めた際には、G県T市のアパートに連れて行き可愛がっていた。現在実家に佐吉がいるのは、おそらく父の雅夫まさおが自分の形見として飼育しているのだろう。雅夫の後妻となった母の七恵ななえと違って、雅夫はユミを可愛がってくれた。その雅夫から亡き娘代わりのインコを奪うのは、とても心苦しい。


 だが自分がいなくなった後の和也に、ユミは佐吉を残してあげたい。きっと、佐吉を見るたびに、自分を思い出してくれるだろう、とユミは考えている。新たなインコを購入するのは問題外だ。和也も見ている佐吉のパイドホワイト自体が珍しいし、自分にとても慣れている佐吉を、和也の留守中にユミも可愛がりたい。そう考えて、ユミは実家から佐吉を強奪することにした。


 もちろん、正面から実家に入るわけにはいかない。死んでいる自分が現れたら、大騒ぎになるのは目に見えている。窓が開いた隙に忍び込むのだ。そのためには、いつでも透けられる状態でないといけない。


 和也のマンションから、ユミの実家まではかなり近い。徒歩でも三分程度だろう。和也の目を意識しだしてから、透けられる状態になるのは、かなりの抵抗をユミは感じてしまう。他人の目からは服を着ているように見えるはずだが、実質は全裸だからだ。いわゆる『見える人』には、どう自分が映るのだろう。ユミは考えるだけで憂鬱になる。


 和也からマンションの鍵は預かっている。だが鍵を持って透けてしまうと、鍵が浮遊する怪奇現象だ。バルコニーから全裸で飛ぶしかない。時間もちょうどいいはずだ。部屋着のシャツワンピを脱いで、ブラを外して、ショーツを脱ぐ。準備完了だ。バルコニーに全裸で出る。

「やだ、恥ずかしいよおー」ユミは泣きたくなった。


 ◇◇◇


「やったあ。任務達成!」ユミはかなり疲労しているが、充分な満足感があった。リビングのソファに寝そべった、ユミのすぐそばの新品ケージの中には、白いセキセイインコがいた。

佐吉さきち、久し振りだねー」ユミは柔らかく微笑みながら、インコの佐吉に問いかける。佐吉もユミを覚えているらしく、ときおり、チッチッチッと機嫌のいい鳴き声をあげている。


「ママも悪い人じゃないんだけど、和解はもう無理だね……」

 ユミはインコの佐吉を実家から連れ出した際に、母の七恵の姿を見かけた。もちろん、話しかけも、姿を見せもしなかった。

 ユミが幼少のころに父の後妻となった七恵は、一般的な幼児とは異なる嗜好や興味を見せつけるユミに、非常に驚く。そして七恵はときとして化物を見るような目で見ることもあった。


 今ならユミも異質さを見せないようにするテクニックを身に付けている。だが幼い頃は、ユミにも余裕がない。ユミと七恵の感情は歩み寄ることはなかった。

「まあ、しょうがないか……」

 ユミはつぶやいて、化粧の練習をしに、洗面所に向かった。


 ◇◇◇


 和也の本日の業務は、ウィークデイの中間ということもあって、割と余裕があった。和也は早くユミに会えると思って、午後も早くから高揚した気分だった。なるべくユミに寄り添っていたい。幸いにも緊急な案件もなく、和也は定時で会社を後にする。

 ユミに帰りの時間をメッセージしようとしたら、逆にユミからのメッセージが着信した。

『パパの帰りを待ってます。 ユミ♡』

 パパとはどういうことだろう。和也は疑問に思ったが、一時間ほどで帰るよ、と返信して、和也は帰宅の途についた。


 和也が自宅ドアを開けて、「ユミ、ただいまっ!」と大きな声で帰宅を告げると、ユミが小走りで駆け寄ってきた。

「パパ、お帰りなさいっ!」

 和也は苦笑して「パパって?」と訊くとユミはリビングの方を指差している。和也がリビングに入ると、真新しいケージに見覚えのある白いセキセイインコ――もふもふピーちゃんではなく、もふもふ佐吉がいた。


「少し苦労したけど、うまく捕まえてきたよ」

 ユミは上機嫌な笑顔だ。一人暮らしのときにも、ユミは佐吉を可愛がってたという話なので、嬉しさは格別だろう、と和也は思った。

「ユミ、良かったな」と和也は言う。

「パパが、お仕事から帰りましたよー」

 ユミはケージの中の、佐吉に話しかけた。


「そのパパってなんだよ?」

 と、和也が尋ねると、

「和也さんと私の子どもができたら、私も和也さんをパパと呼ぶのかな? えへへ」ユミが照れ笑いをしている。実現不可能な妄想をしているユミが切なくて、泣きたくなって、和也には返す言葉が見つからなかった。

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