第9話

「和也さんに、嫌われるかもしれないから、あんまり言いたくなかったんだけど……」ユミは恐る恐るといった雰囲気で話しだした。

「俺がユミのことを嫌うわけないだろ」と、和也は自信をもって断言する。

「そう……まずね。『頭がいい』っていうのは私のせいじゃなくて、生まれつきの面が大きいの。IQ――知能指数については、遺伝的要素でほぼ決まると言われてるわ」

「へえ。そうなんだ?」

 確かIQ一四五だか一五〇の天才、といった知能指数に関する報道を、和也も見た記憶があった。勉強や訓練をしても、知能指数はあまり変わらないものなのか。和也は意外に思う。


「知識の蓄積――勉強については当人の努力だけど、生まれつきなら身長が高い低いと同じ感覚でしょ? 和也さんは、『身長高いですね、すごいですね』と言われて嬉しい?」

「なんとも思わないかな」

「うん。それにね、一般的な範囲から測定値が外れると、低すぎるのも異常だし、高すぎるのも異常といえるの。たとえば身長で考えてみると、二〇〇センチや一四〇センチの日本人男性は異常でしょ?」

「二〇〇センチや一四〇センチの人は、確かにめったに見かけないし、いたらちょっと驚くかな」

「同じことで、知能指数の場合も七一から一二九の範囲に、人口のほぼ九五パーセントが収まっていて、範囲の上と下は異常値ということ。知能指数が七〇以下は知的障害とされているわね(※作者注 認定団体によって基準値が七五の場合や、以下でなく未満の場合などブレがあります)」


 知能指数が低いことが異常なのは、和也も分かっていたが、高くても異常というのには気がつかなった。確かに正常範囲外という意味で、『異常』といえるだろう。

「ああ。なるほど、そうなるのか。でも、知能指数は高くても困らないんじゃない?」

「勉強するのには便利だけどね。でも、たとえば小学校低学年で、みんながアニメの話をしている中、一人で微分積分に熱中している子がいたらどう思う?」

 なるほど。読めてきた。ユミは高校まで友達がいなくて寂しかった、と言っていたな。

「話が合わずに友達はできないから、一人ぼっちかな」と和也は答えた。きっとユミは一人ぼっちだったんだろう、と和也は可哀想に思った。


「そんな子が私。家族ともまったく話が合わないし理解されなかった」

「ユミ……」和也はユミを不憫ふびんに思って、強く抱きしめた。

「普通の人と興味や考え方が違ってるけど、それ以外は普通でしょ? 悲しければ泣くし、悔しければ怒るし、和也さんに気持ちいいことされたら、大変なことになっちゃう」

「ああ。全くそのとおりだ」和也はユミの背中を撫でてやる。

「集団の範疇はんちゅうを外れた『異物』については、異質感と恐怖感を覚える人は多いのよ」

「ユミ。自分を『異物』とかいうなよ。少なくとも俺はそう思ってない」

「ありがとう。だから和也さんのことが好きなのかも」


 ユミが天才少女だとすれば、一風変わった言動や博識ぶりも、和也は大いに納得できた。きっとユミは、和也の想像もつかないことを、常日頃から考えていることだろう。

「ちなみに、ユミの知能指数はどのくらい?」

「去年測定してもらったら、一七五だって。確率的には約三〇〇万人に一人みたい」

 三〇〇万人に一人と聞いて、和也は驚いた。お土産のプリンではしゃぐ無邪気なユミは、相当優秀な頭脳の持ち主なのだ。ギャップに笑えてしまう面もあるけれど。

「三〇〇万分の一とはすごいな。学校の勉強とかは?」

「ずっと一番。でもね、申し訳ない部分もあるの」

 申し訳ないとは、どういうことだろう。和也は意味が分からない。


「知能指数というのは、簡単にいえば『物事を多角的に判断する能力と脳の処理スピード』のこと」

「なるほど、そういうことか」

「おとといの日曜日に記憶の話をしたときに、忘れたら何度も覚え直すと、記憶できると言ったでしょ?」

「ああ、確かに。何度も覚え直すとしっかり覚えるな」

「話がちょっと変わるけど、和也さんは自分の携帯電話の番号を覚えているはずね。でも、最初は間違えたりしたはず。間違えるたびに何度も確認して、覚え直して、はっきりとした記憶になった。だから、今もすらっと番号が出てくるの。でしょ?」

 随分前だからあやふやだが、和也も自番号表示を何度も見た覚えがあった。


「うん。そうだね」と和也は答えた。

「インプットが他人より圧倒的なスピードでできるとしたら、努力しなくても覚えるのは簡単でしょ?」

「確かにそうなるな」

「じゃあ、すごく努力してる人は、努力しない私をどう思うか、って話」

「うーん。そうだなあ。悔しく思うだろうし、ずるいとか思う人もいるだろうね」と、和也は考えつつ答えた。きっとユミも周囲から好意的に見られないことが多かったのだろう。


「そうね……だから、私みたいな人――ギフテッドと呼ばれている人の中には、自分の能力をわざと隠す人もいる。仲間はずれにされないようにね」

「あー。なるほどね。ギフテッドって?」

「神様から才能を贈られた――『gifted』という意味ね。ゲームでステータスを一点に全て振り分けたみたいに、他の部分が普通じゃなくなる場合もあるから、いいとも限らないの」

 一部の能力が突出すると、他の能力がダメダメになるようなものか。

「ああ、なるほど。そういうこともあるかもね」と、和也は腑に落ちた。


「私は頭の回転が速い才能なんか欲しくなかった。普通がよかったのに……」

「普通っていうと?」

「うん。好きな人と幸せな家庭を作れれば、私はそれで充分だった」

 確かにユミは、料理をしたり買物をしたりと家庭的なことを嬉々としながら、やってくれている。『充分だった』と過去形なのが悲しい。やはり、ユミも消滅を覚悟しているのだろうか。ならば、ユミのしたいことをさせて満足させてあげたい。


「全然話は変わるけれど、ユミは何かしたいことある?」

「和也さん、いきなりどうしたの? やけに優しいじゃない」

 ユミは少し怪訝そうな口調だ。唐突な提案で意図を見破られてしまったのだろうか。相手は天才少女だ。和也は焦ってしまう。

「あー。週末の話だ。ユミが行きたいところや、したいことがあれば、ってこと」これで唐突な提案の不自然さはなくなっただろうか。

「行きたい場所は、たくさんあるから調べておくね。すぐにしたいことなら、佐吉さきちをここで飼いたいの」

 佐吉といえば和也が助けた白いセキセイインコ。元もふもふピーちゃんだ。

「飼うのは構わないし、昨日渡したお金で足りないなら言ってくれ」

「わーい! やったあ。ありがとう」

 子供のような無邪気な笑顔を見せつけるユミ。だがこの笑顔をいつまで見れるのか。和也は切なくなってしまう。

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