第14話

 ユミは大学に数ヶ月通った、と話していたから、入学した際に一人暮らしを始めたのだろう。そして入学して数ヶ月後に、ユミが生命を落とす何かが起きたということか。心がきゅっと締め付けられるような感情が、顔に出ないように、和也は努めて平静に会話を続ける。

「数ヶ月間なら、あまり上達しなくても、仕方ないよね。ユミちゃんは、どんな料理が得意なの?」

「そうね。カレーとか、肉じゃがとか、野菜炒めとか……」

「頑張って作ってるね。とか?」

 ユミの語尾が『とか……』で終わっていたので、和也はさらに尋ねた。

「カレーとか」


「カレーにループしてるぞ?」

「へへへ。自信のあるレパートリーは、少ないからね。もっともっと増やすんだ」

 照れ隠しの笑顔のユミだ。

「頼もしいな」

「頼もしいじゃなくて、楽しみにしてて!」


「俺になにか作ってくれるの?」

一宿一飯いっしゅくいっぱんの恩義、って言うじゃない? 取りか……ごめん、居候させてもらうのだから、私ができることをするのは当たり前。それに和也さんに、かわいい洋服もたくさん買ってもらったし!」

 先ほど好みの洋服を買えたのだろう。とびっきりの笑みをユミは見せつけた。和也が嫌がったので、『取り憑く』という言葉も訂正している。本当に性格が良い子だな、と和也は嬉しくなる。

「大げさだなあ。宿やどといってもソファだし、めしといっても、コンビニのプリンだろ?」

「私にとって居場所があるのは、すごくすごく重要なことで、大げさじゃないんだよ。『しばらく』と言ったけれど、私が消えるまで居させてほしいな……。和也さんの迷惑になる?」


 ユミが、不安気な上目遣いの眼差しで見つめているのが、和也の横目に映る。ユミに好意を抱いている和也にもちろん否はない。それどころか心のどこかで、ユミにずっとそばにいてほしい、とも願っている。ただ、それがユミの幸せに繋がるのか、というとこれまたノーだろう。

「迷惑どころか俺はユミちゃんがいると嬉しいよ。好きなだけいればいいよ」

 言葉を選びつつ和也は返事をした。

「嬉しい! ありがとう! でも私が邪魔になったら、ちゃんと伝えてね」

 ぱっと明るくなった表情のユミを見たら、「そんな事あるわけないだろ。心配しなくていいよ」と、答える他に和也の選択肢はなかった。


 幸い渋滞もなく二人を乗せたレンタカーは、G県のT市の目前まで迫っている。ユミからT市に行きたい理由を聞いていないので、目的地を和也は尋ねた。

「そろそろT市に入るけど、どこに行けばいい?」

「少し迷っていたけど、T大学に行きたいの。私が通っていた大学なんだ」

 自分の死を含めた過去に、ユミが向き合う気になったのか。複雑な気分で和也はT大学に向けて、クルマを走らせた。


 ◇◇◇


 数ヶ月前まではほぼ毎日通っていたのに、目に映る景色が以前と大きく異なっている。違和感があるのは、自分のせいなのか、季節のせいなのか。ユミに正解は出せない。付近に和也を待たせて、ユミは母校の門をくぐる。

 四月に新入生の立場で、キャンパスに初めて足を踏み入れたときには、ユミは自宅から離れられる開放感で一杯だった。以降しばらくは、浮かれていたのかもしれない。


 今の気分と雲泥の差の、高揚した気分で過ごした数ヶ月前の記憶を、ユミは辿りながらキャンパス内を歩んだ。土曜日なので、歩いていてる学生の数はまばらだ。だが、自分の顔を見られてはいけない。ユミは和也に借りた帽子を深めに被り直し、サングラスの位置を調節する。


 ユミが和也にせがんで、このT大学に来たのは、数ヶ月付き合った男性――横山よこやま隆司たかしの様子をうかがうためだった。自分の存在が無くなって、隆司はどうしているのか。ただそれだけが気になっていた。初めて唇を許し、そして……。


 彼にはきっと、土曜日のこの時間ならきっと会えるはず。しばらくベンチでユミはくつろぐ。会いたいような、会いたくないような。複雑な心境で過ごした数十分後。懐かしい男性の姿をユミは認めた。


 ――タカシくん!

 思わず上体を起こして、隆司に駆け寄りそうになったユミだったが、彼の後ろを早足で歩く女性に視線が釘付けになった。高階たかしな慶子けいこ――ユミが大学入学後に一番仲良くしていた親友だ。慶子はタカシに追いつくと、満面の笑顔で、彼に一言二言話しかけ、親しげな様子で腕を絡ませる。


 ――結局、私がいなければ丸く収まるってこと?

 ユミが下唇を強く噛んで、和也のクルマに向かって歩き始めたときには、既に二人の姿は校内から消えていた。


 ◇◇◇


「和也さん、お待たせっ!」

 和也がニュースサイトの記事を読み飽きたころ、明るい笑顔のユミが助手席に乗り込んできた。すぐにユミに気付いた和也は「あ、ユミちゃん。何か思い出したことあった?」と尋ねる。

「ちょっと懐かしかったけれど、新しい記憶は全然思い出せないや。和也さん、ごめんなさい……遠くまで引っ張り回しちゃって」

 拝むような手付きでユミが謝った。


「別に構わないよ。久し振りのドライブも気持ちいいもんだ」

 和也はユミに気をつかわせないように、軽い調子で返事をする。

「和也さんも運転に疲れたでしょ。高速で急いで帰ろうか」

「そうしよう」

 と答えて、和也は自宅に向けハンドルを切った。


 辺りはすっかり暗くなっている。帰りの道路も、行きと同様に渋滞もなく順調だったが、和也の心は穏やかでない。行きは陽気だったユミが、口数少なくなったからだ。ユミが大学で、なにかを見たとか、思い出したのかもしれない。とはいえ、何かあったか、とは訊けない。ユミが消えてしまいそうな不安を和也は強く感じていた。


「あと、どの位で家に着くかなあ?」

 焦燥しょうそう感にさいなまれていた和也にユミが尋ねる。彼女の方から口を開いてくれてよかった。和也はほっと胸をなで下ろした。

「一時間ちょっとかな」と答える。

「和也さん、ごめんなさい。私、すごく疲れちゃったみたい。次のインターで降りて、あそこで泊まらない?」

 と、ユミが指差したのは、明るいネオン看板が輝くホテル街。予想をしていなかったユミの提案に、和也は驚きを隠しきれずに尋ねる。

「ユミちゃん、あ、あれってどういう場所か……」

「私もね、男女がどういう事をする場所だか、分かってるわよ。ダメ?」

 ユミの返答も、和也を再び驚愕させる。だが、『ダメ?』のところで、甘えた声の上目遣いのユミには、和也はノー、とは言えない。左ウインカーを出して、二人を乗せた車は、インターチェンジから高速を降りた。

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