第6話

「ええと……その……」とユミは、言い淀んでいる様子。

「ユミちゃん、別に遠慮は要らないからね」と和也はうながす。ユミの願いを、未練を、できるだけ叶えてあげようと思った。

「お風呂を貸していただけたら……なって。すいません」

 すっかりタメ口になっていたはずのユミが、おずおずと切り出す。難しい願い事がくるか、と身構えていたので和也は拍子抜けしてしまった。幽霊になっても日本人だから、お風呂に浸かりたいのかもしれない。和也は「すぐに用意してくる」と風呂の準備に走る。


「数分でお湯が溜まるからね」と、リビングに戻った和也が告げるが、

「ええと……」再びユミはうつむいて、もじもじとしている。

「ん? 遠慮しなくていいよ。何でも言ってごらん?」和也が伝えると、意を決したようにユミが言った。

「その、あの……着替えを貸していただけますか?」

 なるほど。知り合って間もないのに、風呂や着替えを要求するのが、厚かましいと思って、遠慮していたのか。和也はそう考えて、「ちょっと、待ってて」と寝室に、ユミの着替えを見繕いにいく。


 フランネルの厚手のパジャマ上下を和也は探しあてたので、「とりあえず今夜は、これで我慢してくれないかな。俺のパジャマだし、あいにく下着はないけれど」

 リビングのソファで、大人しく和也を待っていたユミに手渡す。

「ありがとうございます。お手数をお掛けしました。お借りいたします」

 部屋を訪ねて来たときと同じような、ユミの丁寧な敬語に、遠慮して照れているのか、と和也はいぶかしげに見やった。だがすぐに、風呂の給湯完了を告げるチャイムが鳴ったので、ユミを浴室に案内する。


 バスタオルなどのアメニティグッズも用意したので、和也が浴室のドアを閉めようとすると、ユミの視線を感じた。まだ頼み事があるのかと、和也がユミの顔を見る。

「和也さん! 奥さんに逃げられたからといって、覗いちゃダメですよ?」と、照れくさそうな笑顔のユミが釘を刺した。

「何をばかな……。ごゆっくり」

 昔話の『鶴の恩返し』で、若い嫁の姿になった鶴が、決して覗いてはいけないと釘を刺したことを思い出した。くすりと笑いがこぼれてしまう。和也はそっと浴室のドアを閉めた。


 そういえば、ユミは手ぶらだったよな、と和也は思い起こした。そこで彼女が風呂に入っている間に、他の着替えも探すことにする。

「智美は一切合切いっさいがっさい持っていっちゃったからなあ……」和也は独りごちた。

 一年前の夜遅くに、会社から和也が帰宅すると、いつも出迎えてくれるはずの、妻の智美の姿がなかった。外出中に事故にでも遭ったのか、と心配になり部屋中を探しまわる。すると、智美が着替えから何から、自分の全ての荷物を運び出していたことが分かった。また、智美が和也との関係修復の意思がないこと、今後一切会うつもりがなく、離婚について弁護士を介して協議したい旨の手紙が残されていた。


 智美を愛していた和也は、浮気などの女性問題は皆無で、会社も大過なく勤めていたし、酒やギャンブルなどの問題もなく、まさに青天の霹靂へきれきだった。法的に和也に非がないので、夫婦共有財産の分与もなく、幾ばくかの慰謝料が和也に支払われる形で、協議離婚が成立したのが約半年前だ。


 弁護士から知らされた智美の不満は、要約すれば『和也は優しいけれど頼りない』とのこと。協議中も離婚について、和也は納得はせず渋って打開策の提案もした。だが、智美サイドは離婚するの一点張り。結局、和也は揉めに揉めるよりは、穏便に事を収めて、智美に恨まれないよう折れた。確率はごく低いとはいえ、大きな衝突をしたこともないので、復縁の期待も少しはあった。


 だが先月、大学時代の友人の修一しゅういちから、智美がとある男性が用意したマンションで暮らしていると教えられた。智美の交際相手に間違いないだろう。修一によれば、男性はかなり裕福で会社を経営しているらしい。おそらく離婚に関する諸手続、慰謝料なども男が用意したのだろう、そのぐらいは誰でも分かること。


 苦い経験を和也が思い出していたところ、浴室から大声が聞こえてきた。

「えー!? そんなああ!」

 ユミの身に何かあったのだろうか。彼女は普通の人間じゃない。心配になって、和也は慌てて浴室に急いだ。ドアの前で声をかける。

「ユミちゃん、大丈夫? どうした? 何があった?」

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