第50話 スタイン市への凱旋(2)
シオの街を経つ日、朝告げの鐘が鳴る前に起こされた。寝ぼけた頭のまま目を開けてみれば部屋の中にはボネットと、数名の従僕の姿がある。首を振って頭を覚醒させながらアネットの姿を探したが彼女の姿は無い。
「もう、朝なんですか……?」
窓の外は白み始めてはいたがまだ暗い、太陽は昇りつつあるが顔を覗かせるにはまだ時間が掛かりそうである。
シオを出立する前に街の中を巡るパレードを行う予定になっている、その打ち合わせのために昨晩は床に入るのが遅かった。普段と比べれば睡眠時間はかなり短く、そのためか頭は中々目覚めきらない。
「試着する時間が要ると昨晩に言ったでしょう?」
「あぁそういえば言っていましたね。けど幾らなんでも早過ぎないですか? 出るのは昼に近いと聞いてましたけど、まだ日の出前ですよ」
「着てもらうのは鎧ですからね、実際に付けてみてもらって細かいところは修正しないと」
「え、鎧? スタイン市に帰るんですよね? そのついでに行進するだけなのに、鎧なんて大層なもの着ける必要があるんですか?」
市民の前に姿を現し笑顔で手を振れという指示はハリスから出ている。消沈している人々を高揚させるためのパレードであり、期せずとも英雄になってしまった伍堂が旗役を務める事になる。
もちろんそのために礼服を着せられることになると想像してはいたが、鎧を着用させられるとは思いもしていなかった。だが考えてみれば当然の事だろう。英雄にも色々あるが、伍堂は戦士として英雄になってしまったのだ。ならその礼服となるのは鎧だろう。
「そりゃあそっちの方が見栄えが良いですからね、頼りがいがあると感じてもらわねばなりませんし。あぁ、でも兜は無いです。被っていると顔が見づらくなりますからね、プレッシャーを掛けますけれど英雄の顔を見てもらわねばなりませんから」
見るからに息苦しそうな兜を着けなくて良い事に安堵するが、胸のしこりが取れるわけではない。
伍堂は自分の顔を撫でた、まじまじと自らの顔を眺めた事はないが醜い事は無いだろうと思う。かといって万人に好意を抱かれるような色男ではないし、力強さを感じさせる彫りの深さも無い。良くも悪くも一般的で、どこか元気の無い顔だと自分では思っている。
あまり考えないようにしていたが、衆目に晒す自信はなかった。この伍堂の頭の中を見透かしたボネットはわずかに唇を曲げる。
「もしかして容姿の事を気にしてるんですか? 蝶を一夜で夫人にしておきながら何を言いますか、それに化粧をしますから気にする必要はありませんよ」
「え? あの、僕は男ですよ? 男なのに化粧をするなんて役者でもないのに?」
「大勢に注目されるところは役者と共通しているじゃないですか。それに、遠目からでもある程度は顔立ちが分かるようにしませんとね。見に来る人々は理由がなんであれ、竜を落とした英雄の顔を一目見てやろうとしてくるわけですからね。貴重な時間が惜しいので早速はじめましょうか」
ボネットが手を叩いて合図すると控えていた従僕が動き出す、彼らに促されるままに用意された簡単な鏡台の前に座ったかと思えば従僕に囲まれ視界が塞がれた。
四方八方から伸びる手に髪をいじられ顔を触られ、慣れないことに不快を覚え耐えるために目を瞑る。ところが逆効果で、視覚がなくなったために他の感覚が鋭敏になってしまいより不快感は強まるばかり。
美容院にでも来たと思い込めば楽になれるかと考えはしたが、髪以外も触られているので違和感がぬぐえない。どうしたものかと考えている間に化粧が終わったらしく手が離れ、「目を開けていいですよ」とボネットの声がした。
「うげっ!」自覚できるレベルの酷い声が喉から飛び出す。
鏡の中に映った姿は別人だった。薄々そうだろうなと感じていたが、やはり濃い。日本の美的センスでは理解しがたいところがあるのだが、この世界ではカッコ良いとされるものなのだろうか。
化粧を施した従僕たちと視線を合わせないようしながら彼らの表情を伺う。彼らもまた伍堂と視線を合わせないように気をつけ、無表情を装ってはいるが満足げだった。そしてボネットも鏡に映る顔を見て、うんうんと頷いている。
理解できないものだが、こちらの世界ではカッコ良いとされるものらしい。納得はいかないが、鎧を着けた時にちょうど良くなるようになっているのだろうか。
なにせ今着ている物といえば、これといった装飾も衣装も無い地味な寝巻きである。その上に派手な化粧を施した顔が乗っているものだからアンバランスさがとてつもない。けれども、派手な衣装を着ればバランスは取れそうなのである。
「化粧の次は、鎧の試着ですか?」
「お、乗り気ですね。化粧は良い感じに決まってますし、鎧を着たら役者も顔負けの伊達男になれるんじゃないですか」
こちらの気をノせるための世辞とは分かっていても、やはり悪い気はしない。
ボネットが指示を出すと室内の従僕たちは一度部屋を出ると、ガラリガラリと物音を立てながら大仰な箱を抱えて戻ってきた。箱が床に置かれると重い音がし、蓋が開けられると出てきたのは鎧の姿だ。
まず見えたのは袖無しのシャツのような白銀の胴鎧。これといった装飾は施されていないが、その分丁寧に磨き上げられており顔が映りそうなほどである。過去にも鎧を着たことはあるが、それは革製で金属ではなかった。
ゲームや写真でしか見た事のない金属の鎧には興奮を隠し切れない。話を聞いていただけの時はこれといった感動も無かったのだが、実物を見ると滾ってくるものがあり早く着てみたいという気持ちまでもが湧いてくる。
従僕たちの手で鎧を着せられる、初めて身につける鎧は思いだけでなく左右のバランスが悪い。というのも左の肩当が非常に大きく左胸の上部までも守る構造になっていた。それに心臓を守るためなのだろうが、右の肩当と比べると厚みも大きい。ただ重さがあるとはいえ肩の動きを阻害しないように作られており、見た目の割りに動かすのに苦労はしなかった。
ただそれ以上に、この左の肩当に描かれている紋章が気になる。鮮やかな塗料で大きく海鳥とデフォルメされた銃が描かれていた。もちろんこれにも何かの意味があるはずだが、見ただけではそれを読み取れず疑問を顔に浮かべながらボネットに視線を向けると待ってましたといわんばかりに話し始める。
「既に察してると思いますけどそれはゴドーさんの紋章ですよ。正確に言えばゴドー家の、ですか。ハンゲイト様やパウエル師父と同じ紋章にしようかという話もあったのですけれどね、ハリス様が英雄には英雄だけの紋章が必要だと言うので急ぎデザインさせました。本当は鷹を描きたかったのですが、それだと余所の伯爵家と被ってしまうので止む得ず海鳥になりました。こういうのは相談しながら進めるのが通常なんですけれど、気に入ってもらえました?」
素直に頷いた、紋章のデザインは悪くない。丸みのある海鳥の姿は可愛げがあるし、デフォルメされた銃と良く調和していた。それに何より、自分専用のエンブレムを貰えたのはアニメ・漫画の強キャラになった気分にさせてくれる。
気になるのは、この紋章が専用は専用でも伍堂個人ではなく家に対して与えられたものであるという点だった。意思と関係なく様々なものを押し付けられてしまっているとはいえ、公爵エプスタインとその子息のハリス、そしてハンゲイトやパウエルに恩義も感じている。
恋愛経験はないがアネットとは良い仲になっているとも思う、けれどもそれ以上の深い仲になるのは抵抗を感じてもいた。それもこの世界に骨を埋める気がないからで、かといってあの四畳半に戻りたいわけではない。そう、ここは自分のいるところではないと感じていた。
でも彼らはそうではないのかもしれない。でなければ蝶の社交場でアネットと出会う機会を作らなかったはずだし、今もこうして紋章を与えるような事をしないのではないか。そこに何とも形容しがたい溝を感じてしまうのだ。
「どうしました? 格好良いデザインにしたつもりですけど、合わなかったでしょうか?」
浮かない顔をしてしまったためにボネットは不安げだ。けど彼が不安に感じていることは的外れだ、本当は今の思いを話すべきなのだろう。でもそれは今じゃない、タイミングが悪すぎる。
ここでそんな話をしてもボネットだけでなくハリスまでも困らせるだけのことになってしまう。今は自分に押し付けられた役目、英雄としての姿を見せなければならないときだ。
「いいえ、そんなことはないですよ。こんな自分専用の紋章を貰えるだなんて想像もしていなかったので、驚いてしまっただけです。良い鎧ですね、これ」
彼の不安が消えるように、自分の考えを隠すために鏡の前でそれらしいポーズを取ってみせる。ボネットは喜んでくれていたが、彼の目から不安の影は消えていない。
「気に入ってもらえたならそれに勝る事はないです。一から鎧を作る時間は無かったので、既に出来上がっていた物の中からゴドーさんの体型に近いものを選びそれを改造するしかなかったので。そういうのも本当は、着る人の意見を反映させるものなんですけどね」
「そういうものなんですね。それで、いったん脱いだら良いんですか? アネットさんの姿も見えないのが気になるのですけど」
「動きづらさやズレを感じないのであれば、そのまま着ていて下さい。脱ぐのにも時間が要りますし、着けるにも時間が要ります。アネット嬢も別室で身支度をしておりますよ、女性は男性よりも時間が掛かりますからね。食事を運ばせるので食べながらお話しましょう、あまり時間もありません」
言われて外を見てみればかなり明るくなっていた、帰途に就く昼まで多くの時間は無いようである。金属の鎧は重いが、それで動きが阻害される事もないので言われるがままにすることにした。
ボネットの指示で従僕は外に出て行き、揚げた魚を挟んだサンドイッチを皿一杯に持ってきた。明らかに一人分の量ではなく、ボネットの分も含まれているのは明らかである。そして従僕は部屋にサンドイッチ、そして水を置いていくと静かに外へと出て行った。
「食べながらいきましょう。パレードでは特別こうしてくれというのはありません、ハリス様から直に聞かされていると思いますが笑顔を浮かべながら手を振ってくだされば問題ないです。右に、左に……たまに上を見上げて窓から覗いている人に」
「それだけ?」
「えぇ、それだけです。難しい事は何も無い、気になることがあればお答えしましょう」
さも簡単ですよ、と言う様に軽い調子で答えたボネットはサンドイッチを両手に掴んで豪快に齧り付いた。
「うん、やはりシオの魚は良いものだ。新鮮な魚はどんな風にしても美味しい」
ボネットは魚が好きなのだろうか、物静かで落ち着いた人だと思っていたけれどサンドイッチを食べる姿は子供のようで笑顔すら浮かべている。そしてこれを見ていると、料理が非常に美味な物に見え始め空腹を強く感じさせられる。
ボネットほどではないが、まだ油の熱が残るサンドイッチを齧りながらパレードがどうなるかを想像した。どうすれば英雄的に振舞う事ができるのだろうか、疑問があれば尋ねればよい。だが質問は浮かばなかった。
想像しても、言われている以上の行動が必要になるとは思えなかったのである。そうして黙っていると、会話が無いのが寂しいのかボネットが世間話を始めたのでそれに付き合うことにした。無言でいると緊張で苛まれそうだったので、これはありがたい。
どこそこの食堂が美味しかった、あそこの通りにある商店は珍しいものが置いていた。そんな話ばかりで内容らしい内容などありはしない、それでも高まる緊張を解す効果は確かにある。
目の前に盛られているのはサンドイッチ、挟まれているのは揚げたてのフィッシュフライ。気が楽になれば手が伸びるのは当たり前のことで、他愛のないやり取りをしている間に皿は空になっていた。胃袋も程よく膨らみ心地よい圧迫感が胸にある。
「出来そうですか?」
しばらく無言の間を置いてからボネットが尋ねる。伍堂はすぐに答えず、水に一口つけててから頷いた。自信といえるようなものはやはりないが、出来ない気はしていない。
「出来ます、喋らなくて良いならなんとか」
「それなら良かった。ところでアネット嬢が気になりませんか? そろそろ彼女の方も支度を終えている所ですし、見に行ってみませんか?」
「え、そりゃ気になりますけど……。そういえば何でアネットさんも支度がいるんですか? もしかしてパレードに参列するとか?」
「そうですけれど、言ってませんでしたか?」
言われていただろうか、記憶には無いがさも当然のようにボネットが言うものだから聞いていたような気もする。けれどもどうして彼女が参加するのか、もしやと思う所はあるがそうであって欲しくはない。
確かめるのは怖かったが、確かめざるを得なかった。
「理由は?」
「風習といってしまえばそれまでですけど、単純に華を添えるために見目麗しい女性にも参加してもらうというのが本当の所です。とはいえ理由も無しに参列はさせれませんからね、奥方あるいはそれに準ずる女性に出てもらうという慣わしがあります」
「ということはですよ、アネットさんは……その、僕の婚約者という扱いなんですか?」
ボネットの表情が途端に渋くなる。彼がどんな言い方をするのか興味はあるが、イエス以外の返答が無い事は分かりきっていた。かといってここで彼を困らせるのは伍堂の本意ではない。
「いえ、そうでしかないというのは分かってますから良いんですよ。それよりもです、アネットさんは綺麗になってるんですよね?」
「あ、えぇ。そうですね、ドレスも用意する時間はほとんど無かったのが実情ですが腕の良い職人を見つけてありますし。アネット嬢はまぁ、長く蝶をやってらしただけありますしそれは美しくなっていると思いますよ」
ボネットが立ち上がったので伍堂も席を立って部屋を出る、向かうのはアネットのいる部屋だ。先に立ったボネットが扉を叩く、数秒の間を置いてからドアノブが回るとボネットは伍堂の後ろに回る。これには驚いたが行動を起こすよりも扉が開くほうが早い。
花の香りが中から漂ってくる、部屋の中に寝台は無く巨大な姿見が置かれていた。その前に立つのはアネットの姿である。彼女は薄い青色のドレスに身を包んでいる、このドレスは肌の露出がほぼ無かったが彼女の体に密着しており、引き締まりながらも女性の豊かさを強調するようになっていた。顔は帽子とヴェールで覆い隠されており、これがまた神秘的なものを感じさせる。
絵画でしか見たことの無い世界がそこにあって、新たな異世界に迷い込んだような心地で軽い酩酊感すら覚えるほど。つい足取りがおぼつかなくなってしまい、ボネットが慌てて体を支える。
「あ、すみません……えっと、アネットさん。ですよね?」
顔を上げてヴェールの向こうに隠された表情を伺おうとして目を凝らす。彼女は恥ずかしがって顔を背ける仕草を見せた、普段は見せない少女のようなそれに胸の高鳴りを感じずに入られず顔が赤くなっていくのを感じた。
「この服どうでしょうか? 体のラインが出てしまうので、少しはしたないような気もしたのですけれど……めかしこまれたゴドー様の隣に立つのならば相応の艶やかさが要ると思いましたもので」
まだアネットは伍堂を見ようとしない。伍堂は唾を飲み込み喉を鳴らす、言葉が出てこない。彼女の姿を見ていたくはあったが、気恥ずかしさがあり体を横に向けてしまった。それでも瞳は彼女の姿を追っている。
感想を言わなければならない、言葉を発そうとしたが舌がもつれた。落ち着こうとしたところで口の中が乾いている事に気づく。
「綺麗……です」
言えたのはその一言だけ、それも小さくたどたどしく。けれども静かな事もあって伍堂の言葉はアネットの耳にはっきりと届いていた。彼女は聞こえた言葉をかみ締めると隠そうとして顔を俯ける。もしここでヴェールを取り払ったのなら、耳まで真っ赤になっている彼女を見れたことだろう。
アネットからの返事は無い、恥ずかしがっているのが分かってしまったがために視界の隅で彼女を見ていることすらも難しくなってしまった。視線を彼女から逸らす、けれどいつの間にかまたアネットの姿を捉えてしまっている。
大丈夫、ただ手を振るだけなんだと伍堂は自身に言い聞かせた。
さっきまでは自信があったのだが、アネットの姿を見てしまってからパレードの主役を務めきる自信は小さくなってしまっていた。
ハロー異世界グッバイ四畳半 不立雷葉 @raiba_novel
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