第49話 スタイン市への凱旋(1)

 英雄という役回りを引き受けた伍堂だったが、だからといってすぐに外出が許されたわけではなかった。もっとも、英雄として見られてしまっていることを思えば当然の事かもしれないと納得はしていたので、それ以前と比べれば不満はない。

 もし自分がシオの市民で、ドラゴンを打ち倒した英雄がいるとしたらと想像する。この英雄が大怪我を負って息も絶え絶えだとしたらどうだろう。きっと心細くなってしまうに違いない、このように考えると置かれている状況というのも仕方のないものがある。


 そうやって考えている間にもハリスだけでなく、恐らくはボネットも色々と動いているはずだ。なら市民の目の前に、張りぼてとはいえ威風堂々とした態度を見せられるようにと怪我の治療と、体を鈍らせない程度の運動は欠かさない事とした。

 ただ、結局のところ部屋の外に出る許可は降りなかった。その前にスタイン市へ帰還する流れとなり、ハリスがそれを直々に伍堂の部屋まで伝えに来た。不思議なことにその場には何故か、ネアトリアからの使者であるテオドラスが同席していた。


「――とまぁそういうわけだ。そもそもシオの市民には私が使節団の応対のために来ていることは知られていないからな、エプスタイン公と伝書で協議した結果、貴様が追撃に出るという体を装い帰還させることになった。当日はちょっとしたパレードの様相を呈するだろうが、貴様は胸を張っているだけでも構わん。ま、余裕があれば市民に対して手を振ってやってもらえると助かる。何か質問はあるか? 今更隠し立てする腹もない、好きなことを言え」


 当日の具体的な流れは気になったが、聞いたところで流れに身を任せる運びになるだろうから聞いても無駄だろう。それよりも、何故か同席しているテオドラスがやはり気になった。

 そもそも彼は外国の人間で、しかも彼の属するネアトリアはこの国にとっては仮想敵国のはずだ。そんな国の人間がどうしてこの場にいるのか、何を言っても聞いてもいいのならやはりこれだ。


「えぇ、屋敷に帰るのはわかりましたけど。どうしてテオドラスさんがここにいるんです? それにその服……良い表現が浮かばないのでそのまま口に出しますけど貧乏臭く見えますし、いつもの服じゃないですよね絶対」

「それについては――」


 伍堂の問いにハリスが答えようとしたが、その彼の肩にテオドラスが手を置いた。


「俺自身の口から言わせて欲しい、構わんよな?」


 瞬時にハリスの口角が釣りあがる、あまりテオドラスに喋って欲しくないという本音が駄々漏れになっていた。テオドラスはあくまでも隣国ネアトリアを代表する使節であるがためにハリスは強く出れずに渋々頷くしかなかった。


「一言で言ってしまうと俺の我侭だ、加えて非公式に君らと会談する場所が欲しかった。貧乏くさい格好は、まぁ変装だな」

「あぁ、まぁ分かりましたけど……話って、何のです?」


 彼はネアトリアの代表、ならエプスタイン公の嫡男であるハリスとは幾らでも話す内容はあるだろう。けれども伍堂が同席しなければならない理由というのは無いはずだ。


「話というほどではないんだけどね、まずハリス君に伝え忘れていたことがあってね。つい三日ほど前に使節団の本隊がここに到着したけれど、本国には俺が直接それも正式な形で着いていないと報告した。沿岸部の天候が思いの外悪く、しばらく近づけなさそうだと、ね」


 これを聞かされた時のハリスの顔をどう表現したものか、苦虫を噛み潰したようなと表現するのが最も近いのかもしれないが、それでもまだマイルドに感じてしまう。


「あー……けど礼には及ばないよ、俺が勝手にやったことだからね。魔族に襲撃された時も、それなりの数を撃破し市民を助けた。けれどもこれも騎士としての務めだ、他国といえど民草は守るべきものだからね。ただちょーっと気になることがあってね、ゴドー君が使っていた銃なんだけれど……あれすーっごく格好いいよね、一丁で良いから余ってたら欲しいなー。タダでなんてとは思ってないし、最低でも普通のマスケット一〇丁分の値段はすると思ってるんだけどなー」


 外交というものは全く知らない伍堂である、だがその伍堂でも分かる。

 ハリスはこの要求を断れるわけがない。一応は断るという選択肢はある、だがそれを選んだ瞬間にネアトリアとこの国との間に亀裂が入り長く尾を引くことは明白だ。

 恐る恐る瞳だけを動かしてハリスの表情を伺ってみれば、意外なことに浮かんでいるのは笑みである。最も肌の色は真っ白で、貼り付けたかのようなマネキンの笑顔だった。


「一丁でしたら、あのような試作品で宜しければ差し上げますとも」


 表情は作り物のそれであっても、喉から出てくる声は震えている。

 あの銃はこの国の新兵器でネアトリアにその威力を誇示することはあっても、手に渡ることは防ぎたいはずである。国民ではないし、またその自覚もない伍堂ではあるが暮らしているとやはり愛着が湧いてくるというもの。


 テオドラス個人のことは嫌いではないけれども、彼の手に銃が渡るのは避けたいこと。かといって伍堂がそれを止められる筈もなく、気づけば苦々しい表情を浮かべていた。

 そんな伍堂を見たテオドラスは意味深な笑みを浮かべる。


「銃“本体”だけで結構だ、弾丸は我が国には腐るほどあるからね。弾まで持って帰ったら荷物が多くなりすぎて、船が転覆しちまう」


 この発言に伍堂は目を丸くした。あの銃の威力は凄まじい、普通の弾でもオークの頭を吹き飛ばし特殊な弾を使えばドラゴンだって撃ち落した。けれどその威力は何が生み出すものかといえば、銃ではなく弾である。

 ネアトリアに渡って欲しくない物というのは、正しくは銃ではなく弾の方なのだ。テオドラスがそれを知らないはずはないだろうし、あえて銃本体と口にする意図というものは理解できない。


 もし本当に彼がこのことに気づいていない時のことを考えて平静を装うとしたが、伍堂は演技が苦手で自分でも不自然だとわかるほどによそよそしく視線を動かしてしまう。


「外の海は荒れますからね。帰国の途に就かれる際は国王陛下からも土産を持たされることでしょうし、荷は極力減らしたいというその考えは分かります。ただ非公式とはいえネアトリアの王家に連なる家の方に贈らせていただくもの、相応の質のものを用意せねば我々の沽券に関わるというもの。帰国の際はまたこのシオに寄られますし、その時にお渡ししてもよろしいでしょうか?」

「あぁそうだな、それで頼む。ここから王都もまだ距離がある、陸の旅は慣れているといえども違う土地だ。遠路を行くなら出来るだけ身軽でいたい」

「ではそのように、約束いたしましょう。ところでこちらのゴドーにも話したいことがあるのでは?」


 ハリスに言われ、テオドラスは思い出したと言わんばかりに手を鳴らし伍堂を見た。意図や目的は想像できずとも、彼らのきな臭い会話の矛先が向けられるのではないかと危惧すると自然と身が強張る。


「話したいことがあるわけじゃないのだけどね、ただちょっと。そう、少しだけ言いたくなったことがあるというだけ。これはテオドラス・ウォルミスとしてではなく、ただのテオドラス。つまりは公人としてでなく私人としてね」


 テオドラスはここで言葉を止めて伍堂の反応を伺う。

 一個人として、などと口にしてはいるが相手は余所の国の貴人である。伍堂がこの国の人間でないことを彼は知っているが、だからといって態度を誤れば火種を生むかもしれない。この緊張のために伍堂は硬くなったままで相槌すら打てないでいた。

 彫像のごとく不動を保つ伍堂がおかしくなり、テオドラスが小さく笑う。


「硬くなってくれるなよ。言ったろ? 俺の先祖はお前さんの同郷だって、そういうわけでシンパシーを感じるところは少なからずあるんだよ。だから言いたくもなるのさ、どうしてお前さんそうまでして戦うんだい? 口に出すべきではないんだが、戦いたくないならうちに来たって構わんぞ。日本の話、聞きたいしな」


 空気が凍る音を聞いた。物々しくはあったが表面上は和やかだった空間は、いまや戦場のそれに近い。張り詰め、今にも割れて砕けかねない危うさがあった。

 ハリスの手は腰の剣を掴んでいる、もちろん彼に抜く気は無いし抜けない。テオドラスは充分にそれを承知した上で尚、口笛を吹くのにも似た陽気さで尋ねるのだ。


「どうする?」


 ガラスに皹が入り始める。答え方を誤れば砕ける、時間が経っても割れる。一触即発の中、プレッシャーに吐き気を覚えながらも思考は巡る。

 戦うに足る理由は既に持っていた、だが戦いたくないという本音が無くなったわけではない。あぁそうか、これは覚悟を問われているのだ。


「行きません。行くわけにはいかない、僕はやること……違う。やりたいことがあります」


 言葉だけでなく態度でも伝えるために伍堂はハリスの隣に並び立つ。テオドラスが息を吐き出し、ハリスの手は剣から離れる。


「それは何だ……? と、聞くわけにはいかんよなぁ……」


 テオドラスが視線を向けたのは伍堂ではなくハリス。彼の問いに対し頷いて応えたのもハリスだった。自分のことなのにハリスが尋ねられそしてハリスが答えたことに疑問が浮かんだが、少し考えて一応は納得できた。

 多分でしかないが、テオドラスは機密に関わることを答える可能性があると考えたのだろう。そしてハリスも同じ事を考えた。


 やりたい事の内容を聞かれなかったことに伍堂は内心では安心していた。出任せを口にしたわけではなく、実際にやりたい事はあるのだがどこか曖昧で言語化するまでには至っていない。


「ま、いいさ。ところで贈り物をするぐらいは許されるかな? 個人的なものだから大した物じゃないんだが……立場が立場だから聞いておきたい」

「物によるとしか言えませんな。申し訳ない話ではありますが、先の発言の後でもありますし」

「うちらが使ってる鍔だよ、といってもアクセサリみたいなもんで実用性は無い。これを見て鍔だと分かるやつもあんまいない、武器を贈りたいけど出来ないときに贈らせて貰ってるのさ」

「魔術的な物であると困りますので、まずは私に見せてもらえませんか?」

「もちろん」


 そう答えてテオドラスは懐から紫の布に包まれた鍔を取り出した。これを見たハリスは眉を寄せたが、テオドラスが腰に差している刀を見て合点し肩の力を抜く。

 テオドラスの手から鍔を預かったテオドラスは近づけたり遠ざけたり、様々な角度から仔細に観察した後でテオドラスの手に一度返した。プレゼントの品を事前にチェックされている場面を目の当たりにするとアイドルになったような気がしたが、遠からずなのだろう。


 不審な点は無いと判断したハリスはテオドラスの手に鍔を戻し、改めてテオドラスの手から受け取った。社交の場ではないので畏まった礼儀が必要な場ではないのだが、外交上で軽視は出来ない場面である事に違いは無い。

 正式な作法は知らないでも礼を失さぬように丁重に受け取ろうとすると自然に手が震えた。受け取った鍔は木瓜形で思っていたよりも重く、火を吐くワイバーンの姿が刻印されている。刀の鍔という和の物に、ワイバーンという洋の姿があるのはエキゾチックでもありアンバランスさを感じさせた。


 これを絹の布に包み丁重に懐にしまいこんだ後、返す品が無い事に気づく。何か手元に無いだろうかと部屋中に視線を走らせたが、渡せるような品は何も無い。この動作で伍堂の考えに気づいたテオドラスは、それには及ばないと首を振る。


「こっちは気持ちだけで充分さ。それでも返礼の品が気になるというんだったら、結婚式に呼んでくれればいい。ドラゴンを倒す戦士なんてのは我がネアトリアにも早々いるもんじゃない、そんな強大な戦士の大事な門出とあらば国は違えど一人の戦士として祝辞を贈りたいからね」

「あぁ、それは良いですな。我々としてもウォルミス家の方々とは懇意にしたいと思い、親交の機会が在りはしないかと以前から伺っていたところです。噂に聞けばそちらも近々に婚儀を執り行うと耳にしました。宜しければどうでしょう、その折はゴドーと私が参列し祝辞を述べさせていただければと思うのですが」

「それは悪くない、あぁそうなんだ悪くない話なんだが……問題が、な――」


 伍堂には聞かせたくない話なのか、二人の声は先ほどまでと比べて小さくなり伍堂の存在を忘れたかのように話し込み始める。彼らの声量は聞こえないほどではないが、伍堂の耳には届いていない。伍堂は伍堂で別のことを考えていた。

 考え込んでしまったきっかけは結婚式という単語だった。伍堂にそんなつもりは一切無かったのだがテオドラス、つまり他人の目から見てアネットとの間柄がそう見えるものだと思っていなかった。おそらくそう考えていなかったのは伍堂だけなのだろう。


 そうでなければ、突発的な事態だったとはいえアネットと同室にされるはずはない。彼女には専属の使用人がいるが彼の寝泊りは別室であり、夜は部屋に二人だけとなる。年頃の男と女が同室にされるとはそういうこと。

 彼女との間に肉体関係は無いが、それを誰が信じてくれようか。そもそもからして彼女と出会ったのは蝶の社交場、そういう場所なのだ。違うと思っていたのは伍堂だけに違いない。気が遠くなりそうだ。


 アネットの事は嫌いではない、むしろ好きといっていい。問題はその中身にある。

 彼女に対し抱く好意は恋あるいは愛と呼んでよいものなのだろうか。守りたいと思う以上は愛に相当し、そして愛と呼んで差し支えの無いものなのかもしれない。けれど伍堂には踏ん切りが付かないのだ。


 胸の内に湧き出ている感情の正体を知らず、また付き合い方も分からない。感情は不動だが理性は波打ち、解を求めて様々な言葉が頭を巡る。その内に脳のキャパシティを越え、熱と頭痛そして眩暈を感じて足をふらつかせた。


「大丈夫か!?」


 気づいたハリスが慌てて駆け寄り、テオドラスも心配げに声を掛ける。自身の問題に容量を割かれているため、咄嗟に声を出せずに頷くしかできなかった。


「深い怪我を負ったことは知っていたのに配慮が足りずにすまなかった、長居をしすぎた。俺が言うべき事ではないが、養生して健康を取り戻して欲しい。おそらく縁があっても長く会わないだろうし、その機会もないかもしれない。けれどもこう言わせて貰うよ、いずれまた、とね」


 テオドラスと握手を交わす。そして彼は何も言わず、周囲の様子を伺うようにして部屋を出るとハリスもその後に続いた。ネアトリアの貴族と公爵の嫡男である、話し合わねばならぬ事、取り決めねばならぬ事が山のようにあるのだろう。

 二人の足音が遠ざかったことを確認してからベッドに横たわる。胸の内には様々な感情が入り乱れ、整理して考えようにも万華鏡のように次の瞬間には別の感情が湧き上がっていた。己の問題だというのに、嵐に遭遇した船と同じく成す術が無い。


 けれども波に飲まれぬように、四谷の顔を思い出しながら伍堂は拳を握り締めた。

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