第48話 受け入れたもの

 シオの街が奇襲を受けてから五日が経とうとしていた。伍堂が負った背中の傷は骨にまで達しかけていたものだったが、既に治る兆候を見せ始めており日常的に動く分であれば僅かな痛みはあれど問題なくこなせるようになっていた。

 この治りの早さに伍堂は内心で驚いていた。現代日本と比べればこちらの衛生状況は悪い、アネットが献身的な看病をしてくれているとはいえ限度というものがある。態度には出さなかったが高熱にうなされるぐらいはどこかで覚悟していた。


 おそらくは包帯に染み込ませた薬の効果なのだろうがさておき、動けるようになった伍堂が願ったのは部屋の外に出ることである。走れるほど回復はしていないが、歩くぐらいは問題ない。街がどうなったのかを窓からではなく、実際に歩き回ってこの目にしてみたかった。


 しかしこれをアネットに伝えると、彼女は首を横にしか振らず部屋の外に出ることすら許さない。あらゆる言葉を尽くして外に出たいのだと言ってみたが帰って来る言葉は一つだけ。


「なりません」これだけだった。


 だからといって今の伍堂は引き下がらない、アネットを壁に追い詰めるほどに問い詰めた。

 彼女は怪我を理由にしているが、伍堂には到底信じられなかった。何か別の理由があるはずで、問いただしていると遂にハリスの命によるものだとアネットは白状する。


「ハリスさんがですか……? まぁ分からないでもないですけど、絶対に怪我が理由ではないですよね。それなら宿の中ぐらいは歩いても良いものだと思うんですけど」


「それについては私の方からもハリス様に申し上げました。幾ら怪我が酷かったとはいえ、伍堂様が苦痛に思われぬのなら宿の中ぐらいは、と。治療のためといいましても寝てばかりいては体によくありません。そう申したのですがハリス様は頑なに部屋の外に出すな、ハリス様ご自身とボネット様以外には合わせるなと私に厳命なさいまして。ハリス様のご命令とあってはさしもの私も逆らうわけにはいきません」


「とりあえずアネットさんが頑なに僕を出さないようにする理由はわかりました。けどハリスさんがどうしてそんな命令をするのか、ちょっと……僕にはわからないのです」

「それは……」


 何かを言いかけたアネットだったが、言葉を飲み込み伍堂から視線を逸らした。

 伍堂はそんな彼女を見ながらベッドを椅子代わりに腰掛ける、痛みは小さくなっているが傷は深い。座ろうと腰を屈めると鈍い痛みが走るのを感じた。


「何か理由を知っているんですか?」問いかけるとアネットはふるふると首を振る。


「思うところはあります、けれどもそれは私の口から言うべきことではないでしょう。どうしても……いえ、ハリス様にお尋ねしてまいりましょうか? 今なら宿にいらっしゃることでしょうし」


 しばし悩んだ。伍堂が直接ハリスの許に赴くのが筋というものだろうが、部屋の外に出るのは禁じられている。ただ待っていてもハリスの方からやってくるとは思えず、申し訳なさはあれどアネットに甘えることにした。


「えぇそれじゃあお願いします。看病だけでなく何から何まで、すみません」

「甘えることなどどこにも、これは私が好きでやっていることですから。それに何度も申し上げておりますが、私はゴドー様をお慕いしております。えぇ、包み隠さずに言えば妻を目指しているわけですから。このぐらいは何てことはないのですよ」


 アネットが伍堂に対しての好意を言葉だけでなく態度で示すのは毎日のようにある事であり、徐々にではあるが慣れてきたつもりだった。けれどもこうして面と向かって言われてしまうと慣れたつもりであっても、顔が熱くなって彼女を直視できなくなってしまう。

 そんな伍堂を見てアネットはさもおかしげに笑うとハリスを呼びに部屋へと出て行った。


 本当に来るかどうかは分からないが、ハリスが来るまでの間に部屋から出られない理由を考え始める。そうではないかと思うところはあるが、ハリスが伍堂にあの役割を押し付けるようなことは考えづらい。


 けれど、けれども。必要とあればそうするのではないか、そんな気がしていた。


 部屋の扉が叩かれハリスが部屋へと入ってくる。数日ぶりに会う彼の目元からは隈が消えていたが、疲労の色を見せており心なしかやつれているようにも見えた。


「本当は様子を見に来ようと思っていたんだがな、時間が取れず後回しにしてしまっていたことをまずは謝ろう。で、アネット嬢から聞いたが外出禁止の理由を知りたいと?」


「えぇそうです。怪我は……もう傷まないと言ったら嘘になりますけど、歩く分には問題ないです。部屋に籠ってばっかりだとその、なまってしまいそうですし。散歩をしたいなと」


「なるほどな。そう思うのは最もな事だ」


 言ってハリスは窓に近づくと、窓枠に手を置いて外の景色を眺め始める。


「街を気にしているのは知っている。だからこの窓から外を眺めて、どう思った? 襲われる前と、襲われた後の今の景色を見て何か違いを感じるかな。漠然とした印象で構わん」

「どう、と言われても……あー、けど勘違いなのかもしれないし建物直したりとかしてるからそう思うだけかもしれないですけど、後の方が……不謹慎かもですけど、活気があるように思います」


 伍堂の答えを聞いた後、ハリスはすぐには返事をせずにしばらく外を眺めていた。そして景色を見たまま、返事を口にし始める。


「その通りだ。魔物に襲われ恐ろしいドラゴンによって焼かれても、街の人間は恐れてなどいない不安は無い。早く元の暮らしに戻ろうと再建に尽力しているよ、その様子を見た貴様が活気があるように感じるのはなんら不思議な事ではないさ」

「この街の人たちは強いんですね」


 浮かんできたものを率直に、そのまま口にするとハリスは頭を下げて深い溜息を吐き出した。言ってはいけないことだったのだろうか、悪い意味にはならないはずなのだが。

 伍堂がそう思っているとハリスは首を横に振った。


「そんなわけあるはずがない、人間は弱いよ。ただし、希望となるものがあれば強くなれる。心の拠り所があれば人は前を向く、後ろを向いて逃げなどしない。如何な困難にぶち当たろうと、希望さえあればな。我々が民衆に与えなければならないのはパンとサーカスではない、希望だ」


 嫌な予感がする。想像していたように、あの役割を誰かが担わされているのではないか。そしてその誰かは、自分ではないだろうか。


「希望の形は都度変わる、今回の場合でいうのなら英雄が必要だった。魔物に襲われた人々は不安に押しつぶされそうになっていた、協力してくれたネアトリアの存在から目を逸らさせる必要もあった。そして格好の人物が、幸か不幸か私の手元にいた。すまんな、そうはしまいさせまいとしていたつもりだったが無理だった」


 ハリスは伍堂を向こうとしない。きっと向ける顔が無いのだろう、窓枠に手をついて項垂れる彼の後ろ姿には覇気が無い。己の無力さに打ちひしがれているようだった。

 そして不思議なことに、事前の相談もなしに役割を押し付けられたというのに怒りは湧いてこなかった。面倒な役回りだということは理解しているつもりだし、その役に相応しい力量を自分が持っているとも思っていない。


 きっとこれは必然的な事であって、仕方の無い事なのだという諦めがそうさせてい

たのかもしれない。ただこうなってしまった以上、身の振り方というものを考えなければならないのだろう。


「わかりました。確かにそれなら僕を外に出さないのは当然だったと理解しましたし、聞いてしまった以上は外に出れないですね」


「あぁ……英雄様が大怪我を負っている、等と知られたら市民は落胆し失意の底へと落ちてしまう。胸に希望を抱いている今、以前よりも落差は大きくなるだろう。こちらの勝手で押し付けたこと、申し訳なく思っている。本当は貴様ではなく我々の内の誰かがそれをやるべきなのだ、これはこの国のことだ。この国の者がやらねばならん、けれど出来なかった」


「僕がドラゴンを落としたからですか?」


 背を向けたままハリスが頷く。


「貴様が実感を持っているかは知らんが、我々にとってドラゴンは強大な敵だ。滅多に人前に現れずそして一たび現れればその力を以てして災禍をもたらす。そしてかつての名だたる英雄達の多くは、ドラゴン退治の逸話を持っている」

「お言葉ですけど僕があれを倒せたのはグレコ工房の銃の力です。僕が使った銃と弾を使えば多分、誰だってドラゴンを倒せると思いますしハリスさんも同じことを考えているんじゃないかと思いますよ。本当の英雄は銃を作った人です、どうして僕なんですか?」


 ハリスは答えない。肩を落としたまま顔は窓の外へと向けられていて、伍堂を見ようともしなかった。その背中に向けて返事を催促すると彼の肩は震えだす。


「そのぐらいの事は理解して欲しい……いや、理解しているんだろう。貴様がドラゴンを落としたからだ、それを見ていた者がいたからだ。それ以上の事は無いんだ、それだけだ……他に仕様が無かった貴様を英雄とする他になかった。頼むからわかってくれ……」


 肩だけではなくハリスの震える声に伍堂は何も言えなくなる。

 伍堂の知るハリス・エプスタインという人物は冷静で、己の感情を表に出さないように努めている男だ。その彼が、今にも泣き出しそうな声を出して嗚咽を漏らしそうな気配すら醸し出している。


 ハリスはもっと高潔な自分とは違う高いステージに立っている人間だと思っていた。けれども今の彼は、伍堂と対して変わらない普通の人間のように見える。慰めの言葉を掛けるべきだろうか、同情すべきなのだろうか。

 多分、どんな言葉を投げても彼は憐れまれたと取るだろう。彼のプライドはそれを許さないに違いない、そう思うと伍堂は何も言えなくなってしまい壁に立てかけられていた銃へと視線を向けた。


「文句を言ってくれて構わんよ、扉の向こうに誰かがいるわけではない。誰もここでの話を聞いていない、罵倒してくれたって構わんさ。貴様は英雄なんて役どころは嫌いだろうからな」

「別に嫌いじゃないですよ。英雄に憧れない男はいないですし、僕もやっぱりそういうところはあります。なれるなんて思ってなかった、嬉しくないと言えばそれは嘘になってしまいますよ」


 ベッドから立ち上がり、壁の銃を手に取りハンドルを操作して薬室を開く。当然だがそこは空っぽで何も入っていない。


「でもだからといってなりたかったと言われたら違いますね。英雄なんてもの僕がやれるとは思えない、この国の……この街の人たちの希望なんてものはとてもじゃないですけど背負えないです。でも、やらなきゃならないんでしょう?」


 ハリスは無言で頷いた。伍堂はつい溜息を吐き出しそうになったぐっと堪える。


 伍堂は蝶の社交場からの帰り道のことを思い出していた。パウエルにぶつけてしまった言葉のことを、英雄にだってなってやるとのたまってしまったことを今更ながら後悔する。

 パウエルがあの時の発言をハリスに伝えているとは想像できなかったし、実際にしていないだろうという確信めいたものがあった。けれども、非現実的なことではあるのだけれどやけっぱちで言ってしまったあの発言が原因になってしまったんじゃないかという思いが拭えない。


 ハリスは何も語ろうとしない。今自分のしたいことは何だろう、出来る事はなんだろうかと考えるが一つしか思い浮かばなかった。それをやるのは構わない、でもどこか癪に障るところもあったが一つしか出てこなかったしそうするしかない。


「英雄ってどんな振る舞いをすれば良いんですか? 僕のところにも英雄と呼ばれる人たちはいました、でも僕はそんな人たちを見たことがない。どうすれば英雄らしく見えるでしょうか?」


「本当に良いのか?」


「尋ねるのはやめてください、せっかくやる気を奮い立たせたんですよ。そんな風に言われたら、せっかく搾り出したものが消えちゃいますよ」


 冗談っぽく茶化すように肩をすくめながら笑ってみたが、上手く笑えた気はしなかった。そして本音でもある、嘘でもいいから喜んで欲しかったがハリスは無言のまま「すまん」とでも言うかのように頭を下げるだけ。


「だからやめて下さいってば! その、英雄っていうものについて教えてくださいよ。でないと、なんていうか……そう、ボロが出ちゃいますよ」


 伍堂にそんな自覚はなかったのだが苛立っていたらしく、つい声を荒げて立ち上がってしまう。やってしまった後で、すぐにこれはまずいと一言簡単に謝りを入れて座りなおす。

 怒りをぶつけられるとは思ってなかったのか、ハリスは口を半開きにして呆けていた。彼がそんな馬鹿みたいな顔をするだなんて想像できていなかった伍堂もついそれを露にすると、ハリスの肩が小さく震える。


 彼は表情を隠そうと顔を横に向けて口元を押さえる、明らかに笑っていた。


「い、いやすまん。何だろうな、自分でもわからんのだが。あぁこれは緊張が解けたんだと思うよ、笑うような場面ではないからな。だが今はそんなことどうでも良いんだよな、我々が望むような英雄というやつの立ち居振る舞いを知りたいんだよな」

「えぇそうですよ。僕は英雄なんて柄じゃないんです、もっとこう一市民というか一般人というか……そう、ただの伍堂なんですよ」


「承知したよ、だが私も英雄というやつをお目にかかったことはないんだ。貴様に剣を教えていたハンゲイトを思い出してみてくれ、あの人は何年も前に異教徒との戦いで多大な功績を挙げたんだ。今は時間が経ったこともあって誰もそんな扱いはしないがね、英雄というやつで実際にそう扱われた事もある」


 言われたとおりにハンゲイトの事を脳裏に思い浮かべる。ハリスは彼を英雄だといったが、とてもではないがそんな風には見えなかった。伍堂にとって彼は、例えるなら近所に住んでいる気さくなおっさん、というのが一番しっくりとくる。


「それはハンゲイトさんにその時の事を聞けば良いと言ってますか? 絶対に違いますよね」

「あぁ、もちろん違うとも。貴様は彼との付き合いの中で英雄だと感じたことはあるか?」


「いいえ、ありません」と首を横に振る。

「そうだろう、私だってないからな。結局のところそういうことなのだと思う、英雄といえどただの人さ。ハンゲイトだけじゃない、伝説に語られる偉大なる男のカブリもきっとそうだったんだろう。強がってるだけさ」


 今ひとつ彼の言いたいことが分からない伍堂で、何とか咀嚼しようと試みるが腑に落ちない。


「強がれよ、貴様が……そうだな、格好良いと思う戦士を演じてみろ。それしかないだろう」

「だからそれがわからないんですって」


 ハリスの言わんとすることは理解できたが、伍堂が聞きたいのはそれのやり方である。

 伝わらなかったのならば伝えてやろう、言い方を変えてもう一度と思ったのだがハリスは首を振った。


「それ以上のことはすまんが私には言えんしわからん。ただ、あまり飾り立てる必要はないかもしれんぞ」

「それは――」どういうことですか、と続けようとしたのだが部屋の扉が激しく叩かれる。


「誰だ!?」


 ハリスがきつめの口調で呼ばわると扉の向こうで居住まいを正す気配がし、伝令の声がした。どうやらハリスがいなければ進められない議題があるらしい。

 ここでしている会話だって大事なものだと伍堂は考えているのだが、ハリスは一応の決着はついたと見ているようで目でサインを送ってくる。


 本当は納得がいっていないのでまだ続けたいのだが、また後でも時間は取れるだろうと楽観的に考え、行ってくださいと頷いた。


「わかったすぐに向かおう! ではな、宜しく頼む」


 足早に部屋を出て伝令と共に階下へと降りる足音を聞いてから、伍堂はベッドに倒れこんだ。勢いをつけすぎたのか背中の傷が痛んだが、そんなことよりも肩に課せられた荷の方が重い。


 腕を伸ばしじっと手のひらを見た。

 四畳半にいた時よりも全体的に太く厚くなり皮膚も硬くなっているようだった。自分の手はこんなに大きかっただろうかと、過去の記憶と比べてみたが今までこんなまじまじと手を眺めたことがないことを思い出す。


 そのまま手を握って拳を形作った。掴んでいるものはあるのだろうか、掴めたものはあるのだろうか。そして、自分は英雄という役に相応しいのだろうか。

 答えなぞ出るはずのない問いが頭の中で回り続けた。

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