試し読み第3回:第三章

 護送船から出た一真と那姫の二人は、コスモスクエア研究所の屋根の上で待機している三機の多脚型戦車たきゃくがたせんしゃの下へと向かった。


 大阪湾を埋め立てて造ったこの土地は、意外にも水深が浅い。東京と同じく一〇〇〇万都市メガシティである大阪が緊急時の庇護ひご対象地域に指定されていたからだろう。


 白く清潔感のある研究所は造形そのものは簡素な造りであり、広大な敷地の中に造られている為か、何処か物寂しい印象を与える。

 海底から生えた何本もの樹々が賑やかしとなっているのがせめてもの救いだろう。

 

 一真は樹々を登って屋根に飛び乗り、那姫はワイヤーを使ってゆっくり登る。

 二人が屋根に乗ると、斎条比奈、相良当麻、藤堂綱吉の三人が戦車から降りて待機していた。


「悪い斎条、待たせたな」

「いえいえ、お気になさらず! 今しがた藤堂さんが索敵を開始したところなので!」


 名前を呼ばれた藤堂が顔を上げる。

 彼が眼帯を外した顔を初めて見た一真は、わずかに目を見張った。


 藤堂の左目に埋まっていたのは肉眼ではなく、鋼の義眼だったからだ。


「………ん? どうした、東雲隊長。俺の義眼が珍しいか?」

「あ………すいません、不躾に見てしまって」

「構わんよ。コイツは戦場で負った傷じゃない。俺の意志で取り替えたものだからな」


 益々以ますますもって一真は驚いた。

 生身の身体は何物にも代えがたい宝だ。一度でも取り替えてしまえば、それはもう取り戻すことが出来ない宝のはずだ。臓器クローンによる視神経の移植は聞いたことがあったが、意図的な肉体改造など聞いたことが無い。

 しかし藤堂は顔に皺を寄せて笑い、


「俺の様に適合率の低い人間は、身体の一部を義体化でもさせないと戦力にならんからな。適合率が一〇%未満の人間にとってはそれほど珍しい話じゃないさ。おかげ様で、こういう探索や索敵を身一つでこなすことが出来る」

「その義眼で、ですか?」


 一真が問うと、斎条比奈が手を挙げた。


「ハイ! 知覚拡張型に、空間把握くうかんはあく型を足した物ですよね。半透過はんとうか性質を持つ架空粒子タキオンりゅうしの衝突と動向で周囲の状況を把握するっていう、千尋さんと同じ希少なタイプです」

「はは、素養だけなら天ノ宮はもっと凄いぞ。適合率二五%のうち実数値が三%、虚数値が一七%、共有値が五%もある。加速率は高くないが、合算すると三〇%越えだ」

「またまたご謙遜を! 索敵部隊は数値だけじゃ測れないですし、藤堂さんは遠征軍えんせいぐんの索敵部隊中でも一番の古株じゃないですか! 本当に心強いっす!」


 比奈は両手を振りながら力説する。

 一真は苦虫にがむしつぶしたような顔になった。

 今の話が本当なら、藤堂綱吉は遠征軍の最初期から所属している大ベテランという事になる。そんな人物を、本当に自分の部下にしてしまって良いのだろうか?


「あ、ちなみに共有値っていうのは、実数と虚数の両方に適した貴重な血流のことっす」

「共有値は本来の倍計算だからな。東雲隊長の純適合率が四十四%なら、共有率次第じゃ五〇%~六〇%の大台に乗る可能性もある」

「まあ共有値が高すぎると逆に危険という話も聞きますけどね。カズ君はきっと実数値にかたよってると思いますよ」

「かもな。―――よし、始めるぞ」

 

 鋼の瞳が三度まばたく。

 一真は藤堂の義眼から、僅かに光る粒子を見た。


 義眼の中心から架空タキオン粒子を照射して透過速度の具合から建造物の全体像を把握していくこの作業は、未知の都市遺跡ルインズシティでは非常に重宝される力でもある。


 障害物の有無を問わず状況を確認することが可能になれば命の危機は極めて低くなる。未知の生物が跳梁跋扈ちょうりょうばっこするこの時代、僅かな油断で命を落とすことは少なくない。


 今回の様に隠された場所を探すにはうってつけだ。

 上手く行けば、思わぬ拾い物をすることもあるだろう。

 だが―――架空タキオン粒子が浸透していくのをジッと待っている最中。


 一真は、背筋が凍るような視線を感じた。


「っ―――!?」


 柄に手を当てて反射的に振り返る。

 腰を落とし、即座に抜刀ばっとう可能な姿勢で虚空を睨みつける。

 巨躯種Gigant幻獣種Grimmとはまた違う、明確な敵意。獣のものでは無いだろう。


 だがどれだけ一真が強く睨もうとも、背後には何者の姿もない。


 ならば遠方から向けられた視線なのかとも思ったが、研究所の周囲に建造物が無いという話を先ほど那姫としたばかりだ。

 急に臨戦態勢に入った一真を不思議に思った那姫たちは、心配そうに彼を見つめる。


「カズ君、どうしたの? 敵?」

「………。いや、何でもない。けど注意した方がいいかもしれない」


 一真は姿勢を正して臨戦態勢を解く。明らかに獣の放つ殺気ではなかった。かといって盗掘目的の人間があれほどの殺気を向ける理由が分からない。


(もしかして………本当に、この研究所に秘密があるのか………?)


 探索前の安穏あんのんとした疑念を振り払う。三人が戦車を降りている以上、戦闘になれば戦いは一真が一人で行うしかない。

 警戒するに越したことは無いだろう。

 何時でも刀剣を抜いて戦えるよう、一真は思考を入れ替え、藤堂の索敵結果を待つ。


「………那姫」

「はい。何かありましたか藤堂さん」

「ああ。だ。この研究所の地下深くに不可解な空間がある。架空粒子を全く浸透させない隔絶空間だ。此処だけ中が全く見通せない」


 全員が顔を見合わせ、保存されていた古い研究所の地図を広げる。

 藤堂は照射している義眼を下に向けたまま、肉眼の方で地図を見る。


「かなり深い。とてもじゃないが、日常的に足で上り下りするのは無理だろう。何処かにエレベーターがあるはずだ」

「中央施設に無いのなら、東館か西館が入り口ですね。二手に分かれて進みますか?」

「いや、まだ安全とは言い切れない。僅かだが壁に掻き傷の様な痕があった。巨躯種か幻獣種が棲家すみかにしている可能性が高い。東雲隊長の言うように、慎重に行くべきだ」

「なら密集して行動しつつ生態系の調査をして、生活痕からどの種が棲んでるか見極めながら探索しましょう。正面方向は藤堂さんが見るから、みんなは左右の警戒をお願い」


 指示を下すや否や、藤堂と那姫は東館に視線を向ける。

 二人とも流石はベテランだと、一真は感心した。


 判断力もさることながら決断も早い。手慣れた手際で素早く行動に移す彼らを見ていると、益々以って自分が部隊長でいいのかと首を傾げずにはいられない。


「直通エレベーターらしい空洞が、東館にある。先ずはそちらから行こう」

老朽化ろうきゅうかが進んでいるから、足元に気を付けて。安全確認しながら上の階から進もう」


 硝子ガラスが砕けてひしゃげた窓を見つけた一真たちは、其処そこから侵入する。

 清潔感の漂う白い塗装は焦げて焼けただれ、草花が至る所に繁殖していた。


 人が消え去って三〇〇年経った研究所。


 文明の残り香が大地に溶け込んでいるかのような錯覚が一真を襲った。ほこりの舞う光差す窓は、人が消えてしまった都市の美しさを鮮明に映し出している。燦々さんさんと差し込む陽の光が細やかに舞う埃を映し出し、幻想的な気配はより一層濃くなっていた。

 予想していなかった光景に、一真は思わず足を止めてしまった。


「………? どうしたの、カズ君。急に止まると危ないよ」

「いや………綺麗だな、と思って」


 今の心情をそのまま口にする。

 だがこの時代の人間にとっては、さほど珍しいものでもなかったのだろう。

 那姫や比奈、当麻は顔を見合わせて不思議そうな顔をした。


「うーん、綺麗かな? 保存状態はいいと思うけど、こんな場所じゃ人は住めないよ」

「いやはや、東雲隊長は変なご趣味をお持ちですねー! もしや三〇〇年前に局地的に流行はやった、退廃芸術たいはいげいじゅつってやつですか?」

「何だよそりゃ。三〇〇年前の人間はこんなボロボロなのがいいのか? 趣味が悪いな」


 言いたい放題である。

 この時代を生きる彼らにとってはしたることでは無いのかもしれないが、三〇〇年前に此れほど広大な廃墟観光が出来る場所は中々無いのだ。日本に戻ってくるまでに訪れた街は造り直されていたし、海に沈んだ場所に海上都市を築いているものばかりだった。


 出来れば三〇〇年分のジェネレーションギャップを考慮して欲しい、と一真は思った。

 そんなやかましい彼らを、藤堂だけは顔をしかめて睨む。


「お前たち、気を緩め過ぎだ。まだ安全かどうかわからないと言っただろ。東雲隊長も、不用意に足を止めるのは感心しないな。気を付けろと言ったのは貴方だろう?」

「す、すいません」

「………。あと、東雲隊長。俺は貴方の部下だ。だから現場での敬語は止めよう。今日は俺と那姫が代理で指揮をっているが、今後も此のままでは指揮系統が乱れる」

「す………すまない。でも藤堂さんは経験豊富で立派な大人だ。敬語は兎も角、礼を欠くのは心苦しい」


 手厳しい指摘を受け、一真は困った様に首の後ろを掻く。

 祖父に厳しくしつけられてきた一真にとって、目上の人間に対して同僚のように話すのは経験が全くない事だった。


 礼を失した大人が相手ならいざ知らず、藤堂は十分に敬意を向けるに値する大人の男性であり、探索現場での経験も豊富だ。きっと一真の様に戦闘能力が高いだけの青年に部下として使われるのは、彼のキャリアに見合わない筈だ。

 藤堂はそんな一真の気遣いを察したのか、苦笑いを浮かべながら温かい視線を向ける。


「………東雲隊長。恵まれた環境に驕らず、正しい教育を受けて、正しくあろうと礼儀を守っているその精神は、間違いなく貴方の美点だ。きっと時代の差ではなく、親御さんのしつけと教育が良かったのだろう。だからその気持ちだけは頂いておくよ」


 さあ行こう、と手振りで促す藤堂綱吉。

 前を向いた彼の表情からは、既に笑みは消えていた。

 斎条比奈と相良当麻の表情も、先ほどより緊張を帯びている。

 那姫は軽く一真の背中を叩くと、自慢げな笑みでささやいた。


「ね? いい人でしょ?」

「出来すぎなくらいだ。本当に俺の部下でいいのか?」

「カズ君の将来性を見込んでのことだよ。もし負い目があるのなら、部隊長を辞退するのではなく、一人前の赤服になって恩を返すのが本当の礼儀じゃない?」


 見透かされていたことを察した一真は、今度こそ降参の意を示した。

 如何やら逃げ場は無いらしい。

 観念して一人前になる覚悟をした一真は、軽く肩を回して了承の意思を伝えた。





 朽ちた廊下は所々が崩壊しつつあり、一歩踏み出す度にミシリと亀裂が入る音がした。四階建ての東館最上階から順に下っていき、二階の浸水している領域まで足を進める。


 此処からは無音で行動とはいかない。

 如何あっても此方の気配が先に気取られてしまう。

 階段を下って膝下まで海水に濡れた辺りで、先頭を歩いていた藤堂が足を止めた。


「………おかしい。幾ら何でも静かすぎる」

「ええ。廊下にあった爪痕の深さから推定するに、小型の海獅子の様な巨躯種が棲んでいてもおかしくは無いはずです」

「そ、そうなんですか那姫さん」


 比奈が問うと、那姫は苦笑いしながら説明する。


「爪痕は大きさよりも、深さの方が重要でね。生活痕で付いた爪痕が深いという事は、それだけ重量がある巨躯種という事でしょ? 重量があるという事は、当然身体も相応に巨大になる。生活痕から見てとれる歩幅ほはば、爪痕の起伏や形状から身軽さも推測できるし、襲撃方法も予測することが出来るんだよ」

「な、なるほど! 確かにその通りです!」

「おいおい、探索じゃ基本中の基本だぞ。ちゃんと記憶しておけよ」


 呆れながら藤堂に釘を刺される比奈。如何やら彼女が学んで帰るべきことは多そうだ。

 一方、殿しんがりを守っていた一真と当麻は背後を確認しつつ窓の外を見る。


「………穏やかな空気だ。巨躯種が棲んでるとは思えない。突入前と違いすぎる」

「そりゃまた安穏な意見だな東雲隊長サン。都市遺跡の海底に息を潜められたら打つ手がないし、海底を調べる装備も持ってきてないんだぞ」


 皮肉気に責める当麻に対し、一真はその通りだなと素直に頷く。


「そうですね。もし直通エレベーターが浸水域にあるようなら、海底探査用の特殊外骨格とくしゅがいこっかくが必要です」

「いや、多脚型工作潜水艇たきゃくがたこうさくせんすいていも必要になるかもしれん。もし本気で掘り返すのなら、かなり大規模な部隊編制が必要になるぞ」


 海上部分なら兎も角、海底に沈んだ都市遺跡をそのままの状態で探索するにはかなりの労力と時間が必要だ。

 小隊規模で活動できるのは此処までが限界かもしれない。

 義眼を開いた藤堂は周囲の安全を確認した後、もう一度視線を地下に向けた。


「仕方ない。今回は探索ルートを確保して帰還しよう」

「ですね。最後にもう一度、地下の施設を透視してもらっていいですか?」

「既に始めてる。二、三分待ってくれ」


 架空粒子タキオンりゅうしを照射して地下深くまで視界を広げる。東館から真っ直ぐにエレベーターが伸びているという話だが、流石にこの時代まで起動はしていないだろう。

 崩落しているか如何かを確認しておかねば、必要になる機材も変わってくる。

 探索の道中で些か危険な行為ではあったが、一同は足を止めて藤堂の索敵結果を待つ。


 義眼から架空粒子を照射して約一分が経った頃。

 ―――一真は再度、背中に殺意を感じた。


「っ、逃がすか―――!!!」


 殺意を感じた直後、刹那の誤差で繰り出される抜刀術ばっとうじゅつ

 左足を回転軸に最小限の動きで振り返った勢いで斬りかかった一真の一閃は、今度こそ視線の主を捕らえたかに見えた。


 だが一真の刀剣は虚空を切り、剣風けんぷうが埃を舞い散らすばかり。

 一同が突然の抜き打ちに驚いている最中―――藤堂だけが、顔面を青ざめさせた。


「コイツは………! ま、不味い、全員逃げろ!!!」

「ど、如何したんですか藤堂さんまで」

「それはコッチの台詞だ!! あれが見えないのか!!!」


 藤堂が叫ぶと同時に、遺跡の至る所に数多の切り傷が発生する。

 状況が把握できないまま屈んで飛び離れた那姫たちだが、一真はその不可視の斬撃の嵐に突撃し、廊下の向こう側まで走り抜ける。


「ソイツらは任せる!! 俺はもう一体を追う!!!」

「ちょ、ちょっと東雲隊長!!?」

「個人行動するなって言われなかったのかお前は!!?」


 比奈と当麻が叫ぶものの、一真の背中は瞬く間に見えなくなっていった。

 不可視の斬撃が飛び交う現場で、残された全員が一斉に顔色を変える。

 襲撃者が存在するのは間違いないようだが、彼らの目には壁の傷が何の前触れもなく発生した様にしか見えなかったからだ。

 目には視えない敵を睨み、那姫は冷や汗を垂らす。


「まさか………見えない幻獣種Grimmってこと………!!?」

「いや、義眼は辛うじて捉えてる。全身が架空粒子で構成されているのかもしれない」

「お、おいおい、そんなの如何やって戦うんだ!? 架空粒子って性質的には〝存在しないもの〟なんだろ!? 銃弾打ち込んでも効くはずが無いじゃないか!」


 焦りながら後退あとずさる当麻。

 正確に述べるのであれば、架空粒子は物質に作用せず空間にのみ存在する粒子である。物質界への影響力が希薄であるからこそ光速を超える超流動ちょうりゅうどうが可能になるのだ。


「一瞬だけ実体化して襲ってくるみたいだけど、今の私たちの装備じゃ一方的に襲われるだけだ。其処の窓から、まずは外に」

「止めろ、下手に動くな!!! もう………囲まれてる………!!!」


 藤堂は背中に那姫たちを庇い、浸水域の方へと下がっていく。

 壁の傷は瞬く間にその数を増やし、徐々に距離を詰めてくる。流石の那姫も目に見えない、しかも形状も分からない相手に不用意に突撃するわけにはいかなかった。


 藤堂は極限まで義眼を行使し、空間のノイズの様なものから敵の姿を探る。

 恐らく鋭い爪、あるいは羽の様なもので周囲を切り刻む削岩機―――という所まではわかるが、情報が少なすぎる。


(数は………五体か? 細かな羽音がするという事は、形状は魚というより虫に近いはず。切り刻まれた壁の痕から推測すると、羽は極薄の刃と仮定できる)


 呼吸を整え、藤堂は機を窺いながら少しずつ下がる。逃げ切るだけなら幾つか算段があるものの、一真を置いて逃げるべきかどうか考えあぐねて居た。


(東雲隊長はこの幻獣種が複数いることを把握していた。つまり彼には見えていたのだ。しかし………彼は一体、何を追って飛び出していったんだ?)


 他に敵がいるかのように言い残し、一真は独りで戦いに赴いた。

 蛮勇ばんゆうではあるが、このまま全員が囲まれている状態で更に未知の敵を増やしては、いよいよ手に負えなくなっていただろう。


「那姫。東雲隊長の戦闘能力は、不可視の敵に対応しうるものか?」

「不可視ななら問題ありません。彼なら最悪、一人でも逃げ切れます。問題は私たちです。藤堂さんは、コイツらの姿が見えてますか?」

「………薄っすらとだがな。形状は魚よりも羽虫に近い。危険なのは羽の部分だ」

「それが確認できただけでも十分です。加えて聞きますが、コイツらが攻撃してくるのは実体化した時だけなんですよね?」

「ああ、間違いない。その間なら俺たちの反撃も効く」


 つまり倒すのはカウンター狙いの命がけ、という事になる。だがこのままではジリ貧だ。那姫は即座に覚悟を決め、両腕のB.D.Aを起動させる。

 些か危険だが、一真を放置しておくわけにはいかない。

 しかし那姫が臨戦態勢に入ったその時、二人の相談を聞いていた比奈が声を上げた。


「ちょ、ちょっと待ってください! 攻撃の際に実体化するなら、守りに入っている状態では攻撃できないってことです! つまり此方が威嚇射撃を繰り返している間は実体化出来ない、ということでは!? 威嚇射撃を繰り返しつつ戦車まで逃げ切れば、姿が見えないだけの幻獣種なんて敵じゃありません!」

「………ふむ。安全面という意味では悪くない作戦だ。だが東雲隊長は如何する?」

「曲がりなりにも赤服なんだ、簡単には倒されないだろ。まずは僕たちが生き残る方が先決じゃないの? それに一人で突っ込んでいったアイツの責任もあるだろ」


 当麻の投げやりな言葉に、那姫は不本意ながら頷く。


「わかった、今はカズ君を信じよう。藤堂さんたちは一斉射撃を行った後に窓から飛び出て中央施設に退避し、多脚型戦車を回収して応戦を」

「了解。一〇秒後に一斉射撃をして、一気に突破するぞ!」


 藤堂は肩に下げていた機銃を構え、ゆっくりと後ずさる。徐々に近づいてくる不可視の怪物を前に、全員が覚悟を決める。

 三人が不可視の敵に一斉射撃を加えた直後。

 東館の最北端で、爆発音が響き渡った。





 剣戟けんげきが同時に七つ、火花を散らした。

 三つの剣閃は一真が対象の首と胴体を狙ったもの。

 残り四つは一真の剣閃が敵の斬撃を弾き返したもの。


 限りなく不可視に近い斬撃を、一真は敵の身体構造を看破することで辛うじて防いでいた。恐らく他の四人では防ぎきれなかっただろう。


 霞の様に揺らめく不可視の敵は、蟷螂かまきりに近い形状をしている。

 朽ちかけた都市遺跡の壁を乱雑に砕きながら疾走してくる不可視の敵は、並の人間なら錯乱して恐慌状態きょうこうじょうたいおちいるほどの脅威だろう。


 大鎌おおかまの様な刃を四つ振りかざして一真に襲い掛かってくる。同時に襲い掛かる四連撃に対応する為、一真は足を止めずに都市遺跡内を縦横無尽じゅうおうむじんに走り回っていた。

 

 もし足を止めてしまえば、囲うように四つの大鎌が一真の身体を切り裂くだろう。

 伸びてくる大鎌を打ち払った一真は、瞳を凝らして敵の位置を確認する。


(とんでもない速さだ。全長四mくらいある筈だけど、重量が殆どないのか?)


 一撃は速いが、極めて軽い。


 突進で壁が砕けても床が抜けないのはきっとそういう事だろう。

 以前、那姫は加速法の一つである虚数空間を用いた物理法則の減退を行っていた。

 理論的にはそれに近い。


 不可視の蟷螂は物質界に於ける摩擦や抵抗を零にしている反面、その影響力は極めて希薄なものとなる。鋭利な刃物でさえなければ、それほど驚異的な敵ではないだろう。

 もしも他に、問題があるとするなら―――


(………見られてる。今度は気配を隠すつもりもないってことか)


 一真が先ほどから警戒している相手は別にいる。

 目の前の敵に集中できずにいたのは、この未知の敵の奇襲を警戒していたからだ。正眼に刀剣を構え未知の敵を警戒しつつ、自分より遙かに長い間合いを持つ敵を待ち構える。


(蟷螂………蟷螂か。螳螂拳とうろうけんなら爺様に聞いたことがあるけど、役に立つのかな)


 廊下の狭さと間合いの長さを考えれば、避ける場所が少ない一真の方が明らかに不利だ。身体能力の強化しか出来ない一真には愚直に前に出るぐらいしか方法が無い。

 しかも後の先を取らねば此方の刃はすり抜けると来たものだ。

 せめて那姫の様に何らかの加速法があればまた話は変わってくるのだが―――


(………仕方ない。諦めるか)


 考えながら戦うのは性に合わない。

 正眼に構えていた刀剣を下ろし、無造作に前に出る。

 互いに機を狙っていた不可視の蟷螂は、この行動に僅かながら後退った。獲物がわざわざ前に首を差し出しに来るなど、野生の中で生きてきた獣には考えられない事だろう。

 だがその躊躇いは刹那に満たない。

 不可視の大鎌で一真を抱きしめる形で振りかぶった、その直後。

 一真はあらゆる防備を捨て、一直線に突貫した。


「ふっ………!!!」


 居合い一閃。捕食の為に実体化していた不可視の怪物は、光る血潮を巻き上げた。

 怪物は空振りした四つの大鎌で左右の部屋を切り裂いて身を捩らせている。


 不可視の怪物には一瞬、何が起きたのか理解できなかっただろう。

 一真は四方から襲い掛かる大鎌の隙間をすり抜けるように突貫し、その勢いで腸を切り裂いたのだ。自ら飛び込んだのは防ぐ刃を限定し、頭上から襲い掛かる一撃にのみ気を払っていた為である。


 一見して命がけの突貫ではあったが、勝算は十分にあった。

 如何に四方からの同時攻撃が可能であっても、蟷螂は生体構造的に突き技が使えない。

 蟷螂の鎌は敵対者を切り裂く為のものではなく、獲物を抱き寄せて身動きを取らせないようにして肉を喰らう為に進化発達したに過ぎない。

 鎌をすり抜けて懐に入られてしまえば、身を護る術がないのだ。

 正中線を守ることを前提にしていない構えからの同時四連撃など、生命研鑽せいめいけんさんを極めた一真の流派にとっては易く捌ける子供の児戯に等しい。


(とはいえ、少し浅かったか。接触面積を減らす為に体を畳みながら走り抜けたからな)


 刃先で臓腑ぞうふを切り裂いたものの、絶命に至っていない。

 もしも祖父が見ていたら、未熟の一言で断じられていただろう。現に不可視の怪物は死にきれずにまだもがいている。

 

 梵我一如ぼんがいちにょの極致には、まだまだ遠いらしい。


 壁を突き破って逃げ出そうとした不可視の怪物を、一真は無慈悲に追い抜く。


「悪いが、お前は街の近くで放置するには危険すぎる。大人しく、此処で死んでおけ」


 最期の力で振りかぶられる四つの鎌。もはや姿を消すだけの力も無いらしい。

 同じように距離を詰め、今度は一撃で首を斬り飛ばした。

 しばし痙攣していた不可視の怪物はそのまま動かなくなる。

 刀を鞘に納めて振り返った一真は、謎の怪物の死骸が消えていくのを見届けた。


「………消えたか。つくづくよくわからない敵だったな」


 正体不明の視線は消えている。一真の最後の一太刀を見届けてから去ったのだろう。

 何処の誰かは知らないが、監視していた者は間違いなく人間だ。

 それも並の武芸者ではない。もし最後の一太刀に合わせて強襲されていたのなら、一真は死を覚悟せねばならなかっただろう。


「立花にB.D.Aの調整を急いでもらった方がいいかもな。………ん?」


 瓦礫がれきを退けて去ろうとした一真は、自分のいる廃屋が他の部屋よりも広い事に気が付いた。しかも入り口が少し高い場所にある為、この部屋だけ浸水してきていない。


 よく見ると壁際には不自然に飛び出た柱が立てつけられている。

 建築物の構造的に、この柱に必要性は無いはずだ。

 柱の中を叩くと、明らかに空洞らしき音がした。


「まさか………これ、エレベーターか?」


 草木が絡まった壁を取り払う。一見してただの柱と一体化した白い壁でしかないが、この部分だけ空洞なのは間違いない。

 認証カードの読み取り口は見つけられたが、


「動かないし、開かないな。………仕方ない」


 バキンッ!!!


「これで良し」


 良くはない。全く以って良くない。


 都市遺跡ルインズシティを不用意に破壊してはならないという那姫の忠告を忘れた一真は、エレベーターの扉を強引に捻じ曲げて開く。


 下は暗く長い空洞が続いていたが、仄かに光も見える。


 星辰粒子体アストラルナノマシンによる発光かどうかは流石に見分けがつかないが、人工的な光だとしたら大事だ。この時代まで電力が動いているなどただ事ではない。

 赤服の襟裏えりうらにある通信機を起動させた一真は、那姫に通信を飛ばす。


「那姫、聞こえるか? 無事に逃げられたか?」

『………私たちの台詞だよね、それ』

「す、すまない。単独行動をしない約束をしたばかりだった」

『まあ不意打ちだったし、今回は仕方なかったよ。私たちは多脚型戦車を回収して謎の幻獣種を一五体くらい倒した所で、一度船まで戻ったの。倒してもキリがなくて』


 那姫は辟易へきえきしたように溜息を吐く。

 如何やらこのコスモスクエア研究所はあの怪物の巣になっているらしい。


『探索は大規模な部隊編制が必要になりそう。今回は撤収しようと思うんだけどカズ君は何処? 怪我してない?』

「ああ。透明な化け物の親玉っぽいのはコッチで始末した。暫くは大丈夫だと思う。―――それより那姫、大変だ。例のエレベーターを発見して中を覗いてみたけど、地下深くに光らしいものが見える。人工的な光かもしれない」


 通信機の向こうで那姫は飛び上がった。


『ほ、本当に!? 電気が供給されてるってこと!?』

「可能性はある。二階に直通エレベーターを用意していた件もそうだが、この部屋だけ海水が浸水してこないように工夫されていた」


 海水が浸水してこないギリギリの高さに用意されていた部屋に、謎の地下施設へと繋がる直通エレベーター。如何してこの研究所にそんな備えがあるのかは定かではない。

 だが一つだけ確かなことがある。

 この部屋と直通エレベーターは、大災害を乗り越える為、意図的に増築されたのだ。


『………予想以上の発見だ。もしかしたら大災害の根幹について何かわかるかも』

「ああ。そういうわけだから、一度飛び込んでみようと思う」


 へあ!? と那姫は奇声を上げた。


『ちょ、ちょっと待って、いきなり飛び込むの!? 本気なの!?』

「今なら周りに誰もいない。怪物に邪魔されることもないだろ」

『そ、そういう問題じゃなくて! 一人で乗り込んだら危な―――!!!』


 ヒュ、と空洞の続く直通エレベーターの長穴に身を躍らせる一真。通信は長穴ちょうけつに入った直後に途絶えた。

 エレベーターを吊り上げていたロープが途中で切れていたのを確認した一真は、落下の最中にロープを掴む。切断面を確認した一真は、僅かに顔を顰めた。


(ロープに、焼き切れた痕がある。発破か何かで人為的に破壊したってことか)


 何者かがこの研究所の地下に繋がる施設への道を破壊したのは間違いない。だがそれが何時切れたものなのかは解らなかった。

 切れたロープから手を放し、一真は落下しながら地下を目指す。

 間もなく壊れたエレベーターのかごに着地すると、廊下の向こうから光が零れていた。しかし廊下の入り口は倒壊していて、人間一人が進むにはやや狭すぎる。


「………ふむ」


 バキンッ!!!


「これで良し」


 良くはない。全く以って良くないが、此処まできて手柄の一つも無ければ本格的な説教が待っている。今は進むことにした。

 崩れかけている天井には、息切れした螢光灯が点滅している。この分だと何時まで持つかわからない。


 足早に薄暗い廊下を突き進む一真は、明らかに様相が変わった広間に出た。

 僅かに響く起動音から察するに、施設の機能は生きているのだろう。

 しかし扉は固く閉ざされている。ICカードを読み取る様な機器も無い。

 流石の一真も、機能している施設の扉を破壊するのは躊躇われた。もし破壊して中のデータにセーフティロックでもかかってしまったら一大事だ。


「参ったな。此処まで来て立ち往生か。………やっぱり壊」


 その時、扉の前の広間に光り輝く粒子体ナノマシンが散布された。

 反射的に柄に手を掛けた一真だが、害意がない事を悟って静観する。

 全身をくまなく粒子体が調べ終わると、扉の向こうから電子音声が響いた。


『―――A.Nスキャン完了。対象を制御塔権益の所有者〝西業不知夜さいごういざよい〟の後任者と認定。制御塔の管制室への入室を許可します』

 

鋼の扉が開く。

 一真は面食らったが、それ以上に電子音声が読み上げた名前に驚いた。


「西業………不知夜?」


 混乱しそうな思考を無理やり冷静にさせる。

 苗字こそ違うが、其れは母の名だった。

 那姫が言うように、この場所に一真を導いたのは母だったのだろうか?


(母の後任者が俺? でも何の後任者だ?)


 苗字が違う絡繰りはすぐに分かった。きっと六華と辰巳の時と同じだ。

〝西業〟というのは母の旧姓か何かなのだ。もし六華が結婚して姓名が変わっていた一件が無ければ、一真の混乱はもっと激しいものとなっていただろう。


(………。いや、? 俺以外が日記を読んでも理解できないような、)


『入室を許可します。利権者は中へ』


 促された一真は、慌てて中に入る。

 管制室と呼ばれた場所は一斉に機器が覚醒し、機動音で部屋を満たしていく。三〇〇年間眠り続けた部屋は、まるで主人を待っていたかのように息を吹き返し始めた。

 一真は何が起きてもいいように刀剣の柄に右手を載せ、何が起こるのかを見定める。


 此処まで来て敵対することはまずないだろうが、この海底に沈んだ密室で襲われると流石に打つ手がない。ノイズに塗れたコンソールパネルに立体映像が浮かび上がると―――翠色の瞳を持つ、金髪の女性が姿を現した。




『―――ようこそ御出で下さいました、制御塔主権所有者様。

 私は環境制御塔の上級自己進化型有機AI〝Aurgelmirアウルゲルミル〟。

 利権所有者様が来るのを、三〇〇年間お待ちしておりました』


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