試し読み第2回:第ニ章

 ―――〝太平洋たいへいよう覇者はしゃ〟モービーディックの襲来から一カ月。



 東雲一真しののめかずまは、関西の大和民族やまとみんぞくまとめる要塞都市国家〝関西武装戦線かんさいぶそうせんせん〟と呼ばれる地域に足を運んでいた。


 極東と東アジアを結ぶ要塞都市という事もあり、その守りも堅強けんきょうを誇っている。

 取り分け梅田集積施設うめだしゅうせきしせつは周囲を複雑な海流と音響兵器スクリームに囲まれている為、異常進化した海の獣たちが侵入してこないように防衛網ぼうえいもうが敷かれていた。


 凶暴な種類が生息している防衛線には、大気中の粒子で自動防衛を行う粒子防壁りゅうしぼうへきやE.R.A機関を搭載した環式戦艦かんしきせんかんといった失われた時代の強力な兵器が設置されている。

 その中でも環式戦艦は小型ながらも高速機動、高出力、高火力と三拍子揃った大戦力。旧型ではあるが、半永久駆動炉搭載艦はんえいきゅうくどうろとうさいかんを二〇隻以上保有している国は他にEU連合しか無い。

 此れらの兵器は前時代から使われている貴重な遺産であり、退廃たいはいの世にいてはロストテクノロジーが多く使われて居る為に替えが利かない。


 故に扱いには細心の注意が払われ、出動には海洋遠征軍と小笠原執政会の許可が居る。近隣の巨躯種Gigant幻獣種Grimm討伐とうばつするには、それなりの部隊の編制が必要だったのだが―――


「いやあ、助かった助かった! 流石は我らの〝赤服〟様だ! まさか俺の部隊が討伐予定だった巨躯種を三種も駆逐くちくしてくれるとは思わなかった! マジで大助かりだ!!」


 粒子体研究室の室長兼・第三部隊隊長の立花たちばなは、大喜びで一真を迎える。

 対照的に、那姫なつきは少し申し訳なさそうに謝罪した。


「本当にごめんね、カズ君。余計な仕事をお願いして」

「この程度なら構わない。それに頼んできたのは立花だから那姫が気にする事じゃない」

「そう言うなよ。第一五部隊の新設と初陣を兼ねた、良い実践訓練になったじゃないか! 俺の仕事も減って大助かりだからな!」


 立花は悪びれることなく豪快に笑いながら作業にいそしんでいる。

 一真が関西の要塞都市に足を運んだ理由は別にあった。


 その一つが、先延ばしになっていた彼の粒子適合率の正確な測定だ。

 一真の粒子適合率が高すぎた為に測定が正常に出来ず、実戦でのデータ収集が必要になってしまったらしい。

 この退廃の時代に於いて、戦う相手には事欠かない。

 都市の団粒構造だんりゅうこうぞうシェルターの外側に寄ってきた巨躯種を狩ることは、この地に住む者たちが日常的に行っている業務でもある。


 もしも巨躯種が居着いて巣でも作ったら一大事だからだ。

 本当なら中隊規模の討伐戦を敢行するところではあるのだが、一真の戦闘能力ならば近隣の巨躯種に遅れは取らないだろうという立花部隊長の判断が優先された。

 

 実に迷惑な話である。


 しかし立花部隊長は開拓部隊の技術開発部を任されている責任者でもあり、彼が戦闘で正確なデータを取る為に必要だというのなら、赤服であっても異論は通りにくい。

 一真と那姫は仕方なく承諾し、ならば第一五部隊のメンバーを引き連れて近隣の都市遺跡の探索に出てみようという事になり、現在に至る。


 首に付けられたチョーカー型の測定器を外した一真は、それを仮想加速器にめて立花に振り返った。

 立花は青白い光を放ち始めた仮想加速器のデータに目を通しながら手を進めて行く。


「正確な数値が出るまでは何とも言えないが、適合率・内在粒子量・虚数値きょすうち・実数値の、何れもかなりの高水準で出るだろうな。こりゃとんでもない数値が期待出来るぞ」

「ふふ。カズ君は今わかってるだけの数字でも、世界水準を大きく上回ってるからね」

「そ、そうか。………でも俺にはそもそも、その虚数値とか実数値とかがピンと来ない。理解できるように説明してもらってもいいか?」


 ああん? と、怪訝けげんそうな声を上げる立花。


「別に説明してやってもいいが………専門的なことを知ってる部隊長なんて半分も居ないから、気にせんでもいいぞ。それとも粒子体の研究者にでもなりたいのか?」

「違う。自分がどんな兵器を使って戦っているのか知りたいだけだ。それとも、説明できないような非人道的な兵器を人に使わせているのか?」


 一真にしては強い語調で責める。

 B.D.Aは彼の時代には無かった兵器だ。


 しかも身体の組織に寄生した粒子体を強制的に加速状態にして消費するというのは、彼の生きた時代では考えられない危険な兵器と云えるだろう。

 人道的な手段で開発されたものなのかすら疑わしい。

 此ればかりは人体を使って実験してみなければ開発は不可能なはずだ。


「ん………人道的かどうかを問われると、言葉もないというか。突然この時代で目覚めた一真には、疑問点の多い兵器ではあるか」

「でもねカズ君。誤解が無いように言っておくと、この兵器そのものは三〇〇年前から極秘裏ごくひりに研究されていたものなんだよ」

「そ………そう、なのか?」

「当たり前だ。零からこんなもん研究して作る余裕なんて今の現代にはねえよ」


 一真は衝撃を受けた様に息をんだ。

 此れはつまり、三〇〇年前にはもうB.D.Aを主体とした人体実験が行われていたという事になる。人類が万能をうたう時代がすぐそこまで来ていたというのに、その裏で行われていた闇は、おぞましいほどに深いものだったというのか。


 那姫はそこでふと、一真の家族のことを思い出す。


「そっか。カズ君の両親は粒子体の研究者だったんだっけ」

「マジで!? それ初耳だぞ!?」

「………昔のことだ。でもそんな怪しい技術を使って大丈夫なのか?」


 軽くスルーする一真とは対照的に、立花の反応は大袈裟おおげさなほど大きい。

 この退廃の時代で粒子体研究に携わるものとして、三〇〇年前に研究の最前線にいた人物の事は気になる案件だったのだろう。

 立花は好奇心を抑えながら咳ばらいをして続ける。


「ま、まあ、そういうことなら知っていても損は無いな。………とはいっても、三〇〇年前の開発過程に関しては俺も詳しくはないぞ」

「構わない。知ってることだけでいい」


 そうか、と。

 一息置いてから、立花はB.D.Aの開発秘話を語り出す。


「この時代で使われているB.D.Aの技術は、ドイツの粒子研究機関〝ユミル〟で研究開発されていたものを、三五年前にメルリヌス博士が完成させたものだ」

「………メルリヌス博士?」

「EU連合で一番初めにB.D.Aを造った人。今はもう亡くなってるけどね」

「そもそも俺たちの時代と三〇〇年前までの人間とでは細胞レベルで多くの相違点がある。その相違点を解明して、現代の人間がB.D.Aを使える様に組み換えたわけだが………その研究の過程がどんなものだったのかまでは、俺たちにはわからん」


 肝心なところをうやむやにする立花。だが三人とも分かっていた。

 B.D.Aの研究を進める為には、人体を使った実験が必要不可欠なことを。


「でもね、カズ君。B.D.Aが完成して普及されるまで、巨躯種との戦いはもっぱらE.R.A兵器が主流だったの。今でも〝Ether accelerato driverエーテル アクセラレーション ドライブ〟では決して倒すことが出来ない種族―――王冠種Crownと呼ばれる怪物たちが、着実にその勢力を伸ばしてきている」


 一真は〝王冠種〟の名を聞いた途端、表情を硬くした。


〝王冠種〟―――人類退廃の時代と呼ばれる現代を盤石のものとした、十二体の超獣ちょうじゅうたち。


 銃弾の散雨を容易たやすく弾き、戦艦すら海に引きずり込むその戦力は圧巻の一言だった。もしも敵が逃げずにあのまま戦っていればどう転んでいたか分からない。


「………王冠種か。確かに、以前戦った王冠種のであの力だ。本体の王冠種と戦えば俺も太刀打ちできるかわからない」

「はは、馬鹿抜かせ。いくら一真でも本物の王冠種が相手じゃ全く歯が立たねえよ」

 

 当たり前の様に笑い飛ばす立花。

 一真は少しムッとしつつ話を続ける。


「でも本物の王冠種が通常の物理法則に従わず、粒子体を用いた攻撃しか効かないなら、逆にE.R.A兵器の新開発を急ぐべきじゃないか? 個人の才能に頼ってたらジリ貧だ」

「分かってるけど、そう簡単に行かねえのよコレが。星辰粒子体アストラルナノマシンは粒子体によって閉ざされた空間で加速させる必要がある。なら必然的に粒子体の適合率が高い人間が、長大で精密な加速器になるってなわけさ」


 人体の血管は平均で一〇万㎞あると云われている。

 此れは地球の円周の二・五倍に相当する長大な規模だ。

 適合率が一〇%を超えると体内で等速運動をしている粒子体は光速に到達し、世界の固有時を外れることによって物質界の限界を超える力を発揮することが出来る。


「一カ月前に一真がモービーディックを消し去った光の束―――聞いて驚け。あの斬撃は。もしあの一撃を人造の加速機構で構築して兵器に運用しようとするのなら、人類最盛期に存在したハドロン粒子加速器が二〇〇台は必要になる。兵器として設置するには、戦艦どころか超々巨大な研究施設が大量に必要なわけよ。アレを汎用兵器はんようへいきとして小型化するには、あと一〇〇〇年かかるだろうな」

「そ、そんなに大事なのか」

「おうよ。そもそも血流内の等速運動によって固有時のかせを外すっていうことは、物質界の相対性を超越するっていうことなんだぞ。かつてはすたれたエーテル理論や虚数固有時内でのみ観測された架空粒子タキオンが今一度物理学で脚光を浴びることになったのは、全てこのためだ。星辰粒子体を発見した奴は、人類史上で最もイかれた天才だったに違いない」


 ………むう、と一真は腕を組みながら考え込む。

 困ったことに、立花が話していることの半分ほどしか彼には理解できない。

 世界の固有時、一秒の定義が崩れるとあらゆる物理現象の枷が外れることになるというのは理解できたが、エーテルやタキオンといった専門的なものは詳しく知らない。

 一真が困り果てていると、那姫が苦笑いをしながら助け船を出した。


「そんなに畳み掛けても分からないですよ、立花さん。順番を追って話してあげないと。―――あのね、カズ君。始めに特殊相対性理論とくしゅそうたいせいりろんを提唱した米国のアインシュタイン博士の〝私は全宇宙に時計を置いた〟って言葉は割と有名だと思うんけど、カズ君の時代だとどうかな?」

「………それは多分、父から聞いたことがある」


 固有時は、粒子体の開発以前からある概念だ。

 特殊相対性理論を提唱したアインシュタイン博士が発見し、命名したものであり、物質界に於ける概念・法則はこの固有時が存在することによって現在の形に落ち着いている。

 逆にこの固有時の枷が無くなると、物質界はその普遍形を失うことになる。

〝私は全宇宙に時計を置いた〟というのは比喩でも何でもない表現だったのだろう。


「うん、じゃあ此れを基準に説明するとしよう。通常の物質界に於ける物理法則やエネルギー保存の法則は、アインシュタイン博士が置いたこの時計によって統一されているの。世界時計、とでも呼ぼうか。此処まではわかる?」


 コクリ、と一真は頷く。


「さて………ではここで問題。この世界時計とは別の指針、別の速さを示している時計を所有している人がいると仮定します。この異なった速度の世界時計を持つ人物は、私たちと同じ物理法則の中で存在していると言えるのでしょうか?」


 ポン! と、一真は手を叩いた。


「そ、そうか。固有時が違う生命体は、異なった物理法則を持つことになるのだから、粒子体の密度を高めた領域を作れば、世界の法則が全く通用しない地域が発生する」

「ふふ、正解。王冠種たちは自分たちだけの固有時によって構築された土地を持つ事で、特殊な概念法則によって守られているというわけ。そういう事情が存在するわけだから、この世界に存在する粒子体を含まない既存概念じゃ、彼らの領域を破ることも打ち倒すことも理論上不可能という事になるんだよね」


 おおー、と一真は感心したように声を上げた。

 確かに彼女の言う通り、順を追って説明されると非常にわかりやすい。

 知識量だけではなく説明上手とは益々以って恐れ入った。


架空タキオン粒子については難しい話になってくるからまた違う機会にさせてもらうとして。王冠種と戦う際にE.R.AではなくB.D.Aを用いているのはそういう理由があるの」

「だから王冠種を打ち倒すことが出来るのは、大いなる才能を持ち、同じく王冠をいただく者―――人類史上最強戦力〝ミリオン・クラウン〟だけってわけさ」


 不敵な笑みと共に一真を見る立花。

 王冠種と戦えるのは彼らの領域を両断し得る力を持った高適合率の戦士たちだけだ。

 汎用兵器としてB.D.Aが使われる様になった歴史はある意味で必然の流れだったのだろう。

「B.D.A―――〝Blood acceleratorブラッド アクセラレータ〟の開発過程が非人道的なものだった可能性は否定できない。けどこの装具が無ければ人類が戦う術を得られなかったのは間違いないんだ。一真の不信感も理解できるつもりだから、今は俺たちを信じちゃくれんか」

「………。生きる為にはこのB.D.Aが必要、ってことか」


 両手を包むB.D.Aを見つめ、一真は強く拳を握る。

 三〇〇年前にB.D.Aを開発していた人間がどの様な意図でこの兵器を研究していたのかは、定かではない。だが少なくともこの時代には無くてはならないものなのだ。

 この兵器を作り出した人間にどの様な意図があったとしても、それを使うこの時代の人間に罪はないだろう。


「わかった。B.D.Aに関しては、立花を全面的に信用する。俺の命はお前に預けるよ」


 思っていた以上に真っ直ぐな了承に、立花は目を見開いてたじろいだ。


「お、おう、そうか。全面的な信頼ってのはありがたいけど、真正面からそういう事を言うの恥ずかしくないか? それとも何? 俺って一真に気に入られたりした?」

「………? いや、立花は横暴で押しが強く自分のスケジュールばかり押し付けてくる、ハッキリ言って苦手なタイプだ」

「自覚はあるけど本当にハッキリ言いやがるなコイツ!」

「隠しても仕方ないからな」


 此れまた悪びれることなく言い切る一真。

 だが彼の瞳に遊び心は全くない。

 無表情のまま抑揚よくようの無い声で、一真は彼を真っ直ぐに見つめ返す。


「だけど………さっきの言葉には、人としての誠実さを感じた。自己中心的な人間から、先に信頼をゆだねられたんだ。ならその信頼に応えようと思うのが、人情じゃないか?」


 重ねてつむがれる、実直に過ぎた言葉。立花は思わず閉口してしまった。

 一真は信頼を先に委ねられたと告げたが、実際は逆だ。


 信じて欲しいと乞われたから、彼は無償で信じると口にした。


 しかもハッキリと立花が苦手だと公言した上での信頼だ。

 取り繕うことなく本音を言える信頼というものは、本来なら長い月日と共に少しずつ積み重ねられていくもの。


 しかし一真は信頼を重ねる上で必要な段階を、全て蹴り飛ばした。

 命を預ける装具を管理してもらう相手として、一真は立花に信頼を委ねたのだ。


「………なるほど。確かに、誠実さには応えようと思うのが人情だ」

「だろ?」

「オーケー、わかった。俺も人情って奴に身を委ねてやんよ。化け物みたいな数値が出ても、期待に応えられる様に調整してやる」

「ああ、期待してる」

「とはいえ、現状じゃお前のスペックに見合うB.D.Aは用意できないんだけどな! いやはやまさか、筆頭のB.D.Aですら規格が合わないとは思わなかったぞ!」


 コンソールパネルを睨みながら口惜しそうに片肘を突く立花。

 現在の一真のB.D.Aは赤服筆頭あかふくひっとうである倭田龍次郎わだたつじろうから譲り受けたものだ。


 高濃度結晶体を核に用いて作られた刀剣と手甲はそのまま武具となって戦闘を補助するものの、使用者の適合率に合わせた調整をしていなければ心身に支障を来すかもしれない。


「まだ正確な数値は出ていないが、コレは凄い数値が出るのは間違いないぜ。問題は今の極東では最高純度の結晶体を用意できない点だ。此ればかりは運の要素が強い。今のところ王冠級の力を完全に発揮できる結晶体は世界にたった三つしかないくらいだ」

「EU連合、都市国家シャンバラ、新合衆国の三ヵ国が保有している結晶体ですよね。………でも立花さんの故郷である九州総連きゅうしゅうそうれんには、同じくらい貴重な超々高密度結晶体があるって聞きましたよ?」


 立花の表情が一瞬にして固まった。

 今までの友好的な雰囲気を激変させ、険しい視線で問う。


「那姫。それ、誰から聞いた?」

「え? いやあの、龍次郎さんからですけど………九州総連のシェルターがある桜島観測所には、〝天逆鉾アマノサカホコ〟っていう超々高密度結晶体があるって」


 周囲に聞こえるほど強く舌打ちする立花。

 不快感を隠す素振りもないという事は、よほど頭に来たのだろう。

 立花は一真と那姫に鋭い視線を向けてガシガシと頭を掻いた。


「筆頭経由かよ………ったく、あの人も時々杜撰ずさんというか。特権将位の赤服に教える分には構わねえけど、きっちり口止めして欲しいもんだ」

「………すいません。機密事項でしたか?」

「ああ。極東の最重要機密の一つだ。そして隠していてスマン、一真。〝天逆鉾〟ならお前の戦闘力を最大限に引き出せる可能性がある。―――でも〝天逆鉾〟は駄目だ。アレは使えないだけの理由がある。あの結晶が無いと、九州総連は間違いなく瓦解がかいしちまう」


 今までに無いほど真剣な瞳で頭を下げる立花。

 逆に一真の方が面食らってしまった。この何処かいい加減な男に、此れほど真剣な顔があったとは思わなかった。


「いや、気にしなくていい。今のままでも十分役に立ってる」

「けどそれじゃ筋が通らねえ。俺たち技術部は命を張る連中を完璧な状態で送り出すのが仕事だ。十全の力を発揮できる武器があるのに隠していたのは俺の不義理以外の何物でもない。九州に向かう事があればその時に話すから、今は筆頭のお古で我慢してくれ」


 深く頭を下げる立花隊長。

 だが一真はこの時、この男は信用出来ると確信した。


「わかった。立花の調整に期待してる」

「おう。埋め合わせというわけじゃないが、キッチリ仕上げてやんぜ」

「ふふ。雨降って地固まるってところかな。――――ところで立花さん。私の新型B.D.Aって調整終わってるんですか?」


 片手を挙げて質問する那姫。

 一真は小首を傾げて問う。


「那姫もB.D.Aを新調するのか?」

「いやあ、この間のモービーディックとの戦いで力不足を痛感したよ。今のままじゃ極東を守ることは難しいと思って。だから両足のB.D.Aに、新機能を付けてもらったの」


 パン、と足を叩く那姫。

 そういえば、今日は両足のB.D.Aを付けていない。………いやそもそも、一真は彼女が両手のワイヤー以外を使っている様子を見たことが無い。

 両足のB.D.Aが独立した代物という事実を今初めて知ったところだ。


「どうですか? 両足のB.D.Aに、例の機能は付けられそうですか?」

「ん………まあ、ご要望通りの物にはなってるよ。一真が乗ってきた骨董商の船に良質な結晶体が積まれていたからな」

「ふふ、意外に良い買い物でしたね。すぐに用意できますか?」

「出来る。千尋ちひろの新型も用意出来てるが………お前たち、本気でアレを使うつもりか? 悪いが初動の安全は保証できないぞ」

「その辺は技量と気力でカバーしますから大丈夫です。千尋ちゃんには今、梅田地下迷宮の海図製作を依頼しているので、受け取りはもう少しかかるかもしれません」

「そうか。なら俺ももう少し負担が減らせる様に―――」


『茅原統括、東雲隊長。あと一〇分で現地に到着しますので、準備をお願いします』


 斎条比奈さいじょうひなから通信が入る。

 立花は意外そうな顔をした。


「おいおい、B.D.Aが完成してないのに那姫も同行するのか?」

「? 当然です。第一五部隊は事実上、私の直轄ちょっかつ部隊になります。それにカズ君は都市遺跡ルインズシティの探索作業は今回が初めてですし、誰かがサポートしてあげないと」


 腰に手を当てて胸を張る那姫。しかし彼女の装具が万全でない以上、身の安全を考えれば探索の同行は推薦出来ないことだ。


「カズ君に何かあったら戦力的にも大損害ですからね。不可逆返還型イリバーシブルの私が付いて行けば、いざという時に対応できますから」

「それはそうだけど………那姫にしては随分と過保護だなあ。もしや我らが鋼鉄のレディも、遂に意中の相手を見つけたか?」


 底意地の悪い笑みを見せる立花。

 那姫はムッと眉を顰めた。


「………立花さん。私、そういう人の善意を茶化したりするのは、良くない大人の対応だと思います」

「全くだ。そもそも俺は那姫に男として見られてないし、那姫ぐらい器量のいい女の子ならそれこそ引く手数多だろ」


 突然の後方射撃に那姫は不意を突かれて目を丸くした。


「いやあの、別にそんな事ないけど………」

「またまたご謙遜を! 極東じゃ一五歳を目途に見合い話が飛び交うわけだけど、那姫との見合い話を希望する男が国内外でどれだけいると思ってるんだよ」


 今度は一真が驚いた。

 一五歳から見合い話が出るという事もさることながら、国外からも申し入れが来ているとは思わなかった。


「す、凄いな。そんなに那姫は人気なのか?」

「ち、違う違う、違いますから! みんな私の不可逆型が珍しいだけだから!」


 慌てて両手を振る那姫。

 立花はニヤニヤと笑いながらフォローを入れる。


「まあ、国外からの申し入れについては、那姫の能力が目当てだろうな。不可逆型は生産力・医療・科学と多方面で重宝される力だし。海賊共が配ってる人身売買チラシの中でも架空光子演算かくうこうしえんざん型、次元干渉じげんかんしょう型と並ぶくらいの値が付けられるくらいレアって話だ」


 立花の言い方に不快そうな顔をする那姫。

 悪気は無かったのだろうが、能力の型で値札を張る行為は気持ちの良いものではない。そんな相対論を持ち出し優秀性を説明されて喜べるほど、那姫は非人間ではなかった。

 一方、一真はまた少しズレた角度で不安そうな顔をする。


「そういえば、那姫は国外から来たんだったな。……まさか幼い頃に極東に買われて、」

「そ、それも違う、龍次郎さんはそんな非道な人じゃないから! 詳しくは話せないけど、私は五年前に龍次郎さんに拾われただけなの!」


 龍次郎が国外から連れてきた少女。その話は以前にも聞いたことがあった。

 しかしそこでふと、一真は違和感に気が付く。

 日本に帰ってきて一カ月ほど経つが、那姫の身の上を知る者は誰も居なかったのではなかろうか?


「………まあいい。それで、見合いは成立しそうなのか?」

「い、いえ。でもあの、この話ってまだ引っ張るの?」

「? まだ話の途中だろう?」


 さも当然の様に続きを促す一真。

 珍しく動揺を隠せない那姫。

 立花は更に意地の悪い笑みを浮かべて片肘を突く。


「相手が居たら、俺もこんな心配してねえ。那姫が片っ端から袖を振りまくってる所為で死屍累々ししるいるい。一人一人に丁寧かつ反論を許さない達筆で断りの手紙をバラ撒いたと聞いた」

「そ、そんな言い方しなくても良いじゃないですか。私は至極真っ当な対応をしたつもりですし、一律同じ内容でお断りの返事を書いたので、不平不満も無かったはずですよ」

「ほほう。ちなみに、どんな内容で返したんだ?」


 興味本位で立花が聞き返す。かなりの数の申し出があったと推測できるが、その全てを平等に断る文面というのは果たしてどのような内容なのだろうか。

 一真は無言だったが、その眼には好奇の色が宿っている。

 色恋にはうとい一真だが、見合い話を持ち掛けるというのは決して軽い話ではない。

 那姫の容姿が理由であれ、能力が理由であれ、或いは人柄であってもそうだ。

 男女が共に婚姻関係を結び、生涯を共にしようという覚悟が無ければ、見合い話を持ち掛けるようなことは無いだろう。

 那姫を想い、見合いを受けられる年齢になるまで待っていた男もいたのは間違いない。

 そんな熱い想いをどの様な文面で断ったというのか。

 那姫はここぞとばかりに自信満々で胸に手を当て、



「〝現在―――、お見合いにお応えする時間が取れそうにありません。申し訳ありませんが、今回はご縁が無かったという事でお断りさせていただきます〟」



「………ん?」

「………うん??」



 ―――……うん???



 と、二人は同時に首を傾げた。


「………いや、ちょっと待て。お前今、何て言った? つーか何を理由にした?」

「ですから、仕事が忙しいのでご縁がなかったものと」

「全員に? え、全員に? 相手の身分とか容姿とかスペックとか全く関係なく一律で、お前ソレ全員に同じ文面で送り返したの?」

「は、はい」

「お前馬鹿なの?」


 反射的に出た立花の言葉は、余りにも冷たかった。

 即断された那姫は初めて自分の行為をかんがみて、不安そうに表情を曇らせる。


「あ、あの………失礼、でしたか?」

「いや其処そこじゃねえよ! 失礼とかそれ以前に、どんなに忙しくても相手のプロフィールとか写真とかちゃんと見るだろう普通は!? 申し込んできた相手の理由がお前の容姿にせよ能力が目的にせよ曲がりなりにもお前と婚姻を結んで生涯を共にしようって話しだろ!? もしも俺が大本命から〝仕事が忙しいので貴方とのお見合いはお断りだぞコノヤロウ♪〟なんて返されたら確実に泣くし、トラウマとして一生涯抱える自信があるぞッ!!!」


 ガンッ!!! と机を叩いて力説する立花。

 余りの熱の篭り様に、那姫は身を縮こませてしまった。


 しかし今回ばかりは立花の言い分の方が圧倒的に正しい。


 国外からの申請は那姫の希少な能力を見込んだお見合いだろうが、全てがそうだったわけではないだろう。

 想いの大小はあれど、彼女と添い遂げたいと思っていた男性もいたはずだ。

 そんな熱い思いを、〝仕事が忙しい〟の一言で一刀両断されてしまっては、同じ男としてクレームの一つもつけたくなるだろう。

 一真も思わず腕を組んでうなってしまった。


「………死屍累々、か。実に言い得てるな」

「そ、そんなこと言われても仕方がないじゃない! 私が働かなかったら、極東の生産ラインも開拓部隊の実動予定も組め無くなるんだよ!? とてもじゃないけど、私の今の立場でお見合いをしている暇なんてないんだからっ!」


 やや紅潮しながら珍しく余裕の無い那姫。

 こんなに余裕がない彼女を、一真は初めて見た。


「まあ、その辺も問題になってるというか。外見は間違いなく可愛いのに中身が仕事第一人間、しかも男衆が身震いするぐらいできる女だ。那姫が現場に入るだけで戦々恐々せんせんきょうきょう、今じゃ本気で見合いの申し入れをしているのはアラビア海の大海賊とそのご子息くらいなもんだったんだが………まあ、那姫がなびくはずないよな」


 つまり今の彼女に将来の相手となる候補者はいないという事になる。

 呆れた様に笑う立花に対し、那姫は拗ねた様にそっぽを向いて返す。


「………別に、仕事人間で構いません。男女の恋愛とか一度も考えた事ないですし。私は〝赤服〟を貰った時に覚悟完了してますので、仕事が恋人で大いに結構です」

「だ、そうだ一真。うら若き一五歳でありながら女としてこの枯れっぷり、正に思春期を三周遅れでカッ飛ばしてしまったような可愛げの無い女で良ければ是非とも貰ってやってグボハァ!!?」


 遂に那姫から拳が飛んだ。

 だが今のは仕方がないだろう。流石に言い過ぎである。

 一真の襟を掴んだ那姫は膨れっ面で踵を返し、

「もう行こ。これ以上は決闘を申し込みたくなるから」

「そうか。那姫も大変だな」

 簡単な相槌で返しつつ二人で研究室を出る。

 見惚れる様な見事なアッパーカットであごを撃ち抜かれた立花は何とか立ち上がりつつ、心配そうに溜息を吐いて二人を見送った。





 護送船の研究室を出て、廊下を突き進む二人。

 薄暗い研究室は不健康な雰囲気があり、どうにも居心地が悪かった。

 武闘派の一真には理系の匂いが漂うあの場所は相性が悪い。

 那姫は先ほどの話を終えてからもまだ悶々と抱えている。


「………珍しく疲れた顔してるな。那姫も立花は苦手か?」

「苦手って訳じゃないけど、同じ職場で働きたくはないタイプかも。実力はあるし実績も評価してるけど、無茶な仕事を押し付けてくるからスケジュールがズレるんだよね」

「ああ、それは分かる。押しが強いタイプに付き合わされると昔からろくな目に遭わない」


 一真にしては珍しく、本当に嫌そうな顔で呟く。

 基本的に他人の頼み事を断らない一真にとって立花は正に天敵の様な相手なのだろう。今後も長い付き合いになるのだろうが、プライベートを共に過ごすのは難しいかもしれない。廊下を歩きながら、那姫はやっと機嫌を直して肩を叩いた。


「まあ、カズ君は働き詰めだったからね。関西の要塞都市は慰安施設も整ってるし、行商に来た船上民族もよく寄っていくくらい賑やかだから、探索が終わったら少し羽を伸ばしてくるといいよ」


 廊下の突き当たりにある鉄扉を開く。

 その途端、太陽の熱い日差しに目が眩みそうになった。

 目の前に広がる海上都市遺跡―――コスモスクエアと呼ばれる地域の遺跡が視界に入る。


「………此処が、例の研究所がある遺跡か」


 海原の中に、傾きつつも樹に支えられた廃塔が生えている。

 那姫は古い地図を右手の持ちながら周囲の建造物の配置を確認していく。


「あれが大阪府咲洲庁舎おおさかふさきしまちょうしゃ―――かつてWTCタワーと呼ばれたビルだね。日本で四番目に大きかったって記述が残ってるけど、その割りにはパッとしないなあ」

「WTCタワーの周りには広い敷地の割に、がらんとして何もない所為かもしれない。特に一九九〇年代以後のバブル崩壊後、様々な開発がストップしてしまったこのコスモスクエア地区は空き地が多く余ってしまい、政府機関が買い取ることになった」


 高度経済成長期が過ぎ去り、バブルが崩壊した頃この地域には買い手の付かない建築物が散乱した。

 俗に言うバブル崩壊という奴である。

 その多くは執政機関によって埋められたわけだが、その買収騒動の隙間にねじ込まれた施設が存在するという。


「そして………その高度経済成長期に、粒子体研究所がに差し込まれる事になった。バブル崩壊のほぼ直後だね。………もしも真実なら、世界的な大発見だよ。少なくとも政府公式記録では、粒子体研究が始まったのは西暦二〇一〇年初春となっている」

「なのにコスモスクエア研究所は一九九七年には秘密裏に研究を始めている、という事か。………確かに不自然だけど、本当かどうか怪しいもんだ。何せ情報源が俺の記憶、それも母親の愚痴ってだけだからな」


 潮風に背を向け、一真は苦々しい顔をする。

 彼の両親は粒子体研究の研究員だった。かつて息子である一真に、この研究所が造られた時のことを偶然にも話していたらしい。


「研究室は情報的にも閉鎖された空間でなければならない。本来なら不名誉な事だから、誇る様な事じゃない」

「如何だろう? 或いは、カズ君のお母さんが故意に残した情報かもしれないよ?」


 人差し指を立て、悪戯っぽい笑みを向ける那姫。

 三〇〇年前―――環境制御塔による世界的大崩壊が起きた。東雲一真は、三〇〇年間閉ざされた環境制御塔の炉心近くで発見された別時代の青年である。

 人身売買組織から都市国家シャンバラを経て極東都市国家連合に保護されて、現在に至る訳だが、このプロセスには解き明かすべき初めの一手が存在している。


「カズ君のお母さん………東雲不知夜しののめいざよいさんなら、カズ君を炉心に入れて仮死状態のまま蘇生させられた可能性が大きい。この研究所にカズ君が来るように残した違和感なのだとしたら。三〇〇年前の暴走事件について、何か手掛かりがあるかもしれない」

「………如何だか。本当に只のミスかもしれないぞ」

「その真偽を確かめる為に、私たちはこのコスモスクエアへやってきたんだよ。カズ君に三〇〇年前の実録でもある海神日誌を預けているのはその為だしね」


 那姫の指摘に、一真は苦虫を噛み潰した様な顔になる。

海神ワダツミ日誌〟―――其れは大崩壊から五〇年の月日が書き記された当時の記録。

 現在は海神伝記と名を変えて極東に親しまれている書物である。

 倭田辰巳が書き記したこの伝記は、避難直後に起きた暴動のくだりから始まった。

 もしこの日誌に書かれている暴動の内容が本当なら、当時の小笠原諸島は正に地獄絵図と呼ぶに相応しいものだったのだろう。


「海神日誌の読解はどう? 進んでる?」

「いや、一冊目を読み直していた。まだ読み進める気になれなくて」


 那姫は一真の言い分を加味しつつ、心配そうに覗き込む。


「やっぱり、日誌を読むのは乗り気じゃない?」

「………どうだろう。少なくとも、初めはそうだった」


 一真も興味が無いわけではない。だが三〇〇年前に何が起きたのかを友人の視点で知ってしまうのは、何か恐ろしいものの蓋を開けてしまう事になるような気がしていた。


 辰巳と一真は同じ友人を多く共有している。

 海神日記にはきっと、知人の死についても、記録されている筈だからだ。一真が都合のいい想像で誤魔化してきた真実が、この日誌には全て載っている事になる。


「………妹の六華りっかの無事が確認出来て以降、友人の安否を調べてはいなかった。どんな結末が待っているのか知るのが恐ろしかったというのが俺の本音だ」


 六華や辰巳たつみが無事だったのだから、他の仲間や親類も無事に違いない。

 そんな風に盲目的に思い込むことにしたのは、自分の旅を早々に終わりにしたかったという気持ちがあったからかもしれない。


「でも、今は読んでよかったと思ってる。丈一郎じょういちろうも、智樹ともきも、クリスさんも、みんな無事だったんだからな」


 声が少しだけ明るくなり、口元をほころばせる。

 一年目の辰巳は破天荒な行動で周囲を振り回しつつも、一真の良く知る同級生の辰巳だった。クリスティン=ディ=グレゴリオ博士と倭田わだ辰巳が合流してからは、一真が聞いていた通りの内容が続いた。護衛船の奪還作戦を成功させた彼らは荒ぶる海を命がけで渡り、東京・横浜での救助活動を成功させることとなる。


 小笠原諸島に帰還した辰巳たちは、小笠原解放作戦を多大な犠牲を払いつつも成し遂げ、暴徒たちを鎮圧。しかし主犯格と思われていた男が最後に自殺したことにより、彼らがどの様な思惑で暴徒の扇動を行ったのかは、最後まで誰も分からなかった。

 三〇〇年前に起きたこの事件は歴史の闇に葬られ、何時しか極東の人間も忘却の彼方に追いやられていったのだ。


「………本当に。みんな、無事でよかった」


 長い溜息を吐き、一真は背凭せもたれに身を預ける。

 最初は知り合いを題材にした、趣味の悪い創作小説を読んでいる気分だった。


 倭田辰巳、相良丈一郎さがらじょういちろう葛城智樹かつらぎともき


 ………そして、クリスティン=ディ=グレゴリオ博士。


 この四人を筆頭に、知っている人間の名前が余りにも多すぎる。

 だがそれでも、一真は海神日誌を読んでよかったと笑みを零す。

 何カ月も気掛かりだった、友人たちの安否。

 それが分かっただけでもこの日誌を読んだ意味はあった。

 真実は時に、自分の中の都合のいい妄想よりも逞しい事実を提示してくれるようだ。


「………。そういえばカズ君って、クリス博士とも知り合いだったんだね」

「まあな。俺の母はクリスさんの実家とも交流が在った。クリスさんの実家はドイツの粒子体研究の責任者だったらしい。俺の母には、幼い頃から世話になっていたと聞いてる。ホント、世の中狭いな」

「ふふ、確かに。どの文献にも凄い美人だったって記録が残ってるけど、その辺どうなのかな? やっぱりカズ君の目から見てもクリスティン博士は綺麗な人だった?」


 少しだけ悪戯っぽい笑みを浮かべる那姫。

 一真は不意打ちを喰らい僅かに目を見張った。

 先ほどの意趣返しだと察した一真は、首の後ろを掻きながら少しだけ困った顔をする。こういう話は苦手なのだが、先ほど此方から催促したばかりだ。

 自分だけ何も答えないというのは、誠実さに欠ける気がした。


「そう、だな。………綺麗な人だったし、優しくて面倒見もいい人だったよ。うちは一時クリスさんのホームステイ先でもあったし、父も母も忙しくて家を空けることが多かったから。俺と六華にとって、爺様とクリスさんが両親の様なものだった」

「……………」


 想えば、あの時に夏祭りに誘ってくれたのもクリスティン博士だった。

 東雲家の交流を図る為に、先輩である母に半ば無理やり休暇を取らせ、数年ぶりに家族で夏祭りに向かうという、壮大な計画を実行してくれたのだ。


「父は兎も角、母はクリスさんに弱かった。いや、美人に甘かったというべきか?」

「お、お母さんの方が美人に弱いんだ?」

「ああ。母は偏向的博愛へんこうてきはくあい主義だったからな。クリスさんとも家族ぐるみの付き合いをしていたし、誰より可愛がっていた。………だからまあ、なんだ。子供の俺にとっても、憧れていた人だったと思う」


 憧憬どうけいと共に、様々な感情を吐露とろする。だが此れが最初で最後だろう。

 二度と会う事の無い人に想いを傾け過ぎるのは良くない事だ。少なくとも彼女は大災害で命を落とすことなくその生涯を終えた。それで十分じゃないか。


 だから幼かった頃の憧憬には蓋をしておこう。


 所詮は、身の丈に合わない初恋だったのだ。


「………。最低だ。気軽に聞いていい話じゃなかった。ごめんカズ君」

「お、大げさだな。別にこれくらいは如何ってことないぞ。思い出なんて後生大事に取っておく必要なんてないんだし、たまに虫干しするくらいが丁度いい」

「違う、違うの。ホントにごめん、カズ君。大阪に来る前に先に伝えておくべきだった。クリス博士は大阪で―――」


『東雲隊長ー!! もう到着しますんで、そろそろ上陸準備よろしくお願いしますよー!』


 斎条比奈さいじょうひなに呼ばれ、一真は西の方角を見る。

 腰の刀剣を強く握り締めた一真は、那姫に振り返る。


「行こう。まずは今日のお務めだ。この時代は働かざる者食うべからず、なんだろ?」

「で、でも」

『おいおい、隊長サン早くしてくれよ。日が暮れちまうぞ』


 当麻からも催促される。那姫は逡巡しゅんじゅんしたが、大きく息を吐いてから笑顔で頷いた。


「………わかった。今は探索を優先しようか!」


 一真も笑みで返し、二人は共に目的地へ向かった。


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