試し読み第1回:第一章

 ―――三〇〇年後・現代。

    関西中枢要塞都市かんさいちゅうすうようさいとし・大阪。



 さわやかな海風が吹く、日本諸島の中腹にある都市国家。


 関西地方を纒め上げるその都市国家は人口数こそ十二万人という規模だが、多種多様な怪物たちとの生存競争にさらされ続けた土地でもある。


 何時しか〝関西武装戦線かんさいぶそうせんせん〟と呼ばれるようになったその都市国家は、神戸重工こうべじゅうこうの遺跡から回収した製鉄・調合・兵器の製造ラインを用いて戦い続ける日々を送っている。


 団粒構造シェルターの外殻によって守られているこの街―――大阪の周囲は現在、原生林からたくましく伸びる樹々きぎに狂暴な獣たちが息を潜めている。

 そびえ立つ灰の巨塔群はかつて繁栄した文明の残り香を感じさせる。


 肥大化した樹々に支えられる建造物は完全に自然の中に溶け込んでいた。

 三〇〇年という長い月日をかけて海域が上昇した結果、耐塩性の高い、海水に適応した大樹海域が世界中の至る所で姿を現しているという。


 そんな、寂れた都市の原生林。

 シェルターの外側に広がる大樹海域に、叫び声が鳴り響いた。


東雲しののめ隊長! 海棲類かいせいるいのGⅣ級二体を確認! 至急、指示を下さい!』

「……………」


 多脚型戦車たきゃくがたせんしゃから叫ぶ女性。

 だが東雲一真からの反応は無い。

 彼は護送船の中で、本を読み続けている。


『………東雲隊長? あ、あの、聞こえてますか東雲隊長! 海神ワダツミ日誌の解読作業も大事ですが、指示をくれないと、みんな動けないといいますか!』

「………」


 ………パラリ。


『東雲隊長おおおおお!? いやほんと、本を読んでる場合じゃないですから!!! 私たち、巨躯種Gigantと並走してますから!!! 指示くれないと危ないですからぁ!!!』


 泣きつく様な女性の声に、ハッと一真は気が付いた様に顔を上げた。

 腰を上げた一真は刀剣を手繰り寄せて問い直す。


「えっと、悪い。聞いてなかった。斎条さいじょう、もう一度頼む」

『海棲類のGⅣ級二体を確認! 護送船に向かってきています! 交戦するか逃げるかだけでも命令ください!』


 金切り声を上げる女性―――斎条比奈ひなは、根気よく一真に報告を続ける。

 護送船の甲板に出た一真は状況を確認し、周囲を見る。

 二つ、三つ、四つと続く炸裂音と共に大樹海域の樹々が薙ぎ倒されて海底に沈んでいく。その原因と思しき巨大な魚影は、海中から飛び上がって雄叫びを上げた。


『GEEEYAAAAaaaa!!!』


 蜉蝣かげろうの様に透明な羽が付いた魚影は飛行ではなく跳躍で樹々を薙ぎ倒して暴れ狂う。だがその狂乱さは破壊行為を目的としているようには見えない。

 その姿はまるで強大な捕食者から逃げるかのようだ。


 無我夢中で外洋に向かって泳ぐ海棲類の巨躯種。

 その背中を逃がすまいと、三機の多脚型戦車が走り抜ける。


「………? 様子がおかしいな。本当に俺たちを狙ってるのか?」

『少なくとも進行方向は同じです! 逃げ切るのは難しいかと!』

「わかった。じゃあ一号機、二号機、三号機は左側から威嚇射撃で右方向に誘導してくれ。俺の方で始末する」

『え!? あ、りょ、了解です!』


 抜刀し、船を飛び降りて樹海の幹に飛び乗る。

 三機の多脚型戦車は命令された通りに回り込み、距離を取りながら威嚇射撃を開始する。

 砲塔から放たれた特殊化合炸薬とくしゅかごうさくやくの弾が海面を直撃し、衝撃波が樹々の葉を揺らす。まき散らされる薬莢やっきょうと鉄火で樹海の獣たちまでもざわつきだす。

 大樹の幹で待機していた一真は、腕を回しながら三機の多脚型戦車に通信を飛ばす。


「三〇秒後、海面を叩く形で一斉砲撃。巨躯種が飛び出してきたところを俺が斬る。カウントダウンと号令は………藤堂とうどうさんにお願いします」

『了解した』

『でも本当に大丈夫なのか!?』

『GⅣ級とはいえ海棲類は心筋の過密度が高い種です! 私たちも支援した方が……!!』

『隊長命令だ。部隊の初陣ぐらい、黙って見守ろう』


 藤堂と呼ばれた男性の声が、若い二人の搭乗員を窘める。

 大樹海域の中は入り組んだ迷路の様になっている。このまま進めば道は狭まり巨躯種の動きは制限されることになるだろう。

 二つの巨大な魚影が興奮したまま外洋に向かう。

 一本道にまで道が狭まったその時。

 三つの号砲が鳴り響き、魚影に着弾した。


『GE――――GEEEYAAAAaaaa!!!』


 飛び出てきた二体の巨躯種。

 それを逃がすまいと、赤い人影が舞った。


「ふっ―――!!!」


 一喝いっかつ、一真は巨躯種に向かって跳躍する。


 残像を残す程に素早く飛び出した一真は、海棲類の首元に刃を振り下ろす。

 触れると同時に摩擦で切り裂かれていく獣の肉は、出血よりも早く切断面が晒されて崩れていく。獣の肉はまるで斬られた事に気づかないまましばし痙攣けいれんしていた。


 だがこれで終わりではない。


 赤いレザージャケットをなびかせて、背後に向かって返される二の太刀。

 飛び掛かってきたもう一体を、真一文字に引き裂いていく。太さが七尺はある巨大な頭が血飛沫と共に切断され、辺り一面は真っ赤に染まっていった。


『ひえ………!』

『………一刀両断かよ』


 多脚型戦車の搭乗者たちは冷や汗を流し囁き合う。

 だが此れだけ血をばら撒いてしまったのは悪手だった。散漫していく血の臭いを嗅ぎ付けた巨躯種が獲物を横取りしようと次々と群がってきた。


 一撃必断の切れ味を見せつけた紅い人影は刀に付着した血を一振りで払い、落ち着いた様子でさやに納める。

 赤い服を靡かせて様子を窺う東雲一真は護送船で待機している少女―――茅原那姫かやはらなつきに、えりの裏にある通信機で問いかけた。


「………那姫。巨躯種を倒したら、何やら色々と群がって来たぞ」

『カズ君が樹海でこんな派手に血を撒いたからだね。その臭いに釣られて、腹を空かせたハイエナたちがやってきたんだよ』

「なるほど。始末した方がいいのか?」

『ううん、少し様子を見よう。最近の関西付近の荒れ具合を鑑みると、コイツらより危険な種が居ついてる可能性が高い。目的地が近いから先に掃討戦そうとうせんを開始しよう。各員、臨戦態勢のまま待機で』


 了解、と一斉に返ってくる。

 多脚型戦車は木陰こかげに身を潜め、一真は樹の上に立つ。

 死肉に群がる獣と、群がる獣を狩る獣。


 弱肉強食とは正にこのような情景を云うのだろう。


 GⅠ級と推測される比較的小型の肉食獣が海棲種の死体に群がり始めると、更にそれを喰らいつくそうと多頭の蛇が海底から姿を現す。

 木陰で様子を窺っていた搭乗員たちの表情が変わった。


『ス………〝多頭蛇スキュラ〟!? 西洋種じゃないか! どうしてこんな場所に!!』

『比奈、等級ランクは幾つだ!?』

『此方は明らかに二〇mはあります! 推定ですが粒子量もDMダブルミリオン級かと!』


 DM級―――内在粒子量が二〇〇万を超える極めて危険な巨獣を意味する。

 海底から数多の首を現した多頭蛇は、瞬く間に二匹の海棲類ごと他の獣を飲み込んでしまった。だがそれだけでは足らなかったのだろう。

 赤い瞳を光らせた多頭蛇は、一二の首を持ち上げて彼らを一斉に睨みつけた。


『っ、見つかった!!!』

『東雲隊長、指示を! 機体の生体回路を繋げば戦車部隊だけでも戦闘は可能です!』

「………? 俺は戦わなくていいのか?」

『一真は下がってろ! コイツは腹の中に神経毒を溜め込んでる厄介な奴だ! 一息でも吸ったら身体が麻痺まひするぞ!』


 む? と小首を傾げる一真。

 適合率と毒の耐性に因果関係があるのか否かを、彼は知らない。

 今にも飛び出そうとしていた一真を、那姫は静かにいさめる。


『毒に関する免疫は粒子体の分解速度に依存するから、個人によって違うんだよ。検査前に不用意に飛び込んだら危ないから、此処は彼らに任せつつチャンスが来るのを待とう』


 了解、と短い返事をしてから腰を落とす一真。

 毒を持つ獣に生身で挑めば、万が一ということもある。

 多脚型戦車の搭乗者は赤外線誘導弾せきがいせんゆうどうだんに切り替えて砲塔の照準を合わせ始める。


 此れだけの数の頭を破壊するのを手動操作に頼っていては、照準を合わせるのに時間がかかりすぎると判断したからだろう。

 だがその直後、多頭蛇の口内から反射性の高い結晶粒子けっしょうりゅうしがばら撒かれた。


『くそ、赤外線阻害そがいか!』


 赤外線誘導弾を撃とうとした女性の搭乗者は軽く舌打ちする。

 光が微小な結晶体に乱反射して、此れでは照準が合わせられない。

 即座に視覚同調照準に切り替えようとした搭乗者だったが、僅かに遅い。巨大なあごに前足を喰いつかれた多脚型戦車は宙吊りに近い体勢に持っていかれた。


『ヤバ、捕まった………!』


 斎条比奈の多脚型戦車に幾多の首が頭を叩きつけ、牙を剥く。

 窮地きゅうちを悟った一真は即座に鯉口こいくちを切る。


「………見てられないな。俺も出るぞ」

『お、おい、人の話聞いてねえのかお前は!!?』


 二号機の青年が叫ぶものの、既に一真は飛び出していた。

 大樹の幹を足場に突貫し、多脚型戦車をくわえていた首を一太刀の下に斬り飛ばす。首を一つ失った多頭蛇は身の毛の弥立よだつ様な絶叫を上げ、一斉に一真を睨みつけた。


 大きく息を吐き出したのを確認した一真は距離を取りながら口を押さえる。

 不可視の気体だった為に一瞬だけ反応が遅れたが、多頭の蛇の心肺部分が不自然に膨らんだことから、何か有害な物を気体に乗せて吐き出したのだと推測する。

 高い身体能力を持つ一真だが、神経毒を吸えばどうなるか想像もつかない。

 即座に呼吸を止めて剣を構え、全力の一刀を多頭蛇に向かって振り被る。

 剣風は毒の吐息を容易く押し返し、衝撃波となって蛇を襲った。今度は多頭の蛇が不可視の衝撃に襲撃されてその巨体を揺らす。

 だが即座に体勢を整え、再度一真に毒を吐きかける。

 那姫は二号機に向かって叫んだ。


当麻とうまさん、サポート!!』

『わかってるッ!!!』


 二番機の搭乗者―――相良さがら当麻は、前足の可変型震動刀剣かへんがたしんどうとうけんを振りかぶりつつ多頭蛇に斬りかかる。激しい血飛沫を撒き散らす多頭蛇だが、硬質の鱗と超過密の筋量を誇る多頭蛇の身体を容易く切るには至らない。

 一度距離をとった一真は、当麻に通信を飛ばす。


「当麻。右の腹部にのようなものが見えるか?」

『ああ!? それがどうした!?』

其処そこが毒袋だ。貫通力のある弾で狙い撃てるか?」


 指摘された当麻は戦車の外部カメラで即座に確認する。

 言われてみれば、先ほどまで膨らんでいた瘤が少し小さくなっていた。

 舌打ちした当麻は可変刀剣を収めて飛び離れる。

 多関節であるが故の跳躍力で瞬く間に距離を取った戦車は、伸ばした後ろ足のアームで幹を掴み、立体的な動きで牙を躱す。

 多頭蛇の胴体は海中と海上を何度も行き来している。

 もしも深く潜られてしまえば海中の粘度が緩衝材となり威力が殺されてしまうだろう。

 半端な威力では破壊出来ない。視覚同調照準に切り替えた当麻は、手早く狙い澄まし、生体回路を有りっ丈の速度で回す。

 僅かな疑似発光が確認されると同時に、砲塔が弾丸と共に火を噴いた。


『GE―――GEEEEYAAAAaaa!!!』


 飛び散る肉片と多頭蛇の絶叫。

 最大出力で放たれた弾丸は毒袋だけに止まらず臓腑ぞうふを貫いた。

 当麻は内在粒子ないざいりゅうしの大半を使い切ったものの、会心の手応えに叫ぶ。


『オラ、毒袋は破壊したぞ!!!』

「上出来。後は任せろ」


 一真は緩やかな足取りで幹から飛び降りる。

 戦車砲の砲撃で受けた傷は浅くない。怯んだその隙を見逃さず、着地と同時に首の根本へと一足飛びで距離を詰める。


 一の太刀で首を二つ斬り落とし、二の太刀で首を四つ斬り落とす。

 こうなると圧倒的に不利なのは多頭の蛇の方だ。

 多頭の蛇はその身体構造的に、背に乗られてしまえば反撃の手が極めて少なくなる。幾つかの頭が牙を剥いて襲い掛かるも容易く迎撃されてしまい打つ手がない。

 血風を巻き上げ、次々と一真はその首を切断していく。


 ならば海中に引きずり込もうと潜水し始める多頭の蛇。

 だが逃げようとするあまり、攻めの手を緩めたのは悪手だった。

 一真は海に逃げ込む多頭には目もくれず、その胴体を真っ直ぐに見据えて刀を構える。


「………馬鹿だな。首は沢山あるようだけど、?」


 足元の巨体を見据えた一真は、持ち前の観察眼で多頭の蛇の構造を看破かんぱする。これだけの数の首を一度に動かそうとするには相応の心臓が必要不可欠だ。

 生命体の多くは血流が生み出す圧力によって活動している。

 心臓という動力無くして生命体は命を保てない。一真はその動力源が何処にあるのか見抜き―――刀を振り被って、思いっきり動体へ突き刺した。


『GE―――GEEEYAAAAaaaa!!!』


 多頭の首が一斉に悲鳴を上げる。

 鉱質の鱗も、超過密度の心筋も、この必断の一撃からは逃れられない。

 巨躯を誇る多頭蛇は波を起こす程に大きく痙攣けいれんし、やがてその動きを止めた。

 断末魔の大合唱におののいた獣たちは死体を貪ることを止めて一斉に逃げ出していく。その様はまるで嵐を予感して逃げ出す子鼡たちの様だ。


 多頭蛇はこの一帯の支配者だったのだろう。それを倒した者が現れたとなると、この地域で生活していた獣たちが逃げ出すのは当然の流れである。

 樹々の枝がユラユラと揺れて葉を擦り合わせて徐々に静けさを取り戻していく。その音が止むと、辺りに静寂せいじゃくが満ちていった。


 ………如何やら、今度こそ終わったらしい。


 一真は大きく呼吸をしてから刀を納めて多頭の蛇に背を向ける。

 だがその直後―――遙か遠くの樹海から、猛々しい叫び声が上がった。


『PEEEEEYEEAAAaaa!!!』


 甲高い複数の鳴き声。

 聞いたことのない鳴き声に、一真は首を傾げながら振り返る。

 その刹那せつな―――翼を持つ小さな爬虫類型はちゅうるい幻獣種Grimmが、大量に襲い掛かってきた。


「………次から次へとしつこいな」


 面倒くさそうに刀剣を構える一真。

 だが比奈と当麻が同時に声を荒げる。


『いやいや待って待って、待って東雲隊長!』

『ソイツはもっとヤバイ!!! 〝飛翔蛙F・リーパー〟の毒は大気に触れると強力な致死性の気体に変わる! マスク無しの白兵戦は危険すぎるッ!!!』


 比奈と当麻の声に明確な焦りの色が加わった。

 外見こそ翼と牙が生えただけの蛙だが、種族名に〝死神リーパー〟と付けられた種は例外なく人を絶命させる毒性や危険性を孕んだ幻獣種である。


 二人の様子だと先ほどの多頭蛇より危険な毒をもっているのは確実だ。

 刀を構えていた一真の動きが止まり、また毒かと呆れた顔をする。

 多頭蛇の死骸からすぐに飛び離れた一真だったが、死骸に群がった飛翔蛙は僅か半分。もう半分は軌道を曲げて一真に襲い掛かる。


『ああ、これは不味い。カズ君はすぐに船まで逃げて!』

「いや、倒さなくていいのか? 危険な種なんだろ?」

『適材適所! 毒を持ってる相手に生身で挑んでどうするの!』


 全く以って正論である。

 一真は渋々樹々の上を軽く跳躍しながら逃げる。戦車隊は毒が溢れることを危惧して半端に手を出すことも出来ず、その背を追いかけていく。


 だが一真は不満そうに振り返った。

 此のまま逃げ切ることは可能だが、折角確保した探索ルートに居着かれて巣でも作られることになれば面倒だ。小型の種であるところを鑑みると繁殖能力も高いだろう。

 一真が蹴散らした巨躯種の死骸を餌にすれば十分な食料が手に入ってしまう。

 危険生物が増えるのは阻止するべきかと一真は一考する。


(………よし。やっぱり、此処で始末しよう)


 思い直した一真は振り返り一匹だけ素早く捕まえ、その身体構造をざっと確認して小さく頷く。

 手の平サイズの爬虫類だが、口内には二本だけ生えた針の様な牙が見えた。形状からして噛み砕くためのものではなく、獲物に毒を浸透させる為の牙だろう。


「毒袋は………上顎の少し上か。これならなんとかなりそうだ」


 構造を把握した一真は捕まえた飛翔蛙を海に向かって投げ付ける。

 ピギャ、という潰れた音が聞こえたものの、毒袋が海中に沈めばとりあえず気化はしないだろう。………とはいえ、全てを海に叩きつけるのは面倒だ。

 一真は立ち止まって振り返り、飛翔蛙に向かって刀を構える。

 外部カメラで様子を窺っていた当麻は、画面に食らいついて叫んだ。


『ば―――馬鹿か、人の話を聞いてなかったのか!? 毒袋が破れて大気に触れたら致死性の気体が溢れ出るんだぞ!!! お前が船内に逃げたら僕たちが機関銃の掃射で追っ払うから、まずはシェルターの中に逃げろって!!!』

「それだとこの地域がしばらく毒に包まれて、帰還する時が大変だろ。―――いいから、少し静かにしてろ」


 正眼せいがんに刀を構えて飛翔蛙の群れを睨む。

 れて飛び交うその姿はまるで巨大な生き物の様だ。牙をうなりを上げるその姿は、並の者ならば恐怖に慄いて逃げることすらままならない程のものだ。


 一匹二匹なら短時間呼吸を止めるだけで逃げられるだろうが、この巨大な群れを全て始末するとなると話は別だ。何百もの毒袋が弾ければ逃げ場はない。

 大きく呼吸をした一真は息を止め、巨大な群れに向かって突進した。


「ふっ―――!!!」


 弾丸の様に飛び出した一真は幾度となく白刃はくじんを振り、飛翔蛙を切り裂いていく。

 監視カメラで状況を見ていた当麻は真っ青になった。

 輝く白刃は目にも止まらぬ速度で次々に仕留めていくものの、あの辺りは既に致死毒で充満している筈だ。


 一息でも吸ってしまえば常人なら即死、高適合者でもどうなるか分からない。

 しかし一真はお構いなしに敵を切り刻んでいく。

 眼にも止まらぬ速度で刃を振り下ろす一真は正に鬼神きしん彷彿ほうふつとさせる勢いで群れを蹴散らし、何百もの飛翔蛙が僅か数秒で肉片に変わり次々と海へ落下する。


 此れでは肉をすり潰す撹拌機かくはんきと喩えた方が適切だろう。

 比奈と当麻が止める間も無く全ての飛翔蛙が両断され、一真はその中心で大きく呼吸をする。シェルターの方向に振り返った一真は戦車を真っ直ぐに見つめ、刀を鞘に納めながら襟の裏の通信機に話しかけた。


「………終わったぞ、当麻。これで文句ないよな?」

『いや、お前………大丈夫なのか?』

『はわわ………! こ、此のままだと東雲隊長が毒死してしまうのでは!?』

「だから、問題ないって言ってる。毒は確かに危険だけど………大気に触れて気化するというのなら、?」


 これには当麻も比奈も絶句した。

 正にその発想は無かったというところだろう。

 手の平程度の大きさしかない飛翔蛙の、その更に小さい毒袋を避けて斬り落としていくなど人間業ではない。

 一㎜でも刃先が触れて毒袋を裂いていたのなら一真は死んでいた可能性もある。己の剣技に絶対的な自信があり、並外れた胆力があって初めて可能な戦術だ。

 護送船のモニタで様子を見ていた那姫も呆れたように笑う。


『何というか、カズ君は本当に剣技に関しては自信家だね。いや実際に凄いんだけどさ』

「褒めても何も出ないぞ」

『いえいえ、本当に話以上ですよ! 正に圧巻ですね、東雲隊長! 初めは小隊規模で探索に向かうって聞いてゲンナリでしたけど、おかげさまで楽勝でした!』

『まだ現地にすら着いてないんだから、油断しちゃ駄目だよ比奈ちゃん。特に今回の比奈ちゃんは反省点が多いんだから』


 へ? と素っ頓狂な声を上げる比奈。

 那姫は呆れ笑いを浮かべつつ、先ほどの窮地を指摘する。


『さっき、多頭蛇を相手に赤外線誘導弾を使おうとしたでしょ? 以前に爬虫類、特に蛇型の巨躯種には赤外線誘導が丸見えになるから気を付けてって、言ったばかりじゃない』


 指摘された斎条比奈は、ひえ、と悲鳴を上げて身を竦ませる。

 蛇を代表に、爬虫類の巨躯種はピット器官と呼ばれる熱や赤外線を視覚的に感知する機能が備わっている事が多い。進化した種の中には赤外線を巧みに使って仲間を誘導したり、獲物を迷わせたりする種が居るほどだ。

 先ほどの多頭蛇はそういった自然環境の中で生存競争を生き抜くために、対処法を身に着けていたのだろう。

 そんな相手に赤外線誘導弾を頼るというのは、どう考えても悪手である。


『第一五部隊は小隊規模で、基本的にはカズ君のサポートが仕事。なのに今から足を引っ張ってちゃ駄目だよ。今後は気を付けてね』

『うう、返す返す言葉もないです………でもでも、次は頑張りますんで! この斎条比奈、東雲隊長をガッツリとサポートしますんで!』


 鼻息を荒くしながらやる気を見せる斎条比奈。

 一真は僅かに口元を緩ませながら頷く。


「わかった、これからの斎条に期待してる。………あと、藤堂さんと当麻もお疲れさま」

『二人は何時もより動きが良かったくらいですね。特に藤堂さんは、遠征軍から引き抜いてきた甲斐がありました』


 那姫が褒めると、藤堂綱吉は特に感慨の無い声で返す。


『俺はそれほどでもないが、当麻が冴えていたのは間違いないな。例の件で拘束されて、留置所暮らしが堪えたか?』

『………フン。オッサンに褒められても嬉しくないね』


 藤堂綱吉つなよしと相良当麻は、それぞれ異なった反応を見せる。

 藤堂は他の若い二人が操縦する戦車の対角線上、それも常に高所から挾みこむように威嚇射撃を行い戦いを有利に進めていた。


 本来なら対角線上に動くと友軍に誤射しかねないところだが、立体的な移動を可能にする多脚型戦車だからこそ可能な配置で高低差を付けつつ援護に回っている。

 多様な経験がある藤堂ならではの戦い方だろう。遠征軍から出向してきた彼にとって、サポートに徹するだけだった今回の戦いはむしろ物足りないくらいだったに違いない。


 一方の相良当麻は不貞腐ふてくされた様にさっさと背を向ける。

 彼は相良商会の跡取り息子であり、本来なら最前線の実動部隊に加わることは無い。

 だが一カ月前の大襲撃―――〝太平洋たいへいよう覇者はしゃ〟と〝海獅子オリエントシーサー〟に襲われた際、第二警戒態勢を無視した責任を問われて、今は新設の第一五部隊に回されている。


 厳罰に処されても仕方がない行為だが、彼の立場も考慮して温情処置おんじょうしょちが為されたのだ。

 本人も自覚があるらしく、一兵卒としての編入に異論は無かったらしい。

 

 しかし都市国家の中で、彼の立ち位置は極めて危ういものとなってしまっただろう。

 那姫は船の通信機の前に立ち、当麻に語り掛ける。


『当麻さん。此処だけの話、私はまだ前回の命令違反を許したわけではありません。前回の戦いで極東は貴重な戦艦を失い、多脚型戦車一七機が破壊されました。本来ならこの損害は、到底許されるものではありません』

『………っ』

『ですが、一年前に起きた外籍遺留街がいせきいりゅうがいでの衝突事件を解決した時の功績を、私は忘れていません。極東の中には当麻さんを非難する人も多くいますが、私はあの衝突事件について小さくない国難だったと認識しています』


(………外籍遺留街?)


 聞きなれない言葉に首を傾げる一真。

 他の三人は神妙な顔で那姫の言葉に耳を傾けている。


『改めて一兵卒いっぺいそつからやり直すという温情処置は、貴方にまだ期待している人が居るという事でもあります。その期待を裏切らないよう、粉骨砕身ふんこつさいしんの努力を求めます』

『わかってる、わかってるよ。命令には従うから、とっとと命令をくれよ一真』

「急かすなよ、俺も一息ついてたんだから。―――取り敢えず、戦車部隊は船の護衛に戻ってくれ。あと少しで現地に着く」

『このまま進んで大阪湾に出たらあともう少しだよ。例の研究所は国際経済振興こくさいけいざいしんこうセンターの遺跡に隠されてるって話だから、インテックス大阪に着いたら一度休憩しよう』


 了解、と短く返して多脚型戦車は護衛の陣を敷く。

 一息ついた一真は護送船に戻って自分の席に着いた。


 したる怪我は無いものの、慣れない部隊指揮を任されて精神的に疲弊ひへいしている。

 一兵卒の方が彼是あれこれと無駄に考えずに済むのだから、本音を言うと出世欲のある人間に代わって欲しいくらいだ。


(今からでも那姫直属の一兵卒に戻してくれないかな。堅苦しくて仕方がない)


 斎条比奈や相良当麻を嫌っているわけでは無いが、戦っている間は戦闘行為に没頭したい。指示を出されるのは構わないが、指示を出すのが億劫おっくうで仕方がない。


 一度相談してみようかと、那姫を見る。

 だが彼女は悩まし気に地図をにらんでいた。


「………那姫、どうした? 気になることでも?」

「別に、大したことじゃないんだけど………〝多頭蛇〟も〝飛翔蛙〟も、日本諸島の原生種じゃないから、ちょっと不思議に思っちゃって」


 日本諸島の原生種ではない。

 つまり他の地域で発見された種族という事になる。


「海獅子のように棲家を追い出されて移住してきた可能性は?」

「その可能性もあるけど、西洋種だからね。幾ら何でも遠すぎるよ。これは移住というよりはむしろ………ううん、今はいいや。カズ君には死骸を調べてから報告するよ。今は、新部隊の話をしようか!」


 御茶を濁すような笑みを浮かべる那姫。

 彼女がそう言うなら、今必要な情報では無いのだろう。

 棚から書類を取り出した彼女は、第一五部隊のメンバーの経歴書を並べる。


「前にも話したけど、カズ君には開拓部隊の第一五部隊を任せることになります。部隊の規模は………本当は中隊規模で考えていたんだけど、カズ君の戦闘能力を考えると部隊員たちが足を引っ張るかと思って、少数精鋭せいえいの小隊規模で組もうってことになったの」


「それがさっきの三人か?」

「他にも何人か揃える予定だけど、主戦力になりそうなのは五人くらいに抑える予定。後は補佐官を数名ってところかな。物足りないなら会長たちにも相談するけど?」

「いや、それくらいの人数が有り難い。集団戦闘に関して俺は素人だからな」

「ふふ、確かに。さっきも一人で突っ込んで倒しちゃうから如何どうしようかと思ってたよ。―――あ、コレ皮肉であって褒めてないから、誤解しないようにお願いね」


 那姫の笑顔が少し怖くなる。如何に巨大な戦力とはいえ、単独行動に走りすぎれば思わぬ場面で足をすくわれるかもしれない。

 一真の身を心配しているのが半分、統括として怒っているのが半分という所だろう。一真は気まずそうに首の後ろを掻き、明後日の方へ視線を逸らした。

「………すまない。次はなるべく気を付ける」

「よろしい。カズ君の素直さは美点なので、何時までもそのままのカズ君でいて下さい。―――それで話を戻すけど。カズ君の補佐役には藤堂さんを考えているけど、どうかな」

「いいんじゃないか? 大人のベテランが居てくれる方が俺も安心だし、さっきの立ち回りも戦いやすかった。戦場の全体が立体的に見えてないと、ああは戦えない」

「おお、大絶賛。藤堂さんに関しては私もゴネにゴネて、やっと遠征軍から引っ張ってきた空間把握型くうかんはあくがただからね! 戦車乗りの中じゃ指折りの実力者だから期待してて」


 那姫は自分の戦果を誇るように胸を張る。


「あともう一人補佐役を考えている子がいるんだけど………その子、昨日の夜くらいに太平洋遠征から帰って来てるんだよね」


 一真は机に備え付けられた林檎りんごかじりながら、驚いたように目を見開いた。


「太平洋遠征から? 予定より二カ月も早くないか?」

「全部隊が帰って来るわけじゃないよ。補給も兼ねた一部が帰ってくるだけ。ちょっと気難しい子だけど、頭もいいし知識もあるし、実力は本物だと思って」

「そうか。名前は?」

高耶誠士郎たかやせいしろう君。ちょっとだけ生まれがだけど、仲良くしてあげて欲しい。多分、戦闘中のカズ君に単身でついていけるのは龍次郎たつじろうさんと誠士郎君だけじゃないかな」


 那姫の評価を聞いて小さく頷く。

 戦闘能力は兎も角として、知識が豊富なのは一真にとって有り難いことだった。部隊の規律はすぐに覚えたが、問題は明文化されていない暗黙の了解にある。

 集団行動の中で暗黙の了解を把握していない者がトップに立つと碌なことにならない。補佐役に優秀な人間を宛がってくれるのなら一真も色々と質問しやすくなるだろう。


「到着までもう少し時間がある。カズ君の戦闘データを持ってきてくれって立花さんに頼まれていたから、そっちに向かおうか」

「わかった」


 手招きされた一真は那姫と共に、護送船の研究室に向かう事にした。



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